第5話 龍血公ヴィルヘルム・フォン・パッペンハイム

「お噂はかねがね耳にしておりました。角材一本で三頭のドラゴンを殴り倒した女傑じょけつがいる、と。それはまことですか、ディアナ殿?」


 小さな丸太組みの山小屋に、そんな低い声が響く。

 身の丈二メートルはあろうかと言う筋骨隆々とした上裸の巨漢は、目の前にひざまずく四人を見定めるように見渡した。

 先頭のディアナが顔を下げたまま答える。


「流石に少し誇張が入っております」

「ほう、どんな?」

「角材ではなく、こん棒にございます。それに、一人では成し遂げられませんでした」


 堂々とそう言い放つと、ディアナはすっと顔を上げ、立ち上がる。

 そばに控えていた衛兵が無礼をとがめようと前に出るのを巨漢は手で制し、次の言葉を待った。

 窓の外。ねずみ色の雲の切れ間から、大地に日の光が注がれる。

 ディアナは、大きく息を吸い込んだ。


「ここにいるリーシャにルイ、そしてアラン。皆の助けがあったからこそ、成し遂げることが出来ました。

 此度こたびの魔王討伐も、きっと仲間がいれば成し遂げられると信じております」

「ワガハイをその列に加えたい、と?」

「貴方様だけではない! 貴方様の家臣や兵士、お身内、ご友人方、領民に至るまで、その全てを仲間にしたいのです。

 龍血公ヴィルヘルム・フォン・パッペンハイム様、どうかその力、私達と共にふるっては下さいませんか!!」


 一歩前へと踏み出して、ディアナが右手を差し出した。

 ことここにきて、あまりの無礼に憤慨ふんがいし、制止を振り払った衛兵が真っ赤な顔で剣を抜き、怒号と共にディアナに思い切り斬りかかる。

 瞬間、鋭い金属音が小屋に響いた。

 アランの斧槍が、衛兵の剣を受け止めていた。

 リーシャは素早くディアナの側面に回ると、弓矢を構えて他の衛兵をけん制する。

 ルイは背中に負った大剣を抜くと背後を固めた。

 ただ一人、ディアナだけが手を差し出したまま、自信にあふれた微笑みを崩すこと無くそのままでいる。

 衛兵に視線を向けること無く、身構えること無く、そのトパーズのような瞳をヴィルヘルムからそらすこと無く、真っ直ぐと。


 不意に、ヴィルヘルムは笑いだした。

 腕を組んだまま豪快に、それでいておかしくて仕方がないとでも言うように、立派にたくわえた口ひげを揺らし、小屋を家鳴りさせながら。

 そうしてひとしきり笑い終えると、ふぅっとため息をついて、ヴィルヘルムはその場に跪いた。

 衛兵達が息をのむ。ヴィルヘルムはディアナの手を取ると、その手の甲に口付けをした。


「貴女の胆力、器量、覚悟。そして仲間を信じるお気持ちに心を打たれました。流石はかの賢王シャルルマーニュが見惚れたお方でありますな。

 この第六代パッペンハイム公爵ヴィルヘルムを、どうか貴女を守る騎士として、部下として、何処へなりとお連れ下され」

「私は貴方を部下として迎えにきたつもりはない。友として、仲間として、迎えにきたのです」

「……ならば、そのように」


 ヴィルヘルムは顔を上げる。衛兵達も剣を納め、主君と同様に跪き、連帯を誓う。

 ディアナは満足げな笑みを浮かべると、「ええ、よろしくお頼みします!」と大きく頷いた。

 ヴィルヘルムはそんなディアナを見て、小さく微笑んだ。


「ワガハイ達はもう友です。敬語はおやめくだされ」

「そうか。うん、ならこれからよろしく頼むぞ! ヴィリー!!」

「ヴィ、ヴィリーですか!? 案外グイグイきますな……」

「そうしろと言ったのはそっちだろう?」

「ま、まぁ確かにそうですな。はい、ヴィリーで結構です」


 どこか片付かないような顔のヴィルヘルムに、勝ち誇ったような笑顔のディアナ。

 そんな二人の様子を、アランは他の仲間達と共に眺めていた。


「これで、役者は全部そろったね」


 そうぼそりと呟いた、ルイは、どこかホッとしたような顔をしていた。

 そんな一行を他所に、リーシャはキセルを吹かしている。

 灰色の煙は、空いた窓の隙間から天高くに登って、消えていった。



 *



 腹の底が震えるような轟音が、辺り一帯に広がっている。音の発生源は、近くの山の中腹辺りだ。

 パッペンハイム公領北端の町ブラウブルグにとっては最早日常茶飯事の出来事だ。聞いた話ではこの時期、この音を時報の代わりに生活しているものもいるらしい。


「ヴィリーも相変わらず元気そうだな」

「ヴィリー様って、確か五十過ぎでしたよね。元気すぎませんか……」


 うすら寒い冬の雲が、石造りの建物の隙間から姿を現す。町の中心を穏やかに流れる川の水面には、幾つか薄氷が浮かんでいた。

 往来する人々もどこか憂鬱ゆううつそうな顔をして服を着込み、敷かれた石畳をコツコツ鳴らして歩いていく。

 そんな町の大通りを真っ直ぐ抜けて、二人は先程から絶え間なく響き渡る音の方へ向かっていった。


「流石に森の中は冷えますね……着込んできて正解でした」

「同感だ。とっとと合流しちまおう」


 足場の悪い山の森道を、一歩ずつ確かめるように二人は進む。

 気温が町よりも低いせいか、場所によっては既にしもが降りているところもある。

 日の光が当たりづらいトウヒの木の下に目をやると、真っ白な雪が溶け残っているのも見受けられた。もう既に、ここには冬が来ているのだ。

 森の動物達も、既に冬の装いだ。その証拠に、野ウサギやイタチの毛は既に真っ白でもこもこと着ぶくれている。

 今のロゼとそっくりだ。


「今、あの野ウサギ私と似てるなぁーって思ってましたね?」

「な、なんのことだ?」

「……今日はご飯抜きです」

「ごめんって」


 そうこうしているうちに、段々と音が大きくなってきた。音の主が近いのだ。


「よし、それじゃ行くぞ」

「はい!」


 二人は顔を見合わせて頷くと、意を決して再び歩みを進めた。

 視界を覆う森が晴れる。大きな森の広場に出た。

 何者かによって踏み固められたような硬い地面の向こう。切り立つ大きな絶壁に向かい合うように、一人の上裸の巨漢がいた。


 岩肌のようにごつごつと筋肉の盛り上がった大きな背中にはびっしりと汗の玉が浮かんでおり、絶壁を殴り付ける度にキラキラとそれが辺りに散る。

 正拳突きの威力は凄まじく、巨漢の立っている場所だけが大きく窪み、あまりの轟音に耳を塞がなくてはならないほどだ。


「おーい!! ヴィリー、来たぞー!!」


 そんな激しい音の中であっても、かつて命を預けあった仲間の声はしっかりと耳に届くらしい。

 アランの声に気付いた巨漢は正拳突きをぴたりと止めると、ゆっくりと振り返って微笑んだ。


「お待ちしておりましたぞ、アラン殿。ロゼ様」


 男の名はヴィルヘルム・フォン・パッペンハイム。

 パッペンハイム公領を治める公爵で、かつての魔王討伐時、一行の魔術師を担っていた男だ。

 雲の切れ間から日の光が注がれる。

 鏡面のごとくハゲ上がった頭が照らされ、キラキラと美しく光輝いた。



 *



 ヴィルヘルムと合流した二人は、森の広場のすぐ近くにある彼の丸太小屋に連れられた。

 十五年前、ディアナやアラン達がヴィルヘルムと初めて会ったその場所は、今でも当時の姿のままの頑健な出で立ちで、山の斜面に建っている。

 内装も豪快なこの男らしい武骨な代物だ。

 龍の骨で作られた燭台しょくだい衣紋掛えもんかけに、身の丈三メートルを優に超す大きな熊革の絨毯じゅうたん

 衣紋掛けには彼愛用の黒龍のうろこで作られたマントが掛けられ、蝋燭の灯りを鈍く反射させている。

 小屋の中央に置かれたテーブルは、樹齢千年の巨木をそのまま切り出してきたのかと思うほどに大きく、その上には既に美味そうな香りと湯気を放つステーキが配膳されていた。


「お久しゅうございます。アラン殿、ロゼ様。

 先程山を登ってこられるお姿が見えましたので、先にお食事の方ご準備させていただきました。どうぞこちらへ」


 小屋に入って早々、丁寧なお辞儀と共にヴィルヘルムの近習が二人にそう告げる。

 歳は四十半ば程だろうか。アランもよく知る男だ。名は確か……


「あぁ、フランツ。そんなに気を揉んで貰わなくても良かったのに」

「いえ、これも性分ですので」


 十五年前、ディアナの無礼に憤慨して斬りかかったあの生真面目な衛兵フランツは、その後の魔王討伐でもヴィルヘルムの軍勢の一人として当然のように従軍した。

 出会いは最悪そのものだったが、話してみると案外気が合うことがわかり、今ではアランの大切な友人となっている。


「では、私はこれで失礼します。どうぞごゆるりと……」

「フランツさんも一緒に食べないんですか?」

「私は既に頂いておりますので。

 それに、近頃は町も物騒になって来ておりまして、夜警の手伝いをせねばならないのです」


 そう言うことですので、失礼します。と言って、フランツは颯爽と小屋を後にした。

 真面目で義理堅い上、歳を重ねるにつれ物腰もずいぶん柔らかくなったこの男が、アランもロゼも好きだった。

 共に食事が出来ないのは少し残念だが、治安の維持も兵士の仕事だ。それに、パッペンハイム公領に居る内はいつでも会える。

 そう気持ちを持ち直し、ヴィルヘルムに促されて二人は席に着いた。

 先程から、食欲をそそるいい匂いが漂ってきている。

 その正体はきっと、この人数分並べられた、人の顔程もある大きなステーキからだろう。


「ワイバーンステーキか。これを見ると帰ってきたって気になるな!」

「はい! この一年、何度この味を思い出したことか……」


 晩秋から初冬にかけて、この辺りの地域ではワイバーンの肉を食べて冬を迎える習慣がある。

 夏の終わりから秋頃に掛けて、北部地域から南の越冬地に渡りを行うワイバーンの群れは、その道中王国やパッペンハイム公領を含む大陸西部の高原に飛来する。

 飛来したワイバーンは時折街道を封鎖したり、人里に大きな被害をもたらすので、毎年時期が来ると大勢の兵士や冒険者達が一斉駆除に乗り出すのだ。

 『ワイバーン狩り』も呼ばれる駆除活動で倒されたワイバーン達は部位ごとに解体され、各市場に流れていく。

 骨は船や建材に、鱗は武具や工芸品。内臓は薬として珍重され、最後に残った肉は塩漬けにされ冬を待つ。

 塩樽の中に漬けられ熟成されたワイバーン肉はこの地域の冬のご馳走で、美味さもそこいらの肉を食うのが馬鹿らしくなるほど格別だ。

 アランとロゼが毎年毎年この時期に決まってここに帰ってくるのは、このステーキを食べたいが為だと言うのも大きな理由の一つになっている。


「それでは、頂くとしましょうか」

「おう!」

「はい!」


 天主教の短い食前の礼拝の後、三人はそう言ってこの分厚く巨大なステーキ肉にナイフを入れた。

 溢れだす肉汁、サクサクとした焦げ目、噛む度に柔らかな繊維の隙間から口に広がる甘い脂と強い塩味。それを一気に麦酒で流し込むこの快感!

 付け合わせのザワークラウトの酸味もまた、肉の甘味を存分に引き立てている。

 切り分けた肉を口に運ぶ手が止まらない。麦酒で満ちたカップが瞬く間に空になる。

 まだ酒を飲めないロゼは麦酒の代わりにブドウジュースを注がれているが、思いはアランと同じらしい。

 三つ四つと樽やグラスが軽くなる。

 小屋の中に、不思議な沈黙が生まれていた。

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