第1話 斧槍使いのアラン

 大陸北部の急峻な山道を、数台の乗り合い馬車が連なって進んでいる。

 いずれの馬車も乗客は満員で、中は随分窮屈だ。もっとも、そのお陰で寒さは幾分かマシではあるのだが。


「お師様、起きて下さい」


 先頭馬車に乗っていたアランは、そんな弟子のささやき声に目を覚ました。


「どうした……もう着いたか?」


 視界のぼやけた目をこすりながら、傍らの弟子――ロゼにそう尋ねる。

 ロゼはその名の通り真っ赤なバラロゼのような瞳でまっすぐアランを見つめると、しっかりとした声で答えた。


「路銀稼ぎのチャンスです!」

「……は?」


 馬車が石を踏んで跳ねる度、ボロ布フードの下でロゼの真っ白な髪がゆさゆさ揺れる。

 ロゼはもう一度、はっきりと食い気味に繰り返した。


「だから、路銀稼ぎのチャンスなんです!!」


 まるで言っている意味が分からなかった。あまりに過酷な旅だから、ついに頭がどうかしてしまったのだろうか?

 だとすればそんな旅路に連れてきた自身にも責任の一端はある。なんとかこの弟子の正気を取り戻さなければ。


「次の町着いたら俺もちゃんとした依頼受けるから、物盗りだけはやめとけ。母上が悲しむぞ」

「違いますよ何言ってんですか大丈夫ですか?」


 アランの心配をばっさりと切り捨て、やれやれと言った様子でため息をついたロゼは、辺りの様子をうかがいながら耳打ちする。


「先ほど御者達の会話を聞いたのですが、この街道、ワイバーンの営巣地を掠めているそうなんです」

「そうだな。お陰で前に来たときも大変だった。あのときはお前の母上が──おい待て凄く嫌な予感がするぞ」


 その瞬間、外から凄まじい轟音が鳴り響いた。驚いた乗客達が一斉に耳を手で覆い頭を下げる。

 御者は立ち止まって錯乱寸前の馬をなだめるのに必死で、後続の馬車達を気にする余裕は無さそうだ。

 狭い山道。立ち往生する馬車の列。アランはとっさに荷物と一緒に纏めていた斧槍を持って立ち上がり、音のした方に目をやった。

 馬車の荷台に屋根はない。

 音の主の姿はすぐに確認できた。


「ワイバーンです。予感的中ですね」

「あぁ。最っ高に最悪な気分だ」


 ねずみ色の空の下。

 岩山と岩山の間に生まれた微かな谷を掻い潜るように大きな翼を羽ばたかせ、ワイバーンは咆哮ほうこうを上げて迫り来る。

 空気が大きく鳴動する。振動で岩肌がぼろぼろ崩れていく。

 苔色の分厚いうろこの鎧には、遠目からでも分かるほど無数の古傷が刻まれている。一対の角もそれぞれねじれ、左右で形が変わっていた。

 こう言う死線を幾つも乗り越えてきた老年の雄は縄張り意識が強く、それに見合う実力と執念深さも持ち合わせている。

 になった馬車の列など、いとも簡単に谷底へ落としてしまえるだろう。

 どうりでこの道だけ馬車の値段が安かった訳だ。


「お師様、手助けはいりますか?」

「大丈夫。代わりに馬車の方頼んだ」


 馬車の荷台のどこかから、子供の泣き声が聴こえてくる。大人達も皆、身を屈めて脅威が去るのを神に祈ることしか出来ない。

 身なりを見るに、余所から流れ着いてきた貧民達がほとんどのようだ。ワイバーンと戦うことなど不可能だろう。


(下手に動かれるよりはマシか……)


 目の前には一頭のワイバーン。

 この場から動かぬよう制止を呼び掛けるためにアランが振り返ったとき、御者達の姿はそこにはなかった。

 使い物にならなくなった自分の馬すら捨て置き、我先に徒歩で町へ逃げていったらしい。

 無知ほど恐ろしいものはない。魔物や魔獣相手ならなおのことだ。


(地元の人間じゃなかったのか……馬鹿な奴らだ)


 道の先から、男達の叫び声が響き渡る。

 直後、街道の先の山影から、もう一頭のワイバーンが姿を見せた。角のない、少し小柄で土色の鱗をした雌の個体だ。

 その短剣の様な鋭利な白い牙がびっしり並ぶ口に男が一人、ぼとぼと血を垂らして力無く咥えられている。

 男は身動きが取れないなりに盛んに助けを呼ぶ声を張っていたが、煩わしいと言わんばかりのワイバーンに胴を咬み千切られ、奈落の底へ消えていった。


「ワイバーンがもう一頭……」

「成年の個体は常につがいで行動するからな。冒険者同士の夫婦のことを『ワイバーン夫妻』って言うのの由来だ」


 つがいの片割れと合流したワイバーンは、しばらく二頭並んで上空を旋回していたが、やがて車列を挟み込むように街道の前後に着地した。

 錯乱し、手綱を切って暴走した馬がワイバーンの脚に踏み潰され、崖下に蹴りおとされる。

 辺りが悲鳴にも似た祈りの言葉と泣き声で満ちる中、アランは荷台から飛び降り馬車の進行方向に立つ雄のワイバーンと対面した。


「お師様、もう一頭は……」

「心配すんな。ロゼは万一に備えててくれ」


 振り返ること無くそう言い放つと、アランは目の前のワイバーンを仰ぎ見た。

 三階建ての建物に匹敵するような大きさだ。威圧感も相当ある。低い唸り声に臓物が奥底から揺らされるような気分になる。

 だが、


(魔王軍には及ばないな)


 魔族の軍勢の方が、それを束ねる魔王軍最強の八将の方が、何千倍も恐ろしかった。

 アランは静かに腰を落とし、あごを引いて斧槍を構えた。

 互いの視線が交差する。

 琥珀コハク色の瞳が大きく開く。

 谷間を風が吹き抜ける。

 後ろで一つにくくった濃紺の髪が揺れる。

 ワイバーンの瞬膜しゅんまくが閉じ、鎌首をもたげた。


 刹那、アランは地面を蹴ってワイバーンの喉笛に飛び付いた。

 ワイバーンの口内が視界一杯に広がり、炎のブレスが放たれる。

 生臭さと熱気が迫る中、アランは斧槍の穂先を突き出した。

 眼前でブレスが二つに割れる。

 背後でロゼが防御魔術を詠唱するのを聞きながら、アランは吸い込まれるようにワイバーンの喉元に斧槍を突き刺した。


 生ぬるい、赤黒く粘度の高い血が噴き掛かる。

 それでもなお、抵抗しようともがくワイバーンにとどめを刺すように、アランは斧槍を切り上げ払い、そのまま地面に着地した。

 一拍遅れて、ワイバーンもその場に倒れて絶命する。

 その時、ロゼの叫びがアランの耳に刺さった。

 

「お師様、後ろ!!」


 背後から強烈な風圧が押し寄せる。

 伴侶の仇を討つため、もう一頭がアランの背中に迫る。

 その鋭い牙が肩を、首の皮膚や肉を食い破る直前、アランは勢い良く振り返り、渾身の力で斧槍を振り抜いた。

 ワイバーンの側頭に、斧槍の刃がめり込んだ。

 鱗が砕け、血が噴き出し、もう一頭のワイバーンも空中で息絶える。

 死体となった胴体は勢いを殺しきれず岩壁に突っ込み、大きな窪みを作って静止した。


「……その御霊が、かくも尊き天主の身許で眠らんことを」


 アランは二頭のワイバーンの亡骸に向き直ると、冒険者の作法に乗っ取り斧槍を置いて祈りを捧げた。


「お師様!」


 馬車の荷台から、ロゼがそう言って駆けてくる。

 もしや、怪我をしていないか心配してくれているのだろ──


「服、血まみれじゃないですか! 一体誰が洗うと思ってるんですか!? とっとと脱いで下さい! 早く!」


 荷物の中から石鹸やら洗剤やらを引っ張り出してきたロゼは、アランの耳元でそう怒鳴り声をあげる。


「いや、これはしょうがないだろ! ……今ここで脱がなきゃダメ?」

「ダメです早く脱いで下さい! シミになったら取れないでしょうが!」

「あー、もう分かったよ……分かったから洗濯板で師匠の尻を殴打するのは辞めなさい。割れてしまうから」

「何が?」

「尻が」

「馬鹿なこと言ってないで早く脱ぐ!」


 ロゼに命じられるがまま、アランは血まみれの服をその場で脱いでたらいの中に入れていく。

 そうこうしている内に他の乗客達も、ぞろぞろと荷台から降りてアラン達の方へ歩いてきた。

 皆、安堵の表情を浮かべている。安心して泣き出してしまうものも見受けられた。


「まさか二頭のワイバーンを一人で倒してしまうなんて……」

「あんなに若いのになんて力だ」

「きっと天主様が遣わして下さったのよ!」


 そんなざわめき声が人々の中から聞こえる中、一人の男がアランの元に歩み出た。

 黒い僧衣を身に纏い、首から天主教徒を示す金三角形のロザリオを提げた壮年の男。天主教の修道士だ。

 修道士は喜びと安堵、そしてほんの少しの緊張を持ってアランに尋ねた。


「もしやあなたは、アラン様では有りませんか……?

 十五年前、勇者ディアナ様と共に魔王軍に立ち向かい、たった一人で魔王八将の一人、“晩鐘ばんしょう伯”影踏みのマレクを討ち果たした、“魔族殺し”のアラン様ではございませんか?」


 その問いに、アランは静かにこう答えた。


「いいえ、今は違います。俺はただの斧槍使い。

 斧槍使いのアランです」


 北風が谷間をびゅうと吹き抜ける。

 アランは思わずくしゃみした。

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