或る斧槍使いの後始末《エピローグ》~師匠の勇者が寝込んでいるので、弟子を引き連れヤク探し~

かんひこ

序章

エピローグ 凱旋

 道幅の広い街道を、幾つもの箱馬車を伴った軍勢が歩いていく。

 ボロボロの鎧兜よろいかぶとを身にまとい、擦り切れたコートや軍旗をたなびかせた兵士達の顔には、その格好に不釣り合いなほどに清々しい笑顔の花が咲いている。

 どうやら凱旋がいせんの途中らしい。


「アラン、もう王都に着くぞ」


 そんな凱旋行軍の中にある、一際ひときわ豪勢な箱馬車で、一人の女が愉快そうに呟いた。

 栗色の長い髪に、トパーズのような瞳を持った、凛々しい顔の女騎士。腰には王家伝来の宝剣を帯びている。

 三十年続いた魔王との戦争に終止符を打ち、王国や近隣諸国の危機を救った雨の勇者・英雄ディアナだ。

 馬車の窓から差し込む昼の陽光が、その艶やかな髪や透き通るほどに白い肌をビロードのように輝かせている。

 その様子は魔王討伐軍の総大将と言うより、一国の姫君のようだ。


「……ディアナ先生、そのセリフ一時間前にも聞きましたよ?」


 折角のうたた寝を邪魔されて、向かい側の席に座るアランは心底不機嫌そうに返す。

 愛弟子のその顔が可笑しかったのか、ディアナはクスクスと愉快な声を唇から漏らして笑みを浮かべる。

 向かい合ってにらみ合う彼らの隣でその様子を微笑ましげに見守るのは、ディアナの従者妖精バンシーのリーシャと魔術師のヴィルヘルムの二人。

 長きに渡る魔族との戦いの中では信頼のおける仲間だった両者の生暖かい視線に、アランは大きなため息をついた。


「その視線はなんです? ヴィルヘルム・フォン・パッペンハイム公爵閣下?」

「うむ? い、いやぁなんでもござらんよ……ってアラン殿、まだワガハイのこと家名呼びなんですか!? ずっと一緒に旅してきたのに!?」

「仕方ありませんよパッペン様。尊いお産まれのあなた様のことを名前呼びするのははばかられますので」

「リーシャ殿までそんなぁ……昨日まではワガハイとアラン殿のことを呼び捨てでアゴで使ってたのに……」


 アランと(共犯者だったはずの)リーシャの双方からの攻撃に思わず涙目になるヴィルヘルム。

 二メートル近い身長を持つ強面ひげ面大男の弱々しいその姿があまりにも可笑しくて、途端に車内は大きな笑い声に満ち溢れた。


「二人とも、ヴィリーをあんまり虐めてやるなよ?」

「冗談だよヴィリー。悪かった」

「そうですよパペ公。ほらハンカチです。そう言えば、ハンカチを渡すのって、手切れと言う意味があるそうですね」

「うぅ……リーシャ殿だけずっとひどい……」


 ぼそぼそ文句を垂れながら、リーシャから受け取ったハンカチで涙を拭うヴィルヘルムの姿に、また車内に笑い声が広がった。


 車窓からは何処までも続く黄金色の麦畑が見えた。水車や小屋、軍勢に頭を垂れる農民の姿もちらほらとある。

 季節は秋だ。王都を発ったのも、そう言えば同じような時期だった。

 広大な麦畑の少し向こうに、王城の三角屋根が見える。あと数時間かそこいらで、この旅もいよいよ終わりだ。

 そして、新しい日々が始まる。


「……もう、五年になるんですね」


 ヴィルヘルムからのハンカチ返還を拒否しながら、ふとリーシャがそう呟く。

 国王からの激励のもと王都を出発し、今日の日までがむしゃらに戦ってきた。

 魔王を討ち、魔王都に入城し、降伏文書の調印に立ち会い、今まさに凱旋の途上にあってなお、五年と言う月日が経った実感がない。


「どうした? アラン」


 考え事をしていたのが分かったのか、ディアナが顔を覗き込むように尋ねる。

 本当に、この人には隠し事が出来ない。アランは恥ずかしそうに顔を上げ、頬を指で掻いた。


「いえ。出発してからもう五年も経ってるなんて、ちょっと信じられなくて。

 時間の流れって、早いなって」


 すかさずリーシャがそれに突っ込む。


「アラン様、エルフみたいなことをおっしゃいますね。まだヒゲも生えてないような歳なのに」

「毎朝ちゃんと剃ってんだよ。もう二十歳はたちだぞ?」

「そうか、アランももう二十歳になるのか……最初に会った頃はまだ豆粒みたいにちっこくて可愛かったのに」


 十五年前、初めて二人が出会った頃を思い出してか、ディアナが少し目を潤ませる。

 ヴィルヘルムが昔のことを尋ねようと身を乗り出すのが横目に見えたので、アランはとっさに話を変えた。

 幼少期の頃の話が恥ずかしいのは、どれだけ成長しても変わらないのだ。


「そう言えば、出発した初日のこと覚えてます?」

「あぁ、もちろん。国王陛下から貰ったこの剣を、私が賭けチェスで負けてぶんどられたアレだろ」


 ディアナが何故か誇らしげに胸を張って答える。

 一緒になって賭けに行ったヴィルヘルムは居心地悪げに苦笑した。


「その後リーシャ殿が勝って取り返してくださったから良かったものの、流石にあのときは焦りましたなぁ。

 あとあのとき貸したお金、早く返してください」

「『あぁ、この人これから丸腰で戦うんだぁ』って俺軽く絶望したぞ。三千人いた兵士もみんなドン引きしてた」


 今々思い返すと、良くあのとき誰一人として脱落者が出なかったものだと背筋が冷える。

 結果何事もなく解決した今では、笑い話だ。


「そんなリーシャも、ヴィリーの財布からごっそり金貨猫ババするしな? どれだけ盗ったよ?」


 傍観者を気取って鼻を高くしていたリーシャが一気に冷や汗をかいて視線を逸らす。

 またもヴィルヘルムが苦笑しながら代わりに答えた。


「あの日だけで五百枚はいかれましたな。まぁ、一応半分は返ってきたので……」

「半分しか返ってきてないの? それ大丈夫?」


 ディアナが思わず前のめりになる。

 金貨が五百枚もあれば、中古の城一つなら余裕で買えるし釣りがつく。

 一転して立場の悪くなったリーシャも、口ごもりつつ負けじと反論する。


「無防備に金が置かれていると、つい……でもアラン様だって、パペ公の龍鱗マントからこっそり鱗抜き取って売ってたじゃないですか!」

「待ってワガハイそれ知らない」

「サテ、ナンノコトダッタヤラ……」


 アランはそっとヴィルヘルムが距離をとり、視線を窓の外へやった。

 あのときは仕方がなかったのだ。

 行軍中にルイという仲間の一人と立寄った町の飲み屋に軍資金丸々忘れて帰ってしまったのをなんとか誤魔──解決するための非常の手段だったのだ。

 もっとも、鱗十枚抜き取って売却したら、ずいぶん釣り銭が返ってきたのだが。


「本当、私達みんなろくでもない野郎共だな」


 ディアナが大きな声で笑う。車内の三人もそれにつられる。


「こんなろくでなし共が英雄なんかになって良いもんなのかね?」

「ま、貰えるもんは貰っときましょう。陛下からも恩賞金がガッポリ手に入りますし。ねぇ? パペ公?」

「ワガハイは何も悪いことしてませんが!?」


 本当に、究極にろくでなしで、愉快で、


「……最高の仲間達だよ、みんな」


 ディアナはそっと鎧越しに自分の腹を優しく撫でる。

 まるでそこにいる誰かに言って聞かせるかのような、穏やかな声音で。


「凱旋式が終われば、ワガハイはすぐに王都を出て領地に戻ります。早く復帰しないと、弟に実権を奪われてしまいますので。

 皆さんは、どうなされるので?」


 ヴィルヘルムは少し姿勢を正すと、そう問いかける。三人は顔を見合わせた。

 そう言えば、この先のことを全く考えていなかった。

 今まで考える余裕など無かったが、確かに今後のことは良く考えなくてはならない。

 これからは平穏な日々が訪れる。その世界に、勇者も、その一行も必要ない。その為に、四人は今まで戦ってきた。


「ま、これからのことは後で考えるさ」


 ディアナがそう快活に答える。リーシャも大きく頷いた。アランも、はなからそのつもりだ。


「それが、俺達らしいですね」

「ええ、そうですね」


 馬車が音を立ててその場に停まる。

 どうやら王都に着いたらしい。

 腹に響くような重厚な門の開く音が鳴り、馬車の扉が開かれた。


「皆さん、どうぞこちらへ」


 扉を開いた兵士の一人が、一行に降車を促す。


「さぁ、新しい日々の始まりだ!」


 唐突に、ディアナはアランの手を引いて馬車の中から飛び出した。

 よろめきながらもなんとか石畳の上に着地するアラン。

 そんな彼をぎゅっと抱き寄せ、ディアナは耳許で囁いた。



「なぁ、アラン。この子の父親代わりになってくれないか?」



 町から響く、勇者を迎える地鳴りのような歓声と、鼓笛隊の高らかな演奏に包まれながら、英雄達の旅は幕を閉じる。



 人知れず、勇者ディアナが深い眠りに落ちたのは、その一年後のことだった。

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