第2話 エリキシル

 十年前、勇者がいた。雨の勇者と呼ばれていた。

 その名はディアナ。

 二万を越える魔族の軍勢を、雨天の中たった三百騎の部下と共に打ち破り、王国の反転攻勢の先駆けとなった救世の英雄。

 冒険者の出身でありながら、王侯貴族を含めたありとあらゆる人々から崇敬の念を抱かれた甲冑の聖女。


 その傍らにはいつも、一人の少年が控えていた。


 少年の名はアラン。身の丈より大きな斧槍を使い、常に勇者と共に戦場を駆け巡った紺髪の若き荒武者。

 魔王八将の一人、“晩鐘伯”影踏みのマレクの軍勢をたった一人で壊滅させ、その首を討ち取った『魔族殺し』の少年兵。

 勇者ディアナの一番弟子にして、その攻勢の中核を成した勇敢な戦士。

 魔王征伐から十年。その男は今……



 *



「いやぁ、なんとお礼を言ったら良いものか……アラン様、町をお救い下さり、本当にありがとうございます」

「十数年前の“晩鐘伯”の件と合わせて、二度もこの町を守って下さるなんて」

「それに馬車に乗っていた貧民達までお守りになったとか。なんと心優しきお方か……」


 町の市庁舎の応接室。

 豪勢な料理の並べられたテーブルを前に、アランは町の有力者達に囲まれてそう散々に感謝の言葉を述べられている。

 もう一時間半、ずっとこの状況だ。窓の外もずいぶん暗い。

 どうぞお構い無くと彼らは言うものの、こんなに見られていたら手当たり次第に料理を食べ漁っているロゼとは違い、到底食事なんて不可能だ。


 そんな苦行のごとき現状を、打開する男が現れた。


「いやはや、遅くなってしまい申し訳ない。教会に貧者の方々を案内していたらこんな時間になってしまった」


 黒い法衣に金のロザリオをしたグレーヘアーの壮年の修道士。ワイバーンを討伐した折、アランに話し掛けてきた男だ。


「おおヨハン修道士殿。お勤めご苦労様でございます」

「そう言えば、修道士殿も馬車に乗って居られたのですよね。アラン様のご活躍、是非修道士殿からもお聞きしたい」


 しめた! と言わんばかりに、アランは手近な料理を口に放り込む。少し冷たくなっているものの、元が良いから充分美味い。

 有力者達に促され、ヨハンと呼ばれた修道士がアランの活躍を長々と語ってくれたお陰で、ある程度腹が満たされた。

 満足満足、とアランがほくほく顔を上げたとき、丁度修道士の話も一段落着いたらしい。「そう言えば」と、ヨハンはアランの方へ視線を移した。


「アラン様はどうしてこの町へお弟子の方とお越しになったんです?」


 有力者達の視線も一気にアランへ集中する。

 未だ黙々と料理を食べ続けるロゼを横目に、腹の膨れたアランは居住まいを正して答えた。


「実はこの町に、探し物がありまして」

「ほう、探し物! 良ければお教え願えませんか?」

「大恩人のアラン様のお力になれるならなんだって致しますぞ!」

「ささ、どうぞ遠慮無く!」


 アランが言うや否や一気にそばへ集まる有力者達。その熱意に押されて、アランはおずおずと口にした。


(まぁ、隠すほどのことでもないしな)


「万能の霊薬・エリキシル。この町には、その製法が残されてあると聞きまして」


 一転、水を打ったように静まり返る応接室。

 デザートのプリンを食べる手を止め、思わず顔を上げるロゼ。

 有力者の一人、この町の市長が、申し訳なさそうに言った。


「アラン様。エリキシルの製法は、もうこの町に残ってはいないのです」



 *



「また無駄足か……」


 市庁舎の貴賓室に泊まっていくようすすめる町の有力者達の申し出を断ったアランは、下町の安宿の一室でそうため息をつきながらベッドに腰を下ろした。

 値段相応の宿のベッドは少し固いが、ダニやシラミの気配はない。安心して眠れそうだ。

 そんな師匠の様子を尻目に、ロゼはせめてものお礼に、と手渡された大量の金貨を一枚づつ数えて袋に仕舞う。

 豪華な料理に大金の報酬。ロゼの表情は、アランと違って幾らか明るかった。


「まぁ良いじゃないですか。その無駄足のお陰で、美味しいご飯と纏まった資金が手に入りましたし」

「そりゃそうだけどよ……」


 二人が旅を始めてから、もうじき五度目の冬が来る。

 今まで多くの町や国を巡ってきたが、今のところエリキシルにまつわる有力な手がかりは皆無だ。


 エリキシル。たった一滴垂らすだけでありとあらゆる傷病を癒し、呪いを打ち消す万能の霊薬。


 アランとロゼはこの薬を求めて、長い旅を続けている。

 だが第一、本当にそんな薬が実在するのか。

 実在したとして、今の技術で再現が出来るのか。

 そもそも、効果があるのかすらもわかっていない。それなのにも関わらず、二人はそれにすがらざるを得ないのが現状だ。


 北部諸国の冬は早い。明日明後日の内に町を出て街道を南下しなくてはすぐに行く手を大雪に阻まれてしまう。

 アランもロゼも、生まれは温暖な気候の王国南部、副都ヴェルシールだ。北部の冬には耐えられない。

 天井の木目を見詰めながら、アランはここから先の段取りを考え始めた。そのとき、


「アラン様、いらっしゃいますでしょうか?」


 コンコン、と、戸を叩く音と、そう尋ねる耳障りの良い低い声が部屋に響いた。修道士ヨハンだ。

 アランが腰を浮かせるより先に、ロゼが席を立ってドアノブをひねり、ヨハンを部屋に迎え入れる。

 姿を見せたヨハンは、丁寧に腰を折ってお辞儀した。


「夜分遅くに恐れ入ります。市長様にお尋ねしたところ、こちらに泊まっておられると聞きまして……どうしてもお伝えしたいことがありまして」

「お伝えしたいこと、ですか? あ、どうぞ中へ。外は寒いでしょう」

「下でお茶を淹れて貰ってきます。どうぞお掛けになって下さい」


 ヨハンの「どうぞお構い無く」と言う声を背に、ロゼはトタトタと部屋を出て階下の食堂へ降りていった。


「気を遣わせてしまいましたかね。申し訳ありません」

「いやいや、そんなこと……それで、伝えたいこととは?」


 アランに促されるがままに部屋に入り、席についたヨハンは、小さく頷くと、静かに口を開いた。


「例の、エリキシルの件です」


 アランはぴくりと眉を上げた。その様子を見てヨハンはほんのすこし口角を上げる。


「以前、法皇庁の文書館で、医学書庫の担当を勤めていたことがありまして。そこの職を辞した際、餞別せんべつとして同僚にこれを頂きました」


 そっと、ヨハンは懐から一枚の紙切れを取り出して、裏返しに机の上に置いた。

 少し茶けた、古い羊皮紙のようだ。

 紙の端にはびっしりと小さな穴が空いており、それがかつて一冊の本にじられていたことを示している。


 天主教における重要な機密に触れる機会の多い法皇庁の文書館職員。

 そこに勤める人間は全て、高位の聖職者か、そうなることが決まっている者達だ。

 大概は、後にどこかの司教なり、法皇庁の重役となることが内定している者が配属される。


 古びた紙切れをアランの目の前まで持ってきて、ヨハンが静かな声で言う。


「これはかつて、聖女フルウィアの遺した書物の一部だったそうです。原本は既に失われ、この一枚だけが遺っています」


 その名前に、アランは聞き覚えがあった。

 聖女フルウィア。医学の母とも呼ばれる聖人で、万能の霊薬エリキシルの生成に成功したとの伝説がある。

 だが、彼女の著書はそのほとんどが長い歴史のなかで失われており、今残っているものも多くが法皇庁の座す聖都の“神秘の書庫”に眠っている。 

 アランはおろか、魔王討伐を為した勇者ディアナでさえも触れることは許されない。

 そんな貴重な書物の断片を、この男は何故……


「どうして、これを俺に?」


 アランの問いに、ヨハンは右手の人差し指と中指を立てて、真面目な声音で答える。

 年相応の、年期の入った指のしわや爪の間には黒く土が入り込んだ跡が見える。農民や、現場作業を生業とする者はこう言う手をしている者が多い。

 ワイバーンを街に運びいれた後も、あの貧民達の世話をしたり、瓦礫をどける手伝いをしていたのだろう。

 信に足る人物かもしれない。


「理由は二つあります。一つは、やはり貴方様が命の恩人だからです。魔王討伐の折と、つい先ほどの二度、この命を助けていただきました」

「もう一つは?」

「……貴方様が何故、エリキシルをお求めになるのか。それが知りたいのです。

 あれはいわば伝説の品です。実在するかすら怪しい代物です。

 正気の人間が、友人や身内がただの重い病になったからと言って探し求めるとは思えません。特に、貴方のような英傑ならなおのこと。

 この十年の間に、恩人たる貴方の身に何があったのか、それを知りたいのです」


 そう言いきった後、「もちろん、無理にとは申しませんが」と付け足して、ヨハンは指を引っ込めた。

 机の上には、裏返しに置かれた紙片が一枚。手を伸ばせば容易に届く。

 それでも、ヨハンの力強い眼差しから、アランは目をそらすことが出来なかった。


(聡い男だ)


 無理にとは、と言っておきながら、きっとヨハンはアランが答えないとは思っていない。

 自分の身の内を明かし、誠実さをそれとなく示してみせた。

 下手したてに出ているようで、ゆっくりと逃げ道を塞いでいく。交渉上手の常套手段だ。

 この男に小手先の隠し事は通用しないだろうと察し、アランは小さくため息をついて観念した。


「少し長くなりますよ?」

「ええ、覚悟の上です」


 そう言ったとき、ちょうど部屋の戸が開き、ロゼが暖かいお茶を盆の上に乗せて運んできた。

 ゆらゆら天井に吸い込まれていく湯気を眺めながら、アランはぽつりぽつり語り始めた。

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