第31話 次なる一手

 逃げ惑う人々に紛れて、“英雄狩り”は王都の闇に逃げ込んだ。

 館から上がる火の手は市街地に入ってもよく見える。英雄狩りは痛みを堪えながらほくそ笑み、懐から赤い液体の入った小瓶を取り出し、栓を抜こうとして、やめた。

 

「“魔族殺し”アランの狙いは、確かこれだったな」


 ようやく呼吸も整い、痛みもある程度引いてきた。

 冷たい夜風が、熱を持って痛む体に心地よい。


(残りはこいつ含めてあと三本……次は、私が釣る番だ)


 英雄狩りは笑みを浮かべて、燃え上がる館の方を振り返る。

 もうもうと立ち上る灰色の煙の根本が、鮮やかなだいだい色に染まっていた。


「こい、アラン。私を殺しに、こっちへ来い」



 *



 三人が外に出た頃には、辺りは大きな騒ぎになっていた。

 他の館からも大勢の貴族や使用人達が這い出してきて、呆然と焼け落ちる建物を眺めている。

 立ち上る火柱の明りが、アランには普段の数倍も眩しく見えて、すっと目を逸らした。

 目蓋の裏に、まだ昨夜の閃光が残っている。燃える館から充分離れたところで、アランは地べたに座り込んだ。


「三人共、ご無事ですか!?」


 ふと、ざわめきの中から耳慣れた大声が聞こえて来た。アランは目をつぶって休めたまま、声のした方に顔を向けて苦笑した。


「お師様、ヴィルヘルム様が来られました」

「あぁ、みたいだな」


 騒動の最中、ヴィルヘルムは館に三人の他にごく少ない数名の衛兵だけを残して、手勢とともに王宮に詰めていた。

 王宮には、国王シャルルマーニュは勿論、帝国から遥々訪れた皇帝やその親類一同も宿泊している。そして、勇者ディアナも。

 万一王宮が襲撃されるようなことがあれば、せっかく戦無き世界を受け入れようとしているこの大陸が、再び血で染まってしまう。それだけは、何としても避けなくてはならなかった。


「お父様、アラン様が背中にお怪我を……」

「なんと! すぐに見せて下され」


 そう言って駆け寄ってくるヴィルヘルムに、アランはゆっくりと背中を見せて服を脱いだ。


「傷痕が残らんように治してくれよ? 背中の傷は戦士の恥だからな」

「それだけ軽口が叩けるなら、大したことはなさそうですな」


 ホッとしたようにそう返したヴィルヘルムは、アランの背中に走る大きな一つの切り傷に向かって手をかざした。


ヒルオ・ア・エリオール治癒魔術


 瞬間、若草色の淡い光が傷口を包み込んだ。

 赤く開いた傷がみるみるうちに塞がっていく。数秒もたった頃には、傷のあったところはきれいな皮膚に覆われていた。


「取り敢えず傷口は塞げましたが、無茶は禁物ですぞ? すぐにまた開いてしまいますので」

「わーってるよ。ありがとさん」


 アランは傍らの斧槍を拾ってゆらゆらと立ち上がると、うっすら目を開けてヴィルヘルムの肩に手を置いた。


「リーシャに、伝言を頼めるか?」


 他の者には聞こえぬような小さな声でアランはささやく。ヴィルヘルムが、驚いたように聞き返した。


「リーシャ殿ですか?」

「ああ。あの力が必要だ……出来ることなら、リーシャには頼りたくなかったんだけどな」


 そう言うとアランは、小声でヴィルヘルムに言伝を伝えた。

 ヴィルヘルムは真面目な顔で頷くと、率いていた手勢の半分を火災の対処に残し、王宮に戻っていった。


「お師様、ヴィルヘルム様に何を伝えたんですか?」


 不安そうな顔で聞くロゼの頭に手を置いて、アランは静かに笑って答えた。


「最強の助っ人を呼んだのさ」


 暗い夜の王都の中心にそびえ立ち、街全体を見下ろす王宮の尖塔に目をやって、アランは市街地に向かって歩き始めた。


(勝負はまだ、終わっちゃいない)


 慌ててロゼとクリスティーナが追い掛けてくる気配を背に感じ、アランは次の作戦を練り始めた。



 *



 王宮からも、館の火災がよく見えた。

 大騒ぎになっている王宮内部の雑踏をかき分けて進み、ヴィルヘルムは王宮の中庭に作られた地下への隠し扉を開き、中へ入った。

 この場所は有事が起きた際に王や王族達が逃げ込めるように作られた隠し部屋で、その存在を知るものはほとんど居ない。

 強力な結界と石レンガに覆われた堅固なその部屋には認識阻害の魔術刻印が施され、部屋の存在を知らないものが侵入することを防いでいる。

 人一人が通るのがやっとという長く暗い階段を一人ヴィルヘルムは下っていく。

 最深部までたどり着いたヴィルヘルムは、相変わらずそこに広がっている光景に、思わずため息をこぼしそうになった。


 地下空間に広がっていたのは、広大な平野と美しい花畑だった。

 目線を上げれば青空がそこを覆っている。柔らかな陽の光すら地面に向かって注がれていた。


(これが、古代の空間魔術……いつ見ても恐ろしいものですな)


 結界内部の空間を捻じ曲げ、そこにあるはずのない世界を具現化させる、現代では既に失われた伝説の魔術“空間魔術”。

 施設としてほぼ完璧な状態を維持しているものは、この大陸中を探しても三つと無いだろう。

 そんな魔術造りの花畑の中心に、人の姿があった。

 真っ白な丸テーブルに肘をつき、白い椅子に座ってこちらをじっと見つめる、隻眼片足のバンシー従者妖精……リーシャだ。


「外が随分騒がしいですね、パペ公。何がありましたか?」


 リーシャの澄んだ声が辺りに響く。見かけは開放感ある花畑でも、実際には屋内なのには変わりないので、当然声も反響する。

 ヴィルヘルムはリーシャの方に歩み寄りながら、頭の後ろをかいた。


「ありまくりでございますよ……アラン殿が、英雄狩りと交戦を始めました。お陰で王都の郊外で火災が発生。都は大混乱に陥っております」

「あら、それは大変なことですね。ロゼお嬢様は?」

「危うい瞬間もあったようですが、アラン殿がかばったおかげで無傷です。もっとも、アラン殿は負傷して先程治療してきたばかりですが」


 ヴィルヘルムはリーシャと向かい合うように椅子に腰掛け、リーシャの足元に置かれた黒い棺に目をやった。

 この中に、勇者ディアナが眠っている。魔王を倒した最強の女戦士が、今、死人のように。


「エリキシルは?」

「今はまだ。少なくともアラン殿は今晩中には決着をつけるつもりのようですが」


 そこまでヴィルヘルムが言ったところで、リーシャは彼がここに来た理由に気づいたらしい。

 面白そうな笑みを浮かべて、リーシャは傍らに突き立てられている杖に手をやった。


「私の力が必要ですか?」

「……ええ、そのようです。頼めますか?」


 リーシャは不敵な笑みを浮かべて、ゆっくりと席をたった。


「ええ、もちろん。お代は直接手渡しですよ? ……ディアナお嬢様を頼みました」


 リーシャは慣れた足取りで、義足と杖を使って出口へ向かって歩いて行く。


「お任せ下さい。必ず、守ってみせます」


 ヴィルヘルムは、その背に静かにそう告げて、また棺に目をやった。


「ディアナ殿、見ておられますか。かつての仲間達は、今なおその闘志を燃やしているようです。

 燃え上がるような、熱い闘志を」


 決着の瞬間をひしひしと感じながら、ヴィルヘルムは柔らかな笑みを浮かべてそう言った。

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