第30話 暗闘
深夜、包帯と目蓋越しに淡い光を受けて、アランは目を覚ました。
微かな息遣いと身動ぎする音が聞こえる。
部屋は寝る前にしっかりと火消しをし、カーテンも閉めて真っ暗にしていた。
今の状況が何を意味するか、アランは直感的に理解した。
「夜分遅くにご苦労だな、“英雄狩り”」
眠っていたはずのアランにそう呼びかけられ、“英雄狩り”は一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直して口を開いた。
「貴様が昨日の夜半に負傷したと聞いて、わざわざ見舞いに来てやったのさ。……神に祈る間をくれてやる。己が所業を悔いて、死ね」
その言葉に、アランはフッと笑ってこう返した。
「生憎と、後悔なんざ微塵もなくてな。それに、ここで死ぬ気も毛頭ない……ロゼ、今だ!!」
――
瞬間、ベッドの下から氷柱の矢が三つ放たれ、英雄狩りの提げ灯りを破壊した。
ガラスが割れ、明かりは消え、辺りは漆黒に包まれる。
とっさに飛び退き懐剣を引き抜いた英雄狩りの眼前に居たのは、包帯をかなぐり捨て、斧槍を振りかぶったアランの姿だった。
(この暗闇で、私の姿が見えるのか!)
どしん、と館が揺れるほどの勢いで、アランは斧槍を振り下ろした。
反射的に身を引き、毛一本の差で斬撃を交わした英雄狩りは、不利を悟って扉を蹴破り廊下に飛び出す。
「
その背中に、ベッドの下に隠れていたロゼが追い討ちをかける。
振り返りざまに懐剣で氷柱の矢を弾き落とし、英雄狩りは廊下の半ばまで躍り出た。だが、そこにはクリスティーナが待っていた。
(
当日、罠や警備が張られているだろうことは、英雄狩りにも容易に予想がついていた。
ある程度の苦戦も視野に入れていたが、まさか昨夜に騎士団と激戦を繰り広げたクリスティーナも姿を見せるとは思っても見なかったのだ。
「もう逃げられませんわよ!!」
無防備になった側背に、クリスティーナは重い正拳突きを繰り出した。
英雄狩りは慌てて体を捻り、防御の姿勢を取ろうと試みる。だが、それが整うより先に、クリスティーナの拳が彼女の体を弾き飛ばした。
廊下の大気が脈動し、壁にかけてあった絵や、置かれていた花瓶がガタガタと床に落ちて音を立てる。
クリスティーナの一撃をまともに食らった英雄狩りは、向かい側の廊下の壁に叩き付けられ、静止した。
衝突した壁面がひび割れ、大きくくぼみが出来ている。
すぐさま部屋を飛び出したアランとロゼは、クリスティーナと共にがっくりとうなだれている英雄狩りのもとへ向かった。
「もう逃げられんぞ、観念してお縄につけ。……そんで、お前の持ってるエリキシルを俺達に差し出せ」
斧槍の穂先を喉元に突き付け、アランは英雄狩りにそう迫る。
ひゅー、ひゅーと、肺から絞り出すような息をしていた英雄狩りは、その言葉を聞いて途端に顔を上げ、笑い出した。
「なんの……ことか、さっぱり……分からんな、ぁ」
「とぼけても無駄です。ヴラウブルグでの戦いの後、監獄から抜け出した貴女がエリキシルらしき薬品を使っていたのは調べがついているんです」
「薬、品……? あぁ、あれか…………くく、く……お嬢さん、面白いこと、いうなぁ……。エリキシルなんて、この世に、存在しないん……だよ」
アランは穂先で喉元の薄皮を突いた。
やぶれた皮膚から赤い血が流れていく。暗闇にすっかり目が慣れたアランには、それがはっきりと見えていた。
「これで最後だ。とっととあの薬を出しな。さもなきゃお前をこの場で殺して薬を奪うだけだ」
本当ならばシャルルマーニュ王に突き出して審判にかけるのが筋なのだろうが、少なくとも今のアランとロゼには関係無かった。
例のあの赤い薬。あれさえ手に入れば、何も文句はないのだ。今こうして迫っているのは、絶対的有利な状況での、せめてもの王や、彼と関係の深いヴィルヘルム達への義理立てにほかならない。
だが、そんな状況に置かれていても、英雄狩りは不敵な笑みを浮かべている。
「私、を……殺、す? お前らに、は……無理だ」
「なら試してみるか?」
「それが、いい……」
英雄狩りは凶暴な笑みを浮かべてアランに言う。
彼らが先程までいた寝室から火の手が上がったのは、その直後のことだった。
「……! アラン様、ロゼ様。あれを!!」
最初に事態に気付いたのは、二人から数歩後ろに構えていたクリスティーナだった。
開け放たれた扉から上がる火柱。
呼びかけられ、二人が振り向いたとき、英雄狩りは小さく詠唱した。
「
炎の放つ光に照らされ、館に黒い影が現れた。
その影がゆらゆらと形を刃に変形させ、間近の二人に襲い掛かった。
ロゼの防御魔術も間に合わない。アランは素早く斧槍を手放し、ロゼの肩を抱えて覆い被さり、倒れ込むように身を伏せた。
黒い刃が頭上をゆく。アランの背に、燃えるような鋭い痛みが走った。
血潮があたりにほとばしり、壁や床を赤く濡らす。
床に倒れ、耳元でうめくアランの声を聞きながら、ロゼは防御魔術を展開した。
「
青いステンドグラスの様な結界が二人を覆う。
追い討ちをかけるように降り注ぐ無数の刃は、その強固な障壁に防がれた。
「お師様、大丈夫ですか!?」
「かすっただけだ。そっちは?」
「私は平気です」
気が付くと、影の刃が消えていた。
英雄狩りは隙をついて、階下へ走り去っていったらしい。
「お二人とも、ご無事ですか!?」
結界をとき、その場に座り込んでいた二人に、クリスティーナが駆け寄ってきた。
両拳から赤黒い血がにじんでいる。あの影の刃を、素手で防ぎ切ったらしい。
「私は無傷ですが、お師様が背中を切られました。見たところ少し深そうです」
「俺のは大したことねえって……クリス様はいかがですか?」
「わたくしも大事ありませんわ。ともあれご無事で何よりです……ここはもう危険です、早く下に降りましょう」
三人は連れ立って英雄狩りの後を追うように階段を降りる。
歩き際、アランは先程まで英雄狩りがいたところに、水に濡れた小瓶が転がっているのを見つけた。
そのすぐ側には、白いロウの様な小さな欠片が落ちていた。
(
外気に触れると自然に発火する白炎石は、つい十数年前にある錬金術師が見つけたばかりの高価な代物だが、魔王討伐戦のときにはよく野営地での火起こしや狼煙のかわりなどに用いた。
(俺を確実に殺すために、わざわざ仕入れて来てやがったのか)
アランは心の中で毒づきながら、はやる気持ちを抑えてゆっくり階段を降りていった。
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