第29話 開戦宣言

「ご下命の件、不首尾に終わりました……申し訳ありませぬ」


 王都郊外のボロ小屋の暗い地下室に、そんな“灯し火”の弱々しい声が響く。

 風圧で街路樹をへし折る程の拳を正面から受けた両腕は痛々しく小刻みに震え、自らの放った光を直接目の当たりにした両目は薄く開くのがやっとの様子だ。

 それほどまでの状態まで追い詰められ、なおかつ全ての部下を失い目的も達成出来なかったのだ。“灯し火”は、己に降りかかるであろう死を覚悟した。だが、


「まさか、五体満足で生きて帰ってきてくれるとはな」


 目の前で静かにたたずむ上官――“黒騎士”ミハウの言葉は、穏やかなものだった。

 困惑し、思わず顔を上げる“灯し火”に、ミハウは静かに口を開いた。


「アランに加え、龍血公の息女クリスティーナまであの場におったのだ。そなたには悪いが、良くて平騎士全滅の上、そなたも体のいずれかを失うものだと想定していた。

 あの二人、やはり強かったか?」


 “灯し火”は頷いた。


「はい。予想以上でした。ですが、それ以上に……」


 “灯し火”は束の間口ごもると、やがて決意したように再び口を開いた。


「あの二人についておった娘――今朝方の武闘会でロゼと呼ばれていた者ですが、あれはただ者ではありませんでした。

 あの娘、もしかすると英雄狩り以上に我らが悲願の障害になるやもしれません」



 *



 翌朝、アランは一行に与えられた館のベッドの中にいた。

 至近距離で激しい閃光を受けて墜落したアランだったが、幸い反射的に顔をそらしたことと、クリスティーナに抱きかかえられたことで大事には至らなかった。

 それでも視力が戻るのには時間がかかる。少なくとも一昼夜は休ませろ、というのがヴィルヘルムの侍医の見立てだった。


「……ったく、俺も焼きが回ったな。ちくしょう」

「まぁまぁ、良かったではありませんか。命に別状がなくて。それに、騎士団の連中を大勢捕縛出来ました。大捕物ですぞ」


 両目を覆うように包帯を巻かれ不服そうに呟くアランを、ヴィルヘルムはそう言ってなだめる。


「俺がやった訳じゃねぇよ。手柄はロゼとクリス様のもんだ。“灯し火”の野郎も逃がしちまったし、今回俺は何も出来なかった。

 全く、嫌なもんだよな。歳を取るってのはさ」


 ため息をついて静かに言うアランに、ヴィルヘルムは思わず苦笑した。


「三十路男がそんな事を言っておられるのなら、五十の大台に乗っているワガハイはどうすればよいのですか」


 もう随分長い付き合いだが、この男がこれほど弱々しくなっているのを見たのはヴィルヘルムも初めてだ。


(彼にこれほど弱音が似合わないとは……)


 アランが、自身で悲嘆するほど老いてしまった訳ではないことを、ヴィルヘルムは良く知っている。むしろその技量には年々磨きがかかっているようにすら思えてしまうほどだ。


(彼が老いたというより、周りの若者が軒並み人間離れしているだけでしょうな)


 クリスティーナとロゼ。二人の顔を脳裏に浮かべ、ヴィルヘルムはまた苦笑した。

 我が子のクリスティーナのみならず、ロゼの方も、赤ん坊の頃からその成長を間近で見守ってきた。そんなヴィルヘルムの目にすら、二人は化け物じみて見える。

 二人とも、幼い頃から確かに才能には恵まれていた。

 ロゼは両親から魔術の才を多分に受け継ぎ、クリスティーナは魔術の才こそ無かったが、体術においてはヴィルヘルムを遥かに凌ぐほどのものを持って生まれた。


(もし二人が魔王討伐の折に戦場にいたら)


 世界は、歴史は、果たしてどのように変わっただろう。そう、実際に勇者一行に加わっていたヴィルヘルムが思うほどの技量を、二人は持ち合わせていた。

 だが、そのことを口にしてアランに伝えるつもりは、ヴィルヘルムには一切無かった。それは、彼を励ます言葉にはなり得ないのだ。

 アランは努力の人だ。数奇な運命を背負ってこの世に生まれ、ドブ底に転がり落ちていたところを勇者ディアナに救われ、血の滲むような努力の末英雄の一人に名を連ねる事になった。

 魔法の域にすら手の届くような魔術の才を持ちながら、それを最後の手段と隠し、斧槍の技を極めた生粋の努力家だ。

 そんな男に、「お前は天才には勝てぬ」と正面から言葉にするような酷なことは、ヴィルヘルムには到底出来ない。


(もっとも、本人は気付いておられるのかも知れませんが……)


 ヴィルヘルムはふと、窓の外に目をやった。

 盆地にある王都の空は、故郷のものより少し霞んで見える。


「ヴィリー、今晩がきっと正念場だぞ」


 不意に、アランがそう口を開いた。


「え?」

「“灯し火”お得意の発光魔術は、英雄狩りの操影魔術を打ち消せる。奴がこの街にいたことで、抑止力になっていたんだ。その上、俺達も居るしな」

「……片や主力が戦闘不能。片や大損害を被って撤退。二つの抑えが潰し合って弱った今晩、英雄狩りは本格的に活動を始める、と?」


 アランは頷いた。


「英雄狩りの野郎、クロードを殺して自分の存在を知らしめた後、きっと今みたいな状況になるのを待ってたんだろうな。

 確実に、仇を大勢討てる状況を。正直、今の王都にいる英雄連中じゃ、束になってもあいつにゃ勝てんだろうな」

「でしょうね。皆、戦場から離れて久しいものばかりです。どうします?」


 ヴィルヘルムがそう聞くと、アランはニヤリと笑みを浮かべた。


「決まってんだろ。釣りだよ、釣り。俺らはそのためにここに来たんだ。

 ここに一つ、英雄狩りを誘うのにうってつけのエサがあるだろ?」


 アランは親指で自身を指す。


「俺の今の状況を街中に触れ回ってくれ。今晩、確実にあの野郎をひっ捕まえて、エリクシルをぶんどるぞ」


 それが、作戦開始の狼煙となった。

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