第10話 良い知らせ、悪い知らせ

 暗闇に包まれたヴラウブルグの塔の最上階。牢番も提げ灯りを消し、万全の態勢で見張りをしている。

 その牢の中で、手かせ足枷に目隠しまでつけられた女魔族は、静かにその時を待っていた。

 全身の傷は、包帯で止血こそされてはいたがろくな治療もされずに放置され、その包帯すらもう数日取り替えられていないらしい。

 黒くにじんだ血の後は乾いて固まり、身じろぎする度に赤黒い粉が床に落ちた。


 不意に、牢の外で鞘から剣を引き抜く音が聞こえた。

 息遣いは一つ。牢番が剣を抜いたらしい。


「あの老いぼれの差し金か?」


 一呼吸置き、牢番が答える。


「……流石はヴィルカスの生き残りだな。あぁそうだ。黒騎士ミハウ様の命で、この町に潜伏していた」

「運の悪い奴だな。こんなところに送られたから、ついでに私の始末を任されたわけだ」


 牢番の男がフッと鼻で笑うのが分かった。


「面倒な仕事が増えたのを思えば確かに不運だな。

 さぁ、そんな不運仲間のよしみだ。大人しくしていれば楽に晩鐘伯の元へ送ってやる」

「……そりゃ、良いな」


 カチャカチャと腰に提げた鍵束から牢の鍵を探る音と、それを鍵穴に差し込み解錠する音が聞こえる。

 瞬間、女魔族は口から小さな瓶を吐き出した。中に血のような赤い液体の入った、硝子ガラス製の小瓶だ。

 コルク栓に突き刺さった針には糸が付けられ、奥歯と結びつけられている。


「貴様、それは……!」


 手のひらの上に落ちたそれを女魔族は手早く引いて栓を抜き、一息で中の液体を飲み下した。

 みるみるうちに、包帯の下の傷が塞がっていく。

 失われていた魔力が補われる。


 とっさに距離を詰めた牢番は冷や汗を垂らしながら、思い切り女魔族に剣を振り下ろした。しかし、


「ぐぅっ……!」


 女魔族は手枷で刃を受け止めると、そのまま枷を剣の根本まで滑らせる。

 牢番は渾身の力を手に込め、女魔族にじりじり迫る。

 力任せに叩ききるためその足は大きく開き、腰は低く落とされている。

 刃が女魔族の脳天を割るまで、僅かにあと指一本。

 激しいもつれ合いで、目隠しが下にずり落ちた。

 紅い瞳が、男の青い瞳をじっと捉えた。

 視線が交わる。二人の意識が交差する。


 女魔族は、思い切り足を振り上げた。

 鞭打つような鋭い蹴りが、男の股間に突き刺さる。

 男の顔が、苦悶に歪んだ。

 剣をにぎる力が抜ける。

 女魔族は男から剣を奪うと、流れるような動きで喉笛を掻きさばいた。

 どさり、と血の固まりが石造りの床に落ちる。

 牢番の男は苦悶の表情を浮かべたまま、目を見開いて崩れ落ちた。


(さて、急がねばな)


 牢番は交代制だ。次の牢番が来る前に、枷を外して抜け出さなくてはならない。

 女魔族は動かなくなった牢番のそばに屈むと、腰の鍵束から枷に合うものを探し始めた。



 *



 カツ、カツと、石畳を木製の義足で打つ音が聞こえる。

 鮮やかな西日が空を染め上げ始めた夕刻のパッペンハイムの町。アランとロゼ、リーシャの三人は、揃って城への帰路についていた。

 リーシャは片方の足が義足でも、杖すら使わず器用に歩く。足を失い、十年経っているのだから、当然といえば当然だが。


 片腕に大量の金貨や銀、銅貨の入った大きな袋を担ぎながら、リーシャは空いたもう片方の手でロゼと手を繋ぎ、彼女の話を嬉しそうにうんうんと聞いている。

 ロゼの方も、久々に思い切り甘えられる相手との再会が余程嬉しかったのか、先程からずっと喋りっぱなしだ。


「おや、どうしたんです? アラン様、そんなにニコニコして」

「お師様も久しぶりにリーシャと会えて嬉しいんですよね?」


 どうやら二人の様子を見てみて、自然と表情がほころんでいたらしい。

 アランは恥ずかし紛れに頭の後ろを指で掻いた。


「そりゃ愛弟子と昔の仲間がそんなに楽しそうな顔してたら、こっちだって嬉しくもなるさ」

「あら、アラン様からそんなに大人っぽい一言が聞けるとは。童顔なのに」

「普段はだらしないのにそんなに立派なこと言えたんですね、お師様」

「俺のことなんだと思ってんだよお前ら。あと童顔なのは関係ねぇ」


 そんな風に和やかに話していると、いつの間にか城の門まで帰ってきていた。

 出てきたときより、衛兵の数がやたらと多い。門の向こうには、パッペンハイム公爵家の紋章を象った大きな馬車も停まっている。


「あら、パペ公帰ってきたんですかね?」

「まだ俺達が向こう出てからそんなに日は経ってないぞ……」


 ヴラウブルグからパッペンハイムまでは、急げば一日で行ける距離だ。

 今回は出立した時間が遅かったことや、それほど急ぎで無かったこともあり、途中の村で一泊挟んでの旅程になった。

 嫌な予感がする。アランの背筋を、冷たいものが走った。


「あっ、皆様。お帰りでしたか」


 門を守る衛兵の一人が一行に気付き、駆け足でやって来る。

 不思議そうな顔をしてリーシャが尋ねた。


「今帰ったところです。何かありましたか?」

「公爵閣下が今お戻りになりまして、至急皆様にお伝えしたいことがある、と」


 アランと同じ予感が走ったのか、リーシャの顔が険しくなる。

 三人は目を見合わせると、衛兵の案内でヴィルヘルムの待つ食堂に向かった。



 *



 ヴィルヘルムは、食堂の一番奥の席で、難しい顔をして座っていた。その傍らには、クリスティーナも控えている。

 一行の到着に気が付くと、ヴィルヘルムは重い足取りで歩みより、静かに口を開いた。


「アラン殿。良い知らせと、悪い知らせがありまして……」

「なら、まず悪い方から」

「英雄狩りが逃げました。どうやってかは分かりませんが、牢の中に牢番を誘い込んで殺害し、自ら枷の鍵を開けて」


 悪い予感に限って良く当たるのは、冒険者の嫌な癖だ。アランは「やっぱりな」と、苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。


「それで、良い知らせの方は? 私、ここから今の状況を挽回できる様な情報があるとは思えないんですが」


 アランの代わりに口を開いたリーシャに頷くと、ヴィルヘルムは懐から白い絹の布にくるまれた物を取り出し、開いた。


「これは……」

「英雄狩りの牢に転がっていたのを、交代の牢番が発見しました。

 落としてもヒビ一つ入っていないところを見るに、恐らく魔水晶のクリスタルガラスで出来ています」


 開かれた布から姿を表したのは、コルク栓で封された小さな硝子の瓶だった。中には僅かに、粘性のある赤い液体が残っている。


「発見当初、栓は外れていましたので、これは後からつけたものです」


 ロゼにも見えやすいように屈んでやりながら、ヴィルヘルムは静かな口調で補足する。

 ロゼは瓶の液体を指差して、聞いた。


「この赤いのはなんですか?」

「……これが、良い知らせの正体です」


 ヴィルヘルムは小瓶を包み、懐に仕舞い込むと、ゆっくりと立ち上がって三人を見渡した。


「この液体が、エリキシルを模して作られた可能性があります」


 三人は束の間、呼吸すら忘れて立ち尽くした。

 水を打ったように静まり返った食堂。心音が耳障りにすら思えるほどの静寂の中、最初に口を開いたのはロゼだった。


「それを使えば、母様は……」


 震える声で、やっとロゼはそう呟いた。

 その紅い宝石のような瞳から、大粒の雫がこぼれ落ちた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る