第9話 従者リーシャ
近況報告を終え、アランはロゼやクリスティーナの待つ食堂に戻った。
ロゼも、歳上の親友であるクリスティーナにこれまでの旅の様子を語っている途中らしい。年相応の楽しそうな顔に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「あ、お師様!」
邪魔をしないようにこっそり食堂を出ていこうとしたところ、振り返ったロゼに見つかってしまった。
「お、おう。邪魔しちゃったか?」
「いえ、大丈夫です」
「ええ。ちょうど今、アラン様のお話を聞いていたところでしたの。
それよりアラン様、北部ではワイバーンのつがいをお一人で倒し遊ばされたんですってね? その話、
ひょいと顔を覗かせたクリスティーナが、瞳をきらきらと輝かせ、羨望と期待の眼差しでアランを見つめる。
父親が武人の鏡のような人間だからか、娘のクリスティーナは幼少期から冒険譚や英雄譚に強い憧れを抱いていた。
パッペンハイム宮に寝泊まりしていた頃は、アランもよく魔王討伐の時の話をせがまれた。
そんな憧れが高じて実際に武芸に手を出し始めてからは、並みの人間では敵わない程の実力を身に付けるまでに至り、今ではその武名は近隣諸国に広く知れ渡っている。
最近でも、余暇の度に父ヴィルヘルムと共に剣とクロスボウを引っ提げドラゴン狩りを嗜んでいると言うのだから驚きだ。
普通の貴族の娘なら舞踏会にご執心の年頃だろうが、この姫君にはそんなものより武闘会のほうが大切なのだ。
「いやいや、大したことはしていませんよ。振り掛かる火の粉を払ったまで。後ろに人がいなければ一目散にロゼと二人で逃げていましたよ」
もっとも、あの場で逃げていればなす統べなく即谷底に蹴落とされていただろうが。
アランは苦笑しながらそう答えてみたが、クリスティーナの瞳の光はより一層強くなるばかりだ。
「おぉ……! 謙虚!! 自らの功績を誇張して広めるものも大勢おりますのに、なんという清廉潔白さ。これが真の英雄たるゆえんなのでございますわね!!」
二人を隔てていた縦長のテーブルを軽々飛び越えたクリスティーナは、その大きな瞳でアランを捉えたまま両手をとってブンブンと振る。
万力のような握力と凄まじい熱量に気圧され、アランは助けを求めるようにロゼに目をやる。しかし、
「もぉー。クリス様ったら、本当に冒険話がお好きなんですね」
頼みのロゼはそう微笑ましげに言うばかり。
なんとかこの場を自力で脱出せねば。そう思考を巡らせたとき、アランは妙案を思い付いた。
「そ、そうだ! クリスティーナ様、リーシャを見掛けませんでしたか? 城に入ってから姿を見ていないと思いまして……」
「あら、リーシャ様ですか? てっきりディアナ様のお部屋に居るものかと」
そこまで言って、クリスティーナは「あっ!」と、何かに気が付いたように声を上げた。
「何か心当たりがおありで?」
「ええ。多分城下の酒場にいらっしゃるんじゃないかと思いますわ。きっと、いつものアレですわね」
やれやれまったく、といった様子でクリスティーナはため息をつく。アランもようやく、リーシャが何をしに行っているか見当がついた。
「ロゼ、少し町に出ようか。リーシャを探しに行こう」
「はい! クリス様も一緒にいかがでしょう?」
そう嬉しそうに申し出たロゼに、クリスティーナは申し訳なさげに微笑んだ。
「私も是非ご一緒したかったのですが、生憎これから武闘のお稽古がありまして……また今度、一緒に行きましょう! 冬の間はずっとこちらにおられるわけですしね」
「そうですか……そうですね。またお時間があるときに!」
「ええ、また」
クリスティーナに見送られ、二人は町へ降りていった。
*
昼下がりになると、町の人流も少し落ち着きが見え始めた。だが、また日が暮れるとなると酒場を求めて町に人が溢れ出す。
夕方までには探し出して屋敷に宮城に戻らないと、人混みに邪魔されて帰れなくなってしまう。
「それにしても、リーシャを探す手掛かりなんてあるんです?」
町に出てしばらく歩いたとき、不意にロゼがそう言ってアランを見上げた。
アランは自信ありげに大きく頷くと、大通りから少し脇に逸れた路地裏の道に入った。
「もちろん。案外簡単だから、ロゼも覚えとくと良い」
「そんな珍獣見つけるみたいな」
「実際珍獣みたいな奴だからなぁ」
リーシャの不思議行動には昔からよく悩まされた。
主人であるはずのディアナもそれを諌めないものだから、もうやりたい放題無茶苦茶だ。
昼間から酒は飲む。ところ構わず
賭け事チェスで悪徳神父の教会を破産させたときは流石にどうなることかと思ったが、交渉上手のルイやヴィルヘルムのお陰でなんとか丸く収まった。
そんなときにリーシャがしていたことと言えば、イビキをかきながらのんびり昼寝。
「あれで作る飯までマズかったら、流石に満場一致で追放だったな」
「逆にそこまでして挽回できるご飯の美味しさってどんなのですか……」
「帝国の皇帝御用料理人が、地面に這いつくばって泣きながら料理を教えてくれって懇願するぐらいには美味かったよ。
目と足失くすまでは良く作ってくれてたんだけどなぁ。ロゼから頼んだら作ってくれると思うぞ?」
「なら今日お願いしてみましょうか。どんなご飯か、楽しみです」
先行するアランは迷い無くぐんぐん薄暗い路地裏を進んでいく。
ほこりやカビの臭いがツンと鼻を突き、ロゼは思わず眉をひそめた。
「本当にこんなところにいるんですか?」
「もちろん。もうすぐ目印が見えてきても良い頃合いだ」
そういって、何度目かわからない路地裏の角を曲がったとき、唐突にそれは現れた。
「お、いたいた」
「ひぇっ、なんですかアレ」
そこには下着以外全ての身ぐるみを剥がされ、路地裏の隅で震える放心状態の男がいた。
それも一人や二人ではない。十人、二十人の男達が、身を寄せあって震えている。
異様な光景に怯えるロゼを後ろに、アランはその内の一人に声をかけた。
「おい、兄さん。誰にやられた?」
アランに声をかけられた中年の男は、ハッと正気を取り戻したような顔になると、青い顔をして頭を抱え、震える声で静かに答えた。
「リ、リーシャだよ。あいつに全部持ってかれた。気が付いたらキングが盤の上から消えてたんだ。全財産が五分でパーだ。一体これから、どうすりゃ良いんだよぉ……」
「賭けチェスに負けたんだな」
「完全に自業自得じゃないですか」
「ここの奴ら、みんなリーシャにやられたのか?」
中年の男は力無くコクコクと頷くと、苦しそうな呻き声を上げてうずくまってしまった。
「もしかして、これが目印ですか?」
「ああ、そうだ。分かりやすいだろ?」
「最っ低最悪の目印ですね」
ロゼは裸の男達を、まるでゴミを見るような目で見てそう吐き捨てた。
「ギャンブルは人を狂わせるってのが良く分かるな。一つ、ロゼも賢くなったな」
「反面教師がこんなに沢山いて、私は幸せ者ですね」
そんなやりとりをしながら、アランは一つの扉の前で立ち止まった。
なんの印字も、看板さえも掛かっていない半地下の部屋に続くおんぼろな木の扉。
ただ一つ、扉の隙間から漏れ出す煙と、扉の前に転がっているチェスの駒だけが、ここがどんな場所かを暗に示していた。
「それじゃ、入るぞ。準備は良いか?」
「ええ。覚悟は出来ました」
ごくり。そう生唾を飲み込み頷くロゼを見て、アランは扉を押し開けた。
瞬間、ムッと部屋から溢れ出した煙が二人にかかり、アランは思わずロゼの鼻と口を手で覆った。
煙の充満した店内には、チェスボードの置かれた十数台の無人の丸テーブルが置かれていた。
カウンターの奥でグラスを磨いている渋い顔の男はマスターだろう。黒い背広が、良く似合っている。
パッと見て雰囲気の良い店内だが、客の姿はほとんど見えない。
そんながらんとした店内の隅の方に一人、長い煙管を呑気に吹かす、眼帯をつけた金髪の女の姿があった。
「リーシャ!!」
はっと、気が付いたときには、ロゼが全速力で駆けていた。
眼帯の女は驚いた様にロゼを見ると、思わず煙管を床に落として、その瞳に涙を浮かべた。
「ロゼお嬢様……!」
「リーシャ! 帰ってきたよ!!」
ふらふらと席を立ったリーシャに、ロゼは満面の笑みで飛び付いた。
リーシャは床に膝をついて抱き留めると、力一杯ロゼを抱き締めた。
「お嬢様、また大きくなられて……」
「リーシャこそ、また痩せたんじゃないの? ちゃんとご飯食べてる?」
その感動的な再会に、アランもここが賭博場で、リーシャが先程の裸の男達を産み出した張本人で無ければ、危うく涙を流していた。
静かな裏路地の賭博酒場に、二人の声と、マスターがグラスを磨く音、全財産を失った大勢の男達のすすり泣く声だけが響いていた。
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