第11話 可能性

 一行は取り敢えず席につき、ロゼが落ち着きを取り戻してから、話を再開した。

 今、ロゼの左右の席にはクリスティーナとリーシャが座っている。アランは食卓を挟んで向かい側。ヴィルヘルムは、一番奥の上座だ。


 ヴィルヘルムが言うには、現場からこの小瓶を回収した際、衛兵の一人が誤って中の液体を路上で溢してしまったそうだ。

 それを近くに偶然居合わせた、前足に怪我をした野良猫が舐めた所、みるみる内に傷が塞がり元気に走り去っていったらしい。


「英雄狩りも、我々との一戦で深い傷を負っていました。人一人を殺して、それも誰にも見つかること無く脱出など、到底出来る状態ではなかった。

 この液体の正体がなんなのか、傷だけでなく病にも効くのかは、これからパッペンハイム家が総力を挙げて調査していくところではありますが──」

「エリキシルに、一歩近付いた。って認識で、間違いないな?」


 ヴィルヘルムは頷いた。リーシャとロゼの顔が、目に見えて明るくなった。

 それを見て、すかさずヴィルヘルムが付け加える。


「まだあくまでも可能性、と言う段階です。一歩にしては、あまりにも小さい。それに……気掛かりなことも、一つ」

「気掛かりなこと?」


 リーシャが眉をひそめて聞き返す。

 ヴィルヘルムは暗い顔のまま、目の前のハーブティーで口を潤すと、続けた。


「英雄狩りに殺された牢番の身元が割れまして」

「身元が割れた、って、ヴィリーんとこの牢番じゃねぇのか?」


 アランの問いに、ヴィルヘルムは首を横に振る。


「いえ。ワガハイの部下でもなければ、ヴラウブルグのジスカール伯爵の雇い入れた者でもありませんでした。

 エレオノル・オ・アーウル。擬態ぎたい魔術の一種です。アラン殿とリーシャ殿は、覚えがあるでしょう」


 二人の顔が険しくなる。アランは苦々しげな表情のまま頷いた。

 エレオノル・オ・アーウル。魔族に伝わる魔術の一つだ。

 対象の血や髪の毛など、体の一部を体内に入れ、詠唱することで体格や声色までそっくりそのままに擬態が出来る。

 魔王討伐の遠征時は、この術のお陰で酷く苦しめられた。


「男を直接雇ったのは、塔の管理者だそうです。もう五年は擬態したまま勤務していた様で……死後に術が解けてから、初めて擬態が判明しました。

 男の正体は、黒騎士ミハウの部下。“濡れ鴉の騎士団”の団員です」


 濡れ鴉の騎士団は、魔王軍の最精鋭の部隊だ。

 魔族特有のミスリル鎧の上から、鴉を象った漆黒のマントを羽織る重装備の魔導騎兵。

 主だった戦場では常にその姿を見せ、軍の中核に陣取り凄まじい突撃を繰り返してきた。

 戦後は指導者のミハウと共に姿を消し、今もその多くが各地で残党勢力に混ざって無謀な抵抗を繰り広げている。


「それにしても、よく身元が分かりましたね?」


 ロゼのそんなもっともな問いに、ヴィルヘルムは苦笑し、「少し言いづらいことなのですが」と前置きをして続けた。


「魔王討伐で兵を大勢失った影響で、戦後はパッペンハイム公家も人材難でしてな。弟一派の進言もあって、多少スネに傷のある者でも、有用なら積極的に登用していったのですよ」

「まさかその中に騎士団出身の奴が?」

「……まぁ、そう言うことです」


 アランは思わずため息を溢した。呆れるやら、驚くやら。この男の強かさにはいよいよ頭の下がる思いだ。


「パペ公、まさか、隠していたんですか?」


 リーシャが低い声でヴィルヘルムを睨み、立ち上がる。

 魔王軍残党は十年前の事件を引き起こした、いわば仇だ。濡れ鴉の騎士団も、あの襲撃に加わっていた。

 リーシャの怒りは至極もっともだ。


「いやいやいや! 隠していたわけではありませんぞ!

 ワガハイも事実を知ったのはつい最近のことでして、なにぶん登用は弟に任せていたものでして……いや、リーシャ殿やアラン殿にお伝えしていなかったのは事実です。面目次第もございませぬ」


 ヴィルヘルムは青い顔をして大きな身振り手振りで否定する。

 しかし自分で言っていて、少し言い訳がましいと思ったのだろう。徐々に勢いを失い、ついに項垂れてそう謝罪の言葉を口にした。


「父上も、叔父上から話を聞かされたときは酷く驚いておりました。

 しかしその男も既に長く我が家に勤める身。しっかり調査して、もうミハウらと関わりがないことも裏取り出来ていますので、ここはどうかご容赦を」


 すかさず脇からクリスティーナが補足し重ねて謝罪したことで、ようやくリーシャも席に戻った。


「クリス様に免じて、今回だけは引き下がります。その代わりパペ公、借り一では済みませんからね?」

「……はい。重々承知しております。これまでの借金、全て無利子で──」

「借金自体をチャラには出来ないんですね?」

「…………もうそれで良いです」

「よろしい」


 リーシャの満足げな顔と、対照的にヴィルヘルムの萎びた表情にその場の空気が一気に和む。

 なんとか空気も持ち直したところで、ヴィルヘルムは話を本筋に戻した。


「ともかく、殺された騎士団員と英雄狩りの関係性が分かりません。

 なぜ英雄狩りは、あの男を殺したのか。たまたまだったのか、それとも意図したことだったのか……」

「なら、話は直接本人に聞くしかねぇな」


 アランは手元のハーブティーを飲み干し、続けた。


「英雄狩りの女魔族。あいつを取っ捕まえて洗いざらい吐かせりゃ、エリキシルの事も残党の事も全部分かる。だろ?」


 その場が再び静まり返る。

 また、その静寂を切り裂いたのはロゼだった。


「……お師様、やっぱり馬鹿ですよね?」

「こう言うのは大胆って言うんだよ」



 *



 夜も更け、アランとロゼは与えられた客間のベッドに転がっていた。

 窓越しに、月明かりが部屋に差し込む。

 なんとなく眠れぬ夜。アランは不意に、口を開いた。


「なぁロゼ」

「はい」

「……俺さ、ロゼがあんまり母様──先生の事、好きじゃないと思ってた」

「えっ? どうしてです?」


 驚いたように聞き返すロゼに、アランは静かに答える。


「俺が先生の話したり、ここに帰って先生と会えるぞーって話するとき、いっつも暗い顔してたから、さ」


 アランの言葉に、ロゼは大きなため息をつく。


「お師様、ほんっと馬鹿ですね」

「酷い言われようだな」

「もし本当にそうだったら、これから先一体どうしてたんです?」


 確かに、言われてみればそうだ。

 もし本当にロゼがディアナのことを好きではなかったら、自分は一体どうしていたのだろう。

 アランは思考を巡らせた。巡らせて、答えた。


「全く考えてなかったな。どうしてたのか想像もつかない」

「どうせそんなことだろうと思ってましたよ。馬鹿だから」

「そんなに言わなくても良くねえ?」

「お師様がそんな馬鹿だから、私にもそれが移ったんですよ」


 一呼吸置き、ロゼは続ける。


「私だって、母様に思うことが無いわけじゃないです。全然目を覚ましてくれないし、その癖皆は母様の事ばっかり話すし。

 でも、だからこそ、気になるんです。皆がそんなに好きな母様が、どんな人だったのか。お師様が命を懸けてまで助けたいと思う人がどんな人なのか、この目で確かめてみたいんです」

「ロゼ……」

「それに、頭が覚えていなくとも、この体は、母様の温もりを覚えています。それが、私がエリキシルを探す理由です。

 馬鹿に単純ですが、これじゃ駄目ですか──ってお師様、どうして泣いてるんですか!?」


 驚いたロゼが目を見開く。

 アランも、言われて初めて自分が泣いていることに気が付いた。

 目の奥が、不思議と熱い。溢れるものを、止められない。

 もう、歳だな。アランは心の中で苦笑した。

 自分がいつまでも幼い子どもだと思っていた愛弟子は、いつの間にかこんなに立派な考えを持てるまでに成長していた。

 その事が、嬉しくて堪らないのだ。


(先生。あなたの子は、こんなに立派になりましたよ……)


 困惑するロゼをよそに、アランはしばらくベッドに転がったまま男泣きをし、気付けばそのまま寝入っていた。


 腫れぼったい目を擦りながら起きる朝は、何故だか少し気分が良かった。

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