第12話 冬ごもり

 パッペンハイム公領は大陸の西海岸、低地地方と呼ばれる地域に位置している。領地の大半が標高の低い平野部で、湿地帯も少なくはない。

 西の大洋から押し寄せる温暖な海流のお陰で、領内は北部や内陸部の一部高原地域以外では雪が積もることはおろか、降雪さえ稀だ。

 その為雪崩などで街道が不通になることも滅多に無く、人々の往来が絶えることもない。

 魔王討伐の折に勇者一行が冬でも作戦行動を取り続けることが出来た理由の一つは、そんな『凍らない街』の街道や河川からの安定的な補給を得られたからだ。


 だが、そうとは言っても冬は冬。他の季節より寒いのには変わり無い。


「はぁ、暖かぁ……」

「ぬくぬくですねぇ……」


 アラン達がパッペンハイムに到着して、早いもので二週間が経過した。

 最初の内は二人とも、クリスティーナ達と共に、農村に降りてきた魔物や害獣の駆除などを手伝っていたのだが、次第に気温が下がってきた三日ほど前からはこうして、暖炉の前から動かなくなってしまった。


「もぅ、お二人とも。いくら寒いからと言って動かないのは良くありませんわよ?」

「そうだぞ、ロゼ。子どもは風の子なんだから、クリス様と一緒に外に行って運動してきなさい」

「お師様がその象みたいに重い腰を上げるなら、私も喜んでここから動きますよ」


 頬を膨らませて諌めるクリスをよそに、二人はそう押しくら饅頭しながら本を読む。

 何百枚もの羊皮紙をじた、分厚い本だ。その装丁は随分古風で、タイトルも古代帝国文字で記されている。

 かなり昔の書物であることは一目でわかった。


「大体その本、なんの本ですの? 三日前からずーっと読んでますわよね?」


 二人の後ろから本の中身を覗き込みながら、クリスティーナは首をかしげる。

 貴族の家の娘として、古代帝国語の読み書き会話は問題ない程度にはこなせるが、この本の内容は読めてもさっぱり理解できない。

 出てくる単語から、古い魔導書だろう事は想像できるが、いかんせん固有名詞やら専門用語が多すぎる。

 それに加えて書き方も、わざと難解な風に書いているようだ。

 見開き一ページにだけ目を通して、理解することを諦め顔を上げたクリスティーナを見て、ロゼが少し自慢げに微笑んだ。


「これは魔族が用いる特有の魔術に関する書物です。

 この手の魔導書は研究を秘匿したがる魔術師ののお陰で大概が暗号化されているので、一つずつ解読しているんですよ」

「もっとも、読み始めて三日でまだ五ページも進んじゃいませんけどね」


 ロゼの言葉に、アランは書物から目をそらすこと無く補足する。

 確かに言われてからよく見ると、二人の手元には羽根ペンとインクに、メモ代わりの無数と白い紙が置かれていた。

 紙は貴重品だ。それを積み上げられる程大量に持っていると言うことは、それだけで相当な財力が有ることの証明になる。

 完全な実力主義の冒険者達において財力は、当人がいかに活躍しているかの指標でもある。


(この二人、やっぱり道中行く先々で大活躍している大冒険者なんですね……)


 クリスティーナが人知れず感心している横で、二人は黙々ぬくぬくと作業を続ける。

 そんなとき、バタン! と大きな音を立て、部屋の扉が開いた。

 暖炉の熱気で暖められた部屋に、外の冷気が雪崩れ込む。アランとロゼは、同時に大きく身震いをして振り返った。


「お二人とも、頼まれていた資料を書斎から持って参りましたぞ!」


 顔が隠れるほどに、大量の本を積み上げ抱えて部屋に入ってきたのは、ヴィルヘルムだった。

 一瞬部屋に外気を持ち込んだ事を恨めしく思った二人も、すぐに自分達が頼んだことだと思い出すと殺気を収めて大人しく本を受け取った。


「解読の方、順調ですかな?」

「まぁまぁってとこだな。あと六〇八ページある」

「それならこの冬までには終わりそうですな」


 ホッとした表情で、ヴィルヘルムは暖炉に薪を足していく。

 さらなる暖気が放たれて、二人の顔がふにゃりと緩んだ。今にも眠ってしまいそうだ。

 そんな二人の脇から、解読されたメモに目を通し、ふとクリスティーナは気になっていたことを口にした。


「そう言えばロゼ様。これ、何の魔術についての本なんです?」


 ふにゃふにゃした顔でのっそりと振り返り、ロゼがゆっくりと答える。


「あぁ、これはですねぇ、操影魔術についてのものですねぇ。ほら、英雄狩りのあれです」

「あ、あの英雄狩りの魔術ですか!?」


 クリスティーナは思わず目を見開いた。

 この二人、寒さが嫌いだから外に出ずに日がな一日、本を読みふけっていた訳ではなかったのだ。

 自分が魔物やら害獣やらに手を焼いている内に、二人は確実にエリキシルに近づくために出来ることをやっている。

 敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。英雄狩りの手の内を明かすことで、次の戦いにしっかりと備えていた!

 それを見抜けなかったことを恥じると同時に、クリスティーナは深い尊敬の念に駆られた。

 自分が領地にこもっている間に、自分より遥かに年下のロゼですら、旅の中でここまで成長を遂げている。


(流石は勇者一行と、その愛弟子。私なんて、足元にも及ばないと言うことですわね……)

(──とか思っているんでしょうなぁ、うちの娘は……)


 真剣な眼差しで二人を見詰めるクリスティーナの顔を横目に、ヴィルヘルムは心の中で深いため息をついた。

 アランとロゼ。この二人の行動は、まるで深謀遠慮を尽くしての様に思えるが、実際はただ寒いのが苦手で外に出たくないからだと言うことを、ヴィルヘルムは経験則からよく知っている。

 外には出たくないが、とはいえなにもしないとクリスティーナが怖い。そんな悩みを解消するため、二人は操影魔術の解読に乗り出した。

 早い話が、欲望と実益を兼ねた壮大な冬ごもり作戦なのだ。

 この二人ならば、本気を出せば一冊解読するのに一週間も掛からないことも、ヴィルヘルムはよく知っていたが、それをあえて口にしないのが優しさだ。

 それに、そんなことをすればリーシャが怖い。

 ロゼを猫可愛がりするリーシャに、ヴィルヘルムが二人に外へ出るよう促したと知られれば、借金帳消しでは済まない仕打ちが一族を襲う可能性すらある。


(それだけは、何としても避けなければ……)


 ただでさえ、この前借金帳消しにして弟や家臣達からチクチク小言を刺されたのだ。これ以上は、家も胃も持たない。

 ヴィルヘルムはまた、暖炉の中に薪を放った。

 そのとき、部屋の扉をドンドンと叩く音が響いた。

 部屋の四人は一斉に扉を振り返る。


「ヴィルヘルム閣下。王都より早馬が」


 一行は目を見合わせた。

 王都、と言うのは一種の隠語のようなもので、大抵の場合は国王のことを指している。


「あいわかった。入ってくれ」

「はっ、失礼します」


 ヴィルヘルムがそう促すと、すぐさま若い男の衛士が部屋に入り、素早く携えていた手紙を渡した。

 王侯貴族同士で手紙を送り合う場合、大概は定型文のようなものがズラリと本編以上に並び、紙自体も長くなるものだが、国王シャルルマーニュはそう言った類いのことを嫌う性格だ。

 その為彼から送られてくる手紙は、その大半が早馬でやって来る。

 早馬なら急を要すると言う名目で長々と無駄な文章を書かずに済むし、端的に自分の意図を告げられる。合理的な国王らしい手段だ。


「それで? 手紙にはなんて?」


 しばらく手紙に目を通し、そのまま固まってしまったヴィルヘルムの横に並び、アランはそう彼に聞く。

 ヴィルヘルムは今季一番だろう大きなため息をついて手紙をアランに手渡すと、重々しく口を開いた。


「この春、王都で武闘会を開くから、是非出席して欲しいとのことです。

 来賓には各国諸侯の他、帝国からも皇帝陛下がお越しになると……あぁ、またあの王は面倒臭いことを」


 王国は騎士道精神を何よりも尊ぶ国だ。

 その為、日頃から騎士の馬上槍試合を頻繁に行ったり、数年に一度一般人からも猛者を集ってこのような武闘会を開いている。

 腕に自信のあるもの達を集め試合をさせることで、観覧に来た貴族達を喜ばせ、更には強い戦士を登用する機会にも繋がる。

 招かれた貴族達の滞在費は全額国王持ちなので、貴族側からしても大変に益の大きなものには違いないのだが、ヴィルヘルムだけは違った。

 ヴィルヘルムは、貴族達で集まる機会が大嫌いだった。

 表では良い面をしながら、その実水面下でし烈な争いを繰り広げている陰湿さが、武人肌の彼にはとことん合わない。出来ることなら、仮病を使ってでも欠席したいぐらいなのだ。

 そんなヴィルヘルムが頭を抱えてうずくまる中、手紙に目を通したアランは静かに笑みを浮かべた。


「お師様、なにかまた悪いこと考えてますね」


 じとっ、とした目でロゼが見上げる。

 アランは手紙をクリスティーナにも手渡すと、そんなロゼに目をやった。


「いいや、俺達にとっちゃ良いことだ。

 上手くやりゃ、英雄狩りを取っ捕まえられるかも知れない」


 その一言に、「え?」と顔を上げるヴィルヘルム。

 アランはすっと、そんな彼に手を差し出した。


「そら、作戦会議だ。とっとと立てよ」


 訳もわからぬままそう言われ、ヴィルヘルムはおずおずとその手を取って立ち上がる。

 この瞬間、自身が周辺諸国の要人全てをエサにした、壮大な“英雄狩り”釣りの共犯者にされたことを、彼はまだ知らない。

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