第13話 出立

「冒険者ディアナ、ならびにパッペンハイム公ヴィルヘルム。両名及びその配下全てに、魔王討伐を命じる。

 悪しき魔族の軍勢を討ち滅ぼし、世界に平和をもたらせ。以上」


 国王シャルルマーニュの大きな声が、玉座の間に響き渡る。

 アランは片ひざをついて平伏しながら、上目で「御意のままに」と答えるディアナとヴィルヘルムの背を見ていた。

 ヴィルヘルムを仲間に加えて一年。ようやくこの日が訪れた。

 玉座の間の両脇に控える王の廷臣達の表情は緊張で硬く強張り、中には祈るような目でディアナを見詰める者もいる。

 魔王との戦争が始まってもう二年が経つ。

 魔王国の遠征軍を纏め上げるのは、大陸全土に名を轟かせた名将、“常勝公”勝鬨のユゼフ。

 開戦から一年で帝国の北部領域を切り取ったこの男の率いる二万の大軍は、今その速度を急速に早めて王都を目指して進んでいる。


 これまでの戦いで、随分王国軍も疲弊している。

 出立に際し、王国がディアナ達に与えた兵は僅かに二百。ヴィルヘルムの率いてきた兵と合わせても三千と、ユゼフの軍には遠く及ばない。


(要は、死兵だな)


 敗色濃厚な中、最後に王国の意地を見せて玉砕覚悟の痛烈な打撃を加え、魔王の腰が引けたところでより有利な講和の条件を引きずり出す。

 その為の捨て石の、一番大きな石として、ディアナが王国に選ばれたのだ。

 パッペンハイム公領と王国は、緩やかな主従関係にあり、同時に婚姻関係にもある。王国の覚悟と関与を魔王に示すには、申し分無い顔触れだろう。


(問題は……)


 この場にいる、王国の人間以外の誰もが、自らを死兵と思っていないこと。無論、アラン自身もそうだ。

 俺達は、死ぬために今日立つのではない。勝つために、立ち上がるのだ。


 ゆっくりと、ディアナとヴィルヘルムが立ち上がり、後ろでひれ伏す仲間達を振り返る。

 ディアナはヴィルヘルムと目を見合わすと、小さく頷き、王家伝来の宝剣・ヴェルキンゲトリスクの剣を引き抜いて、天へと掲げた。


「天主の加護ぞ我らに有り! 皆の者、征くぞ!!」


 平伏していた者達が、声を轟かせて立ち上がる。

 玉座の間が、波のようなときの声に大きく震える。


 この日、後に雨の勇者と呼ばれることになる女冒険者ディアナと、その軍勢三千が王都を立った。

 彼女達がその一週間後、王都北東・銀山峠で行われた開戦に勝利し、二万の軍勢を壊滅させ、ユゼフの首級を挙げるとは、このときはまだ誰も想像できないでいた。


「さて、と。それじゃ景気づけに博打してくるわ!」


 王宮から出て数秒後にそう言って町の人混みに消えていき、数分後に大負けして宝剣を質に入れ、丸腰で帰ってきた女が諸国を救う大英雄になるなど、一体誰が想像出来ただろうか。



 *



「アラン殿……本当に行かなきゃダメですか?」


 高原の雪も次第に溶けかかってきた晩冬の小春日和。

 屋敷の書斎の一番奥の隅で小さくうずくまっていじけているヴィルヘルムを見て、アランは思わずため息をついた。


「ったりめぇだろうよ。もう何ヵ月も前から決めてたことだろ? もう出席しますの手紙も出したんだから諦めろ」

「でも……ワガハイ貴族嫌い……。

 やっぱりワガハイ、ディアナ殿と二人で留守番してますので、アラン殿は皆様と一緒に楽しんで来てくださ──」

「そんな道理が通るわきゃねぇだろ? 英雄狩りを捕まえるには、強い囮が必要なんだよ」

「いーやーだー!! ワガハイここに残りますー!!」


 しばらくの押し問答の末、遂にヴィルヘルムは仰向けに寝転がって両手足をジタバタ振り回し、まるで幼児のように駄々をこね始めた。

 ヴィルヘルム・フォン・パッペンハイム公爵。よわい五十五歳。誇りも立場も何もかもかなぐり捨てた男の必死の抵抗が、そこにはあった。

 そんなとき、書斎の扉がギィと音を立てて開き、誰かが中へ入ってきた。


「お二人とも、準備できました……ってパペ公、なにやってるんですか? 自分の臭いで悶絶するカメムシの物真似ですか? 王都への出発前に、それも礼服で?」


 入ってきたのは、大きな棺桶のような箱を担いだリーシャだった。

 書斎の奥に踏み入れ、駄々をこねるヴィルヘルムを見て、リーシャの目がゴミクズを見るものへと変わる。

 しんと、凍えそうな沈黙が三人の間に走る。アランは懇切丁寧に、リーシャにここまでの経緯を語ってやった。


「ふぅん。つまりパペ公は、足も目もない私のことをこれから戦場になるかも知れない場所に送り込みながら、自分は安全地帯に引きこもってのんびりしたいって訳ですね?」

「い、いえ、そんなつもりは……」

「あ?」

「すみません行きますご一緒させていただきますいやーリーシャ殿と共にまた旅が出来るだなんて幸せだなーアハハ。それではお先に失礼します!!」


 突き殺すような鋭い視線と、地獄の底から響いたような低い声でリーシャに凄まれ、跳ねるように立ち上がったヴィルヘルムは、顔面蒼白でそうペラペラと舌を動かしながら、足早に書斎を後にした。

 部屋に残ったのはリーシャとアランの二人だけ。二人は互いに目を見合わすと、肩をすくめて苦笑した。


「相変わらず、締まらない出発だな」

「ええ。十五年前のディアナお嬢様がパペ公に代わっただけで、他はなにも変わりませんね。

 ずっと、あの頃と変わらぬまま……」


 どこか遠いところを見るように、リーシャはそう呟くと、背中に負った大きな黒い箱に手を触れた。


「そういやそのでかいの、なんなんだ? えらく重そうだけど……」

「ディアナお嬢様です」

「え?」

「え?」


 アランの問いに、リーシャはあっさりそう答えた。

 一瞬、頭が真っ白になり、続きの言葉が出てこない。

 それでもなんとか口をもごもごと動かして、ようやくアランが発した言葉は、


「え、先生も連れてくの?」


 と言う、至極単純なものだった。

 そんなアランの一言に、逆にリーシャが困惑する。


「連れていかないおつもりだったんですか? この館から、信頼できる人が全員出払うのに?」


 確かに、言われてみればそうだ。

 ディアナがまたいつ襲撃されるかわからない現状、かつての仲間達が出払った館に一人置いていくと言うのはあまりに不安だ。

 とはいえ既に行く気満々のリーシャに留守番を頼むと言うのも気が引けるし、何より怖い。

 そうなれば、とれる手段は一緒に行くの一つだけになる。


「そうか……また、先生と一緒に旅が出来るのか」

「とは言っても、ほんの一週間かそこらの短い旅ですけれどね」


 書斎を出、廊下を二人は並んで歩く。

 不思議と、何故だか懐かしい気持ちが胸の奥から沸き上がってきた。


「先生に、リーシャに、ヴィリー。それから……」

「アラン様。そしてルイ様とディアナお嬢様のお子のロゼお嬢様に、パペ公のお子のクリスティーナ様」

「あのときの勇者一行と、その子供達の揃い踏みか。そりゃ、懐かしくもなるな」


 館の玄関扉が開け放たれる。

 先に出ていたヴィルヘルムにクリスティーナ、そしてロゼが馬車の前で待っている。


「二人ともー! 遅刻ですよー!」

「急がなくても大丈夫ですぞぉー!!」


 ロゼとヴィルヘルムは、そう大きく手を振りながら正反対のことを叫ぶ。

 アランとリーシャは思わず頬をほころばせ、また一歩、踏み出した。


「先生。また、一緒に旅が出来ますね」


 六人乗りの大きな馬車に一行が乗り込む。

 ここから王都までは片道で最短一週間。旅にしては、少し短い。

 市民達に見送られ、馬車が街を出立する。

 賑やかに一行が談笑する中、アランはふと初冬ののことを、思い出していた。

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