第21話 誰にも語り継がれぬ旅路

 まばゆい日の光に包まれたケルテノンの森の出口。

 斧槍と荷物を背負い、アランは見送りに来たアルティオの方を振り返る。


「それじゃ……ここで」

「おう」


 お互いぎこちなくそう言って、なんとなしに視線をそらす。

 一週間という猶予のお陰で、お互いに気持ちの整理はしっかりとついた。そう、直前まで思っていた。

 まだ、二人の心のどこかに後ろ髪を引かれるような気持ちがある。それでも、


(これは、オレの決めたことだ)

(これは、俺が決めたことだ)


 二人は決意し、頷いた。


「アラン、餞別せんべつだ。受け取れよ」

「え?」


 不意に、アルティオはそう微笑むと、腰から短剣を抜き、長く美しい銀色の髪を切り落とした。

 アランは目を見開いて困惑し、驚いた。

 アルティオがいたずらっぽくはにかむ。


「んだよ、ラン。そんな間抜けヅラさらして」

「んだよって……アル、お前自分の髪のこと自慢だって言ってただろ? なんで……」

「だからだよ。だから、餞別にくれてやる」


 アルティオは口だけの悪態をつきながら手際よく長い髪を結って輪っかを作り、余った分を巾着袋に丁寧に入れ、動けないでいるアランの手に無理やり握らせた。


「知ってっか? エルフの女はな、戦に出る男へのお守りに、自分の髪で作ったアクセサリーを渡すんだ。

 お前はきっと、これから何度も命を落としそうになる。そのとき、オレはお前のそばには居てやれねぇ。だから、その代わりにコイツらがお前を守ってくれる」


 髪の輪を握る手を優しく上から包み込み、アルティオはアランの額に自分の額を重ねて言った。

 触れているところから、暖かな温もりが伝わってくる。

 決意が、揺らぎそうになる。だが、それでも──行かなくては。


「ありがとう、。大事にする」


 空いた左手をアルティオの背に回し、アランは耳許でささやいた。

 一瞬、息を飲んだアルティオも、小さく頷き、アランの背をしっかり抱いた。


「ああ、。いつでも帰ってこい。そんで、旅の話を聞かせてくれ。

 オレが、英雄アランの伝説を語り継いでやるからよ」


 秋を告げる、切なく冷たい風が吹く。

 二人は同時に手を離して数歩後退りをすると、また、一度頷いて、きびすを返しそれぞれの行く先へ歩み始めた。

 二人は、決して振り返ることはなかった。



 *



 結局アラン達一行は、半月ほどの間集落に滞在することになった。

 アランの怪我の療養や逃げ出した狼どもの残党処理、傷ついた村の復興支援もその理由の一部だが、最たるものはやはりルドヴィクの件だろう。


「流石に濡れ鴉の騎士団の手の者、それも最高幹部の『三羽烏』が手を引いていたとあっては、公表せざるを得ませんな……」


 ルドヴィクの死体を検分しながらそう呟いたヴィルヘルムの言葉を思い出し、アランは療養のために宿泊していた小屋のベッドに腰掛けため息をついた。


 アランの負った外傷自体は、その運に加えて衝突の直前咄嗟に身を捻って急所を庇ったこともあり、さして酷いものにはならなかった。

 流石に魔王討伐戦に出ていた若い頃のように傷の治りは早くないが、それでも一週間もあれば傷は乾いたかさぶたに覆われ、場所によってはそれすら綺麗に剥がれて治っていた。

 体の内側も、打撲や内出血こそあれど重い被害は決してなく、骨にはヒビすら入ってはいなかった。


 一行、特にロゼや村の治療師が懸念したのはそれらではなく、頭の中のことだった。

 アランも頭を打つことの危険性は良く知っている。

 剛勇で名を挙げた武人が落馬して頭を打ち、そのまま戻ってこなかった、等という話は昔から至るところで聞いているし、実体験として戦場でそのような兵を見たこともあった。

 頭の中に傷が出来れば、たとえそのときは大事無さそうに見えていても、後々になってふらっと倒れそのまま……と言うこともあり得る。


「半月から一ヶ月は何も荒事をせぬように」


 と言うのが、村の古い治療師からの言い付けだった。

 そんなわけでアランはここ半月ほど、ほとんど外出せぬまま過ごしている。

 お陰で暇で暇で仕方がなかったのだが、それも今日で終わりだ。


「おう、もうお目覚めだったか」


 豪快に扉が開け放たれ、アルティオがそう顔を覗かせた。その傍らには、ロゼも一緒にいる。


「お師様、もうそろそろ出立のご準備を」

「あいあい。ちょっと待っててな」


 一旦二人に外で待っていてもらい、アランは手早く準備を済ませ、斧槍を担いで外へ出た。


「相変わらず出掛ける準備だけは一丁前に早いよな、お前」

「なんだよ、良いことだろ?」

「早い代わりに、お前は雑くていけねぇのよ。な? ロゼちゃん」

「はい! お師様は準備も雑ですし、忘れ物多いし、荷物もぐちゃぐちゃで全く整理されてません! 最悪です!」

「そこまで言うかね……」


 容赦ない弟子からの追撃に、アランはがっくり肩を落とす。それを見て、横の二人がクスクス笑う。


 ロゼと、先に馬車の方で待っているクリスティーナは、どうやらいつの間にかアルティオにすっかり懐いてしまったようだ。

 小屋の窓から外を眺めていると、よくアルティオの子と四人で連れ立って森へ入っていくのを見掛けた。

 アルティオも頭を打ち、気を失っていたと聞いていたが、どうやらそれほど心配するものでもないと治療師が判断したらしく、アランよりも一週間早く外に出ていた。

 そんな様子をぼんやり眺めていたので、時折ふらっと小屋に入ってくるリーシャに、「羨ましいんですか?」と、よく笑われたものだ。


 ここのところ、ヴィルヘルムは忙しくしているらしい。

 ルドヴィクの件のことで周辺領主やケルテノンのエルフの各氏族長らと連日会談や調整、事後処理などに奔走しているそうだ。


 領土の奥深くにまで魔王軍の残党が潜伏し、それに長い間気が付かなかったと言うのは、領地の運営をする上で大きな瑕疵かしだ。

 政敵からこの点を突かれるのは必至だろう。

 ケルテノンの森はエルフ達の自治によって支配され、代官も置かれていない。今回はそれが、かえって悪い影響を及ぼしてしまった。

 今後、そう言った体制も見直さねばならぬのでしょうな、とヴィルヘルムは見舞いに来たとき重々しく語っていた。


 エルフも一枚岩ではない。

 アルティオの父ケルティルの様に外界に融和的な者もいる一方、今回の件を伏せるよう彼を説き伏せてしまった氏族長たちの様な者もいる。

 エルフ達にとって今回の一件は、不幸などという言葉では片付けられないものになっただろうことは、想像に難くない。

 だが、正直なところを言ってしまえばこの一件は、一行にとっては幸運だった。

 一行の目的はそもそも、アランが未だ各地で活躍しながら、国王主催の武闘会に出席する為に向かっているのだと宣伝し、魔族狩りを王都へおびき寄せること。

 王都への道すがら、魔王軍残党の中心人物を倒して近隣の民を救い、街道の安全確保にまで貢献した今回の件は、まさにその作戦にうってつけの出来事だった。

 エルフ達の交易も徐々に回復しつつある。

 事前に、積極的に宣伝して欲しいと伝えてあるし、ヴィルヘルムも今回の件を部下達に広めて回るよう命じているので、噂はもうかなり遠くまで伝わっていてもおかしくはない。

 あとは、王都にたどり着ければ、準備は全て整う。


 ……或いはいっそ、わざと遅れて王都に入り、魔族狩りがよそ見している隙に倒してしまうのも、ありかもしれない。

 王都には国王や皇帝の他、各国からも大勢が集まってくるのだから。


「おいアラン。今度はいったい何企んでんだ?」

「……え? あぁ、いや、普通に考え事してただけだ。本当だぞ?」

「ふーん」


 いぶかしげな顔でアルティオは、そうアランを見ると、不意にロゼへ話を振った。


「ロゼちゃん。どう思う?」

「九分九厘悪いこと企んでると思います」

「だよな! へっへっへ……アラン、オレらにゃ隠し事は通じねぇってこったよ。そら、吐け」

「共犯者になっても良いんなら聞かせてやんよ」


 アランがそう言ったとき、木漏れ日の向こうに馬車が見えてきた。

 馬車の前で御者や衛士達、そしてヴィルヘルムにクリスティーナ、ディアナを背負うリーシャが待っている。


「いよいよ、だな」

「ああ」


 ふと、ロゼが二人の顔を見上げて微笑んだ。


「私、先に馬車で待ってますね!」


 アラン達が止める間も無く、ロゼはとたとたと馬車に向かって走り去っていってしまう。

 そんな背を見て、二人は思わず苦笑した。


「隠し事出来ねぇのは、オレも同じだな」

「みたいだな。やっぱり俺ら、良く似てる」


 ロゼの気遣いに心で感謝し、二人は改めて向き直った。

 二人の間を、春のそよ風が吹き抜けた。


「……アラン。お守り、ちゃんと効いたか?」

「ああ。お陰様でな。でも、すまん」

「なんだよ、失くしたのか?」


 からかうように笑うアルティオに、アランはバツの悪そうに頭をかいた。


「魔王軍に“影踏み”のマリクって奴がいてよ、そいつと戦ってるときに……な」


 それを聞いて、アルティオは呆れたような笑みを浮かべ、ため息をついた。


「なんだよ、なら良かったじゃねぇか」

「え?」

「身代わりになったんだよ、お守りが。渡したときにそんな話、したろ?」


 言われて、そういえばそんなことを話していたか、と思い出し、アランは苦笑した。

 そんな様子のアランを見て、アルティオはしみじみと呟く。


「……変わんねぇな、ラン」

「……あぁ。変わんねぇよ、アル」


 森のどこかで、名も知らぬ小鳥が鳴いている。

 その小さなさえずりが、春の風に吹かれてなびき、集落の外へ響いていった。


「また、長い旅になるんだろ?」

「ああ。でも、今回の旅は前とは違う。表立って英雄譚として語られるようなもんじゃない。

 どっちかと言うと、その後始末エピローグみたいなもんだ。決して表沙汰には出来ない、誰にも語り継がれぬ旅路だ」


 勇者ディアナが魔王を倒し、世には平穏が訪れた。

 戦乱に傷付いた各国は矛をおさめ、それぞれの領地の復興に力を入れている。

 戦後復興、残党処置、急増する盗賊や職にあぶれた傭兵達への対処等、問題は未だ山積みなれど、世界は曲がりなりに平和に向けて歩み始めた。


 人々は、勇者ディアナに清らかで偉大なる神の御姿を見た。

 その威光を拝することで、戦火を焼け出された全ての民は手を取り合い、団結した。

 今、そのディアナが魔族によって眠りの呪いに冒されたと大々的に知れ渡れば、その均衡は瞬く間に音を立てて崩れ落ち、新たな争いが目を覚ますだろう。

 まだ、真偽不明の噂や都市伝説で済まされている今の内に、アラン達はエリキシルを見つけなくてはならない。

 その目的が、世に知れ渡ることなく。


「なら、さ」


 そよいでいた風がぐ。

 静けさの訪れた森の中、顔を上げたアルティオが口を開いた。

 爽やかな、笑顔を浮かべて。


「オレが、お前らの旅路を、生きた証を、覚えておいてやる。覚えておいて、お前らの死んだ後のずぅっと未来にまで、大事に大事に持って行ってやるよ。

 そんで何十年、何百年先の遠い未来で、いつかその話をしても良くなったとき、オレはこの森を離れて旅に出る。

 魔王を倒した伝説の英雄・勇者ディアナの旅路の後に連なる、誰にも語り継がれなかった英雄譚の結末の物語を……或る斧槍使いの後始末エピローグの物語を、よ」


 アルティオの白い八重歯が、木漏れ日に照らされてきらりと光った。


「だから、全部終わったら、またここに帰ってこい。話を聞かせろ。オレはいつでも、待ってるから」


 その目尻に、何か光るものが浮かぶのを見て、不意にアランも目頭の辺りが熱くなる。

 アランは、大きく頷いた。


「……分かった。約束する。きっと、絶対、帰ってくる」

「おう! 約束破ったら、承知しねぇからな?」

「分かってるよ。俺は嘘はつかねぇ主義だからな」


 そう言って、二人は互いに笑い合う。


「じゃ、またな」

「おう。また」


 力強い風が、旅立つアランの背を押した。

 二人はまた、互いの帰るべき場所へ歩みを進める。

 大きく手を振るロゼを見て、アランは手を振り返し駆け出した。

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