第3話 南へ

 魔王討伐の後、アランとディアナ、それから妖精従者バンシーのリーシャは王国の南部、ヴェルシールに小さな領地と館を与えられた。

 活躍に似合わぬ小さな土地だ。領民も二百と居ない。だがディアナはむしろそれを望んだし、アランもリーシャも不満はなかった。

 三人とも、元々欲が深い方ではない。その上、ディアナが子を宿していたと言うのも大きかった。

 正式な婚礼の儀式を為す前に、その子の父は戦死した。

 天主教では未婚内に子を成した母や私生児は白眼視される。我が子を守るためには、仕方なかった。

 一番不服だったのは与える立場の国王だっただろう。

 王も貴族も、ディアナが身籠っている事実を知らない。そのため救国の英雄にたったそれだけしか褒美を与えないとあっては威信に関わるのだ。

 それでも結局はディアナに押し切られる形で、渋々書類に判をついた。

 仲間のもう一人、パッペンハイムは王国の外、大陸北部の諸侯連邦に所属しているので別々になってしまったのは残念だったが、それに目をつぶれば十二分に満足のいく土地だった。


 新たな住まいは、アランとディアナの故郷に程近い場所にある。

 慣れ親しんだ土地に温暖な気候、頻繁に訪ねてくる旧友達やかつての戦友。

 そんな環境に身を置いて、魔王討伐の数ヵ月後、ディアナは子を産んだ。

 父親譲りの銀髪と赤い目をした、可愛らしい女の子。ロゼと名付けられた赤ん坊は、多くの人々に祝福されて生を受けた。

 父親の名はルイ。“銀雪”と呼ばれた、アランより五つほど年上の武人だった。

 花を愛でるのが何よりも好きな、穏やかで優しい男だった。


 ロゼは父の顔を知らずに、それでも目一杯の愛情をその小さな体に注がれて、すくすくと成長していった。

 あまりに過酷で、辛く、悲しいことの絶えない五年間の戦乱を切り抜けた英雄ディアナが子を抱く姿に、事情を知る戦友の誰もが胸に幸せを宿した。

 この親子には、きっとこの先更なる幸福が待っていると、誰もが信じていたし、アランもそう思っていた。


 父親代わりになってくれ。そう言われて早一年と数ヵ月。ようやく決心し、その心の内をディアナに明かそうとした、その日の夜。


 魔王軍の残党が、館を襲撃した。



 *



「完全に油断していました。王国のど真ん中のヴェルシールで、まさか襲撃を受けるだなんて、誰も思っていなかった。

 王様に悪いからと、先生は陛下からの衛兵派遣の申し出を断っていましたので、館は完全に無防備でした」


 出された茶に手をつけること無く、ロゼの手を握ったアランはぽつぽつと話を続ける。

 ヨハンはその話を、神妙な面持ちで聞いていた。


「いくら魔王を討伐した俺達でも、三人で数百数千の敵は相手に出来ません。それも魔王八将の一人、黒騎士ミハウの軍勢ならなおのことです」


 戦時中、魔王軍には中核をなす八人の将がいた。

 魔王国は貴族権益が王権を脅かすほど強力な国だ。貴族達は国としてではなくそれぞれの部族、氏族単位で物事を決め、魔王はそれに介入することが困難だった。

 そんな中であっても魔王に忠誠を尽くし、大いに信頼された八人が魔王八将と呼ばれ、強力な軍隊と特権を持って各地の戦場で猛威を振るった。

 魔王討伐完了時点ではその内、“常勝公”勝鬨かちどきのユゼフと“晩鐘伯”影踏みのマレクを除く六名が存命し、他の多くの魔族と同様に故郷を離れ各地に散らばっている。


 その中の一人、“鴉羽侯”黒騎士ミハウはかつての魔王軍残党をかき集め、未だに各地で反乱を主導している。

 館を襲撃したのも、彼の手勢の一部だ。


「結局俺は、燃える館と、まだ戦っていた先生やリーシャを見捨てて、戦友の忘れ形見の、まだ赤ん坊だったロゼを抱いて街へ逃げました」

「それで、勇者様とリーシャ様は?」


 その問いに、アランは表情を曇らせる。ヨハンはあっ、と思ったのか「無理にお話頂かずとも」と言ったが、アランはまた口を開いた。

 これは懺悔だ。迷える子羊には、こう言う機会が必要なのだ。


「街の衛兵が駆け付けた頃には、残党軍は姿を消していました。二人は、館の地下室に。

 リーシャは右目と左足を失いましたが、意識はなんとか。でも、先生の方は……

 残党軍の中に、呪術に長けた奴がいたようでした。先生はそれにやられて、今も意識を失ったままです」


 もう戦いの時代じゃないと、ディアナは宝剣を王家に返し、リーシャ共々ほかの武具も全て売り払ってロゼの養育資金に充てていた。

 領地に出る害獣の処理を任されていたアランただ一人だけが、館で武器を持っていたのだ。

 地下室で横たわっていたディアナが持っていたのは、ロゼを抱いて館を脱出する直前にアランが手渡した斧槍一本。

 リーシャに至っては、角材一つで戦っていた。


 館を襲ったミハウの行方は、十年たった今でも不明だ。

 王国の諜報機関も血眼になって捜索しているが、手がかり一つ摑めぬままとなっている。


「お二人は今、どちらで?」

「それだけはお答えできません。何があるか分かりませんから……」


 ディアナとリーシャは今、パッペンハイムの居館に匿われている。

 武装した兵士が大勢いるあの場所なら、そうそうのことが無い限り安全だが、それでもこの世に絶対はない。

 ロゼを産み、天主様から与えられた“勇者の加護”も、身を起こす力さえも失った今のディアナに出来ることは、ただ亡骸のように寝台に横たわることだけだ。


 勇者遭難の一報は、今や王国を中心に公然の秘密のように広がり始めている。

 流石に山がちで人の往来の少ない北部や、王国と距離のある東部平原ではまだほとんど伝わっていないが、王国のある西部や聖都のある南部では誰もが勇者に何かがあった事を知っている。

 知っていて、誰もそれを口にしないのは、信じたくない気持ちが強いからに他ならない。

 口にすれば、本当になってしまう。そう思わせるほどに、勇者ディアナは愛されていた。


「名だたる多くの術師が、先生の呪いを解くため陛下によって集められました。しかし、誰もそれに成功したものはいません。

 今の人間には治せない、古い時代の強力な呪いが、先生には掛けられていました」

「それで、お二人はエリキシルを……」


 アランは小さく頷いた。

 ロゼはなんでもないような顔をして、空いた片手でカップを持ってお茶をすすっている。

 だが、アランの握る方の手は小刻みに震えていた。

 辛いことを思い出させてしまったと、アランは申し訳ない気持ちで一杯だ。

 それでもこの話をしたのはひとえに、このヨハンと言う修道士の持つ見えない力に期待していたからだった。

 たとえヨハンのもたらした情報があてにならない物だったとしても、ヨハンがこの話を法皇庁に報告すれば、有力な手がかりが得られるかも知れない。


 ヨハンは高位の修道士だ。その彼が、単に理由もなく旅をしているわけがない。

 法皇庁にも、ディアナのことは知られているはずだ。

 都合良くエリキシルについての文献を持っていたのが、その最たる証拠だろう。


(さぁ、どう出るか?)


 ヨハンは静かに天へ祈りを捧げる仕草をすると、そっと裏向きになっていた羊皮紙を表へ返した。


「この紙には、聖女フルウィアが記録したとされるエリキシルの効能と、その材料と思われる古代帝国語で書かれた単語が記されています。

 しかし、重要なことはなにも……」


 表向きになった紙切れには、古い時代の文字で記された文章と、挿し絵のような図が載っていた。

 アランもある程度なら古代文字の解読が出来るが、確かに重要そうなことは書かれていない。予想していたこととはいえ、少しがっかりだ。

 ロゼもアランと同様に文章に目を通すと、やはり期待を裏切られたような表情を浮かべた。


 二人の物言わぬ落胆を見て、しばらく顎に手をやって考え込んでいたヨハンが決意したように口を開いた。


「聖都に、まだ当時の同僚が勤めています。一度、彼に事情を話してみても構いませんか?

 もしかすると、禁書庫の閲覧を許可してくれるかもしれません」


 それは、二人には思いもよらぬ一言だった。


 禁書庫には、天主教で最も重要な文献や書物が納められている場所だ。

 その閲覧には、法皇の許可が必要になる。



 *



 まだ霧の晴れない早朝だと言うのに、アラン達の見送りのために大勢の人々が町の門に集まっていた。

 今回の馬車は、町の重役達が用意してくれた特別品だ。

 御者も、先日の客を見捨てて逃げ去るような恥知らずな者ではない、要人輸送に長けた者が隣町まで送ってくれる。


「私はもう少しだけこの町に残ります。聖都には書簡を送っておきますので」


 町長や貴族、見送りの人々から感謝と無事を祈る言葉を掛けられた、その最後にヨハンが二人に歩み寄ってそう告げる。


「ディアナ様やアラン様の為なら、きっと友人も快諾してくれるに違いありません。聖都に行かれた際は、是非これを門兵に」


 ヨハンは自分の首から金のロザリオを外すと、ロゼの手のひらに優しく乗せた。


「これを見せれば、きっとしかるべき所にお二人を連れていってくれるはずです」

「ありがとうございます、ヨハンさん」

「本当に何から何まで……なんとお礼を申したら良いか」


 二人は深々と腰を折ってヨハンに感謝の礼をする。

 ヨハンは静かに微笑んで、首を横に振った。


「いえいえ滅相もございません。命を助けて下さった、そのお礼ですよ」


 馬車は町を出立する。

 岩山の向こうに、鮮やかな朝日が顔を見せた。

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