第33話 死闘の末に

 “英雄狩り”は、孤児だった。

 魔族は魔王国として表向きはまとまっているが、実態はそれぞれの氏族や、それを率いる部族大公が内紛や政争に明け暮れ、絶えず勢力争いを繰り広げる烏合の衆だ。

 “英雄狩り”の氏族は、その中でも取り分け弱小だった。

 彼女が生まれてすぐ、氏族は勢力争いに敗北して没落し、両親は戦火にたおれた。

 まだ幼い彼女を引き取り育てたのは、勢力争いの勝者の側にいた、後に魔王八将の一人に数えられる男――“晩鐘ばんしょう伯”影踏みのマレクだった。


 英雄狩りはマレクを兄と慕い、マレクも彼女を実の兄妹のように愛し、ありとあらゆることを教えてくれた。

 武術、魔術、諜報術、世渡りの術。……氏族に伝わる秘術『癒やしの秘薬』の作り方も、その中の一つだ。


「この薬は、我々の氏族がまだ大精霊様のもと、魔族として一つにまとまっていた頃から伝わっている奇跡の秘薬だ。代々、氏族長となったものがその製法を口伝で先代から受け継いできた。

 決して、この製法をみだりに他人に明かしてはいけないよ。お前が、『こいつなら氏族の命運を任せられる』と感じた者が現れる、その時まで」


 それは、マリクが自分を次の氏族長に指名したことに他ならない。その事実が何よりも嬉しくて、その日の夜はあまり眠れなかった。

 ……彼女の世界が一変したのは、それからわずか三日後のことだった。

 兄の死は、英雄狩りに大きな衝撃と、尽きることのない復讐の念を抱かせた。


 ――いずれ、兄の仇を討つ


 仇の名は、アラン。

 最終的にこの男を討つために、英雄狩りはこの十数年、ただひたすらに英雄を狩り、名を挙げ腕を上げ、機会を待った。


 その、絶好の機会が、今晩だ。



 *



シャル・ラ・セネト操影魔術


 月明かりと、遠方の館を焦がす炎が産んだ淡い影を刃に変え、英雄狩りが襲い掛かる。

 アランはその黒ぐろとした切っ先に、自らその身を投げた。


プロテ・オ・リゴルク防御魔術


 すかさず後ろのロゼがそう唱え、アランの周りに小さな結界の障壁を幾つも張り、迫りくる刃を弾き返す。

 甲高い音が反響する中、アランは英雄狩りに肉薄した。だが、


「……薬も、命も、簡単にはくれてやらんぞ!!」


 かきん、と、一際激しい音が響き渡り、ぱっと火花が飛び散った。

 アランの振り抜いた斧槍は英雄狩りの懐剣に受け止められ、がちがちと鍔迫り合いに持ち込まれた。


(まだ、こんなに余力が……)


 見かけは明らかに満身創痍で、それに加えて影の刃で魔力も相当に消費している。

 そのはずなのに、まだ斧槍の一撃を防ぎ切れるだけの力を残していることに、アランは内心驚いていた。


(マリクの妹を名乗るだけはある、か)


 影踏みのマリクは、アランが今まで戦ってきた様々な敵の中でも、取り分け手強い相手だった。

 打つ手を一つ、間合いを一寸でも間違え、図りそこねたら即命を落とすような、ぎりぎりの戦いを強いられた。

 今、もう一度戦えと言われて、アランは勝てる自信がない。そんな、一握りの奇跡を摑んで勝利したような、壮絶な戦いだった。

 もう二度とあんな戦いは御免だと思っていたが、人生はそう上手くはいかないのだと、改めてアランは気付かされたような気分になった。


アル・ル・ドート製氷魔術


 背後から、ロゼの声が聞こえて来た。

 アランはとっさに迫り合いを解いて後ろに飛び退く。

 その脇を、放たれた数本の氷の矢がすり抜け飛んだ。

 英雄狩りは懐剣で矢を弾き落とすと、影の刃を消して、切っ先を二人に向けた。


「薬は使わないのか?」


 斧槍の穂先を英雄狩りの喉笛に向け、アランは静かにそう問い掛ける。

 肌がひりひりとするような緊張感。英雄狩りは、白い歯を見せて笑った。


「なら、使わせて貰おう」


 瞬間、英雄狩りは三つの小瓶を同時にアランに向かって投げた。

 月明かりに照らされた赤い液体が、宝石のように宙できらめく。


「なっ!?」


 それは、あまりにも突然のことだった。

 予想もしていなかった英雄狩りの行動に、アランもロゼも、素早い対処が出来ずにその身を凍らせ立ち止まった。

 一瞬。たった一瞬のうちに生まれた、あまりに大きな間隙かんげきを、英雄狩りは見逃さなかった。


「死ね、“魔族殺し”!!」


 英雄狩りは、懐剣を腰にためて突進した。

 アランのすぐ鼻先に迫った小瓶に隠れて、その姿を捉えるのが遅れた。


「お師様!!」


 ロゼの叫び声が耳を突く。

 全ての動きが緩やかに見え、全ての音が遠くの方に聞こえる。

 死の間際に立たされた時は、決まって今のような感覚に陥る。久しく見ていなかった、死の瞬間までの猶予の時間。

 間近に迫った己が身の終焉を、アランはどこか冷静に見つめて……否、アランは身の終わりなど微塵も感じてはいなかった。


(勝負は、まだ終わっちゃいない)


 小瓶越しに、二人の視線が交差する。

 自身を養兄の仇と狙う、若き魔族の女戦士の殺意のこもった鋭い目。

 その目に映る恨みつらみの情念が、アランには今まで殺してきた全ての魔族や、その家族達の代弁のように思えた。

 決して、その命を好き好んで奪った訳ではない。だが、そうせざるを得なかったがゆえに奪ったにしては、アランはあまりに手を汚し過ぎた。

 これは、報いなのだ。

 これまで己の手で屍の山を積み上げていったことへの、天誅なのだ。だが、


「まだ、俺は死ねない」


 手前勝手なことは百も承知だ。道理で言うなら、今この場で殺されてやるのが一番だろう。

 それでも、アランは生きて務めを果たさなくてはならないのだ。そのために、仇討ちの刺客を返り討ちにする。たとえ、どんな手段を用いようとも。


 アランは左腕をぐんと伸ばし、宙を舞う小瓶の一つを摑んだ。

 英雄狩りは、その勝利を確信した。瞬間だった。


「うっ!」


 何かが、背中から腹にかけてを貫いた。

 踏み込んだ足から力が抜け、危うく倒れ込みそうになるのを必死に堪え、英雄狩りは視線をゆっくりと下に向け、目を見開いた。


「貴様……何を……」


 英雄狩りの腹を、槍の穂先の様に太い氷柱が貫いていた。

 真っ赤な鮮血をしたたらせ、氷柱は冷え冷えと月光を透かして輝いている。

 誰が、一体どこから?

 ロゼと名乗る銀髪の少女では無い。周囲に魔力の反応もない。なら、なら……

 混乱する頭をただひたすらに回転させ、やがて英雄狩りは一つの可能性に思い至った。それしか、考えられなかった。


「まさか!?」


 英雄狩りは歯を食いしばり、後ろを見た。

 視線の先にそびえるのは、夜闇の落ちた王都の暗い空を貫く高い王宮の尖塔。歩けば十分近くはかかる距離。

 こんな芸当ができる人物で、王都に入ったのが確認できる存在を、英雄狩りはたった一人知っていた。

 勇者ディアナとその一行の中核に居た、一人のバンシー。名は、リーシャ。製氷魔術の達人だ。

 英雄狩りは、自らの死を悟った。


「これで、終わりだ!!」


 アランの叫びが響き渡る。

 片腕一本で振り下ろされた斧槍は、英雄狩りを袈裟懸けし、その体を吹き飛ばした。


「見事」


 ただ、そういうより他に無かった。

 弾かれた英雄狩りの体は、川の水面に沈んで消えた。


 辺りに、宵闇の静けさが蘇る。アランはその場に膝をつくと、石畳の上に小瓶を置いて、力無く倒れ伏した。

 意識を完全に手放す直前、アランの耳に聞こえたのは、自分を呼ぶ愛弟子の声だった。

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