第19話 『お師様』の由縁
大地を震わせるような低い音が、幾度も村の方から響いてくる。
入れ替わり立ち替わりに攻撃を仕掛けてくる黒狼達を対処しながら、アルティオは思わず苦笑した。
「おいアラン。お前が連れてきたお姫サマ、無茶苦茶な奴だな。村から狼どもが弾け飛ぶ音が聞こえてくるぞ」
エルフの大きな耳は人間よりも優れた聴力を有している。その耳のお陰で、アルティオにはたとえ戦闘の最中であっても村の様子が、よくわかる。
斧槍を振るいながら、アランはそんな呟きに返事した。
「タカがフェニックスを産んだようなもんだ。全盛期のヴィリーより強い」
「魔王討伐軍の中核よりもか? そりゃ笑うしかねぇや」
そんな二人の会話を聞いてか聞かずか、ルドヴィクは不快そうに眉をひそめた。もしかするとこの男にも、村の状況が分かっているのかもしれない。
ルドヴィクは苛立たしげな様子で吐き捨てる様に言い放つ。
「お遊びはここまでだ。ったく、残念だよアラン。お前は大事な大事な黄昏に至る英雄なのに、ここで殺さなくちゃいけないなんてな。
せめて一思いに殺してやるよ。そのエルフと一緒に、黒狼の胃袋で眠れ!」
そのとき、ルドヴィクの傍らにいた巨狼が地面をえぐり、他の狼を蹴散らし、踏み潰して突進してきた。
一目でわかる。強力な魔物だ。姿形などがどうと言うよりは、長く戦場に身を置いた経験から来る直感だ。
以前戦ったワイバーンのつがいなど比べるまでもない。確実に関わってはいけない相手だ。
普段の依頼や旅の道中で出くわしたなら、アランは真っ先に戦うよりも逃げることを選択する。
これとマトモに戦えば、恐らく怪我では済まないだろう。
ルドヴィクとて魔王討伐戦から今の今まで戦場に立ち続けた猛者だ。あまりに強い魔物だからこそ、最後の最後まで切り札として温存しておいたのに違いない。
(流石、上手いな)
アランは苦笑した。こちらの嫌がることを分かっている。その上で、アランが立ち向かってくることもきっと承知の上だろう。
周囲には取り囲むように狼の群れ。
正面には巨大な狼と、ルドヴィク。
そして後ろには、アルティオが立っている。
かつて心より愛した、今は一つの命を大切に育む母親となった、昔馴染みの女がいる。
今、ここで逃げの一手を打てば、アランは無事に生き延びられるだろう。
そこから仲間と合流して、再びルドヴィクに立ち向かえば確実に打ち倒せる。だが、そこにアルティオの姿は無いことも明白だ。
既に二人とも、狼の群れの波状攻撃で疲弊してきている。もとよりどちらも、長期戦には向かないタチだ。
不意に、アランはチラリと後ろを見た。
アルティオの短い銀髪と、その下で見えかくれする細いうなじが目に入る。
「なぁ、アル」
気が付くとアランは、昔の呼び名で彼女に語りかけていた。
アルティオがフッと鼻で笑う。
「んだよ、ラン」
そう呼ばれると、途端に場違いな気恥ずかしさが込み上げてきた。
ここは、命のやり取りをする戦場だと言うのに。
「お前一人で、こっから逃げ切れるか?」
「無茶言うな。流石にオレもしんどい」
「なら、ここで俺と二人心中するか?」
アルティオはからりとした声で高笑いし、答えた。
「馬鹿言え。それこそ死んでも御免だぜ」
アランも、ニッと笑みを浮かべて頷いた。
「あぁ、俺も御免だ。やっぱ気が合うな、俺らは」
「だな。案外良いコンビだよ、オレ達」
巨狼はみるみる内に迫ってくる。その背後で、ルドヴィクが勝利を確信したような含み笑いを浮かべていた。
「そら、ラン。時間がねぇぞ。なんか考えがあんだろ?」
「勿論だ。ド派手にぶちかましてやんよ。目ン玉かっぴらいてよーく見とけ!
なんで俺がロゼに『お師様』って呼ばれてるか、今見せてやるよ」
アランは斧槍を地面に深々と突き立てる。
ルドヴィクの顔に、困惑の色が浮かんだ。
無数の剣の様な牙の並ぶ大口を開き、狼が二人に飛び掛かる。
鋭い獣臭と、血の臭いが、むっとアランの鼻をつく。
そこに、微かに清涼な、懐かしい香りが割り込んできた。アルティオの匂いだ。
覚悟は決まった。やるべきことも見えている。
切れる手札は全て切った。手元に残ったのはわずかに一枚。
(実戦で使うのは、もう何年振りだろうな……)
アランはすっと右手を前にかざし、『内の魔力』を一気に放った。
瞬間、アランの周囲を、蒼白い無数の粒子が取り囲んだ。
粒子の数はみるみる増える。次第に、ルドヴィクの表情が困惑から驚愕、そして恐怖へと塗り変わっていく。
背後で、アルティオが呟いた。
「精霊がアランに……お前、まさか?」
無数の粒子は、次第にアランがかざす右手に集束し始める。
毛先が凍りつきそうな冷気が辺り一帯に吹きすさび、トウヒの枝葉に霜が降りる。
それさえものともせず、勇猛に突進する巨大な狼に向かって、アランは静かにこう詠唱した。
「
刹那、氷山のような
鈍く、低く、少し湿った音が響き、即座に槍は霧散した。
眼前には体の中心に大穴を開けられ、空中で絶命したまま止まることなくこちらへ翔んでくる狼の亡骸。
その穴の向こうで無防備に立ち尽くす、青い顔のルドヴィクと視線が交差した。
「今だ!」
「あいよ!」
アランの声にそう応え、アルティオは素早く矢をつがえ弓弦を引き絞る。
「その首、貰った!!」
空気を切り裂き、鋭い音を鳴らし、矢は一直線にルドヴィクの眉間に吸い込まれる。
彼が今目の前で起きた事柄全てに気付いたそのときには、もう何もかも遅かった。
ずどん
放たれた矢は、ルドヴィクの眉間に深々と突き刺さる。
若き魔族の狂騎士は、力なく膝から地面に崩れ落ち、そのまま冷たい
「やった……」
夫の仇をついに討ち、アルティオはその場で脱力して立ち尽くす。
その身に、ルドヴィクの最期の一矢となった、巨狼の亡骸が迫っていることなどすっかり忘れて。
「アル!!」
アルティオの耳に、アランの叫び声が突き刺さる。
その直後、どん、と体が横へ、力強く突き飛ばされた。
咄嗟に胴をひねり、アルティオはそちらを振り返る。
そんな彼女の目に映ったのは、自身の身代わりになって巨大な肉塊と化した狼の亡骸に弾き飛ばされる、アランの力強い眼差しだった。
アルティオは声すら上げる暇もなく、そのまま地面に叩き付けられ気を失った。
意識を失う直前、周囲の狼どもが足早に立ち去っていく気配だけが、はっきりと分かった。
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