第16話 アルティオ
満月が放つ青白い光が、鬱蒼としげる深い森を照らし出す。
パチ、パチと、焚き火にくべた木がはぜる音を聞きながら、アランは一人暗がりを見つめる。
ディアナ達とはぐれて、もう三日程が経った。水や食料には幸い今のところ困ってはいないが、早く合流しなければ後々面倒なことになる。
(先生、遅刻には厳しいんだよなぁ)
倒木に腰掛け、アランは頬杖をついて溜め息をつく。
あるかなしかの風に吹かれて、木々の枝葉がざわざわと擦れる。
そんなとき、ふと、少し遠くで耳慣れない音が聞こえてきた。ざぶん、と、なにかが水に体を沈めたような、そんな音。
アランはとっさに、音のした方向に顔を向けた。昼間に通り掛かった、小さな泉の方角だ。
(まさか、人か?)
その可能性は十分あった。クマほどの大きな獣が飛び込んだなら、もっと豪快な音がするはずだし、鹿や猪が音を立てて水に飛び込む姿は見たことがない。
もし仮に人だとすれば、願ってもいない
泉までの地形は大体把握している。小川に沿って歩いていけば、十分と経たずに向かえるはずだ。
アランは油を染み込ませたぼろ布を木の棒に巻いて火をつけ、手際よく簡易の松明を作ると、荷物を背負い、焚き火を消してそちらへ向かって歩いていった。
小川に沿い、ときおりよろめきながらアランは黙々と歩みを進める。
泉に近づくに連れ、期待と不安が胸の中で同時に広がりせめぎあう。
もしこれで狂暴な獣ならどうしようか。人ではあっても盗賊なら? いやしかしこんな深い森に盗賊なんて……。
思考が堂々巡りを繰り返すなか、遂にアランは泉のすぐ手前までたどり着いてしまった。
泉とアランを隔てるものは、身の丈ほどの藪が一つ。
(声をかけて、もし善人でなければどうしようもないな)
口を開きかけたアランは、寸でのところでそう思いとどまり、ぐっと生唾を飲み下すと、静かに空いた右手で藪を掻き分けた。
大きな満月を映し出す泉の水面の水鏡。
その中に居たのは、まるで童話に出てくる妖精のような、長い銀髪の美しい女だった。
*
静寂に包まれた夜のエルフの村外れにある小屋。蜜蝋に灯されたほのかな明かりが揺らめく。
耳が痛くなるほどの沈黙の中、幼子の安らかな寝息だけが小屋の中に響いていた。
アランは、布団にくるまりすやすやと眠る我が子を愛おしそうに見つめる、アルティオのその横顔を呆然と眺めていた。
小屋の中には、眠る幼子の他にはアランとアルティオしか居ない。
かつて恋仲にあり、今は別れ、それぞれ別々の人を愛している二人だが、不思議と気まずさの様なものはなかった。とは言え当然、間違いの起こる雰囲気でもないのだが。
ただ、この静けさが懐かしい。はじめて出会った、あの日の月夜を思い出させるような、そんな夜だ。
「オレに似ずに、可愛い子だろ」
布団越しに我が子を撫でていたアルティオが、不意に潜めがちな声でそう言い、横目でアランを見て微笑んだ。
アランはそれに小さく頷き、視線を幼子の方へ向ける。
「ああ。でも、目はお前によく似てるよ。それに、はじめて会う俺がいても堂々と眠れる度胸もある。
大きくなったら、きっと良い狩人になる。お前みたいな狩人に、な」
「へぇ、はじめててめぇに褒められた。昔は一言もそんなことを言ってくれなかったくせに」
ニィっと意地悪な笑みを浮かべて、白い八重歯を見せるアルティオに、アランは苦笑混じりに反論する。
「んなこたねぇ。俺はちゃんと褒めてたよ」
「いーや、オレはしっかり覚えてる。賭けたって良い」
「生憎賭け事の類いはやらねぇことにしてんだわ。うちの師匠が賭け事狂いのろくでなしだったもんでね」
「……ディアナ様、か?」
アランは微苦笑を浮かべて頷いた。
「ああ。そうだ。笑いたきゃ笑え」
「笑わんさ。お前の人を見る目は確かだからな……オレの事以外は」
そう言って、少し自虐的な笑みを浮かべるアルティオに、アランは首を振ってこう答える。
「いいや。俺の人を見る目は大概外れる。例外は、お前だけだよ」
「見事に意見が食い違ったな」
「昔からそんなだろ? 俺達は、さ」
アルティオはこくりと頷くと、ふっと顔を上げ、言った。
「なぁ、アラン。聞かせてくれよ、お前達の旅の話。オレと別れた後から今まで、どんな冒険をして来たかを、さ」
「……ああ、分かった」
アランは特に戸惑うでもなく、静かに、ディアナ達との旅の事やその顛末、そして現在に至るまでの事をアルティオに語ってやった。
アルティオはただ、黙ってその話に耳を傾け、時折相づちを打つように頷いた。
「エリキシルの手がかりを探るためにわざわざ聖都まで、か……」
一通り話終えた後、アルティオは神妙な顔でそう呟いた。
アランもその呟きに、「うん」と静かに返事する。また、二人に沈黙が流れた。
朝まではまだ時間がある。一眠りしても良い頃合いではあるのだが、そういうわけにもいかないだろう。
「……なぁ、アラン」
ふと、アルティオが沈黙を破って声をかけた。
「なんだ?」
「お前は聞かないのか?」
何を、とまで言わないのは、お互いなんの事かが分かっているからだ。
ケルティルからの話、今の集落の状況、眠る幼子と、それを背負って森に入るアルティオ。
気になることは山ほどあれど、それを聞くのは気が引ける。
アランは苦笑して、頬を掻いた。
「聞かなくても、お前が困ってるってことぐらいは分かるよ。
俺に手伝えること、あるか? あんま長くは居れないけどな」
「……お人好しなのは、ほんっと昔から変わらんな」
その言葉に、思わずアルティオは呆れたような溜め息をつき、くつくつと笑い始めた。
アランも恥ずかしげに目線をそらす。一通り落ち着いたとき、アルティオは真面目な顔になってアランに言った。
「オレは旦那の仇をとりたい。それこそ、野郎と刺し違えてでも。アラン、手伝ってくれるか?」
アランは、大きく頷いた。
「ああ、もちろん手伝ってやる。でも約束しろ、刺し違えるのだけはナシだ。
昔馴染みのガキを、目の前で親なき子にするつもりはない」
「……ありがとう」
そう言ってアルティオが頭を下げようとしたとき、森の奥から、地響きのような低い叫び声が轟いた。
アルティオの顔付きが、明らかに変わった。怒りに震え、引き締まった戦士の顔だ。
アルティオは短く、「お出ましだ」とだけ呟くと、毛皮を纏い、矢筒と弓を背負い、山刀を腰に帯びて小屋の外に飛び出した。
瞬間、集落の各地から危険を知らせる、大きな角笛の音が鳴り響く。
アランは斧槍と提げ明かりをそれぞれ身に付けると、蜜蝋の火を吹き消し、眠っている幼子を抱きかかえアルティオの後を追った。
初春の森の夜風はまだ、鼻が痛む程に冷たかった。
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