第25話 製氷魔術

 武闘会では相手の殺傷は禁止されている。その為使用できる武器は鞘や袋に入ったままの物か、会場で借りられる模擬品に限られる。

 また、そういった措置の出来ない魔術師の部では、強力な『魔法使い』が審判として立ち会い、勝敗を見定めるのだ。


 第一回戦、一行の中で最初に出ることになったのはロゼだった。


「それでは、行ってきます」

「ロゼ様、応援しておりますわ!」

「おう、頑張ってこい」


 クリスティーナやアランに見送られ、ロゼは一人円形闘技場の中へ入った。

 入って早々、開会式のときとはまた違った独特の、狂気にも似た熱気が観客席から自分に向けて降り注いで来るのに気付き、ロゼは思わず身震いした。

 先々代の頃に禁止されるまで、この円形闘技場では猛獣と罪人や異端者を殺し合わせたり、人間同士での殺し合いを見世物にしていた過去がある。

 当時を知るものは流石に少なくなってきたものの、未だにその記憶は民衆の深いところに根ざしているのかもしれない。


 ロゼは杖を右手に、闘技場の中央まで進み出ると、対戦相手や審判員の顔を見た。

 対戦相手の男には全く見覚えはなかったが、審判の女魔術師には覚えがあった。


 花の魔法使い“花園”のクロエ


 ロゼが知る中で最も恐ろしく、強力な、歴戦の『魔法使い』だ。

 もう六十を超える年齢のはずだが、その見た目は四十そこそこに見えるほど若々しい。

 背もすらりと高く、小麦色の長い髪がゆらゆらと風になびいていた。


 魔法使いは、いわば魔術師の上位にある存在だ。

 彼らが用いる魔術は『魔法』と呼ばれ、局地的な影響に留まる魔術と異なり、膨大な魔力消費と引き換えに広範囲に巨大な効果をもたらす。

 魔術師達が戦場で戦術的な活動を行うのに対し、魔法使いは国の戦略そのものを左右するだけの実力を持つ、『生ける天災』なのだ。

 周囲に及ぼす影響が計り知れないことから、現在大陸にいる全五名の魔法使いは、大国が莫大な研究資金や生活費を提供している代わりに、他国への抑止力として厳重に監理されている。

 “花園”のクロエも、そんな魔法使いの一人だ。


(この人が審判か。なら、安心だ)


 もし戦闘中に英雄狩りの襲撃があっても、彼女なら完璧に対処できるだろう。ロゼはほっと胸をなでおろした。


 ロゼの注目が自身に向いていないことに気付いたのだろう。対戦相手の男はむっとした表情で口を開く。


「おいおい嬢ちゃん、俺を前にえらく余裕だな? どこの田舎から出てきた? まさか俺のことを知らねぇわけはねえよな?」


 おおよそ魔術師のイメージとかけ離れた、粗野な口調で男はそう話しかけてくる。魔術師だろうと、戦士だろうと、こういう手合いの者はどこにだっているのだ。

 ロゼは表情を引き締めると、じっと男の方へ向き直った。

 中肉中背、ブロンドの髪を短く刈り上げた碧眼の中年男。右頬や腕についた古傷の跡を見るに、ある程度は修羅場をくぐってきているようだ。

 観客席からの歓声を聞くに、知名度もあるらしい。恐らく魔王討伐の時代の英雄なのだろう。

 だが、


(誰だこいつ)


 ロゼは無表情のまま、心の中で毒を吐いた。本当は口に出しても良かったが、そうしないのは単にアランやクリスティーナ、ヴィルヘルムが見ているからだ。

 身内の前で、そんな醜態は晒したくなかった。


(本当はリーシャや母様にも観て頂きたかったけど……)


 状況が状況だから仕方が無い。ロゼは気持ちを切り替えると、眼の前の男を見上げて言った。


「生まれは副都ベルシールですが、今は師と共に旅をしております。学が浅い故、申し訳ありませんが貴方様のことは存じ上げません」

「へぇ、正直な嬢ちゃんだ。ご褒美に俺が直々に課外授業を受けさせてやるよ!」


 二人は一歩踏み出し位置につく。距離は大股十歩ほど。

 審判のクロエと呼ばれた魔術師は、双方を一度ずつ見て、すっと右手を上げた。


「始めっ!」

ゴレム・エク・エルクトル操土魔術


 クロエがそう言った直前、男は杖の先端をロゼに向けて唱えた。

 刹那、ロゼの周りを囲う様に、無数の土の腕が大地から天へと伸びる。

 男は、凶暴な笑みを浮かべて杖を横一文字に振った。


「魔族を百人殺した俺の術、食らいやがれ!!」


 天へと伸びた土の腕がロゼに向かって倒れ込み、迫りくる。

 まともに食らえば、確かにひとたまりもなさそうだ。

 囲いから逃れようにも、腕と腕の隙間は僅かで抜け出すことは困難。まるで、鳥かごに囚われた小鳥だ。


(これに捕まったら、身動きは確実に出来ない)


 魔族やエルフの様に、『精霊』との感受性が高い種族でもない限り、杖などの触媒を相手に向けて方向を指定してやらねば、魔術はまともに制御できない。

 人間や獣人同士の魔術試合なら、相手を拘束するのは常套手段だ。

 男の魔術が腕を象っているのは、その意志の表れであり、観客たちへ「俺はこんなに細かく術を操れる」というアピールだろう。

 実戦なら、もっと無骨で単純で、かつ確実に命を奪えるような造形にするはずだ。


 迫りくる腕の隙間から、ロゼは横目で観客席のアランを見た。

 周囲から見ればいきなり窮地に立たされたようなロゼの状況に驚き腰を浮かせるクリスティーナのすぐ隣で、アランはどっかりと席に腰掛け、腕を組んで面白そうにじっとこちらを見つめている。


(お師様の前で、恥はかけないな)


 生まれてから十年。ロゼは今や、アランと実の両親より多くの時間を共にしている。

 言葉も文字も、旅の仕方も魔術も、あまりに多くのことを彼から教わった。もはや彼は、親なのだ。

 後の世において伝説に名を残すことが確実視される英雄“魔族殺し”アラン。その“娘”として、不甲斐ないところは見せられない。


(これは試合、実戦じゃない)


 だが、だからこそ、手を抜く必要も、そのつもりも微塵もない。

 ロゼは対峙する男の方へ向き直ると、静かに杖の先端をその喉笛に向けた。


アル・ル・ドート製氷魔術


 土の手がロゼに触れる直前、次第に狭まる微かな腕の隙間から、小さく鋭い氷柱の矢が放たれた。

 矢は風に揺れることも、落ちることもなく真っ直ぐ男の喉へ吸い込まれていく。

 目を見開いた男の額に、冷や汗が伝う。

 瞬間、土の腕がほどけるように霧散し、土煙となって広がった。

 白く濁った空気の中、硬いもののぶつかる音が、正面中央から短く響く。

 解き放たれたロゼは素早い身のこなしで、迷うことなくその煙幕の中に身を投じ、肉薄した。



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