第31話 魔王様はみんなに感謝の言葉を贈りました

 ――引き続き、魔王様視点にて記す。


「……か、は。バカな、バカ、なァ、ァァ、あ、ッ」


 瞳を揺らし、頬を引きつらせ、開いた口から覗く鋭い牙を細かく震わせて。

 魔王軍四天王の一角、サラマンデ・バニングブラスがおののいている。


「君は確かに強いよ、サラマンデ」


 一直線に硬直する彼を見据え、僕は告げる。


「だけど改めて省みるといい。今の自分の有様を。四天王最高の異能である『災厄化ディザスタライズ』を、大国の軍隊でもない少数の冒険者に封じられた、この状況を」


 これが、人と魔族の間に横たわる格差だ。

 力に任せることしか知らない魔族と、知恵を絞り技術と工夫を駆使する人の差だ。


 何て、情けない。

 魔王としてではなく一魔族として、この事実はあまりに不甲斐ない。


 けれども、敗戦による国家の変革を僕は望まない。

 七十年前の前大戦終結の時点で、魔族と人類の格付けは終わっている。


 これから先、魔族が変わるために大事なのは隣人である人類を知っていくことだ。

 だから僕はそれを成し遂げるために――、


「うゥゥゥゥるッせェェェェェェェェェェェェェェ――――ッッ!」


 夜の空に、サラマンデの憤怒の雄叫びがこだまする。


「黙れよ、てめぇ! 裏切り者の分際で、何を偉そうに語ってやがる! 魔王ともあろう者が人間の軍門に下りやがって……! 魔族の恥さらしだなぁ、オイ!」


 彼は僕を指さして、そんな風に罵倒してくる。


「ああ、その通りだよ。君の言う通りだとも。その汚名は甘んじて受け入れるさ」


 そして僕はそれを認めた。

 魔王ディギディオン・ガレニウスは魔族を裏切った。言われるまでもないことだ。


「てめぇ、てめぇ……。てめェェェェェェェェェェェェェ――――ッ!」


 爆音と共に、怒りを弾けさせたサラマンデが全身を炎に包む。

 その規模は明らかにさっきよりも小さいが、炎の勢いだけは激しさを増している。


「てめぇだけは許さねぇ! ブチ殺してやるよ、この裏切り者がァ!」

「罵倒が単調だよ、サラマンデ。それに君が義憤を見せるのかい? 同胞を戦争に巻き込もうとしている君が。いいとも、言動は常に注意を払うべきだけど、感情と思考は自由であるべきだ。その自分勝手な義憤を、僕は認めてあげるよ」


 努めて冷静に、僕はサラマンデにそう言って、ニヤリと笑った。


「でも、言葉だけじゃ僕はやれないよ、サラマンデ。……来なよ、僕を殺してみろ」

「グ、ッガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ――――ッ!」


 サラマンデがすごい勢いで真っすぐ突っ込んでくる。


「てめぇなんぞ、この一撃で粉々に砕いてやらァァァァァァァァ――――ッ!」


 炎を噴き上げながらの突撃は、サラマンデにとっての必殺の一撃だった。

 地脈のバックアップを失っても、彼は四天王の一角。その能力は折り紙付きだ。

 だけど……、


「君は本当に……」

「さっさと死にやがれェッッ!」


 言いかけた僕を、サラマンデのブチかましが直撃する。

 そして五体が粉砕されるはずだった僕の姿は、その場からフッと消えた。


「な……」


 消失した僕の影を突き抜けて、サラマンデが驚きと共に空中で急ブレーキ。


「『多重幻覚ハルシネイト』の分身だよ。さっきも引っかかったじゃないか、君」


 透明化を解いて、僕は呆れ調子で彼の眼前、極々至近距離に姿を現す。

 懐、完全にガラ空きだよ。サラマンデ。


「て、め……ッ」

「君の負けだ」


 短く告げて、僕は水平に構えた宝剣の切っ先を、そのまま全力で突き出した。

 万象を断ち切る刃が、サラマンデの赤い鱗を突き抜けみぞおちを貫く。


「…………ッッ、がッ!」


 大きく開かれた口の奥から、彼は小さな声を絞り出す。

 溢れる鮮血を浴びながら、僕は左手で柄を掴んだまま右手を柄頭に押し当てる。


「サラマンデ・バニングブラス。君を、ここで仕留める!」


 叫び、そしてさらに強く切っ先を押し込んだ。


「が、ァ、あああああああああああああああああああああああああああッ!?」


 宝剣は巨躯をますます深く穿ち、サラマンデが迸らせた絶叫が大気を震わせた。


「このまま地に墜ちろ、サラマンデ!」


 彼の体から力が抜けた一瞬を狙って、僕は地表めがけて急降下を開始する。

 上には貫く僕、下には貫かれるサラマンデ。


 吹き荒ぶ風が耳元に激しく唸り、全身にかかる圧力は加速するごとに増していく。

 聴覚を占める風の音の中に「ォォォ!」というサラマンデの声が時折混じる。


「ご、のッ、裏切り者がァァァァァァァァァァァァァ――――ッ!」


 この極限状況下で、サラマンデは強引に右手を伸ばして僕の頭を鷲掴みにする。

 大きな手が、僕の頭を容赦なくギリギリと締めつけてくる。


「焼ぎ、殺じでッ、やるァァァァアッ!」


 頭部全体が激痛に襲われる中、さらにサラマンデは全身から炎を噴出させる。

 当然ながら火は僕にも燃え移り、僕達は火だるまになりながら夜空を落ちていく。


 自分が軋む音がする。

 自分が焦げる匂いがする。


 痛い。

 熱い。


 痛いッ!

 熱いッ! 


 だけど僕は、剣を手放さない。サラマンデから離れない!


「うおおおおおッ! 放せよ、離れろよ! 何で離れねぇんだよォ――――ッ!?」

「『闇夜に堕天せし銀仮面の復讐者ダークネス・シルバースター・マスカレイド・アヴェンジャー』は、こんな程度の苦痛には屈しないからだァ――――ッ!」


 そして、僕とサラマンデは凄まじい勢いで地表に激突し、大きな爆発が起きた。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ぬおォ――――ッ! 我が主ィ~、無事か、我が主よォ――――ッ!


「ちょっと、インターラプター、もっと早く飛べないの!?」

「少し遅い気がするですよねぇ~……」

「黙らっしゃい! 三人も乗せて飛ぶのなんぞ初めてなんだよッ!」


 我が主とサラマンデが、炎に包まれながら地面に落ちていった。

 それを視認した私は、白ドラゴンの姿になってその場所を目指して飛翔する。


 背中に、シェリィ達三姉妹を乗せて。

 マリィやらリリィが文句を言うが、おまえらがいなきゃもっと高速で飛んでるわ!


「何か、ごめんねぇ~、ラプちゃ~ん」

「おまえもおまえで、変な略し方をするな、シェリィ……」


 どうせ略されるならロンちゃんがいいが、それは我が主の専売特許である。

 ああ、しかし大丈夫なんだろうか、我が主。


 いやいや、心配無用。大丈夫なはずだ。

 何故ならあの男は魔族の頂点に立つ魔王ディギディオン・ガレニウスなのだから。


「…………」


 いや、でもな~。

 本当に大丈夫なのかな~? やっぱり心配だよなぁ~!


「……フフフ」


 耳元に、シェリィの軽い笑い声が聞こえてくる。


「何だ?」

「あ、聞こえちゃった? ごめんね~。何かラプちゃん、すごくソワソワしてるっぽいのが伝わってきたからさ~。あ~、あたしと一緒で彼が心配なんだな~、って」

「むぅ……。そっちは、心配しているようには見えないが?」


 図星を突かれたのが悔しくて、つい、私は言い返してしまう。

 すると、シェリィは「だよね~」と言いながら、頬の辺りを軽く掻いた。


「これは一種の職業病みたいなものだよ。緊急時ほど感情を表に出さないようにするクセがついちゃってて。本当はすごくロレンス君が心配だよ。本当の本当だよ?」


 テヘヘ、とシェリィが誤魔化すように笑って言う。

 私としてはそんなことは今さらすぎる話だが、一応釘は刺しておこうか。


「おまえの気持ちを疑うつもりはない。感情を表に出さないようにしているおまえが、あれほど必死になって私に助力を乞うたのだ。何を疑う余地がある?」

「ぐぅ……」


 あれ、何かシェリィが押し黙ってしまったぞ?

 マリィとリリィが二人してクスクス笑っているのが聞こえるが、本当に何なんだ?


「……そろそろ着くぞ」


 三姉妹と話しているうちに、我が主の落下地点が近づいてきた。

 そこはヴェガントの街と火山のちょうど中間辺り、岩肌が剥き出しの一帯だった。


「降りるぞ!」


 硫黄の匂いが漂う中を、私はゆっくりと降下していく。

 そして着地した瞬間、私の背を降りた三姉妹が我先にと飛び出した。


「ロレンス!」

「ロレンスさぁ~ん!」


 お~っと、マリィとリリィが先頭を争ってデッドヒート。

 と、見せかけて後ろから動きやすい格好をしているシェリィがブチ抜いた!


「ロレンスくぅ~~~~ん!」

「あ、ちょっと、姉さん!」

「あ~ん、一人だけ速いですよぅ~!」


 だが残念だったな、シェリィよ。そして三姉妹よ。

 おまえ達がいなくなったなら、私も全速で飛ぶことができるってモンよ!


『我が主ィ~~~~ッ!』


 私は自らを白カラスに変えて翼を全力で羽ばたかせた。

 走ることでしか速度を出せない人類共よ、私の先は行かせんぞォ~~~~!


「ちょ、ラプちゃん、飛んでくのはズル~い!」

『フハハハハ~! 我が主のもとに一番に駆けつけるのは、この私なのだァ~!』


 ちょっとした山ほどもある大岩。

 それを飛び越えた先に、我が主がいるはず――、あ、いた!


『見つけたぞ、我が主~!』

「…………む?」


 聞こえた、我が主の声。

 岩山の陰に佇む漆黒の甲冑に身を包んだその姿。間違いなく我が主だ。だが、


『……うぉぉ、何たる』


 そこに立つ我が主の姿を見て、私は驚きから飛ぶことを忘れてしまった。

 顔を覆う銀仮面は黒く焦げつき、黒甲冑もそこかしこがひしゃげて変形している。


 覗いている肌はひどく爛れていて、一見して火傷の深さが知れる。

 長い黒髪も高熱に晒されて艶を失ってしまい、くすんだ色合いになっていた。


「ロレンス君、ひどいケガ……」

「だ、大丈夫なの!?」

「すぐに治してあげますからねぇ~!」


 遅れて駆けつけた三姉妹も、今の我が主の有様に一様に顔色を青くする。

 リリィが錫杖を手に治癒魔法を使うべく近寄るが、我が主がそれを制した。


「案ずるに及ばず」

「で、でもぉ~、ものすごく痛そうですよぅ~……」


「おまえ達には言っていなかったが、実は俺は、痛みに対して耐性を持っている」

「ええぇ~~~~!?」

「かの『福音牧場』で行なわれた魔法実験によって、な……」


 おい、何かサラッととんでもないことを言い出したぞ、この我が主。


『……何それ、『設定』?』

『うん、『設定』』


 この野郎……。


『つまり思いっきりやせ我慢しているだけではないか!』

『うん、そうだよ。超痛い。泣きそう。でも、ロレンスは泣かないキャラだから!』


 こ・の・野・郎……ッ!


「おまえ達の不安をあおるつもりはない。これでいいだろう?」


 我が主が、無詠唱の治癒魔法によって全身の傷を刹那に完治させる。

 装備は焦げたままだが、火傷と髪の色のくすみはそれだけで完全に消え失せた。


「はわぁ、すごい綺麗に治ってますねぇ~」

「本当に大丈夫なの?」


「はい~。見たところ、傷跡一つ残ってませんよぉ~。惚れ惚れする腕前ですぅ~」

「リリィがそこまで言うなんて、やっぱロレンスはすごいのね……」


 疑わしげだったマリィも、リリィが太鼓判を押したので安堵したようだった。


「ロレンス君、四天王は……?」


 シェリィに問われ、我が主がある一方に視線を向ける。

 そこには『人喰い鋼牙』に腹を貫かれ、大地に横たわるサラマンデの姿があった。

 しばし眺めても、赤い巨体はピクリとも動かない。


「そっか、勝ったんだね。さすがはロレンス君だね。本当にすごいや。これで魔王ディギディオン・ガレニウスの打倒に、ちょっとは近づけたよね」

「フ、何を言う」


 親指で銀仮面をこすりつつ、我が主が三姉妹と私を交互に見やる。


「おまえ達がいてくれたからこそ勝てた。おまえ達からのエール、確かに届いたぞ」


 それを言う声は、とても穏やかで優しいものだった。


「ありがとう。おまえ達がいてくれて、よかった」


 三姉妹だけではない。それは私に対する素直な感謝の言葉でもあった。

 その言葉で、私達は報われた。

 やり切ったのだという喜びが一気に湧いて、私の胸を瞬く間に満たしていく。


「な、何よ。こっちは、あんたが負けるなんて少しも思ってなかったわよ!」

「マリィお姉ちゃん、こういうときくらいは素直になっていいと思うですよぅ~?」


「ウヒヒヒヒヒヒ、そうだよ~。あたしはすっごく嬉しいけどな~!」

「リリィも姉さんもうるさいのよ! 二人とも頬ゆるみっぱなしじゃないの!」


 そう怒鳴るマリィも口元がゆるゆるなのだが、自覚はなさそうだ。

 そうか、私達は我が主の一助になることができたのか。それは嬉しい。嬉しいな。


「やったわね、ロレンス! やっとレイラさんの仇が打てたわね!」


 え?


「はいですぅ~、ようやくレイラさんの無念を果たせたんですねぇ~!」


 は?


「最初に倒せた四天王がレイラさんの仇っていうのは、幸先いいよね。本当に~!」


 ん~?


『え、我が主、何の話?』

『え、ロンちゃん、どういう話?』

『『さぁ……?』』


 よかったよかった、と何かを納得してうなずく三姉妹。

 どうやら、彼女達の間ではすでに何らかの共通認識が出来上がっているようだ。

 私も我が主も何が何やらだが、別に問題はなさそうなので、まあ、いいか。


「ときに、シェリィ、街の人々は?」

「みんな避難させたよ。あたし達に協力してくれた冒険者も、今頃は全員、馬車に乗って街の外に出てる頃だと思う。あとでギルドに報告しておかないとね~」


 そうだ、あの冒険者達。

 彼らの存在なくして、この結末はあり得なかった。彼らにも感謝しなければ。


「終わったな。何もかもが」


 我が主が無表情のまま、声にわずかな感慨をにじませる。

 そして『人喰い鋼牙』を引き抜くべく、サラマンデの死体に近寄っていく。


「…………グハッ」


 だが、そこに声が聞こえた。決して聞こえてはならない男の声が。

 寸前まで微動だにしていなかったサラマンデの巨体が、ビクリと大きく震える。


「何……ッ!?」


 我が主が大きく後方に飛び退くと同時、赤い鱗の竜人が咆哮を響かせた。


「グッ、ガァァァァァァァァァァァァァァァァ――――ッ!」


 腹に『人喰い鋼牙』を刺したまま、息を吹き返したサラマンデが跳ね起きる。

 そして震える指先で我が主をさして、破局的な一言を叫んだ。


「そいつが、魔王ディギディオン・ガレニウスだ!」

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