第13話 魔王様は侯爵令嬢に希望を示しました
思わず、念話で確認してしまった。
『え、毒入りなの?』
『そーだよ』
我が主、軽々とうなずきやがった。
『レオット・ベラ。レオット高原に自生してる常緑樹でね、根っこに、量によっては下位の竜種も殺せる強い毒を持ってるんだ。これを百年近い年月をかけて品種改良して無毒化し、嗜好品として成立させたのが、レオット・セレなんだよ』
この世界の紅茶の原種が、とんでもねぇ毒草だった。
先人達は何を思って、そんな毒物を改良して日常の嗜好品にしたのだろうか。
『このレオット・ベラは、原種だけあって匂いがレオット・セレに近い。だから大昔の一時期、これと紅茶を使った暗殺事件が大量に起きたこともあったらしいよ』
匂いでは判別できない毒、というワケか。
それは、なかなかに恐ろしいな。毒入りであるとわからないのだからな。
『今はさすがに対策されてて、レオット・セレの葉自体にレオット・ベラの毒を中和する酵素が含まれるよう、魔法を使った品種改良が施されたはずだ。つまり――』
『紅茶に毒を混ぜても、茶葉から染み出る成分が毒そのものが消してしまう、と?』
『そういうことだね』
そこまでして紅茶にして飲んでるのは意味不明だが、それならば安全は安全か。
安全だが――、その『安全』は油断へと繋がる。
今の時代に、そんな大昔の毒が使われることなどあるはずがない、という油断に。
この毒を使った犯人は、そこにつけ込んだということか。
「アンナちゃんとか言ったかな、ちょっと、お話聞かせてもらいたいんだけど?」
シェリィが、アンナへと迫ろうとする。
親指を舐めた瞬間に見せたときの反応から、毒を入れたのは彼女で間違いない。
マリィとリリィも、軽く腰を浮かせかける。
だが、先んじて行動に出たのは、直前まで涙目になっていたアンナの方だった。
「――チッ!」
舌打ちと共に、彼女は両手に持っていたお盆を我が主に投げつけてくる。
ガシャンという音がして、五人分の紅茶が主の体に勢いよくブチまけられた。
「ロレンス君ッ!?」
その瞬間、何よりも我が主を大切に思う三姉妹の意識が、こちらへと向けられる。
しかしそれは、明らかな失態だ。
「アンナッ!」
三姉妹よりもさらに大きな、リュミアーナの声。
我が主に毒入り紅茶をぶっかけたアンナが、部屋を飛び出して逃げてしまった。
遠のく足音に、三姉妹は揃って一瞬ポカンとなったのち、これまた揃って、
「「「ぁ、あの女ァ~~~~ッ!」」」
キレおった。
「追うわ、姉さん!」
「もっちろん! リュミちゃんとロレンス君を狙ったこと、後悔させてやるから!」
シェリィとリリィが、すぐさまアンナを追いかけて部屋を出ていく。
ひとり残されたリリィは、我が主の方へと駆け寄ってきた。
「ぁ、あの、あの、ロレンスさん、大丈夫ですかぁ~?」
毒を浴びせられた我が主を心配してのことだろう。
しかし、眉を下げて見上げるリリィの頭を、我が主の手が優しく撫でた。
「罪と汚濁にまみれしこの身、蝕むものなど枚挙に暇なし。感傷も、残影も、全ては過ぎ去りし虚像。夢と笑うことができるのは、幸福なことなのだろうな」
「あ、大丈夫ですねぇ~! よかったぁ~!」
普段と何一つ変わらない銀仮面の復讐者に、リリィは安心して明るく破顔する。
この反応見ると我が主もそこまで変じゃないように映るが、そうではない。
単に三姉妹が慣れてきてるだけである。
慣れって怖ェな~!
「それじゃあ、ロレンスさんはこっちをお願いしますぅ~。リリィも、お姉ちゃん達を追いかけますぅ~。一応、これを渡しておきますねぇ~!」
緊急用の回復ポーションを我が主に手渡して、リリィも駆け出していった。
リュミアーナの方については、我が主に任せれば大丈夫という判断か。
『しかし、何が起きているというのだ、これは……』
目まぐるしく変わり続ける状況に、私は我知らず呟いていた。
リュミアーナへの殺害予告が届いたのが、先週。
そこから今日まで、アンナはずっとリュミアーナのそばにいたはずだ。
リュミアーナ自身が『御付きの侍女』と言っていたことからも、それはわかる。
ならば、なぜ今日なのだ。
どうしてわざわざ護衛の冒険者が来たその日に、凶行に及ぼうとしたのか。
その辺りの意図がまるでわからない。
これではまるで、自ら馬脚を現すために犯行を仕組んだかのようだ。
……あ、そうだ。犯行といえば。
『なぁ、我が主よ。おまえはどうやってアンナが毒を盛ったことに気づいたのだ? レオット・ベラの匂いは、レオット・セレと同じなのだろう?』
今さら気になったことを、私は主に問うてみる。
一応、見当はついているのだ。
我が主はレイラの息子であることもあって、レオット・セレを飲み慣れている。
レオット・ベラと匂いが同じといっても、全く同じではないのだろう。
その微妙な差異を、我が主は嗅ぎ分けることができた。
おそらくはそういうことだと思うが、この推測が当たっているかが、気になった。
私は、我が主からの返答を待つ。
そして一秒――、三秒――、五秒……、十秒……、おっと~?
『我が主?』
待っても返事がないことを不思議に思い、私は主の横顔を見る。
「…………」
銀仮面の復讐者は、無表情のまま白目を剥きかけていた。
『…………吐ぎぞう』
『わ、我が主ィ――――ッ!?』
乗り物酔いが過ぎて顔色が完全にアンデッドじゃないかッ!?
コンディション最悪のクセに、なりきりプレイ優先して体張るからだ、バカ~!
と、とにかくトイレ、トイレに早く、トイレに~!
「ぁ、あの……」
心の均衡を失いかけている私達主従に、リュミアーナが話しかけてくる。
私としては一刻も早くこのバカ主人をトイレに連れていきたいところだが、そこは筋金入りのなりきりロールプレイヤー『
「――
「……ぇ?」
我が主が発した呟きの意味が分からず、リュミアーナが一瞬呆ける。
その隙を突くかの如く、我が主は右手で指をパチンと鳴らして、マントを翻した。
「ここから動くな」
それだけを言い残して、我が主が部屋をあとにする。
いかにも意味ありげな数々の行動だが、そこに意味があったら私が驚く。
『トイレ、トイレ、トイレ、トイレ、トイレ、トイレ、トイレ、トイレ、トイレ、トイレ、トイレ、トイレ、トイレ、トイレ、トイレ、トイレ、トイレェ~~~~ッ!』
だって私に伝わってくる念話、さっきからこれ一色だからな!
それでも、表面上は取り繕って綻びを見せることなく部屋を出れたのは偉いぞ。
『トイレェェェェェェェ~~~~! ぎぼぢゎるぃぃぃぃぃぃぃ~~~~!』
我が主、メンタルがかように極限。
だが無様に走ることはなく、その歩みはむしろ堂々としていて微塵のブレもない。
こいつは本当にロールプレイの死守に全力だな。
中身は吐き気MAXでトイレ探して三千里の極限ギリギリ魔王のクセにッ!
『トォォォォォォォイィィィィィィィレェェェェェェェ~~~~ッッ!』
で、それはそれとして、私はこの情けない嘆きを聞かされ続けるワケだよ……。
『助けてェ、ロンちゃあぁぁぁぁ~~~~ん……』
あ、でもこれはこれで、ちょっとアリかも。
泣き言垂れ流す我が主可愛い。そんなことを思ってしまう、悪い子な私であった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
リュミアーナの部屋に戻る最中、三姉妹とバッタリ出くわした。
「ロレンス君!」
「ロレンス、何であんたがそっちから来るのよ!?」
私達がお互いを見つけたのは、リュミアーナの部屋の前でのことだった。
シェリィが我が主を発見し、マリィがこっちを指さしてくる。
「ま、待ってくださぁ~い……」
そして、その少しあとを走り疲れてるっぽいリリィがヘロヘロ状態でついてくる。
「何でロレンスが部屋の外にいるの? リュミアーナは?」
矢継ぎ早に質問してくるマリィだが、トイレに行ってましたとは言いにくい。
いや、答えるならそれしかないのだが、どう返すべきかなぁ、これは。
ちなみに、トイレにおける我が主の様子については割愛する。
私は栄えある魔王の使い魔であるからな。我が主の名誉と体裁を守る義務がある。
「ロレンス君、何かあったのかな?」
マリィに続いて、シェリィも我が主に確認しにくる。
そこで、たっぷりと余裕をもって勿体ぶり続けた我が主が、やっと口を開いた。
「悪寒だ」
答えは、たったそれだけ。
だが、それを聞いた長女と次女は、その顔つきを険しいものに変える。
「……そっかぁ、やっぱり別動隊がいたのかぁ」
シェリィが我が主の短い返答を勝手に解釈し、軽く髪を掻いた。
いやぁ、実に話が早い。慣れというものは頼もしくも恐ろしいなぁ、我が主よ。
まぁ、我が主も別に嘘は言ってないしな。
吐き気全開で激しい悪寒に背筋も震えていたからなー……。
「三人全員で追いかけたのは、失敗だったかもね。姉さん」
「だねぇ。結局、見失っちゃったし」
むむむ、今のシェリィの言葉。これは聞き逃せないぞ。
あのアンナという侍女、Sランク冒険者から逃げ切ったというのか……?
「ロ、ロレンスさんの方は、どうだったんですかぁ~……?」
未だに壁に手をついてハァハァやってるリリィが我が主を見る。
それはいいんだが、頬を赤くして呼吸を乱すこの三女、なかなかに煽情的である。
肩が上下するたびデケェおっぱいがふるんふるんしよるし、唇も妙に濡れてるし。
汗に湿った肌やら腰砕けのっままの立ち姿やらが、何とも艶めかしい。
むむ、感じたぞ。
我が主、また股間にデバフをかけてやがるな。
ニブチン野郎の我が主といえど、さすがに今のリリィにはクるものがあったか。
しかし、大丈夫なのか?
その股間、いざというときにちゃんと機能するのか?
大丈夫? ちゃんと世継ぎ残せそう?
私はそれが心配でならない。
「…………」
股間をデバフでいじめながら、我が主は無表情を保ちつつ、かぶりを振る。
それによって、三姉妹は警戒感を一層強めた。
「あたし達だけならまだしも、ロレンス君から逃げ切るのかぁ……」
「今回の相手、ちょっとまずいかもしれないわね」
危機感をそのまま言葉に乗せて、シェリィ達が深く息をつく。
しかし、その深刻さに対し私は申し訳なさすら感じる。トイレ行ってただけだし。
「とにかく、部屋に戻りましょ」
そう言って場をまとめたマリィが、扉のノブに手をかける。
が、押しても扉は開かなかった。
「な……」
扉は開かなかった。だが、倒れた。
マリィが加えた力に応じて、前側へと、ゆっくりと。
唖然となる彼女の前で、扉として使われていた分厚い木の板が倒れて音を鳴らす。
すると、前から吹きつけてきた風が、私達の身を激しく煽った。
「あらら~……」
そこに広がる光景を目にしたシェリィが、ちょっと虚ろな半笑いを見せる。
白と淡色に満ちていたリュミアーナの部屋は、変わり果てていた。
壊れた家具。破れた壁紙。ひっくり返った椅子と卓。
風は、割れて大穴が空いた窓から、今も流れ込んできている。
メチャクチャだ。何もかもが、メチャクチャだ。
何より、リュミアーナはどこに行った。この部屋にいるはずの、侯爵令嬢は!?
「ぁ、あそこ……!」
呆然となるしかない中で、いち早く我に返ったリリィが壁の一角を指さす。
そこには、血とおぼしき赤いもので、文字が書かれていた。
「あれは、何語かしら?」
「わかんない。何だろうね、あの文字……」
マリィとシェリィが、文字が書かれた壁に近づいて確かめようとする。
だがそれは、彼女達の知らない文字で、知らない言語だ。何故ならば――、
「『穢れし人の世に滅びあれ。いと高き魔の血脈に栄えあれ』」
血文字の文章を読み上げたのは、我が主。
「ロレンス君……?」
「あの文字を知ってるんですかぁ、ロレンスさん」
尋ねてくるシェリィ達に、さっきとは違って勿体ぶることなく我が主は返す。
「……これは、魔族言語だ」
吹きすさぶ風よりも激しい衝撃が、三姉妹の間を駆け抜けていった。
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