第12話 魔王様は「ぺろ。……これは、せいさんかり!」をしました

 侯爵令嬢の名前は、リュミアーナなのだという。


「そしてわたくしめはセバスチャンと申します」


 ついでにさりげなく名乗る老執事。

 整えられた白い髪にピシッと着こなされた執事服と知性を感じさせる口ひげ。


 存在を主張しすぎない控えめの雰囲気からも、実に執事らしい執事だ。

 十人中十人が『これはセバスチャン!』というレベルのセバスチャンっぷりだ。


 だが、忘れてはならない。

 いかにガワを整えようとも、こいつはあの縦読みを見抜けなかったポンのコツだ。

 それも含めて、私が彼に抱いた感想は『全セバスチャンに謝れ』である。


「ここだね」


 侯爵家の邸宅内の一角。

 そこにあるドアを前にして、立ち止まったシェリィが腰に手を当てる。


「はい、こちらがリュミアーナお嬢様のお部屋となっております」


 セバスチャンがうなずき、軽くノックをする。


「どうぞ」


 ドアの向こうから聞こえてくる、耳に心地よい甘さを含んだ声。


「お嬢様、失礼いたします」


 セバスチャンがドアを開けて恭しく一礼する。

 その向こう側には、目にも鮮やかな白い空間が広がっていた。


 いや、白一色ではない。

 淡い桃色や空色も混じっている、何とも女の子らしい内装の部屋だった。


 お決まりとも呼ぶべき天蓋付きの大きなベッドがまず目に入った。

 他の家具や調度品も、なかなかにセンスがいい。


 中でも特に目を引いたのが、結構な大きさの白木の書棚だった。

 装飾こそ派手ではないが、しっかりとしたその造りが高級感を醸し出している。


 書棚には、隙間なく本が並べられている。

 ああ、この子は我が主と話が合うな。

 まだ顔も見ていないのに、私は即座に確信した。ピンと来た、というヤツだ。


 私の確信を裏付けるように、当の御令嬢は机に向かって読書真っ最中だ。

 その姿がすでに絵になっていて、まさしく『深窓の令嬢』。

 彼女は間もなく読書を終えて「ふぅ」と満足げに一息ついて本の表紙を閉じる。


「とても、面白いお話でしたわ」

『うんうん、サー・ゲヴェンス著『ルーグネル戦記』の四巻だね、あれはよきだね! …………あばばばば、ぎぼぢゎるぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~~~~』


 うるさいぞ、我が主。

 半死半生の分際で、装丁を一目見ただけで何の本か見抜くのはやめろ。


「お待たせして申し訳ありません、皆様」


 待ったつもりもないが、御令嬢はそう言って椅子から立ち上がり、こちらを向く。

 その動きの一つからして澱みがなく、芯が通っているように感じられた。


 シェリィ達とは違う意味で洗練された、人に見られることを前提とした動きだ。

 小国でも、侯爵令嬢というだけあって相応に高度な教育を受けているらしい。


 それは、外見にもよく表れていた。

 着ている服装は、よそ行きではない日常用の控えめな色合いのドレス。


 にも関わらず、その見た目にはすでに華がある。

 色の薄い長い金髪はゆるやかに波を打ち、手足は細くて、その肌はとても白い。

 顔立ちは整っているが、美しい以前に可愛らしい。という印象。


 まだ大人になり切っていない未成熟な見た目から、年齢は十代前半程度か。

 しかし、紺碧の瞳には少女然とした見た目にそぐわない知的な光が宿っている。


「初めまして、皆様。リュミアーナ・フォン・ザルツェンバーグと申します」


 私達に誰何することもなく、リュミアーナは貴族式の会釈をする。


「あ、冒険者のシェリィです」

「……マリィよ」

「ぇ、えっと、リリィですぅ~。よろしくお願いしますぅ~」


 長女はあごを下げるのみで、次女は普通にお辞儀をし、三女は深々頭を下げる。

 我が主は、目線を伏せるだけで済ませた。


 何とも無礼に思えるが、まだ乗り物酔い続行中なので、勘弁してやってほしい。

 見たところ、この御令嬢は勘弁してくれそうな雰囲気なのだが。


「…………」


 む?

 何やら、御令嬢がこっちをジッと凝視している。もしかして、勘弁してくれない?


「白きカラスを肩に乗せた黒き鎧の戦士様、何と雄々しいお姿でしょう!」


 そう言って、瞳を輝かせる御令嬢。何、この子も三姉妹と同じ奇人変人ラブ勢!?


「お嬢様は、読書を好まれておりまして。英雄譚や小説のたぐいを、特に」

「……ほぉ」


 我が主が小さく一声漏らす。これ、本格的に趣味が合いそうだと察したな。


「セバスチャン、こちらの方々が?」


 輝く瞳をそのままに、侯爵令嬢は執事に確認してくる。


「そうでございます、お嬢様。この方々が今回の誘拐予告にご対応いただくため旦那様が雇い入れた高ランク冒険者の方々でございます」


 誘拐予告。

 本当には殺害予告だが、リュミアーナにはそのように説明したという話だ。


 まぁ、下手に真実を教えて精神的に負荷をかけても意味がない。

 使うべきときに使ってこそ、方便は方便たりうる。


「そうなのですね、皆様は冒険者でいらっしゃるのですね!」


 と、リュミアーナがパンと手を打ち鳴らして、その顔に笑みを弾けさせる。

 大きく開かれた瞳には、強い期待感が浮かんでいる。


「私、冒険者の方とお話するの初めてなんです! よく冒険譚とか読んだりはしているんですけど、こうして本物の冒険者さんと対面する機会はこれまでなくて……!」


 あ~、あ~あ~あ~あ~、そういうことか~。

 確かに、侯爵家の御令嬢ともなれば、冒険者との接点なんてあるはずもない。


 見たところ、リュミアーナはあまり外に出るタイプとも思えない。

 そんな彼女は我が主と同じく本の虫。冒険者という存在は憧れの対象なのだろう。


「あの、もしよろしければ、皆様のお仕事のお話をお聞かせ願えませんか!」


 溌溂とした笑顔に強い期待を帯びさせて、リュミアーナがグイグイ来る。

 シェリィは軽くこちらを覗いたのち、三姉妹で顔を見合わせて相談を始めた。


「どうしよっか……?」

「別にいいんじゃないかしら。護衛対象の近くにいられるワケだし」

「そうですねぇ。お話するくらいならぁ~」


 ふむ、どうやらリュミアーナのお願いをきく方向で定まりそうだな。

 三姉妹の反応を見るに、割とまんざらでもなさそうだし。


 我が主も、そろそろ顔色が不健康と瀕死の間をデッドヒートし始めている。

 本格的に座らせて休ませた方がいいいだろう。

 と、いうワケで、我々はリュミアーナとガールズトークをすることになった。


 ん?

 ガールじゃないヤツが一人混じっているって?


 そいつは、死に瀕した銀仮面の復讐者という名の置物なので気にする必要はない。

 よって、ガールズトークで何も間違ってはいないのだった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 セバスチャンが部屋を出ていった。

 部屋の真ん中にあるテーブルを間に置いて、御令嬢と私達が向かい合って座る。


「アンナ、お茶をお願いしますね」

「はい、お嬢様」


 おや?

 私達以外に誰もいないと思われた部屋で、知らない誰かの声が御令嬢に応じる。


 声のした方を見ると、そこには一人の侍女が立っていた。

 シェリィとは色合いの違う赤い髪以外は、さして特徴のない顔立ちの女だった。


 年齢は、リュミアーナよりやや上、十代半ばから後半くらいだろうか。

 全く気がついていなかったが、今の今まで、ずっとそこに控えていたようだ。


「彼女はアンナ。私の御付きの侍女ですのよ」


 お茶の準備のため部屋を出ていくアンナを見送り、リュミアーナがニコリと笑う。


「全然、気づかなかった……」

「ですねぇ~……」

「ダメだねぇ、ちゃんと周りに気をつけておかなきゃさ」


 感嘆するマリィとリリィに、シェリィだけが得意げに笑う。さすがの長女である。


「…………」


 そこに、無言でうなずく我が主。


「ほら、ロレンス君も気づいてたってさ」


 シェリィが言うものの、本当かなぁ。我が主、本当に気づいてたのかなぁ。

 こいつ、最強だけど別に気配とか読めるワケでもないしなぁ……。


「お待たせいたしました」


 シェリィが御令嬢にこれまでの冒険の話を始めてから数分、アンナが戻ってきた。

 銀のポットと人数分のカップを乗せたカートを押してきた彼女が、テキパキ動いてお茶を入れていく。年齢にそぐわない熟達した動きは、ちょっとした見ものだった。


「わ、いい匂いだね」


 香ってくる紅茶の匂いに、シェリィが小さく反応を示す。


「本日はレオット高原産のレオット・セレとなっております」

「え、それって確か、すごいお高い銘柄じゃ……」


 五人分の紅茶の準備を終えたアンナへ、マリィが軽い驚きを見せた。

 レオット・セレについては私も知っている。


 我が主の実母であるレイラが愛飲していた銘柄だ。

 甘い香りと、その香りに見合う甘さが特徴の茶葉で、何か特殊な製法を用いてることから生産量があまり多くなく、幻の茶葉として扱われることもあるのだとか。


「リリィ、レオット・セレを飲むの、初めてですぅ~」

「私もよ。ちょっと楽しみだわ」


 素直に喜ぶリリィとマリィ。

 シェリィも口には出さないが『やったぜ、役得』という表情をしている。

 だが、そのときだ。


「――赤き蛇は鎌首をもたげる」


 それまで、完全に座っているだけの置物になっていた我が主が、急に口を開いた。

 何だおまえ。またかおまえ。


「……ロレンス君?」

「甘美なりしは魔性を宿す死の香り。ひとたび口に運べば感ぜらるるは至上の香気。至高の美味。されども忘れるることなかれ。楽園とは、果つる命の向かう先なり」


 お、おう……?

 さっきと似たような展開だが、今回は言わんとするところも不明だぞ、我が主。


 私含めた全員の視線をその身に集めながら、我が主はいきなり立ち上がる。

 そして、注目されたまま、主は歩いてアンナの前に立たった。


「え……」


 お盆を持ったアンナが、全身黒ずくめの仮面の変態に立ち塞がられて言葉を失う。

 何をする気なんだ、我が主。

 仮にも一国の宰相の邸宅で今度はどんな粗相をする気だ、貴様ッ!?


「…………」


 無言の我が主と、


「……ぁの」


 無言の我が主に全力で見下ろされ、その圧力に肩を震わせ涙目になるアンナ。

 オイ、さすがにアンナがかわいそうすぎるだろう、この構図は。


「ロレンス……?」

「どうしたんですかぁ、ロレンスさぁ~ん?」


 マリィ達の呼びかけにも応じず、我が主はアンナを見下ろしたままだ。

 お盆に乗せられた紅茶から立つ湯気が、我が主の顔を覆う仮面の表面を曇らせる。


「…………」


 我が主は曇った仮面の表面を右手の親指で軽くなぞった。

 そして、何を思ったか、その指先を自分の舌先でペロリと舐めたのだ。


「――――ッ」


 その瞬間、アンナの瞳が軽く見開かれた。

 我が主が告げた。


「……死なる甘露、レオット・ベラ」


 それは、レオット・セレの原種である致死毒を含んだ植物の名前だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る