第14話 魔王様は秘められし過去(設定)を語りました

 残念ながら、これは『設定』でもなりきりプレイでもない。


「――魔族言語。これが?」


 血文字が書かれた壁を指先でさすり、マリィが我が主へと視線を送る。

 それに、我が主は一度の首肯で応じて、静かに視線を巡らせる。


 三姉妹の様子からもわかる通り、魔族言語は人類の文化圏には伝わっていない。

 つまり現在の人類には、魔族言語に触れる機会はないということだ。


 だが、現にここに書かれている。

 我が主が記したものではない、別の誰かが記した魔族言語が。


「まさかこの一件、魔族が絡んでいるってこと……?」


 珍しく張りつめた声音の、シェリィのその一言。

 場に満ちる空気が、たったそれだけのことで一気に重みを増した。


 しかし、それはありえないはずだ。

 私達が人類領にやってきて、まだ一か月と少し。


 この短期間で、ファムティリアが魔族領をまとめ上げ、人類への攻撃を開始した?

 バカな。そんなことがあってたまるか。あるはずがない!


 だが、では、この魔族言語の文章は何だ? この見慣れたガレニオンの公用語は?

 まさか人類領に潜んでいた魔族がやったことだとでも?


 それこそ、ありうるのか……?

 私は思案を巡らせるが、しかし現状、打開の鍵となりうる要素が何もない。


 わざわざ冒険者がやってきたその日に犯行に及ぼうとした、赤髪の侍女。

 少し目を離した隙に様相を一変させた部屋と、姿を消した侯爵令嬢。


 そして、壁に記された魔族言語の血文字。

 もう、何が何やらわからない。

 幾つもの謎の上にさらなる謎が覆いかぶさって、真相は遥か闇の奥底だ。


「ねぇ、この部屋、何かおかしくないかしら?」


 荒れ果てた部屋の中で沈黙ばかりが重なっていたところに、マリィのそんな呟き。

 シェリィとリリィが、あごに手を当てて何かを考え込む次女の方を見やる。


「マリィ、おかしいって?」

「すごくメチャクチャにはなってますけどぉ~?」

「いや、そういうことじゃなくて……」


 マリィは首を横に振る。

 長女と三女は、不思議そうに顔を見合わせて互いに首をかしげた。


 マリィは何を違和感を覚えている。

 それは、マリィだけが感じていることのようだ。魔導士である彼女だけが。


 だからだろうか、彼女は少し自信なさげだ。

 きっと、違和感を明確に言語化できずにいることも、その自信のなさの一因だ。


「大いなるいにしえ、賢者は言った。探求とは、結び目を解くところから始まると」


 そこで、我が主がいつもの迂遠な言い回しで助け舟を出す。


「風の流れる先にしるべはない。されども人は答えを求め、遠き星に憧れ、夢を追い続ける。さすれば進め。さかしさを捨てて、ただ愚直に。道は、進みし己のあとにこそ刻まれる。自らが刻んだ足跡の果て、旅人は輝かしきものを見出さん」


 大層な表現に、かなりの文字数。しかし、意訳『がんばれ』。

 トイレから戻って復調した我が主、舌鋒ますます鋭くなりきりプレイがはかどる。


「……わかった」


 遠大かつ壮大かつ単に遠回しな我が主の激励を、マリィは正しく受け止める。

 そして愛用の杖を両手に握って、目を閉じて何かを唱え始める。


「――『破魔解呪式ディスペル・マジック』」


 彼女が用いたのは、場に働いている魔法の効果を解除する術式だった。

 刹那、杖の先端より魔力の波動が迸り、それは一瞬の閃光となって室内を奔った。


「な、これ……!?」


 直後、シェリィが驚きを見せる。

 しっちゃかめっちゃかだったリュミアーナの部屋が、ほぼ元通りになっていた。


 白い机に、大きな書棚、家具やベッド。

 淡い色調で統一された壁紙と、椅子も卓も、まっさらな絨毯も、何もかも。


「『多重幻覚ハルシネイト』だったのね」


 杖を両手で掴んだままで、マリィが苦々しく零した。

 多重幻覚は視覚以外の聴覚・触覚など他の五感も欺く、上位の幻覚魔法である。


 見れば、壊れて倒れたはずの扉も直っていた。

 私達を驚かせたあの扉からして、すでに幻覚だったのだ。


「よくわかったねぇ、マリィ」

「ほとんどまぐれに近いわ。部屋の中の空気が、何か変な感じだったの。魔法を使った痕跡もしっかり隠蔽されてたけど、微妙に匂いみたいなものが残ってたの。すごく、嫌な匂い。即座に気づけなかったのは、悔しいわね」


 完全なお手柄にもかかわらず、マリィは口惜しげだった。

 素直に喜べばいいものを、何ともストイックな――、あ、そっか、我が主かぁ。


 マリィから送られる主への視線で、私は気づいた。

 我が主はとっくに真実を見抜いていた。彼女はそれを察したのだろうな。


 魔導士として、我が主に先を行かれて胸中複雑といった……、いや、頬が赤いぞ?

 あれは、自分の背中を押してくれた主に惚れ直してる感じだな。クソがよ!


「壁の文字は残ってますねぇ~。わざわざ上位の幻覚魔法を使ったのはぁ、どうしてなんでしょう~? あんまり意味がないような気がぁ~……」


 壁の魔族言語を再度確認して、リリィが状況を吟味する。

 彼女の言う通り『破壊された部屋の幻覚』にはあまり意味が感じられない。


 だがそれは実利を考えた場合で、別の視点で見ればまた違ったものが見えてくる。

 この部屋を覆っていた幻覚に、私は『演出』のような意図を感じていた。


 そう――、『演出』。

 人に見てもらうための幻覚。見る者を驚かすために用意された、サプライズ。

 それは、アンナが毒入り紅茶を用意したときに感じたものとかなり近しい。


 何故、わざわざ護衛が来たその日に犯行に及んだのか。

 何故、わざわざ必要のない『多重幻覚』などを使ってこちらを惑わしてきたのか。


 そこには必ず何らかの意図がある。私は、そう思えてならなかった。

 ただ、今のところ全貌はまだ、見えてこない。

 さて一方、シェリィとマリィが改めて部屋の検分を進めている。


「多重幻覚は習得難易度がそこそこ高い魔法よ。Bランク以上の冒険者でも、使える術者は三割いるかどうかってところじゃないかしらね」

「これは、いよいよ魔族の可能性が濃厚になってきたねぇ。参ったなぁ~」


 腕組みをするマリィの横で、シェリィが苦笑しつつため息を一つ。

 一度魔族に殺された二人にしてみれば、それは忌々しくも大きな脅威だろう。


「魔文字と割れた窓以外は、部屋には何もなさそうだね。窓が破られてるなら、お相手さんは外に出ていった可能性が高いかな。ひとまず、そっちから探そうか」


 シェリィの判断は、まずは妥当なものだった。


「姉さん、どうする? 二手に分かれる?」


 マリィは辺りに目配せしつつ、シェリィにそれを確かめる。

 別動隊の可能性を考えてのことだろう。敵の人数が不明な以上、必要な思考だ。


「そうだね……。じゃあ、あたしとマリィで外を――」

「……ッ、くッ」


 シェリィが言い終える前、我が主が急に苦しげに呻き出し、その場に屈みこんだ。


「ロレンスッ!?」

「ロ、ロレンスさぁ~ん……?」


 慌てて駆け寄るマリィとリリィ。

 シェリィも幾分外を気にしながら、体を我が主の方へと向き直らせる。


「く、ぐ……」


 これまでになく深刻そうな、我が主の苦しみの声。

 何だ、どうした。吐き気が再発したのか? またトイレ行く?


 我が主は、その場に膝を折ったまま左手で右手首を握り締める。

 そしてその身を細かく震わせながら、押し殺した声で、


「疼く。右手の封印が……!」


 は?


「実は――、まだおまえ達に言っていないことがあるのだ。……故郷を滅ぼされたのち、流浪の身となった俺は人買いに捕まり、三年ほど奴隷に身をやつしていたのだ」


 え、そうなの……!?

 って、それ『設定』じゃねーか! 恥ずかしげもなく恥ずかしいこと言い出すな!


「そ、そんなことが……?」

「ロレンスさんが、奴隷だったなんてぇ~!」


 そして三姉妹、おまえらも我が主専用リアクションBOT化するのやめろ!

 使い魔、今はTPOを弁えるべき場面だと思うんだけどな~!


 だが続く。

 我が主の『隙自語』は、さらに惜しげもなく続いてしまう。


「俺はある日、とある大陸全土に影響力を持ち大陸各国の裏社会を牛耳る超巨大非合法犯罪組織に買われた。そして、とある地方のとある山奥にあるとある研究所にて、とある新魔法の被検体として、とある様々な魔法実験を施されていったのだ」


 ちょっと『とある』が多すぎないか?


「実験は、いずれも常人であれば即死するか精神が破壊されるしかないような過酷なものばかりだった。だが俺は耐えた、耐えて、生き続けた。魔王を倒すまでは、俺の復讐を遂げるまでは絶対に死ねないと思って、歯を食いしばって耐え続けた」


 わぁ、大変だね~。

 でもその頃の我が主って、日がな一日読書に耽ってただけだよね~?


「結果、俺は寿命の半分を引き換えにして強烈無比な力を手に入れた。あまりにも強力すぎて、普段は封印を施さねば制御できないほどの恐ろしい力だ。わかるか。俺は『禁忌の子』であると同時に『教団』に生み出された『凶人兵器タイラント』でもあるのだ」


 次々に飛び出す新たな『設定』群。いきなり『教団』とかいう新勢力を出すな。


「な、何てひどいことを……」

「ぁうう、ロレンスさん、おいたわしいですよぅ~……」


 次女と三女が涙ぐんで我が主を案じているが、それを私は呆れと共に眺めている。

 で、結局、我が主は何が言いたいのだ?


 この緊急時にいきなり自分語りを始めるくらいだ。意図するところがあるのだろ?

 どうやら、私と同じことをシェリィも思ったようで――、


「ロレンス君、その右手の疼き、もしかしてこの部屋にある何かと関わりが……?」


 我が主がうなずく。それと同時に、部屋に満ちる空気が大きく震え出す。


「つまりは、こういうことだ」

「……魔力の流動? これ、まさか!?」


 目を剥くマリィ。

 天井と床に赤い光の線が奔り、それは巨大な魔法陣を描き出した。


「これが、敵が使った真の逃走手段だ」


 上下で鳴動する魔法陣の真ん中で、静かに立ち上がった我が主がそう断言する。

 そして、魔法陣から光が溢れ、私達はいずこかへと転移した。

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