第15話 魔王様は使い魔と答え合わせをしました

 暗転し、瞬間、光が射す。

 だが、光はさしたる強さもなく、目を衝くほどではなかった。


 白カラスとなっている私の五感が、三姉妹よりも一瞬早く周囲の状況を認知する。

 光が薄い。いや、いっそ薄暗いと言ってもいい。


 真っ先に見えたのは、古びた石畳だった。

 ほのかな陰の中に色褪せた石材が物言わず整然と敷き詰められている。


 空気はひんやりとしながらも、どこか纏わりついてくるような不快感がある。

 これは、湿度が高いことを示している。


 嗅覚に届くのは、随分と色濃いホコリ臭さ。

 ここに流れる空気は、一か月前に探索したダンジョンに似通っている気がした。


「……ここは」


 聞こえる、シェリィの声。

 しかし、幾分くぐもった響きになっているのは、おそらくはここが狭いからか。


 屋内だ。

 しかも上も下も横も全て石で覆われた、飾り気など何もない場所。


 光源は天井にある魔法文様が、一定間隔で刻まれたそれが弱い光を放っている。

 どうやら、ここは地下通路のようだ。

 後ろは壁で、前に真っすぐ道が伸びている。


「この先だ」


 いつも以上に声を低くして、我が主が道の先へと歩き出す。


「あ、ロレンス君、待ってよ~」

「行くわよ、リリィ」

「ちょっと怖いですけどぉ、わかりましたぁ~……」


 我が主を先頭にして、四人は通路を進む。

 薄闇に覆い尽くされた空間は、やはり先を見通すことができない。


 モンスターなどはいなさそうだが、それでも拭いきれない重たい圧迫感がある。

 歩みを進める我が主へ、私は念話で問うこととする。


『我が主よ、どうしたのだ』

『何が、ロンちゃん?』


『何がではない。リュミアーナがさらわれた状況でいきなり自分語りを始めるなど、おかしいではないか。いや、おまえはいつもおかしいが、今回はいつも以上だ』

『ひどくない?』


 何もひどくないぞ、何も。むしろ、私には違和感しかない。

 被害者が出てる状況で自分の趣味を優先するようなヤツではないだろ、おまえは。


『ああ、それはごめん。いい『設定』を思いついちゃって、つい……』

『いやいや、つい、じゃなくてだな?』


 元・奴隷だの『教団』だのが、我が主が言う『いい『設定』』というヤツなのか?

 相変わらず、私にはわからないセンスだなぁ。奴隷の何がいいのやら……。


『でもね、この『設定』には着想元があるんだよ。聞きたい?』

『別にいい。それよりもしっかりしてくれ。リュミアーナがさらわれたんだぞ』

『リュミアーナさんについては、僕は何の心配もしてないよ』


 我が主は平然とした調子で、聞き逃せないことを言った。


『……どういうことだ?』

『あの部屋の中で、唯一破られていたのは窓だけだったよね』

『うむ、そうだな』


 他の破壊の痕跡は、全て幻覚魔法による錯覚でしかなかった。

 実際にあったのは魔文字と、割られた窓だけだ。


『ロンちゃん、気づいてたかい?』

『何に?』

『あの窓ね――』


 ここで、我が主がとんでもない事実を明かす。


『内側から破られてたんだよ』

『な……』


 私は、驚きの声を上げると共に、ついさっき見た光景の記憶を探る。

 窓はどうだったか。

 割られた窓の近くに何か痕跡は――、閃くように思い出し、私はハッとなった。


『床に敷かれた絨毯の上に、ガラスの破片は落ちていなかった……!』


 そう、絨毯の上は実に綺麗なものだった。

 考えてみればおかしい。窓が外から破られたなら、破片が絨毯に散るはずだ。


『破片は外に散ってる。確認はしてないけど、その可能性が高い』

『いや、待て。それだけのことで、内側から破られたと断定するのか? 外から侵入者が入ってきた可能性は除外してよいのか? そこは考えに含むべきでは――』

『実はさ、結界を張っておいたんだよ』


 ……結界、だと?


『そう。トイレに行く前、指を鳴らしたでしょ? あのとき部屋を囲うよう防護結界を張ったんだよ。この結界を通れるのは、僕とシェリィさん達だけなんだ』


 何ということだ。

 まさか、あの無意味と思われた一連の行動の中で、そんなことをしていたとは。


『でも、結界は破られていなかった』

『…………』

『ここまでくれば、さすがにわかるでしょ』


 仮定ではなく、確定した事実を語るかのようにして、我が主が言葉を紡いでいく。


『部屋の中に施された『多重幻覚』と痕跡の隠蔽。部屋の内側から破られた窓。部屋の中に準備されていた転移の魔法陣。結界に包まれた部屋から姿を消したリュミアーナさん。そして、彼女に毒を盛ろうとしたのは、あのお屋敷の中でリュミアーナさんに一番近しい場所にいる御付きの侍女のアンナさんだ』

『……待て、我が主』


 私はそこで、一度我が主に待ったをかける。

 こいつが言わんとしているところは理解できる。しかし、しかしだ――、


『では、あの魔文字はどうなる。あれは人類には伝わっていない……』

『人類領にも魔文字を知ってる人間はいる。それが新しい『設定』の着想元だよ』

『な、に……?』


 私が半分絶句したところで、進んでいた道の終わりが来る。

 道の果てにあったのは両開きの錆びた金属の扉だった。奥へ押し込む方式だ。


「この先に『敵』がいる」


 そう言って、我が主が肩越しに三姉妹へと視線を送る。

 三姉妹はその顔に覚悟と決意を浮かべて、同時にうなずいて見せた。


 きっと、彼女達はこの先に魔族が待ち構えていると思っている。

 だが我が主の言葉が真実ならば、開かれようとしている扉の先にいるのは……。


 ギギギと、重い音を立てて扉が開いていく。

 するとその向こう側から、まばゆい光が漏れてくるではないか。


 鮮やかな白い光は私達の目を一瞬灼いて、徐々に向こう側の景色が見えてくる。

 そこにあったのは、一転して広々とした空間だった。


 白い壁と規則正しく並べられた石の長椅子。

 天井には通路よりも明らかに強い光を放っている魔法文様。


 扉の向かい側、大きめの祭壇の上に鎮座しているのは、黒い石でできた何かの像。

 ねじくれた人型のそれは、見る者の不安を駆り立てるデザインをしている。


 その大きな像こそが、この空間を象徴するもの。いわば、神。

 それを見て、私はここが礼拝堂であることを知った。


 ああ、そうか。

 これが我が主の新たな『設定』の『着想元』か。得心がいった。


「……あら?」


 膝を折り、黒い石像に祈りを捧げていた彼女が、私達に気づいて振り返る。

 服装が、日常用のドレスから全身をすっぽり包む漆黒のマントに変わっていた。


「まさかここまでやってこられるなんて、思ってもいませんでしたわ」


 そう言いながら驚きもせず笑う彼女は、部屋で談笑していたときと同じに見えた。

 だが、同時に、その表情は前にはなかった得体の知れない何かを孕んでいる。


「円環の蛇は自らの尾を喰らい、その内に世界を宿すという。それは未だ原罪を知らぬ無垢にして清浄なる領域。何も知らぬが故の無邪気なる邪悪。……貴様のことだ」


 我が主が、立ち上がった少女を睨み据えて、その名を告げる。


魔王崇拝者サタニスト――、リュミアーナ・フォン・ザルツェンバーグ」



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ――魔王崇拝者。


 それは魔王を称え、魔族に服することを選んだ者達。

 彼らは人でありながら魔族の力に心酔し、自らを隷属種、または奉仕種族と呼ぶ。


 人は愚かであり、弱いクセに自らの強さを誇示しようとする。

 その愚かさを捨て去るには、上位の存在――、即ち魔王による支配が必要である。


 俗に『魔王思想』と呼ばれる過激な考え方である。

 それを公然と主張する魔王崇拝者は、人類社会にとっては癌にも等しいだろう。


 だが同時に、リュミアーナが魔王崇拝者ならば合点がいく点もあった。

 壁に記された魔文字についてだ。


 魔王崇拝者は熱心な魔族文化の研究者という側面を持つ。

 確かに彼らであれば、魔族言語を知っていてもおかしくはない。が――、


「……魔王崇拝者?」


 何故か、シェリィがキョトンとしている。

 いや、彼女だけではない。

 マリィも、リリィも、各々の武器を構えてつつ、何か呆気に取られている。


 警戒するでもなく、敵意を示すでもなく、三姉妹は揃ってきょとんとしている。

 ……何で?


 人類にとって、魔王崇拝者って絶対に放置できない思想の持ち主のはずだが?

 私が覚えた疑問への答えは、次のシェリィの一言に示されていた。


「うわ~、まだ残ってたんだね、魔王崇拝者。……とっくに滅びたと思ってたよ」


 え。あッ!

 もしかして、そういうこと!?


「私も、魔王崇拝者なんて初めて見たわ……。え、本物?」

「魔王崇拝者が最後に事件を起こしたのってぇ、もう五十年以上も前ですよねぇ~」


 マリィはリュミアーナを物珍しげに観察して、リリィは軽く首をひねっている。

 その様子を見て、私は全てを察した。


 そうか。

 今の時代、魔王崇拝者って絶滅危惧種なんだな……。


 そう、絶滅危惧種。

 時代遅れをさらに一周遅れて、もはや誰からも忘れ去られたカビ臭ェ過去の遺物。


 前大戦から七十余年。

 我が主が人類との没交渉を貫いて、五十年余り。


 人間のタイムスケールでそれだけの時間が経てば、危険思想もただの歴史、か。

 残酷だなぁ、時代の流れってヤツは。


「フフフ、フフフフ……」


 しかし、私がチンケな感慨など眼中にないかのように、リュミアーナが薄く笑う。

 窓一つない地下礼拝堂で、背に黒き像を置いて、彼女は悠然と佇む。


 あの黒い石像は『魔王の像』だ。

 見たこともない魔王という存在を、イメージだけで形にしたものだアレだ。


「――それじゃあ、始めようか」


 ひとしきり感想を述べたのち、シェリィが腰の長剣を抜き放つ。

 表情を引き締め、Sランク冒険者の顔つきになった彼女の瞳が少女を睨み据える。


 三姉妹にとって、魔王崇拝者は半ば珍獣めいた存在でしかなかった。

 だが、リュミアーナという個人についてはそうではない。


「油断はなしよ、リリィ」

「当たり前ですぅ~」


 妹二人も、すでに臨戦態勢を整えている。

 これまでにリュミアーナがやったことを考えれば、最大限に警戒すべきではある。


 ドラゴンを殺す毒薬に、高位魔法の『多重幻覚』に、部屋の転移魔法陣。

 いずれも、齢十五にも満たない少女が扱うには過ぎたシロモノばかりではないか。


 リュミアーナは危険だ。

 それについては三姉妹も私も、十分に承知しているつもりだ。

 だが――、つもりでしかなかった。


「……アハ♪」


 黒いマントを纏う少女が、口元を綻ばせた。

 瞬間、地下礼拝堂を満たす空気が溶けた鉛の重みを持って、私達にのしかかった。


「な……ッ」


 シェリィが、手から長剣を取り落としそうになる。

 マリィとリリィに至っては、言葉もない様子で武器を構えたまま固まっている。

 三人に共通しているのは、一気に噴き出た大量の汗だった。


 私も人の姿だったなら、きっと三姉妹と同じようなことになっていた。

 それほどまでの、あまりに唐突で、あまりに急激すぎる場の空気の変質だった。


 この急変は正体は明らかだ。

 私の全身にビシビシとぶつかって自己主張してくるものがある。


 魔力だ。

 リュミアーナが放つ魔力が、暴風の如き圧を伴って礼拝堂を満たしている。


 高ランク冒険者三人を、蛇に睨まれた蛙に変えてしまう。

 これが人間の放つ魔力だというのか。

 こんなにも濃厚で、高密度で、暴力的で、殺傷の意思に満ち満ちた魔力が。


「……君は、何なのかな?」


 リュミアーナから一歩後ずさり、シェリィが問う。

 すると、それまで笑う以外は無言を貫いていた魔王崇拝者が小さく動きを見せる。


「わたくし、ですか――」


 リュミアーナは、マントの隙間から白い右手をスゥと伸ばす。


「そうですわね。尋ねられたのならば、お答えしなければなりませんね」


 誘うような手つきでそのまま左肩を掴み、彼女は笑みを深めて目を細める。

 緊張感は高まり切って、すでに膨らみ切った風船のような有様だ。


「フフフフ、フフフフフフフフフフフフ……ッ!」


 リュミアーナの笑い声が徐々に大きさを増していく。

 それは、中身が満たされた器にさらに水を注ぎこんでいくのと変わらない。


 間もなく中身は溢れ、零れるだろう。

 そしてそのとき、この場は礼拝堂から戦場へと姿を変える。


「フフフフフフフフフッ! アハハハハハハハハハハハハハハッ!」


 笑い声のテンションが極点に達する。それは、戦いの始まりを告げる鐘の音――、


「わたくしは『絶望ディスペアー』!」


 …………おう?


「ひれ伏しなさい、咎人ニンゲンよ。わたくしはあなた方の繁栄を黒き結末へといざないしもの。そう、わたくしは『滅びルイン』、わたくしは『終焉ジ・エンド』、わたくしこそが『終止符ピリオド』! 人類一掃という大いなりし使命を担いて闇の底より遣われし、邪悪エヴィル深淵アビス申し子チルドレン


 朗々と語ったリュミアーナが、掴んだマントをバサァッ、と大きく翻す。

 その下に現れたのは、肩を派手に出した、退廃的な意匠が施された黒いドレス。


 いや、ドレスだけではない。

 胸元の薔薇飾りも、リボンも、イヤリングもネックレスもブレスレットも。


 二の腕から指先を覆う手袋も足のロングタイツも、はいているヒールですら。

 全てが黒。真っ黒。完全無欠の黒ずくめ。

 唯一、頭に戴くティアラだけが、黒と黒と黒の中にあって白く映えている。


「『黄昏に躍る悪夢遣いの漆黒淑女トワイライト・ナイトメア・ノワーレ』、それがわたくしの洗礼称号パプテスマですわ」


 暗黒微笑を浮かべて名乗るリュミアーナに、私は察した。

 ロレンス亜種だこれ!?

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