第20話 魔王様はご家庭の問題に直面しました
夜。
連絡を受けたザルツェンバーグ侯爵が屋敷に姿を見せた。
記しておかねばならないのは、彼が帰ってくるまで二日もかかったということ。
三姉妹と我が主がリュミアーナを捕らえたのは、一昨日の話だ。
「――なるほどな」
侯爵家邸宅の一室で、シェリィからの報告を聞き終えた侯爵は、まずはその一言。
ここは重要な話をするための場所らしく、壁も分厚いのか声の響き方が違う。
部屋の中には、侯爵と三姉妹。我が主。
それに執事長のセバスチャンと、最後に――、リュミアーナ本人がいた。
リュミアーナは普通のドレス姿だが、マリィとリリィにより身体検査済みだ。
今の彼女は凶器となりうるものは何一つ持っていない。針の一本すら。
それでも今回の犯人の一人ではあるので、マリィが監視としてそばについている。
侯爵令嬢が公爵を見る顔は、なかなかにひどいものだった。
まるで親の仇を見るが如き顔、というヤツだ。実の父親に対して。
そんな彼女が、父親を陥れんとした動機。
残念ながら、それは未だに不明のままだった。
ここ二日、リュミアーナはずっと沈黙を貫き続けてきたからだ。
魔法で口を割らせることも可能だったかもしれない。
しかし、それはシェリィが止めた。
侯爵が来れば、リュミアーナは自ずから動機を明らかにする。
一体何が見えているのか、シェリィは確信を持った物言いで妹と我が主を説いた。
そして、今に至る。
「何ということでしょうか……」
声を震わせ、セバスチャンがリュミアーナを見る。
「お嬢様が、さ、
「そんなことがあったから、こういう場が設けられちゃってるんだよねぇ~」
無自覚にリュミアーナを庇おうとする執事長を、シェリィが軽く突き刺した。
だが、魔王崇拝者であることは、現状では大きな問題にはならない。
今後、『結社』がどういう行動に出るかによって変わってくるだろうが。
それはあくまで未来での話で、今の時点では時代遅れのマイナー思想でしかない。
「……魔王崇拝者、そして『教団』か」
と、いうザルツェンバーグ侯爵の呟きが聞こえてくる。
ああ、そうだった。
この場では『結社』ではなく『教団』ってことになってるんだった。紛らわしい!
三姉妹も、我が主の『設定』を完全に信じ込んじゃってるからな~……。
少なくともこの場では『教団』は実在するものとして話が進んでいくのだろうな。
まぁ、それでもいいか。
事実上『教団』=『結社』みたいな扱いだし、ネーミングの問題で終わるだろ。
一方で、まだ終わっていない問題。それは――、
「つまらんことをしてくれたな」
その声は小さく、されどもよく通る声だった。
ピクリ、と、リュミアーナが身じろぎして、父親へさらに厳しい目線を向ける。
「つまらない? 何がつまらないとおっしゃられるのですか、お父様」
尋ねる娘を侯爵が見返すが、こちらは何とも興味薄げな顔をしている。
「おまえがやっている魔王崇拝者ごっこに決まっているだろう」
「な……」
ごっこ。と、来たか。
本物の魔王崇拝者と『結社』が関わった事件を、侯爵はそう評するのか。
いや、リュミアーナだけを見れば、間違ってはいないか。
「この……ッ!」
しかし、リュミアーナ当人はそうではないようだ。
「あなたなんて、滅びてしまえばいいのよ! あなたみたいな人間が人の上に立つなんて、そんなこと許されない! あなたは滅びてしかるべき人間なのよ!」
死ね、ではなく、滅びろ。
単語のチョイスに我が主に通じるセンスを感じるが、そこにある感情は本物だ。
顔を激しい憎悪に歪めて、彼女は自らの父親を罵り散らす。
だが、侯爵は顔色一つ買えない。がなる娘を静かに見下ろしているだけだ。
「言いたいことはそれだけか」
ゆるりと一度かぶりを振った侯爵は、そのままリュミアーナに背を向ける。
「そう思いたいのならば思っていればよい。私は城に戻るぞ」
「だ、旦那様……」
まさかの言葉に、セバスチャンもその顔を驚愕に染める。
リュミアーナが発する怒気が、この瞬間、明らかに激しさを増した。
「ちょっとちょっと、侯爵閣下~?」
シェリィが、侯爵へと声をかける。
しかし侯爵は彼女の方を振り向こうとはしない。ただ、返答はあった。
「君達への依頼はこれで完了となる。ギルドを通して報酬を受け取ってくれたまえ。今回はご苦労だった。また何かあれば、依頼させていただこう」
「それはいいんだけどさ~。……いいの?」
「何がかね?」
「いや、リュミアーナちゃん。その、お仕置きとか、お叱りとか」
シェリィでさえ、若干言いにくそうではあった。
ごっこ遊びと侯爵は評したが、娘が起こした事態は決して小さいものではない。
被害こそ少なく済んだが、それとて三姉妹と我が主の働きあってのもの。
もしも、アンナの目論見通り地下礼拝堂が崩落したら、どれほどの死者が出たか。
「構わん。放っておきたまえ」
だが、侯爵は自分の娘の責任を問わなかった。
それは父親としての情からではなく、娘への無関心から来るもの。なのか?
「いいの、侯爵閣下?」
「娘は淑女教育も始まったばかりでまだまだ幼稚だ。読み物の影響を受けているに過ぎない子供に、そう目くじらを立てることもない。些事に過ぎぬよ」
重ねて尋ねるシェリィへと、侯爵は肩越しに軽く振り返ってそれを言う。
リュミアーナの怒りが一周回って、顔からどんどんと表情がなくなっていく。
彼女が魔王崇拝者として起こした事件を、侯爵は些事と断じた。
それが、よっぽど癇に障ったのだろう。
「ザルツェンバーグッ!」
リュミアーナは、自分の父親を呼び捨てにした。
およそ貴族令嬢の振る舞いではない。が、しかし、それも仕方がないことだろう。
こうも父親から軽んじられては、彼女のプライドがもたない。
貴族令嬢とて木石ではない。
十代半ばともなれば、内に秘めた自尊心は大人と何ら変わるところはない。
「私を裁きなさい、ザルツェンバーグ! 私は魔王崇拝者、甘き滅びを司る『
リュミアーナは必死の形相で己の罪を誇示し、そして懲罰を訴える。
その剣幕のすさまじさは、左右に立つマリィとリリィが驚きを浮かべるほどだ。
「戯れが過ぎるぞ、リュミアーナ」
だが、全霊を賭したその訴えでさえ、侯爵には届かない。
「私は不肖ながらも宰相として国を預かる身。今とて処理すべき政務が山積しているのだ。この場に留まっている間にも時間は無駄に浪費されていくのだぞ」
「無駄……」
自分の訴えを歯牙にもかけようとしない侯爵に、リュミアーナは顔面蒼白となる。
侯爵の態度は、私から見ても冷淡そのものだった。
多忙であるというのはわかるが、それでもここまで娘を省みないものか。
そんな疑問とリュミアーナへの小さな憐憫が、私の心に徐々に湧き始めてくる。
「そんなにも罰を望むなら、私ではなくそこにいる冒険者にでも頼め。おまえが直接迷惑をかけたのは、そちらであろう。私は早く城に戻らねばならん」
「だ、旦那様、その言いようはあまりにも……」
「黙れ、セバスチャン。今の私は余計な会話をする時間も惜しいのだ」
諫めようとする執事長にピシャリと言い放ち、今度こそ侯爵は踏み出そうとする。
「……お父様は、いつもそうですよね」
だが、深く俯いたリュミアーナが、その背中に濡れた声を浴びせる。
「そうやって、いつもいつもお仕事のことばかりで、私達のことなんて全然見向きもしようともしてくれない。祖国のため、民のため、ずっとそればっかり……!」
「当然だ。それが貴族の責務であり、宰相の座にある者の仕事だ。何を今さら――」
「わかっています!」
リュミアーナが勢いよく顔を上げて、流れる涙がパッと散った。
「お父様のお務めのことはわかっています! ……でも、三週間前、お母様のお墓にお祈りをしに行かなかったことだけは見過ごせません。毎年行ってたのに!」
その叫びは、それこそ腹の底から絞り出すが如くだった。
シェリィ達の目が、事情を知っているであろうセバスチャンの方へと移る。
「奥方様は、お嬢様が十歳になられる前に病でお亡くなりになりまして、それからは毎年、命日になると旦那様とお嬢様が王都郊外にある墓地に、お祈りを捧げに――」
なるほどな。
それが、リュミアーナが魔王崇拝者になった直接の理由か。
きっと彼女にとっては、家族の繋がりを感じられる数少ない行事だったのだろう。
だが侯爵は、忙しさにかまけてそれを怠った。
リュミアーナにはそれがどうしても許すことができなかった。
だから、侯爵に恥をかかせて、思い知らせようとした。
経緯としてはそんなところ、か。
なるほど、実に子供じみた幼稚で短絡的な動機だ。
だが今回の一件では、彼女は結局は利用された側でしかなく、首謀者はアンナだ。
あの骨女がリュミアーナの怒りに油を注ぎ、事態を大きくした可能性が高い。
ゆえにこの侯爵令嬢には情状酌量の余地がある。
それは、第三者である私の目から見てもはっきりとわかる。
ただ、それで何のお咎めもなしで無罪放免、というのは極端に過ぎる気もする。
「……私は城に戻るぞ」
「お父様ッッ!」
侯爵は、やはりこれ以上はこの件について話し合う気はないようだった。
リュミアーナも何とか食らいつこうとするが、父親は素っ気なく突き放すのみ。
「――了承した」
そこに、一際重低音ボイス。
何者の声かなど、誰何する必要もない。
「……ロレンスさぁん?」
一歩前に出た我が主へ、リリィ達三姉妹とセバスチャンが視線を注ぐ。
我が主が、右手に宝剣『
「リュミアーナ・フォン・ザルツェンバーグ。――おまえを、殺す」
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