第21話 魔王様は己の美技に酔いしれました

 ガシュッ、という、我が主の鉄靴が鳴らす重い足音。

 全員が呆然とする中、漆黒の甲冑を纏った重戦士が、少女に向かって剣を構える。


「コォ――」


 と、静かに呼吸を整えて、しっかりと腰の重心を落として、膝を曲げて。

 太ももに力を溜め込む様は、今まさに飛びかかろうとする肉食獣にも似ている。


 そこで、私は思うのである。

 何してくれちゃってんの、おまえ。


「リュミアーナ・フォン・ザルツェンバーグ。――おまえを、殺す」


 また言った!

 また言っちゃったよ、この男! しかも今度はバッチリ殺気を放ちながら!


「ちょ、ちょっとロレンス、何してるのよ!?」

「やめてくださいよぉ、ロレンスさぁん!」


 マリィとリリィが慌てて止めに入ろうとするが、我が主がジロリとねめつける。


「ぅ……」


 我が主が纏うガチの殺気に、二人はその場から動くことができなくなる。

 こうなると、シェリィも無視はできなくなったようで、


「突然どうしたのかな、ロレンス君?」

「……審判のときだ」


 我が主が、構えをそのままにしてシェリィへと返す。


「リュミアーナ・フォン・ザルツェンバーグに罪ありき。さらば罰を、贖いを。咎とは即ち浄罪へのきざはし。断罪は我が手に委ねられた。――審判の刻は来たれり」

「ああ、そういえばさっき侯爵様があたし達にお仕置きを頼めとか言ってたね~」


 当然のように我が主の難解な言い回しを意訳で理解し、シェリィがうなずく。

 まぁ、言っていたな。侯爵本人が娘のことを押し付ける発言をしていた。


「なればこそ、死を。『教団』に関わりし者、すべからく地に伏すべし。『闇夜に堕天せし銀仮面の復讐者ダークネス・シルバースター・マスカレイド・アヴェンジャー』たる俺の辞書に、妥協という文字は記載されていない」


 記載されていないのは常識という文字だろうが。

 侯爵が押し付けてきたからって、どうしてそこで全力を尽くそうとするんだ!


「あ~……」


 ほら見ろ、シェリィも困惑しきりという顔でリュミアーナと公爵を見て、


「うん、そだね。じゃあ、殺しちゃおっか」


 なぬゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――――ッッ!!?


「ちょっと、姉さん!」

「シェリィお姉ちゃん、何言い出すんですかぁ~!?」


 ニカっと笑って我が主を肯定する長女に、次女と三女が揃って仰天する。

 しかし、シェリィは「だってさ~」と肩をすくめて、


「ロレンス君の言う通りじゃないかな~って。侯爵様はリュミアーナちゃんのお仕置きをあたし達に委ねたんだよ? だったら、どういうお仕置きをするかはこっちが決めちゃえばいいじゃん。それでこの子は――」


 シェリィの目が、チラリとリュミアーナを流し見る。


「この子は『教団』の一員だったんだから、ロレンス君の復讐の対象なワケ。ならさ、死んでもらうしかないんじゃないかな。ロレンス君の『敵』なんだから」


 当然のように、決まりきったことのように、それが普通であるように彼女は言う。

 マリィとリリィは戸惑いを顔に浮かべ、互いに顔を見合わせる。


「ま、待って……!」


 狼狽に満ちたその声は、リュミアーナのもの。


「私は『教団』なんて知りません! 私が関わったのは本当は『結社』で……!」


 彼女は、大層青ざめきった顔でそう主張する。

 我が主と彼女が対決しながら組み上げた『設定』ではない。純然たる事実だ。


 しかし、この場においてはその事実は、何ら意味を持たない。

 シェリィの報告によって、侯爵は『教団』こそ実在の組織であると思っている。


 今さら『結社』のことを言っても、それこそ誰が信じるというのか。

 遅すぎる事実の告白は、命乞いにもなりはしないのである。


「いやです、私、死にたくありません……! 死にたくなんて……ッ!」


 先程は滅びを望んだリュミアーナが、死への恐怖を強烈に発露する。

 揺れる瞳に涙をためて、小刻みに震え、噛み合わない歯がカチカチ音を立てる。


 正直、見ていられない有様だ。

 何故彼女がここまで追いつめられなければならないのか。私には理解できない。


「ロレンス君、やっちゃって」

「言うに及ばず」


 しかし、追いつめている元凶共は悪びれることもなく、ますます迫っていく。

 我が主が前へと踏み出す。

 ただでさえ重苦しい場の空気が、その一歩によってさらに圧を増す。


「……ぃ、いや!」


 リュミアーナが逃げ出すが、その先は何と壁際。

 半ば混乱をきたしているのか、彼女は自ら退路を狭めてしまった。


「お嬢様――」

「おおっと、ごめんね~」


 見かねたセバスチャンが助けに入ろうとするが、シェリィがその進路を邪魔する。

 マリィとリリィは、何故か突っ立ったまま傍観をしている。


『……我が主』


 他の誰もリュミアーナを助けようとしない中で、さすがに私は口を出す。


『黙って見てて、ロンちゃん』


 しかし、主より返された答えがそれ。

 我が主らしからぬ、力の込められた物言いで、私は言葉を続けられなくなる。


 ジリジリと我が主がリュミアーナへと詰め寄っていく。

 彼女は震える体を壁に押しつけ、顔を絶望に染め上げて我が主を見上げる。


「ゃ、いや、助けて……ッ」


 縮こまるリュミアーナを冷たく見下ろし、我が主が『人喰い鋼牙』を振り上げる。

 本来両手持ちの巨大剣を片手で持ち上げる様は、さぞ威圧的に映ることだろう。


「御覚悟召されよ」

「いや……、いやァ!」


 我が主の瞳がギラリと鋭く輝く。

 そのとき、リュミアーナが激しくかぶりを振りながら、大声で叫んだ。


「助けて、お父様ァ!」


 そして直後のことだった。

 刃を叩きつけようとする我が主に、横合いから何者かが突っ込んでくる。


「うおおおおおおおおおおおおおおおォォォォォォォォォ――――ッ!」


 がら空きになっている我が主の胴へ、その何者かは頭からタックルを仕掛けた。

 それは誰あろう、ザルツェンバーグ侯爵その人であった。


「私の娘に、何をするかッ!」


 しっかりと我が主の腹にしがみついて、侯爵がその顔を娘へと向ける。


「何をしているのだ、リュミアーナ。早く逃げるのだ!」

「ぉ、お父様……」


 リュミアーナは呆然となるが、侯爵はさらに続けた。


「この場は私がどうにかする。おまえは逃げよ。逃げて、生き延びよ!」


 肺の中の空気を全て吐き出すかのような大声で、彼は訴える。

 そこに、先程までの冷淡で無関心な貴族の姿はなかった。


 あるのは、ただ娘の命を救いたい。

 それを願って自らを犠牲にしようとする、一人の父親としての彼。


「――すまない、リュミアーナ」


 アルベルト・フォン・ザルツェンバーグは、我が主にしがみついたまま、謝った。


「おまえをそこまで思い詰めさせたのは、他の誰でもない。この私だ」

「お父様……」

「エリュミーネの墓所に行けずに終わったことを、私は早々に謝っておくべきだったのだ。だが私は、忙しさを理由にしてそれを怠り、おまえに告げるべき言葉を後に回してしまった。そして募る後ろめたさから、おまえを突き放してしまった……!」


 ここぞとばかりに、侯爵は娘に謝罪の言葉を重ねていく。

 そこに出たエリュミーネ、というのがリュミアーナの母親の名前なのだろう。


「威厳ある父でありたいというくだらぬ欲求が、私を謝罪の言葉から遠ざけたのだ。私は仕事を口実にして逃げた。おまえが落胆する顔を見たくないばかりに……!」


 独白を続ける侯爵の声は、深い後悔の色を帯びていた。

 これは、懺悔だ。

 ザルツェンバーグ侯爵から娘リュミアーナに向けた、懺悔の言葉なのだ。


「……一言」


 ギリ、と、奥歯を噛みしめる音を鳴らし、侯爵がその顔を激しく歪ませる。


「たった一言、おまえに詫びることができていれば、それで終わる話だった……」


 ふり絞るようなそのかすれ声は、彼がなお激しい後悔に胸を焼かれている証拠だ。


「寂しい思いをさせてすまない、リュミアーナ。そしてどうか、生きてくれ」

「お父様、お父様ァ……!」


 我が主を食い止めようとしている侯爵へ、今度はリュミアーナが抱きつく。

 その瞳を濡らす涙は、さっきまでとは違う意味を含んでいる。


「ごめんなさい、お父様! 私、悪い子でした、ごめんなさい!」

「よいのだ。悪いのは私だよ、リュミアーナ。さぁ、逃げるんだ。早く、逃げろ」


「イヤです! お父様が一緒じゃなきゃ、イヤです!」

「リュミアーナ……」


 互いに、今度こそ本心をさらけ出し合って、親子は見つめ合う。

 迫る死を前にして、今、この親子は間違いなく家族として強い絆で結ばれていた。


 ……なぁ、さすがにもうそろそろ、いいんじゃないか?


「えっと、侯爵様~、リュミアーナちゃ~ん」


 ちょうど、私が思ったところでシェリィが二人に呼びかける。

 その声に侯爵とリュミアーナはハッとなって、二人して我が主の方を見上げた。


 そこには、腕を組んで仁王立ちをしている我が主。

 右手に掴んでいた『人喰い鋼牙』は、とっくの昔に異空間に収納済みだ。


「……あれ?」


 目をパチクリさせるリュミアーナへ、我が主が告げる。


「之なるは全てまほろば。傀儡を手繰る我が指先の美技を見届けたか」


 意訳『ドッキリ大成功! どう、僕の演技すごかった?』

 うるせぇよ。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 要するに、ブラフだったワケだ。


「何よ~、侯爵閣下ってば、国政万歳なワーカーホリックかと思ったら、リュミアーナちゃんのこと、超絶大切なんじゃないの~。普段から素直になればいいのに~」


 そしてシェリィが、このようにして侯爵を煽る煽る。

 侯爵は無表情に戻って無言を貫いている。

 しかし、その頬がかすかに紅潮しているのを、きっと誰もが見逃していない。


「お父様をそれ以上、貶める発言は許しません」


 リュミアーナが、咎めるような目つきでジッとシェリィを睨む。


「ごめんごめん。もう言わないって~」


 侯爵とリュミアーナは、ソファに隣合って座っている。

 その様子に、何ら隔意は感じられない。ただの親子の姿があるだけだった。


「荒療治よね……」

「本当ですよぅ~……」


 マリィとリリィは共に呆れた様子で自分の姉を見る。

 二人が動かなかったのは、シェリィと我が主の考えを察していたかららしい。


 絶交直前だった親子を繋ぎ止める。

 そのために、我が主は一芝居打つことにして、シェリィもそれに乗ったんだと。


 ……言ってくれよ、そういう大事なことは。


 私は、結局最後ら辺まで気づくことができなかったじゃないか。

 リュミアーナへの殺意は別に信じていなかったが、何考えてるかわからんかった。


 この辺り、肉親というものを持ちようのない私には理解しきれない感覚だ。

 まぁ、それでもやはりマリィの言う通り、やり方が荒っぽすぎると思うけどな。


「……一応、礼は言っておこう」


 やや納得がいっていなさそうながらも、侯爵は小声でそう言った。


「どもども~。あ、これはアフターサービスだから、追加報酬はなしでいいよん♪」


 面の皮が厚いなぁ、この長女。

 だから『猛々しい盗人』なんていう二つ名で呼ばれているんだろうけど。


「だが、感謝はしている」


 侯爵が、ゆっくりと天井を仰いだ。


「正直、目が覚めた思いだ。家族をいたわれとのお言葉を、つい先日陛下からいただいたばかりだというのに、私という男は、何とも情けないものだ……」


 上を向いたまま、侯爵が右手で額と両目を覆う。

 そんな彼を、リュミアーナが心配そうに見つめている。


「旦那様に何の責がございましょうか。何が悪いと問われれば、それはここ一か月の情勢の急変にこそが原因でしょうに。それによって政務の量が数倍になったのが」

「セバスチャン、それは言い訳にはできんよ。私は宰相だ」


 何かを悔やむような執事長の言葉に、侯爵はほんのかすかに苦笑を見せる。

 その所作一つにしても、今の侯爵からは憑き物が落ちたように人間味を感じる。


 だが、ここ一か月の情勢の急変だと?

 それを聞いて、私は何だか猛烈に嫌な予感がし始めてきた。


「あの~、侯爵閣下~? 情勢の急変って~?」

「君ほどの冒険者ならば聞いているのではないかね」


 問うシェリィに、侯爵が答える。


「――エルダーンで発生した、魔王による『大戦布告』のことだ」


 ほら、やっぱり!

 何だよ『結社』のことといい、今回の一件、完全に我が主が元凶ではないか!

 我が主が強く強く拳を握り締めて、硬い声で呟いた。


「許されざる者。その名は、魔王ディギディオン・ガレニウス……」


 おまえのことだよ。

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