第22話 魔王様の妹君は軽くやってしまいました

 ――魔族領ガレニオン・王都ディモニア。


 魔族の都は賑やかだ。

 東西と南北、二本の大街道が交わる中心には、薄灰色の巨城―――、魔王城。


 城門前の広場は昼夜関係なく人々が行き交って、いつでも活気に溢れている。

 五十年をかけて増築され続けた街並みは、今や第六城壁まで建築が完了している。


 魔王城を中心に、街をグルリと囲む城壁が六つ重なっている形だ。

 街の発展と大幅な人口増加に伴って、このような形となった。


 しかし、その割に区画はしっかりと整備されており、スラム街などは存在しない。

 地価については王都というだけで相当高くなるが、それは仕方ないことだ。


 現在、ディモニアの総人口は二百万を超えようとしている。

 これは、人類最大の都市であるエルダーンをも超えて、大陸で最も多い数だ。


 ただし魔族と人類の総人口については、人類の方が全然多い。

 魔族領が一国のみであることが、ディモニアに人口が集中している大きな理由だ。


 そして、それだけの人口を抱えているのに、犯罪発生率はかなり低い。

 もちろん皆無というワケではないが、人類領のエルダーンと比べても相当に低い。


 理由は様々だが、それらを一言でまとめてい言い表すことはできる。

 要するに、魔族の暮らしは『豊か』なのであった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 魔王城の執務室に、ヒステリックな叫び声が響き渡る。


「冗談ではないわ、どうして私が紙束に埋もれなければならないのよ!」


 いささか大きすぎる執務机をバシンと叩いて、銀髪の少女が声を荒げる。

 絢爛豪華な純白のドレスを着た、見目麗しき魔族の少女だ。


 彼女は魔王の妹、『白金の魔女プラティナム』ファムティリア・ガレニウス。

 その異名に相応しい、魔族の中でも格別の容姿を誇る超絶美麗お姫様だ。


 しかし、その美しい見た目も、今は少しばかりくすんでいる。

 腰まで届くゆるく波打つ銀髪は随分と乱れ、ドレスにもインク汚れが点々と。


 しかもインクの汚れは何故か彼女の頬と、額から伸びる二本の角の片方にも。

 今しがたまで、山のように積まれた書類と格闘していたがゆえだ。


 魔王の執務室は相当な広さがある。

 内装は当然ながら魔王の格式に則った豪勢なモノだが、今はただの作業部屋だ。


 少女が座る机の周りに政務の書類が積み上がって塔を作り、しかも連なっていた。

 これでも黙々と書類仕事を続けてきた彼女だが、これが全然減らない。


 それどころか、書類は定期的に追加されるので、紙の山脈は標高を増すばかりだ。

 書類仕事が二十七時間めに突入したところで、ファムティリアはキレた。


「ねぇ、こういうのって内政の担当者がやるモンじゃないの?」


 こめかみをヒクつかせる彼女に、おかわりの書類を持ってきた文官は首をひねる。


「そうは言われましても、これらの書類は全て魔王様の御裁可が必要なものとなっておりまして、担当部署の裁量で進められるものはキチンと進めておりますので」

「これで全部じゃないっていうのね……」

「はぁ、まぁ」


 文官はうなずく。

 その視線は、執務机を囲む書類の山脈へと注がれている。


「あの、やはり魔王様にご復帰願ってはいかがでしょうか……?」


 おずおずとではあるが、文官がそう切り出した。


「魔王様は体調不良でご療養中とのことですが、何とか政務の一部でもお願いできません? 色々と滞りが出かけておりまして、それも魔王様がいらっしゃれば――」

「あなた」


 ファムティリアが、深海よりもなお深い蒼の瞳で文官をジロリとねめつける。


「私を舐めているの?」

「……ひっ」


 彼女がかすかに魔力を解き放っただけで、文官は全身を汗まみれにして呻いた。

 ファムティリアからすれば、威嚇と呼ぶのもおこがましい程度でしかない。


 だがそれだけで、魔族でもエリート層に含まれる文官は、心底から震え上がった。

 存在として、目の前の少女はあまりに隔絶している。


 彼女がその気になれば、自分など指一本で消滅させられる。

 それを思い知らされた文官は、ファムティリアに対し何も言えなくなってしまう。


「ダメだよ、ファム。僕の臣下を怖がらせちゃ」


 そのとき、執務室の扉の方から涼しげな声をする。

 文官が驚いて振り向くと、ファムティリアとは対照的な黒一色の男がいた。


「ま、魔王様……!」

「やぁ、ラルウェン。ご苦労様」


 人のよさが感じられる笑みを浮かべ、魔王と呼ばれた黒い男が軽く手を振った。


「お兄様……」

「そんな目で睨まないでおくれよ、ファム。今日は少し調子がよさそうだから、様子を見に来ただけだよ。すぐに部屋に戻るさ。別にこれくらいはいいだろう?」


 肩をすくめる兄ディギディオンを前に、ファムティリアは魔力を引っこめる。


「ラルウェン、仕事に戻っていいよ」

「は、はい。失礼いたします!」


 文官ラルウェンはディギディオンに深々とお辞儀をして、大慌てで部屋を辞した。

 そして、書類の山が連なる部屋には兄妹のみとなる。


「……で」


 口を開いたのは、ファムティリア。


「部屋に籠っていろと命じたはずですわね、アーカルド」

「ヒマだったもので、つい」


 ディギディオンの姿をした者の声が変わる。

 同時に表情もグニャリと歪んで、それまであった人懐っこさは完全に消失する。


 水面に走る波紋のように魔王の姿が変形し、その容貌は完全な別物と化す。

 鮮やかな金髪を丁寧に切り揃えた、十歳ほどの少年がそこにいた。

 生気のない、死体のように青ざめた肌をしている、真っ赤な瞳をした少年である。


 身長はファムティリアよりも低く、見た目は非常に子供っぽい。

 纏う服装は仕立てがよいもので、その外見は高位貴族の御曹司のようである。


 彼は魔王軍四天王の一人、『水』を司る吸血貴公子アーカルド・ドラクゥ。

 自らが記憶したものに変身できる、ファムティリアが用意した魔王の影武者だ。


「姿まで戻してどうするのです。早々に部屋に戻りなさい」

「え~、ヤ~ですよ~、アー君、ヒマと退屈が一番嫌いなんですってば~」


 何がアー君だ。魔族最年長のクセして。

 眉間に思いっきりしわを寄せて、ファムティリアが胸中で毒づく。


 アーカルドはかつて魔王の外戚だったこともある有力氏族『不死鬼族ノスフェラトゥ』の一人だ。

 強大な魔力と強靭な肉体、そして固有の変身能力が特徴の強力な種族である。


 しかし、種族全体の特徴として総じて刹那主義であり、享楽的な性格をしている。

 一族の代表であり長老格でもあるアーカルドは特にその傾向が強い。


「ね~、ファムお嬢~、せんそーまだですか? せんそー、せんそーは~? ヘッポコ魔王をブチ殺して、もう一か月も経ってるじゃないですか~!」

「うるさいですわね……」


 駄々っ子モードに入るアーカルドに、ファムティリアは辟易して顔をしかめる。

 そんなことは言われるまでもないことだ。


 兄とは思いたくない情けない魔王を焼き払って、自分もやる気は満々だった。

 しかし、そんなファムティリアの前に立ち塞がったのが、この国の『豊かさ』だ。


 惰弱な兄が五十年をかけて築き上げた平和は、彼女の想定を超えて強固だった。

 この平和を下手に壊せば、民はたちまち自分に牙を剥くだろう。


 それが容易に想像できるくらい、民達は今ある平和を享受している。

 これは無理だ。

 力づくで変えようとすれば、たちまち魔族領全土で叛乱カーニバルが開催される。


 兄に劣らず明晰な頭脳を持つファムティリアは、即座にそう結論づけた。

 そして、現状できうる範囲の中で最善の選択をしていくことにした。


 アーカルドを兄の影武者にしたのも、その一環だ。

 ディギディオンが賛同したならば、国を主戦論で染め上げるのも難しくはない。


 多少時間はかかるだろうが、選べる範囲内ではこれが最も早い。

 ファムティリアには、その確信があった。


 だが、それでもまだ彼女の認識は甘すぎた。

 アーカルドを影武者とし、表向きは療養中ということにしたファムティリア。

 政務については、自分がこなせば問題ないと思っていた。


 しかし、終わらない。

 仕事が全く終わらない。どれだけやっても終わらない……ッ!


「そんなに戦争したいなら、まずは私の仕事を手伝いなさい。ここにある書類全てを片付けたら戦争について多少考えて差し上げてもよろしくてよ?」

「……おっと、僕は部屋に戻って療養してないといけないよね。それじゃあ」


 笑顔で迫るファムティリアから逃れるべく、アーカルドは踵を返そうとする。

 ところが一、瞬早く伸ばされた『白金の魔女』の手が、彼の首根っこを掴んだ。


「手伝いなさい。魔王代理命令です。あなたに拒否権はありません」

「やだ~! アー君、書類見ると全身がかゆくなるから、やだ~! 見逃して~!」


「フハハハハハハハハハ! 魔王代理からは逃げられないと知りなさいッ!」

「ファムお嬢、笑い声がラスボス風味だよ~~~~!」

「当たり前ですわ! 私こそが次代の魔王、私こそがラスボスなのですから!」


 と、魔王代理と水の四天王が戯れていたところ――、


 ドバァンッ!


 爆音、もしくは轟音。

 執務室と通路を隔てていた扉が、盛大に開かれたのではなく、破られた。


 扉に使われているのは、強度も十分な魔力を宿した木材だ。

 それが、いともたやすく燃え尽きて炭と化す。燃焼は一秒にも満たなかった。


「よ~う、ファムのお嬢」


 扉を破った張本人が、ノッシノッシと大股に執務室に入ってくる。

 頭が天井につきそうなほどに大きな、真っ赤な鱗で全身を覆った竜人の男。


 アーカルドと同じ魔王軍四天王の一人、『火』を司るサラマンデだった。

 彼の周囲の空気が熱せられて、ユラユラと景色が揺れている。


 サラマンデは何かに憤慨している。

 その内容をほとんど察しながら、ファムティリアは一応尋ねる。


「何ですか、サラマンデ。不躾ですよ」

「何ですかじゃねぇだろうが、お嬢。出陣はいつだ? いくさはいつなんだよ?」


 ああ、やっぱり。

 サラマンデの怒りは、アーカルドの要求と同じことに起因していた。


 魔王軍による人類領への侵攻。

 主戦派の中核たる四天王のいずれもが、それを待ちわびている。


 その中でも、最も焦れているのがサラマンデだ。

 兄ディギディオンに手を下した彼は、この一か月で忍耐を切らしかけていた。


「……辛抱のない」

「あァ!? あの魔王の野郎を消せばすぐに戦争を始められるって言ってたのはあんただろうが! 俺ァ、それを信じてたんだぜ! なのに一か月も待たされてよォ!」


 サラマンデが口から蒼白い火の粉を散らし、ファムティリアに文句を言う。

 だったら書類を手伝えと言いたいが、この男に事務仕事が期待できるだろうか。


 到底無理。

 と、そこまで考えて、ファムティリアはだんだんイライラしてきた。


 どうして自分が文句を言われなければならないのだろうか。

 自分だって、さっさと人類領に攻め込みたいのだ。


 しかし、状況がそれを許さない。

 今はとにかく、ジワジワと国を主戦論に染めなければならない時期だというのに。


 だが、四天王共はそんな自分の苦労も知らず、戦争、戦争と……。

 現状に一番不満を抱えているのは、四天王より自分の方だと何故わからないのか。


 イライラ……。

 イライライライラ……!


 一日以上寝てないのもあり、ファムティリアの鬱憤がいよいよ臨界に達する。


「所詮、あんたもあのクソ魔王と同じかァ、なぁ、ファムのお嬢よォ!」


 そのタイミングで、サラマンデの咆哮が執務室に轟いた。


「…………は?」


 ファムティリアの動きが、その一声と共に止まる。

 彼女の脳裏に、日がな一日読書にふける愚かな兄の姿が克明によみがえってくる。


「……私が、あの男と同じ?」


 そして細かに震え始める、ファムティリアの体。


「私が? あの男と? 同じ? この私が……?」

「うわわわわわ……!」


 震えが増していくのを見て、ただでさえ悪いアーカルドの顔色が一層色を失う。

 なおも震えは激化して、漏れだす魔力が部屋全体を揺らし始める。


「――だったら」


 バゴォン、と、執務机を真っ二つにする、ファムティリアの台パン。


「だったらあなた一人で人類領に行けばいいでしょうがッ!」


 ファムティリアはキレた。

 キレて、言ってはならないことを腹の底からの大声で言ってしまった。


「あ、言っちゃった」


 という、アーカルドの声に「あ」と我に返るも、もう遅かった。


「グハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 大笑い。バカ笑い。

 いかにも嬉しそうな、サラマンデの呵々大笑。


「グッハハハハハハハハハハ! そうかそうか、行っていいんだな! よぉ~し、それじゃあ早速仕掛けてくらァ! ガハハハハハハハハ! 吉報を待ちな!」

「あ、ちょ、ま……」

「グハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハァ~~~~!」


 ドゴォン!


 サラマンデは背の翼を広げて、笑いながら天井を突き破って飛び去った。

 あとには、手を伸ばしかけて固まるファムティリアと、傍観しているアーカルド。


「あ~ぁ~……」

「あ、あの、アーカルド……」


 ファムティリアが彼の方を見る。どこか、すがるような感じで。


「……アー君、知らないかんね?」


 だが、アーカルドは全くの他人事だった。

 固まって数秒、ファムティリアはかすかに口角を上げて、執務机を魔法で直す。


「――書類を片付けますわ」


 その笑みは、諦めの笑みだった。

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