六.

 何故、誰も自分を見てくれない。

 何故、皆僕から離れていく。

 ただ、認められたかっただけなのに。ただ、傍にいて欲しかったのに。

 どうして。どうして。どうして。どうして───!


 ***


「君達本当に人間ですか?……ここに入れた時は確かに人間だと思ったのに、おかしいなぁ」


 先程までは知らない場所にだと言っていたのに、今は確かに自分で入れたと池波は言った。


「それは良かった。人間に見られてなかったらなかなか会えないと思ってたので。じゃあもう隠さなくていいですね。ちょっと不便ですし」


「戻しちゃいますか」と軽く葵の額の辺りを撫でるような動作をし、角が再び現れる。

 瞬き一つの出来事はさながら手品のようだ。感嘆の声を上げながらつい角を触ってしまった。

 その間にも二人とも元の姿へと戻る。といっても、瞳と髪の色が黒から戻り、角が生えただけなのだが。


「鬼……そっか。なんで鬼がこんな所に来てるのかな?」

「白々しい。俺たちが初めてじゃねぇだろうがよ」

「生憎、僕は鬼が来る理由なんて分からないな」


 表情一つ変えない池波。

 明らかに知っているはずなのに、平然と知らないと頭を振る。

 この人は、何なのだろう。最初から時々初対面でも分かるような嘘をついていた。本当に些細な事。けれど、積み重なる事に辻褄が合わなくなっていた事に葵は気付いていた。

 横目に黒緋の鈴を見る。鈴は銀色の綺麗な鈴だったはずなのに、今は全体が赤黒く変わっていた。だが、今は鳴っていない。あんなに鳴っていたのに。


「もしかしてこの鈴……池波さんが黒緋さんに嘘をつくたびに鳴ってた……?」

「気づきました?よく分かりましたね」


 黒緋が小声で話しかけてきたので、少しだけ頷く。

 確信がある訳じゃないが反応的にあっているようだ。

 でも、恐らく全ての嘘に対したものじゃない。多分この鈴は

 実際葵や、黒緋の前に立つ暁月に対して話してる池波の言動には反応がない。


「覚えが無いわけねぇだろうが。気配は感じるから分かんだよ。てめぇが閉じ込めてんだろうが」

なんで邪魔するのかな。僕はただ、彼女に泣いて欲しくないだけなのになんで邪魔するのかな。彼女のためにやっているのに……」


 苛立ったかのように池波は俯きながら自身の髪を掻き回す。元々乱れていた髪が更に酷さをます。

 ひとしきり掻き回した後、ゆっくりと顔を上げた池波は葵を見た。

 まるで直前の乱心具合が嘘かのような、酷く落ち着いた様子だ。

 忙しなく表情が変わる池波は酷く不安定な存在に感じる。

 ふらりと一歩近づいてきたかと思うと、


「───あぁ、君の瞳いいね。彼女が好きそうな色だ。その瞳くれないかい?」


 一瞬にして離れた距離にいたはずの池波の手が眼前に迫る。


「っおい、逃げろ!」


 背中越しに振り返った暁月が切羽詰まった声で叫ぶ。

 もうすぐそこにあるのだ。避けるのが自分には無理だろう。池波の手が、瞳を抉るのかもしれない。だが、仕方ない、間に合わないだろうから。

 諦めに似た気持ちと共に、こんな時なのに目を抉られるのはどんな痛みだろうかと考える葵。

 指が眼球に触れかけても目を開いたままじっと身動きをしない葵に、何かを感じたのか少したじろいだ様子を池波は見せた。

 僅かな隙を見つけ、横から腕を引っ張られ黒緋へと引き寄せられた。

 バランスを崩し、持たれるように黒緋に背を預けた葵。

 僅かに指が触れていたのであろう。右眼に微かに痛みが走った。


「ありがとうございます。黒緋さ───」

「瞳、大丈夫ですか」


 右眼を押さえながらもお礼を言おうと口を開いた葵を、黒緋の言葉が遮る。


「あ、はい。軽く触れたかなってぐらいなので」

「そうですか。説教は後にして、とりあえず今は酷い怪我を負わなくて良かった。さて」


 葵の頭を軽く撫で、黒緋は自身の目の前に立つ池波へと視線を向けた。

 池波は黒緋と暁月に挟まれる形となるが、焦った様子はない。


「やだなぁ。そんなに怖い顔しないでくださいよ」

「さっきから言っている『彼女』はどこにいるんですか?」

「彼女はちゃんとこの家に居ますよ。ただ、ずっと泣き続けて話をしてくれないから……。分かりませんか?ほら」


 池波が天井を指さす。

 耳を澄ましてみて気づく。確かに聴こえる。それまで聞こえなかったのが嘘かと思うほどの。悲しみ、苦しみ、怒り、恐怖。様々な感情が入り交じった言葉にならない数多の悲鳴。


「最悪だな。一体どんだけ捕まえてんだこいつは」


 暁月が吐き捨てる。

 目の前の男はこの声が聞こえているのに、それでも平然としている。罪悪感なんてまるで感じていないのだろうか。

 一体この声の主達の誰が池波の言っていた『彼女』なのか葵には分からない。

 けれど、聞こえてくる声は全て胸がえぐられるようなものだ。

 それに、


「なんで……あんなに黒いんだ?」


 見えたのは所々灰色だが、ほとんど黒く塗りつぶされ形も歪に歪んだ池波の魂であろうもの。

 茨のようなものが絡まり、血のようにどろどろと何かが垂れては消えることを繰り返すそれは、禍々しいはずなのに酷く痛々しくも思えた。


「あれが、罪の……穢れの溜まった魂だよ。葵。それにしても凄いねこれ。生前の穢れと死後の穢れ、彼自身の執念が魂の形を変えて、原型をあまりとどめてないや」

「あんなふうになるの……穢れって」


 横に突如現れた天音は嫌そうな表情を隠そうともしていない。

 詩月に貰った本にも確かに穢れが溜まると、黒く染まっていくと書かれていた。

 どれほどの罪を犯したというのだ。


「多分、あれは生前の穢れだけじゃなくて、死後の穢れもあるよ。茨は……たぶんここに閉じ込められた人達の怨念とかじゃないかな。もしくは彼自身が作ったものか」


 痛みを感じてでも『彼女』の為にと長い間近くに居た他の魂を閉じ込めてきたのだ。

 池波にとって、それ程『彼女』の存在が大きいのだろうか。


「痛そうだと思いますか?ですが、自業自得なんですよ。もっとも彼は痛みを自分の痛みだとすら認識出来てないでしょうが」

「なんの事かな?」


 池波は本当に分からないのだろう。首を傾げたまま、黒緋を見ていた。


「一つ聞く。池波、てめぇは自分が罪を犯してるっていう自覚はあるのか」

「ないですね。だって、ここに居れば皆自分のままでいられて、消えることもない。それに、彼女も寂しくない。今はまだ数が足りないから彼女は泣いてるけど、また前のように笑ってくれる。寧ろいい事をしていると思いませんか?」


 鈴は鳴らないということは、本心か。

 笑みを浮かべる池波に、響く声は一体どのように聞こえてるのか分からない。

 ただ、葵に分かるのは一つ。


「狂ってる……」


 ため息を着いた暁月が黒緋に視線を向ける。


「予想はしてたがここまで来たらやっぱり無理だろうな。黒緋を連れてきて正解だった。やれそうか?」

「勿論。『彼女』も待ちきれなさそうですよ。それに、私もあまり聞いていたくないですね。実に耳障りです。───ねぇ、池波亮司さん」

「あー……。かなり怒ってんな。これは俺も離れといた方がいいか」

「ただ、こういう人が嫌いなだけです」

「ったく、よく言う」


 暁月が葵の傍に来て袖を軽く引っ張る。

 見ると暁月に「こっちに来い」と入口付近へと連れて行かれた。

 鈴を左手で触りながら黒緋が池波の顔を覗き込む。

 それまで流暢に話してた池波の口が閉じる。笑みは消え顔は強ばっていた。

 気にせずに黒緋は続ける。ゆっくりと、言い聞かせるように。


「生前もそうやって自分を持たずに他人に依存してきたんでしょう?都合が悪くなれば他人のせいにして、自分は悪くないと言って。自分を守りたいが為に相手に嘘をつく。相手がどう思おうが気にもしないで」

「ちがう」


 池波が小さく首を振る。

 目は瞬きを忘れたかのように開かれ、壊れたように否定を繰り返す。───嘘を着く。


「嘘をついて、嘘をついて、嘘をついて。家族にも友人にも離れられて。それでもようやく見つけた大切な人にも、良く見せようとした結果着き続けた嘘で関係が壊れて。関係が直らないなら、孤独になるぐらいならっと手に掛け。いやぁ実に滑稽ですね」

「やめろ。僕は悪くない。僕はただ彼女の為にやっただけだ。孤独じゃない。家族にも友人にも好かれてた……」


 鈴が再び鳴る。

 呟きはまるで自分に言い聞かせているようだ。

 灰色がかっていた池波の魂が黒に侵食されていく。

 怯えたように身体を震わせる池波の耳元で黒緋は、


「楽だったのでしょう?他人に依存するのが。今だってほら、自分の為に『彼女』を利用している。『彼女』の為にと言って自分を正当化させて、やってる自分に満足してる」

「───五月蝿いっ!!それ以上知ったように言うなぁぁぁ!!」


 目をきつく瞑り耳を塞いで絶叫した池波に呼応する様に、空間が揺れた。

 そして、ゆっくりと顔を上げ、黒緋を睨みつける。


「やめた。君たちを此処に留めておくのは。君たちは危険だ。此処を壊されてたまるか。───そうだ、食べてしまおう。そうしたらこの空間をもっと広く強くできるから。……食べてやる。食べてやる」


 池波から溢れ出すように黒い液体が溢れ出し、池波を包み込む。そして、人の形すら保たず、全体に茨がくい込んだ粘度の高い液体をした醜悪は化け物へと変わった。

 全体の至る所に顔が浮かんでいる。性別は分からない。ただ、その全てが苦しみ、悲しみ、絶望している。

 部屋も化け物の大きさに合わせるように広くなる。


「人で在ることをやめたか。それにしても何でもありだなこの空間。どんだけ喰って力溜めたんだよ」


 化け物は既に言葉を話すことは無く、地に響くような鳴き声を発するだけだ。


「お陰で動きやすくなりましたがね。暁月は残りの魂を後で頼みます。さて、───お待たせしました。『椿姫つばきひめ』」


 暁月が頷いたのを見て、黒緋が腰から鈴を吊る下げていた紐を解き、手の平へのせる。


「遅いぞ、黒緋。あぁ腹が減った。今回は喰っても良いのか?」


 鈴から声がした。老人のような話し方をしているが、声はそれに反するような幼い女の子のような声だ。


「えぇ。勿論」


 黒緋の言葉に歓喜する様に笑い声が響き、鈴が眩い光を放ち一振の刀へと形を変えた。

 刀を構えた黒緋は小さな笑い声を漏らす。


「───よく見ておけ葵。今から起こることを。そして知れ。大罪を犯した者の末路と───お前が傍にいる奴がどんな奴かを」


 暁月の言葉を合図にしたかのように池波亮司であった化け物が咆哮をあげ、黒緋へと襲いかかった。

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