三
「───もう、目を開けて貰って大丈夫ですよ」
浮遊感を一瞬感じた後、喧騒が目を閉じた葵の耳に入る。
ゆっくりと瞼を開き、眩しさに数度瞬きをする。漸く慣れてきた葵の瞳に映ったのは住宅の連なる道を行く人々。
通勤のためだろうか、スーツを着込み慌ただしく歩いていくサラリーマンらしき男性や、二人で楽しそうに談笑しながら歩く若い女性達。横断歩道で「ぴよぴよ」と鳴る青の信号機と、通り過ぎて行く車。
見たことも無い場所なのに、見慣れた光景。少し前まで、自分がいたであろう世界がそこには広がっていた。
後ろを振り返ってみると地蔵菩薩が置かれており、その奥に苔がところどころ生えた石階段が上へと伸びている。どうやら寺院らしいが、人の気配がなく閑散とした感じがした。寺を囲むように植えられた木々も合わさり、ここだけが忘れ去られたかのような雰囲気だ。
「自分達の事は他の人には見えていないんですね。なんだか、変な感じがします」
「えぇ。
角が出たままの人外の自分達に誰も反応せず、皆通り過ぎて行く。
見られてしまったら大騒ぎになるだろうから良かったのだが、それでももう今見ている世界へ戻ることが出来ないのが少し寂しく感じた。
寂しさを誤魔化すように軽く頭を振り、仕事をしなければと気持ちを切り替える。
「それで、これからどうするんですか?」
「とりあえず───今回の迎魂対象を探す所からですね。何処にいるかあまり分かってないので」
「えっ、分からないんですか!?」
「はい。この仕事の一番えーと……ネック?な部分なんですよね。今地蔵菩薩があるじゃないですか。実は、地獄からの転送だと閻魔大王の本地仏と言われる地蔵菩薩や、地獄に縁のある場所しか送れないんです。なので、対象の亡者の一番最寄り地点に転送されて、あとは探さなきゃ行けないんですよね。大多数はツテがあるので困らないですが、転送地点が少ない場所だと少し大変だったりします」
「なんと非効率な」と考えずにはいられなかった。本当のところ、着いて直ぐに亡者の元だったという流れだと勝手に想像していた。
それにしてもツテがあると言っていたが一体どうするのだろうか。台帳には対象者の姿は描かれていなかったのに。
「どこでしょうか」と黒緋が何かを探るかのように辺りを探していると、どこからか声が聞こえた。渋く、深く響く落ち着いた感じがする男性の声。
「───やぁ、黒緋。捜し物かい?」
「はい。二つあったんですが今一つ見つかりました。ちょうど貴方を探していたんです。気配はあったので近くにいるのは分かってましたので」
「それは良かった。なんだか今日は君に出会えると思ってね。ちょうど道が開く感じがしたから来たんだ」
人の姿はないのに一体何処からだろう。
視線をさ迷わせると、石階段にいつの間にか座っている一匹の猫に目が止まる。毛並みの良い三毛猫がこちらを見ていた。
よく居る猫のようだが、何か違和感がある。
注意深く見ると違和感の正体に葵は気づく。おかしいのは尻尾だ。普通の猫には無いはずのものがある。そう、その猫の尻尾は二股に分かれてたのだ。
横目に黒緋を見ると、黒緋もその猫へ視線を向けているのが分かった。
「黒緋は久しぶり。そして初めましての目覚めたばかりの若鬼の兄さんの為に自己紹介を。俺は周りから
大福と名乗った猫又は軽やかな足取りで葵達の元へと来た。
大福は人間にも化けることもある猫又らしく、人間時は名前が少し違うらしい。
「今日は猫の姿なんですね、大福」
「まぁ基本はやっぱ猫だからこちらの方が楽だからにゃ……っと。また出ちまった。この姿だと気を緩めると直ぐにこの話し方に戻っちまうにゃ」
「気にしなくて良いかと。それに、これから葵とも関わる時間が長くなるしどうせすぐバレましよ、きっと。君は猫だと話し方戻っちゃうからね、昔から。むしろ今日はよく持っていたんじゃないかな」
笑顔でさらりと失礼なことを言っていた気がする。
聞いている感じ、昔からの知人らしいし黒緋が口調を少し崩して話すほどお互いを知った仲なのだろう。少なくとも葵はこの二週間程の間これほど崩して話しているのを見たことがなかったのだから。
それにしても───
「猫……可愛いなぁ」
「にゃんだ?触るか?」
「うぇ!?い、いいんですか!?」
「勿論」
許可を貰い、触ってみると長毛のせいかふわふわとした感触がした。
「おぉ。もふもふで、ふわふわだぁ」
「葵だったか?にゃかにゃかいい撫で方する」
喉を鳴らしながら好きに撫でさせてくれる大福に甘え、思う存分撫でる。
幸せだ。若干なんの為に来たのか忘れそうになる。
頬を緩ませて至福に浸っていると、黒緋が横から大福に声を掛けてきた。
「───さて、大福。今回は貴方が珍しく依頼 をして来たと聞いたけど、どうしたんですか?場所も貴方が知っていると言われました」
ぴくりと耳を動かし、葵の手から抜け出しす大福に少し名残惜しく思ってしまった。
「そうだった。俺に良くしてくれた人にゃんだが、実は───消えかかっている。だから、迎魂を申請した。頼む、あいつを───
聞けば今回の対象である佐久間日向は、大福が怪我をした際に看病をして世話をしてくれたらしい。
たまたまドジをして妖の大福にとっても癒えるまでに時間がかかるような傷を負った。
それを彼女がたまたま見つけ家に連れ帰り、手当をしたらしい。
彼女はとても明るく活発な女性で、近い歳の婚約者もいた。
大福を優しくなでながら嬉しそうにそんな彼との未来を想像して話していたらしい。絶対に幸せになると意気込んでいた彼女。「今は無理だけど、引越しをしてもし良ければ一緒に住もうね」とも言っていた。
───だが、そんなある日悲劇が起こった。
その日は日向の誕生日だったが、運悪く土砂降りの日で。それでも彼が会いに来てくれると急いで帰っていたらしい。傘をさしながら視界が悪い中帰路を急いでいた日向は、しかし、あと少しで家に着くというところで事故にあった。
歩行者信号が青になり渡ている際、車が突っ込んできた。
彼女ははね飛ばされ、壁にぶつかり打ちどころが悪くそのまま亡くなった。
運転手は急に心臓発作を起こしたらしく、そちらも亡くなっていたらしい。
「俺も直に見たわけじゃにゃいが、信用する猫仲間から聞いたにゃ」
項垂れながら語る大福。
知ったのは彼女が亡くなった少し後らしい。
その時は既に怪我も治っていて外で暮らしていた大福は急いで彼女の家に向かった。
だがその時には既に葬儀もその後の手続きも終わっていたらしく、家族によって片付けられた部屋はあまりに殺風景で、冷えきっているように感じた。
人はあっさり死ぬ。大福は長い年月を生きてよく知っていた。若かろうと、年老いていようと人とは些細なことで居なくなるのだ。
仕方ない事だ。最期に会えないのも良くあること。むしろ旅立つ最後に会える方が少ないのだ。
これでこの二人と関わることも無くなるからと、最後に時々来た時に看病してくれた婚約者を見に行った。
「けど、そこに彼女がいたにゃ。自責の念に駆られている彼に付き添うように憑いていた」
けど、そこに居た彼女は大福の見た事のない彼女だったらしい。
いつも笑っていた彼女は泣いていたのだ。
猫又姿の大福が見えるはずなのに、見ることもせず。声を掛けても返してくれず───ただただ泣いていた。何かを彼に言おうとしていたのは分かるのに、大福には聞こえなかった。
「聞こえないんだ、何を言ってるの」と何度聞いても返事はない。届かない。
やがて、彼女は薄れ始めた。
このままでは消えてしまうと、大福は焦ったらしい。
「黒緋、頼むにゃ。人はすぐ死ぬし、関わりもそんにゃににゃい。彼女は優しい。こんにゃ俺を助け、看病してくれた。久しぶりに一緒に住もうと言ってくれた。けど、今のままじゃ彼女は消えてしまう───転生できにゃくにゃってしまう。彼女が消えてしまうのは嫌だ。だから緊急で出した。仕事として。だから、二人にお願いだ───彼女を助けて欲しい」
「もちろんです。そもそも仕事じゃなくても君の頼みなら断ることなどしませんよ」
「俺なんかで良ければ」
人間のように頭を下げ頼み込む大福に、葵も黒緋も断ることはしなかった。
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