二.

「あ、降りてきましたね。うん、よく似合ってる」

「ありがとうございます。……もしかして、今日の朝ご飯も……?」


 下に降り、台所でガスコンロを使い何か作っている黒緋に制服姿を見せると満足気に頷いた。

 黒緋の今の姿は着物に割烹着姿だった。中性的な顔立ちのせいもあるが、違和感を感じない程似合っている。

 葵の鼻腔を先程からくすぐるのは甘い香り。香りは黒緋が持っているフライパンからだ。


「はい。朝ごはん、ホットケーキです」

「そうですか……。とりあえず1度着替えてきますね」


 思わずため息が出が出るのを必死に堪える。

 部屋に戻り、普段着る袴姿になる。

 実はここに来てから家での朝食はほぼホットケーキなのだ。バターとはちみつのかけられたホットケーキは確かに美味なのだが、連日だと流石に飽きてきてしまう。偶にジャムが付いたりするがそれでもホットケーキ続きはキツい。


「おかえりなさい。───ホットケーキ流石に飽きてきてしまいましたか?」

「えっ!?いや、そんなことは無いですよ!」


 台所に降りて直ぐ、心を読まれたかのようなタイミングで問われた。

 咄嗟に否定をする。

 飽きたなどというのは、作ってくれている黒緋に対して失礼だ。それに、美味しくはあるのだ。

 チリリン。

 言った瞬間小さく一回、黒緋が付けている鈴が鳴った。


「気を使って無理しなくて大丈夫ですよ。見たら分かります。それに作っている私が言うのもなんですが、実はそろそろ飽きてきたんですよね。最近中々現世に買い出しに行けてないので、ワンパターンになってしまったのがいけませんでしたね」


 あっさり見破られてしまった。黒緋に分かってしまうほど、顔に出てしまっていたのだろうか。

 ホットケーキが続いているのは、どうやら簡単に出来るから───というよりは、ホットケーキしか作れないのが正しいらしい。本人曰くと言うのだから驚きだ。

 ホットケーキだけ作れるのは、黒緋の好物だったというのと回数を重ねた結果との事だ。その為、まともに作れるホットケーキが続く事態になっているらしい。


「いや、これでも頑張りはしたんですよ?でもどうしても切ったりするのが上手くいかなくて……味付けもなんですが。それに比べてホットケーキっていいですよね、混ぜるだけだし簡単でそのうえ美味しい。現世に行くと必ず買いますね、ホットケーキミックス。───まぁ本当はちゃんとした朝食食べてみたくはあるんですよ?ただなかなか難しくて。そんな訳で葵───作れたりしませんか?」

「何が『そんな訳で』なんですか……。でも、作って頂いてばかりじゃ申し訳無いので、作ってみます。上手く作れるかは分かりませんが……」

「本当ですか!いやぁ、嬉しいなぁ!店以外で誰かに作ってもらうのなんていつぶりでしょうか」


 想像以上に喜ばれたことに驚愕する。

 黒緋なら作ってくれる人多そうなのにと思うが、言わないでおく。


「とりあえずご飯食べましょうか」

「そうですね。あ、レタスとか卵もあるんだ……なんか卵黒いけど……。じゃあ……。黒緋さん、フライパン借りてもいいですか?」

「えぇ、どうぞ……?」


 何をするか分からないという様子の黒緋を尻目に、何故かある冷蔵庫を開け、食材を取り出す。

 軽く油を引いたフライパンに卵を割って落とし、少量の水を入れ蓋をする。卵の中は見た目とは反し、濃いオレンジ色の黄身をしていた。

 その間に、皿にホットケーキを載せちぎったレタスを添える。

 程よい感じに火が入り、半熟になった目玉焼きをホットケーキの上に載せ、軽く塩コショウをする。


「材料が少ないからこれぐらいしか出来ないけど……。マヨネーズとかあればなぁ……」

「ありますよ、マヨネーズ。前に現世で買ってきたんですよね。お酒のつまみにあたりめに合うので」

「良かった。……というかお酒とか飲むんですね」

「えぇ、日本酒が一番好きですが基本何でも飲みますよ。葵も良ければまた今度晩酌しましょう。あ、これ美味しい。卵が半熟なのもまた。ジャムとかはちみつ以外にもこういう食べ方もあるんですね」


 ホットケーキをフォークで食べながら感動している黒緋の様子が嬉しく、笑みが口元に浮かぶ。

 喜んでくれるのは素直に嬉しい。


「にしても、この卵濃厚で美味しいですね。なんの卵なんですか?」


 黄身を割り、ホットケーキに絡ませながら味わう。

 これなら卵かけご飯とか最高なんじゃないだろうか。


「良かったです。この卵ですか?これは死喰鳥しくいどりの卵ですね。獄卒としても優秀な鳥なのですが、地獄でえーと……メジャー?なんですよね。濃厚で美味しいと人気なんです。現世と地獄では時の流れが異なるので、現世の卵は長持ちしないんですよ」


 聞いた瞬間せた。

 字面が物騒なのは気のせいだろうか。それに獄卒という事は、やはり食べてるのは───

 そこまで考えてから止める。

 やめよう。ここではそれが普通なのだから。

 視界に先程まで美味しいと思っていた卵が映るとやはり食べにくくなり、フォークを置く。


「あ、食べにくくなっちゃいました……?地獄では普通なので、つい。でも、葵には食べにくいかもですが地獄にはこういったものが沢山あります。現世で人間達が生き物を殺し食べるように、地獄でも多少の差はあれど同じなのです。まぁ地獄に堕ちる亡者はまた復活するので、そこは違うかもですが」

「えっ、生き返るんですか?」

「そりゃあ勿論。だって───死んで終わったら意味が無いじゃないですか。死んでも、死んでも終わらない。苦しんで、苦しんで。そうじゃなきゃ地獄に堕ちる意味が無い。それだけの罪を犯したから堕ちるのだから。だから地獄が、私達獄卒が居るんですよ」


 黒緋の瞳から光が失われたように感じた。基本にこやかな表情が多いと思う黒緋だが、その時は口元は笑みを浮かべているのに、瞳はとても冷淡で。二週間で同居人の全て分かるなんて無理だと分かっている。だがそれでも酷く嬉しそうに言う黒緋は、この二週間で見た事がないような表情をしていた。

 しかし、次の瞬間には見間違えかと感じる程直ぐに消え失せ元に戻る。


「まぁ、それは置いといて。ここで生きていくとなった以上、生きるために食べなくては行けません。私達鬼や妖は永遠に近い年月を生きます。しかし、食べなければ飢える。だから酷な言い方をしますが、慣れてください。直ぐにとはいいませんから」


 現世と同じなのだと黒緋は言った。

 この二週間気にしたことがなかった。だが、その通りなのだ。確かに、空腹を覚えた。人間と同じで。死なないためには食べなければいけない。

 食べないという選択肢もある。だが今食べなくとも必ず食べなければならない。食べないと言うことは、今ここに使われている物を無駄にするということだ。

 もう一度、先程まで食べていた卵に目をやる。黄身がトロリと流れ、ホットケーキにかかっている。

 これは、復活するとは言っていたが元は自分と同じ人間だったものを食べて出来たもの。だが、確かに現世でも人を殺した生き物を、食べたかもしれない生き物を常にとは言わないが食べていたと思う。

 生きるためにはどの生き物も他の生物を食べなければならない。

 完全に受け入れた訳では無い。聞いてしまった以上、食べにくいのは確かだ。だが、自分がきっと生前何気なく食べていた物は何かの生前を犠牲にしていたのだ。

 ならばせめて───。

 ゆっくりと目の前で手を合わせる。食べる前にもやったがもう一度、自分の覚悟を表すように。

 きっと生前の自分はただ習慣で言っていたと思う。けど、改めて再認識する大切な気持ちを込めて。


「───いただきます」


 感謝を込めながら言う。

 そして食べかけていた食事に手を付けた。


「貴方は優しいのですね。だからこそ───」


 最後の言葉は葵には聞き取れなかった。

 勝手に浮かんできた涙を拭うこともせず、味を噛み締める。

 はたから見たら大袈裟に思うかもしれない。

 しかし、ほんのり暖かい朝食は簡単なのにやはりとても美味しく、葵にとって忘れられないものとなったのだった。

 泣きながらになったものの朝食を終えて一息付きながらお茶を飲んでいると、部屋にポップな感じの音楽が響いた。

 音の出処を探すと、黒緋が自身のスマジゴを取り出し確認する。


「少し席を外しますね。電話が来てしまって」

「あ、どうぞ……!」


 断りを入れてから耳に当て、電話相手と何か話をしながら立ち上がり部屋を出ていく黒緋。

 スマジゴから男性の荒い口調が聞こえてくるが、何を言っているかは分からなかった。

 しばらくして「やれやれ。すぐ怒るんですから……」とぼやきながら帰ってきた。

 続いて元の場所に座り直し、何かを念じるかのように目を閉じ一度両手を叩く。そのままゆっくりと手を離していくと、両手の隙間から青白い炎のようなものが溢れはじめる。隙間があけばあくほど、その炎は大きくなり、やがてひとりでに空中に浮いた。

 何も言わずに黙って葵が成り行きを見ていると、炎は形を変え、濃紺の大福帳綴だいふくちょうとじの和本わほんが現れる。

 手に取った黒緋が、卓上に見えるように置く。分厚さがある和本の表表紙おもてびょうしの中央には“迎魂台帳げいこんだいちょう”と書かれている。


「……台帳?」

「これは読んで字のごとく私達迎魂科の対象者リストです。送魂科もいくつか分かれていますが、台帳に出た名前の方を御迎えに行くことになります。近年こちらも人手不足ならぬ鬼手不足なので、亡くなった方を直ぐに裁判にかけ、次の転生先を示すことが難しくて。裁判の順番が来た方がここに乗ることになります」


 再び台帳が淡い光を放ち、下から上へと勝手に紙がめくられていく。そして、とある一ページでピタリと止まった。

 達筆な筆文字で書かれた名前と、その人の命日であろう日付。


「───葵、貴方の初仕事が入りました。着替えたばかりですが、もう一度先程の服を着てきてください。これから現世へ行きます」


 まさか制服を貰ってこれ程早くに初仕事になるとは。

 僅かに残っていたお茶を飲み干し、急ぎ足で着替えに戻ったのだった。


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