十一.

 引きずり込まれた割に着地は緩やかだった。

 マットの上に立ったかのような不安定な足場が、衝撃を緩和してくれたのもある。


「着いたよ葵。……本当に、恐怖心とか絶望が強い魂を好んで喰らうなんていい趣味してるよね。部屋は悪趣味だし、空気も悪いし俺ですら気持ち悪くなりそう」


 目を開けると、赤黒く生暖かい空間。壁には血管のようなものが張り巡らされており、脈打っている。体内に取り込まれたのだと実感する、おぞましい光景だ。

 正面にはこの場所に似つかわしくないような重厚な扉がある。

 足元に気をつけながら近付くと、南京錠があったが鍵はかかっていないみたいだ。


「どうやら、来いってことみたいだね」

「そもそもなんで俺を取り込もうとするのかな……?」


 扉が軋みをあげながら開く。

 中を覗き込みながら葵は疑問を口にする。

 鬼と言うだけなら黒緋や暁月でいいはずだ。その方が力が強くなるだろうから。

 入ったら出れなくなりそうで、尻込みする。


「それは、葵の方が取り込みやすかったんでしょ。元々だし、恐怖心を強く感じてくれればもうバッチリ好みの味になる。……まぁ味があるかは知らないけど。あとは純粋にあの二人には力では勝てないし、精神的に弱らせたくても無理だと思ったんじゃない?特に取り込んだら自分が内側から壊される可能性の方が高そうだし。黒緋とか特にお腹壊しそうだよね。まぁざっくり言うと葵が一番見ただけでも分かるぐらい戦闘に関して弱くて、尚且つ自分の力の糧として上手く取り込めると考えたってことだと思うよ」


 答えてくれたが言い方が何気にきつい気がする。確かに弱いのも事実なんだけど。

 出会ってからの行動や言動を振り返ると、やっぱりアオは葵の事が嫌いなのでは無いだろうかと思う。


「本当に嫌になるよね、この場所」


 葵が死んだらアオも消えてしまうから仕方なく来てくれているのだろう。

 天音もアオも葵の一部だとは言うが、二人が自我を持つということは、感情を持つということなのだから。

 葵のせいで怪我をしていたら尚更嫌いになられても仕方ない。

 それでもやはり凹んでしまう。


「何凹んでるの?」

「いや、本当に自分一人だと何も出来ないんだな……って。アオも多分俺の事嫌いだと思うのに付き合わせてるだろうし……」

「え?そんなの当たり前でしょ?」


 肯定され項垂れていると、アオが嘆息する。


「違うよ、一人で出来ないことが当たり前だって言ってるの。だからこそ助け合うし、それによってより関わりが深くなっていく。一人で生きるなんて無理なんだから。───あと、何を勘違いしてるか分からないけど、俺は葵の事嫌ってないから。……何その顔」

「いや……そう……なんだ」


 驚きで言葉が出ない。

 ぶっきらぼうに言ってそっぽを向く。


「もうっ!というか今、俺が葵を嫌ってるかとかそんな話いいから!行くよ、葵!!」

「えっ、いや、ちょっと待って!まだ心の準備が!?」

「そんなもん待ってたらいつまで経っても進めないでしょ!さっきまでの助けるって宣言した気持ちどこいったんだよ。俺はこんなとこさっさと出たいんだから!ほら、早く!」


 焦れったそうに腕を捕まれ、腕を引っ張られた。

 強引に中に連れていかれため、覚悟を決める余裕もなく足を踏み入れた。

 背後で扉が閉じ、暗闇で前が一瞬見えなくなる。

 直ぐに周りの明かりがつき周囲が見えるようになる。

 固唾を呑んで辺りを見渡す。内装は先程と変わらない。先は見えにくいが一本道で道に迷うことは無さそうだ。

 後ろを振り返り閉じた扉を見るが、鍵穴はない。試しに開こうとしてみたが無理だった。

 先に進むことに恐怖で足が震えるが、目的を思い出し決意を固める。

 足を止めても現状は変わらない。なら、前に進むしかない。

 歩みを進めると、開けた空間に出た。

 中心には取り込まれる前にみた化物。だが、大きさは小さい。


「あれが、本体だよ。もう理性がないどころか人の形を保ってすらないけどね」

『タベタイ、タベタイ。タリナイ。タリナイ』


 声が聞こえる。池波の声だ。

 触手が葵に向かって伸びてくる。緩慢な動きのため、葵にも避けることは出来る。


『コワイ。コワイ。イヤダ。イヤダ。ボクヲミテ。ヒトリハイヤダ。モットチカラガホシイ』


 言っていることに脈絡がない。

 ただ分かるのは孤独を酷く怖がっていること。

 孤独を恐れて、周りを巻き込んだ。

 彼処まで平然と嘘をつき、他の魂を捕らえて喰らっていた姿からは想像出来ない。


「ああ、見えた。あれが池波の───化物の本体『核』だよ」


 指さされた方を見る。やはり最初見た通りかなり歪な形をしている。

 それにしても、よくあの二人は攻撃を平然と避けながら話せているなと思う。

 葵には無理だと実感する。今のですら同時に何かすることに苦戦しているのだ。


「どうすればいいの?」

「近寄って触れればいい。前とやった時と同じ」

「同じって……近付いたら触手に捕まって食べられそうなんだけど」

「流石に捕まえて直ぐにバクってことはないと思うよ。たぶん」

「多分……って」


 その言葉が一番怖いのだが。


「俺にも分からないからね。でも、何もせずに立ったままだと本当に食べられちゃうよ?───怖い?」

「それは……そう。でも、やるよ」


 アオが満足そうに頷いた。


「その意気だよ葵。触れたら池波の深層に入ることになる。いい?何があっても自分と自分の目的を忘れないで。足を止めないで」


 一歩近付く。

 葵が近付くと、何故か触手が動くことを止めた。戸惑うかのように彷徨う。


「貴方は何故こんなことをしたの?」

『ナンデ。……ナンデ……?』


 意外にもあっさりと目の前に行くことが出来た。

 手を見えている核に伸ばす。

 正直、いくら酷いことをしている人とはいえ相手の心の中を覗く事に罪悪感を感じない訳では無い。

 けれど、しなければ池波の『核』を表面に出すことは出来ないだろう。

 ここもかなり深い場所だ。それを表面に出すことが、自分のやるべき事だ。

 外で黒緋が、暁月が待っている。

 二人とも戦っている。他の魂を気にしないなら多分二人だけで対処することが出来る。

 それをしないで、自分に託してくれたのだ。

 助けられるときっと信じてくれたんだと思う。


『ヤメロ。ミルナ。フレルナ……!』

「見せてください。貴方を。貴方が何故こんな事をしたのかを」


 ズブリとヘドロに手を突っ込んでいるような感触がする。

 化物の中央が裂け、口のようなものが咆哮をあげる。

 触手が再び動き出し、葵を捕らえようとする。

 全身に触手が巻き付き、締め上げてくる。

 食べると言うよりは絞め殺そうとしている様だ。

 痛みに顔を歪めながらも口の下の部分にある『核』に触れようとする。

 上からは口から垂れてきた黒い液体が降りかかる。

 首の辺りに巻き付かれ息が出来なくなりそうだ。

 苦しくて意識を失い掛ける葵の手をアオが掴んだ。


「こっちだよ。もう少し奥。そう、それだ。あと少し、意識を保って。前にやったように自分の力を使うんだ」


 指先に確かに触れた感覚。それを頼りに力を使う。前に天音に教わった事を思い出しながら。

 ふと締め付けられる感覚が消えた。

 咆哮が止み静かになる。

 自分の力が流れ込み、繋がりを感じる。


「───繋がった。さぁ葵行こう。ここが一番大事な所だ。大丈夫、葵なら出来る。自分に自信を持って」


 アオの優しい声音に安心感を覚える。

 意識を集中させ、葵は池波の深層へと潜って行った。

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