二.

「なんというか……びっくりしました。こう……普通すぎて」

「もっと、おどろおどろしい場所を想像していましたか?」


 黒緋に問われ、素直に葵は頷いた。

 記憶が無いと言っても不思議と日常生活の為の知識はあった。だからこそ驚いたのだ。

 地獄と聞いたら普通、針の山だったり、鉄の鍋だったりで亡者が拷問され、悲鳴が止まない場所だと思っていたからだ。

 だが、今いるここは先程も感じたが本当に普通の町だった。

 町を歩きながらあちこちをきょろきょろと見渡す。歩けば歩くほど人と変わらない様子。これが鬼たちではなく、人間が歩いていたら少し古風な町であり、ここが地獄と言われても信じれない気すらする。

 ただ、店で売っている食べ物は形容し難い姿をした魚だったり、やたらと刺々しい見た目の物だったりして、正直食欲はそそられそうも無い物が多い。中には人間の時によく使っていた野菜だったり、和菓子らしきものもあるにはあるのだが。

 あちこち気になって歩を止める度、黒緋が色々と説明をしてくれた。


「おや、黒緋の旦那。今日は珍しく見たことない鬼を連れているんすね。これまた酷く可愛らしい鬼だ。どうです?最近新しい本を現世から取り寄せたんですよ、見ていきません?」

「やぁ、詩月しづき。とても魅力的な言葉なんだけど、今はこの子に案内中でね」


 とある店前を通り過ぎようとした時、急に隣の黒緋に向け声を掛けられ葵は足を止めた。

 声を掛けた人物を見ると1人の男が立っていた。深紫のマフラーを首に巻いている。服装は袴に着物、そして着物の下に焦げ茶のスタンドカラーシャツを着ている。丸眼鏡を掛けており、メガネ越しに見える瞳は黒曜石を連想させた。瞳と同じ黒の髪を三つ編みにし垂らしている。髪の長さは黒緋と同じぐらいありそうだ。さらに目を引いたのは、両頬にある蛇のような鱗のような模様だ。

 あまりに模様を見ていたせいか、詩月と呼ばれた男は困ったように頬をかく。


「あんまり見ないでください、恥ずかしいじゃないですか」

「す、すみません……!蛇の鱗みたいな模様が気になって……初対面の人に失礼なことを……!ここに来たばかりでつい……」


 羞恥で顔が熱くなるのを感じながら、葵は慌てて頭を下げた。最後の辺りは言い訳でしかない為、つい口ごもってしまった。

 無意識だったとはいえ、確かに初対面なのに凝視するのは失礼だったと心の中で反省する。


「ここに来たばかり?───あぁ、君が噂の。なるほどね。だから黒緋の旦那が浮かれていたのか」

「噂?」


 思わず顔を上げると「いや、こちらの話ですんで」と、詩月は両手を顔の前で振った。

 訝しげに思い隣の黒緋を見るが、こちらも人当たりの良い笑みを浮かべたまま何も言わない。 だが、葵を見た後そのままの表情で詩月に向けた視線は僅かに冷たさを帯びている気がした。

 向けられた視線に慌てたように詩月は眼鏡を押し上げた後、1度咳払いをする。


「あー、ちゃんとまずは挨拶をしなきゃね。うん。───さっき黒緋の旦那が言ってたけど、僕は詩月。ここ、書店極上堂ごくじょうどうの店長している者だよ。現世の書籍から、拷問の手引書、獄卒試験参考書や生活に必要な本まで幅広く取り扱ってますので、どうぞ宜しく。因みに鬼ではなく蛇だよ」


 先程よりも砕けた口調でおどけた様に舌を出す。下の先端は二股に分かれておりちろちろと動いている。

 極上堂はパッと見そこまで広くないように見えるのだが、かなり色々な本を取り扱っているらしい。なかには拷問やら獄卒などという単語も聞こえては来たが、それが地獄らしさかと考える。

 詩月はなかなか気さくな性格らしい。

 葵が名乗り、これまでの事を尋ねられたので話していると、その後は色々と黒緋と共に地獄一丁目について教えてくれた。

 最初は黒緋がにこやかに案内参加を拒否していたのだが、素知らぬ風にちゃっかりと店を閉め着いてきていた。詩月曰く「何だか楽しそうだから」との事だった。何度か断っていた黒緋も諦めたのか途中から何も言わなくなっていた。


「すみません、詩月は自分が気に入った相手だとつい構いたくなっちゃう質なんですよね。昔からなんです」

「そりゃあ、黒緋の旦那がこんなに気を掛けてるのは珍しいし、何より僕も葵ちゃん気に入っちゃったし。旦那の相方になるんでしょ?だって、来たばかりなのに怖がりもしないなんて面白いじゃない」


 黒緋の自宅に向かいながら、肩を竦めながら困ったように小さくため息をつく黒緋に、不服そうに口を詩月は口を尖らせる。

 そんな二人の様子を見て葵は顔を綻ばせた。

 来たばかりの慣れない場所でまだ少ししか経っていたないが、二人共に優しそうで良かった。


「どうしました?」

「いえ、最初に会ったのが二人でよかったなと。お陰で、不安を感じずにすんでますし。それにしても───」


 葵はそこで1度歩くのを止め、辺りを見渡した。

 大通りにあった先程の店から少し外れた路地を進んで着いた開けた場所。大通りには商店が多かったが、反対に今いる場所は住宅が多い感じがした。商店街も住宅地も建物は木造建築が多いが、所々に煉瓦造りの建物がある。

 歩いている者たちも、服装が和服だったり洋服だったりする。中には詩月みたいに和洋折衷した様な服装の者もいる。明治や大正の写真の風景に似た町並みが広がっている。先程から葵はそれが気になっていたのだ。


「地獄なのに和洋折衷というか……色々なものが混ざってますね。なんて言うんだろ……和モダンに近い形というか」


 こういう時、知識が残っていて良かった安堵する。言葉が分からないと上手く伝えられない気すらして、知識の有難みを噛み締めた。

 自分の想像していた地獄とは違う光景に驚きを隠せないでいる葵に、詩月と黒緋は1度お互いに顔を見合せた後、なるほどというように頷く。

 生活している身としては当たり前になりすぎて、葵が何を驚いているのかいまいちピンと来ていないみたいだった。


「変わり始めてそこそこ経つし見慣れすぎてて感じなかったね。時々仕入れに現世に行くと新しいものが多くて楽しくなるよ」

「そうですね。確か最近だんだん現世の技術が発展してきたので、それに影響されてだった気がします。現世に比べてかなり遅れてはいるんですがね。宗教も日本でも昔より多く増えましたし。地獄も町は多様化してきたんですよ。中途半端に混じってる感じが、私は一周まわって面白く思います。葵さんなら、これから色々見て楽しくなるかもしれませんね」


 但し、亡者達が落ちる場所はは昔からさほど変わらないらしい。鬼やそれ以外の住民が暮らす場所は逆に現世に影響を受け、徐々に変化しているみたいだ。

 実際、この地獄の一丁目は見ていて飽きず楽しい。食べ物は中々食べるのには勇気が要りそうなものも多いが。

 ふと斜め上を見ると、遠くからでも分かるような朱色を基調とした建物が見える。離れていて詳しく分からなくてもその建物がであると、葵は本能で感じ取った。


「あれは、閻魔庁。ここの地獄の王である閻魔大王が住む場所にして、亡者達が罪を裁かれる場所。そして、私達獄卒の職場の1つでもあります。確か町の見取り図も家にあったと思うので着いたらそれも簡単に話しますね。葵もやる事になる私の仕事も含めて」

「僕は獄卒じゃないから仕事でたまに入るくらいだけど、旦那と一緒に働く事になるなら葵ちゃんはあそこによく行くようになると思うよ」

「あそこが……閻魔大王が住む場所……」


 閻魔庁を見たまま黒緋の言葉を繰り返し固唾を呑む。

 鬼にならなかったら自分はあそこで亡者として裁かれていたのだろうか。そしたらどのような判決を下されていたのだろうか。ふと脳裏を過り葵は軽く頭を振り、考えるのを止める。

 考えても仕方の無いことだ。現に自分は鬼なのだから。それに、黒緋と共に行動すれば忘れた記憶も思い出すだろう。

 先に歩き始めていた2人に声を掛けられ、閻魔庁から視線を外し追い掛ける。

 どうやらもうすぐ黒緋の家に辿り着くらしい

 葵はこれから始まる自分の鬼生に胸を踊らせた。一体どんな事が待っているのだろうと、その事で頭がいっぱいになっていた。


───それがどれほどであるかなど、この時の葵には考えもつかなかったのだ。


 









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