三.
開いた口が塞がらないとはこういうまさにこの事かもしれない。
「勝手に決める形になってしまってすみませんが、葵には私の家の2階に住んでもらう予定なんです。少し汚いですが空き部屋もありますし」
木造二階建ての家の前で今更ながら住む場所が無いことに気づいた葵に、黒緋はそう声を掛けてくれた。とても有難いし、行くあても無い葵は素直にお願いすることにしたのだ。
黒緋は汚いと言っていたが、葵には黒緋はしっかりしている様に見えていた為、言っているだけで実際は綺麗そうだと思っていた。
だが、その考えは家の扉が開き中を見た瞬間に間違えだと気付かされる。
廊下には何かが入った籠やよく分からない物が多く置かれていた。それが左右に置かれている為道ができてるものの閉塞感を感じそうだった。
部屋の幾つかは扉が閉まっており見えなかったが、居間に向かう間に唯一見えた右手の一室には、本が塔のように積み重ねられており、小物が床に散らばっている。
正直な話、急用ができて着く直前で帰った詩月が家を見たいと言っていたが、見なくて良かったのでは無いだろうか。
居間も先程の一室よりましなものの、やはり物が散らばっている。
座る場所を作る為に物を退かしながら座布団を探す黒緋を、葵は余りの酷さに何も言えずただ無言で見つめていた。
「すみません、何しろ普段余り来客もなく大したものは出せませんが。どうぞ、現世で買ったお茶ですし、飲みやすいと思います」
暫くガサガサと探し、漸く座布団を見つけらしい。2枚の座布団を向かい合う形で敷き、卓上の上の物をどかして黒緋は、奥にある台所でお茶を入れ湯呑みを葵の目の前に置く。
「ありがとうございます。───あの」
そこまで言い、葵は口を閉じた。
気になっていた事があったのだが、少し前に会ったばかりで言い難い。しかし、これから自分も住むとなると言わないのもどうかと思う。
そんな葛藤から葵は目の前に座る黒緋を直視出来ず、視線を手元に落とす。
「どうかしましたか?」
小さく首を傾げながら優しさを感じさせる口調で聞いてくる黒緋。
いざ聞かれるとよりなんと言えば良いのか、上手い言葉が出てこず口ごもる。
「大丈夫ですよ、焦らなくて。ほら、お茶飲んでください。落ち着きますよ」
何か言わなければという焦りが募っていくのに気がついたのか、先程入れたお茶を飲みながら微笑む。
誘われるように葵も湯呑みを両手で持つ。
手に伝わる温かさと、湯気と共に香るお茶の匂い。ゆっくりと息を吸うと、より茶葉の独特な香りが鼻腔をくすぐる。そっと口を付け、お茶を飲むとすっきりした後口がした。
「あ、美味しい……」
思わずほっと息をつき、肩の力が抜ける。
どうやら自分が思っていた以上に緊張していたようだ。
「そのほうじ茶は私も飲んで美味しいと思ったので買ったんですよね。現世には美味しいものや珍しい物が多くて、ついつい買っちゃうんですが、葵の口にあったなら良かった」
だからかと再度葵は周囲を見渡す。
近くには、何かの特売チラシや観光案内の紙があちこちに落ちている。部屋の隅には未開封のカップラーメンやご飯のパウチなどが固めて置いてある。確かに現世のものばかりに思える。
深呼吸をした後言う決意を葵は、背筋を伸ばし黒緋をしっかり見つめる。
そして、ゆっくりと頭を下げた。
「まず、住んでいいと言ってくれたこと本当にありがとうございます。正直、住む場所がなかったらと思っていたので嬉しかったです。改めてこれからよろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ。一応、生活に必要なものはある程度揃えて既に部屋にあります。服は……明日、新調しましょう。あと足りないものや気になることがあれば、遠慮なく言ってください。貴方が早く慣れるように、私も協力出来るところはしていくので任せてください」
「じゃあ最初に1つ。言おうか迷ったんですが───黒緋さんってその……もしかして片付け苦手だったりしますか……?」
思い切って気になっていたことを尋ねる。
先程からの様子だと、黒緋は片付けをあまり得意としてはいないのでは無いかと。
居間を見渡しながらも、脳裏に先程通った部屋が思い出される。
正直、個人的な考えにはなるが整理されているとは思えなかったのだ。
流石に失礼すぎたし怒らせてしまっただろうかと視線を戻すと、意外にも黒緋は目を丸くしキョトンとしているようだった。
「上から貴方を可能であれば住ませるよう言われたので、少し急ではあったので全ては無理でも居間と2階はゴミとかを片付けはしたのですが……汚いですかね?……確かに物は多いとは思いますが、もう一人にも特に言われていなかったので」
その言葉に、葵は思わず遠い目をしかけた。
駄目だこれは。多分自覚がないタイプだ。
確かにゴミはあまりなく、ただ物が多いだけと言われればその通りではあるのだが。
普段過ごしている分、余計に違和感を感じないのかもしれない。
そして驚いた事が1つ。
「───もう一人住んでいるんですね。今は外にいるんですか?」
この環境にもう一人住んでいるのかと驚愕する。
見た感じ1人しか居なさそうだが、確かに家も2階建てだし居てもおかしくはない。
「あぁ、いえ……住んでいるというかいないというか……基本私一人ですよ。多分葵もそのうち会えると思うので、その時に紹介しますね。さて、とりあえず貴方の部屋に案内するのでついてきてください」
曖昧な返答に戸惑いながらも、そのうち会えるらしいのでいいかと結論付ける。
立ち上がり居間を出ていく黒緋を追いかけ、2階へ上がる。
2階は普段物置としてしか基本使わないらしく、廊下にも物はあまり置かれていなかった。
「ここです」と、廊下の突き当たり右手の部屋に案内される。
中に入ると意外にもきちんと整理がされた部屋だった。
畳の床に木の箪笥が置かれ、壁には押し入れがあり、灯り用の行灯が1つ。障子窓の近くには文机と和座椅子。机には小さなランプが備え付けられている。
押し入れを開けると下の段は何も入っていないが、上の段に寝具と座布団が入れられていた。
「一応日当たりがマシなとこを選んだんですが、椅子とかがなくてすみません。何しろ地獄にはまだあまり普及してないですし、現世で買っても運べないので」
「大丈夫です。むしろこの感じは好きですし」
試しに座った座椅子は座り心地がよく、障子窓から差し込む暖かい日差しで眠気が誘われそうだ。
現世にあるような椅子は今の地獄の建物にはなかなか合いにくいらしく、まだまだ洋風な形になるのは先らしい。
又、地獄にも現世と同じく時間帯があり、どういう仕組みで動いているかは分からないが時計もあるらしい。
部屋の壁に掛けてあった時計を見ると、どうやら今は昼前らしい。
黒緋は一足先に下に降りていった為、座椅子から立ち上がり再度部屋を見て回る。
「やっぱり、知れば知るほど奇妙だなぁ」
一昔前の時代に居るような空間なのに、しっかりと現代の物もある。それがちぐはぐ感を抱かせる。
手元を見ると、そこには一台の電子機器。
先程下に降りる前に黒緋が葵に渡したものだ。
『スマジゴ』という若干言い難い名前のそれは、最近地獄で急激に普及し始めた、簡単に言うと機能も見た目もスマホとほぼ同じ様なものらしい。
仕事で使う事が増えるとのことで渡されたスマジゴの連絡先には、たった一人、黒緋の名前だけ入っている。
スマジゴを軽く触ってみると本当に操作もスマホと近く、慣れるのにそこまで時間はかからなかった。
確かに便利ではあるが何故、椅子がなくてスマホがあるのかと思わず少し突っ込みたくなる。
十分程それから滞在し、下に降りようと部屋を出た。
引き戸を開けて廊下に出た時、隣から微かに何かが崩れるような音がした。そんなに沢山の物が落ちた訳ではなく、少量の物が下に落ちたような感じだ。
ゆっくりと扉を少し開けて中を覗く。───そして無言のまま扉を閉め、階段を降りて下の居間へ向かう。
居間には黒緋が何かを探しているらしく、「何処だったかな」と呟く声が聞こえた。
「お待たせしました黒緋さん、戻りました」
「葵、早かったですね。ご飯には……まだ早いですね。少し待っててくださいね、確かここら辺に地獄の見取り図があった気がするので。あ、先程詩月から貰った本でも読んでいてください」
にこやかに微笑んだ後、一冊の本を手渡し再度失せ物探しを始めた黒緋。
本は別れ際に詩月が葵にと渡した本の1冊だ。
著者は詩月で、タイトルには『地獄と鬼』と振り仮名付きで書いてある。カラフルで可愛い感じの鬼の挿絵があり、子供向けなのが見てわかる。厚さはそこそこあり、現世でいう低学年から中学年ぐらいが読む内容らしい。
詩月曰く、ざっくりとした鬼の種類や違い、地獄の事を手っ取り早く知ることができる本との事だ。地獄の子鬼達にそこそこ人気とも少し得意気な感じで言っていた。
何処か座る場所は無いかと探すが、座っていた座布団の上は黒緋が探すために漁ったであろう紙で埋もれていた。
あまり今日初めましての人に言いたくないが、ここまで来たらもう仕方ないのでは無いだろうか。二階の隣の部屋もそうだが、正直目に余る。
思わず小さな溜息がこぼれた。
「あの黒緋さん、今のままだと探し物するのも大変そうですし───とりあえず、片付けませんか?」
色々教えてもらうのはもう少し後になりそうだ。
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