四.

 片付けを始める前に「とりあえずお昼ご飯を食べましょう」と、黒緋の行きつけだという定食屋にご飯を食べに行った。

 家から徒歩10分位にある、小さな『昔ながらの』という言葉が合いそうな定食屋だった。

 日替わり定食が人気だと、何を頼めばいいか困っていた葵に、店を営む老夫婦に教えてくれたので頼んでみた。

 黒緋も同じものを頼んでおり、暫くすると鼻腔をくすぐる匂いを漂わせた定食が目の前に運ばれる。

 米や味噌汁は現世と変わらないが、魚の煮付けに使われた魚はグロテスクな見た目をしていた。しかしいざ食べてみると見た目に反し、柔らかい歯触りで甘辛いたれと魚の旨味が口の中に広がり感動をする。

 見た目で判断してはいけないと改めて痛感した瞬間だった。

 暫く話しながら食事をした後、帰宅し片付けを始める。


「───とりあえずなんとか居間は片付きましたね」

「久しぶりにこんなに物が床に無いのを見た気がします。なんだか気持ちがいいような、落ち着かないような、不思議な気持ちです」


 夕陽が沈み辺りが暗くなった頃、なんとか居間と廊下の整理整頓を終わらせる。

 元々食べた後のゴミがあまり無かったのが助かった。

 なかなか物が捨てれず溜まっていった結果だったらしく、断捨離をしただけでスッキリした。

 綺麗になった部屋に達成感を抱きながら、垂れてきた汗を袖で軽く拭いながら軽く伸びをする。

 傍から見たら出会ったばかりの人に部屋の片付けを提案するのはどうかと思うだろうが、住む以上は綺麗な方が良かったのだ。


「探してた物も見つかりましたし、お茶を飲みながら色々と町の事も話しますね」


 ほうじ茶を再度れ、卓上に一枚の横長の和紙を広げる。

 見るとどうやら地獄町の見取り図のようだ。中央に巨大な建物があり、それを囲むように町が描かれている。


「この建物が閻魔庁。先程言った通り閻魔大王が住む場所であり、獄卒の殆どがここで働いています。会社みたいな感じに様々な部署があり、私の所属する『迎魂科げいこんか』もここにありますよ。葵も送魂科所属になります。因みに、周りからは別名の『堕獄罪科だごくざいか』と言われてるんですよね」


 黒緋は中央の建物を細い指で指しながら説明する。

 聞くと獄卒は地獄での仕事が多いが、迎魂科は少し特殊で、事務作業もあるがメインは現世での活動らしい。休日もあるはあるが、依頼が入った場合は仕事になるため不定休との事だ。ただ、高頻度で依頼が入る訳では無いので実際は仕事の日より休みが多いらしい。

 また、獄卒にも階級があるらしく階級によって勿論仕事内容や給料が変わるとの事だ。

 まさに地獄版の会社という感じだと葵は思った。


「そして、閻魔庁を囲むようにあるのが地獄町。地獄の鬼や詩月の様な妖が住んでいます。妖は基本隠世かくりよや、現世───人界にんがいが多いのですが、たまに地獄に住むものもいます。ここまでは分かりましたか?」

「はい、何となく……ですが」


 問われて葵が頷くと、黒緋は満足そうな笑顔を見せた。

「次に」と、黒緋はもう一枚和紙を広げる。今度は縦長の見取り図だ。上から二手に分かれた階層構造になっており、各階層の名前が記されている。だが、筆で書かれた文字は古典の原文出みるような文字で全ては分からない。


「これは?」

「これは閻魔庁の下にある獄卒達の仕事場の簡易的な見取り図です。実際はもっと細かく分かれてますが、書くととんでもないことになりますから。まぁ、私達が直接関わる場所ではありませんが。死後、閻魔大王を含む七人の王の審判によって罪を犯したとされる者たちが落ちる場所。罪の重さによって下の階層へと亡者は落とされます。先ずは八熱地獄───人間が想像する地獄は此方ですね。上から『等活地獄とうかつじごく』、『黒縄地獄こくじょうじごく』、『衆合地獄しゅうごうじごく』、『叫喚地獄きょうかんじごく』、『大叫喚地獄だいきょうかんじごく』、『灼熱地獄しゃくねつじごく』、『大灼熱地獄だいしゃくねつじごく』、『阿鼻地獄あびじごく』となってます。更に八寒地獄、八熱地獄のそれぞれの地獄に全てに共通する一六小地獄があります」


 黒緋が先程と同じく指で指し示しながら順に説明していく。

 どちらも各階層で責め苦が異なり、また各八大地獄、十六小地獄の他にも地獄はあるらしい。その全ての箇所に獄卒が配属されている。

 八寒地獄の場合は冷気が異常な為、普通の鬼や妖ではなく、寒さに耐性のある氷鬼ひょうきや妖が配属されるらしい。


「基本、亡者が堕ちるのは八熱地獄であり、八寒地獄はあまり堕ちる者は最近特に少ないですね。地獄に堕ちる条件はどちらもほぼ変わりませんし」

「あれ、じゃあ逆に八寒地獄に堕ちる人ってどういう人なんですか?」


 犯した罪で堕ちる2つの地獄で、何が違うのだろうか。何故、八熱地獄はよく聞くのに八寒地獄は聞かないのだろう。

 そう思い葵は黒緋に尋ねたると、少し困ったように眉を下げ、うすい笑みを浮かべる。


「こちらは明確には実は決まっておらず、あやふやなんですよね。一応定義的には、寒い場所で貧しい人から盗みを働いたり、他者を傷つけたりした者が堕ちるとされています。つまり、寒い場所で罪を重ねたら堕ちる……みたいな感じですね。ただ、最近は現世も地球温暖化が進行したため、堕ちる者も少なくなりました。おかげで、八寒地獄の従業員は手持ち無沙汰になりがちで、最近新たな地獄の観光地化に力を入れているみたいですね。ウィンタースポーツ系もあってかなり人気と聞きました。あ、ちゃんと道具は現世にあるようなしっかりしたものですよ。楽しそうですよね」

「地獄の観光地……ウィンタースポーツ……」


 最後は楽しそうに話す黒緋。心做こころなしか目が輝いて見える。

 脳裏に吹雪の中悲鳴が木霊する場所で、鬼達がスキーやスケートをする場面を想像する。

 だが、想像すればするほどシュールな光景しか浮かばない。

 というか、地獄にもウィンタースポーツがあるのか。いや、そもそも何故観光地なのか。


「やはり、なんと言えばいいか……不思議ですね……地獄って」


 何から突っ込めばいいか分からず、乾いた笑みが零れ、辛うじてその一言だけ返す。

 初日だが沢山の情報が入り、頭がパンクしかけているのもあるかもしれない。

 非現実的すぎて、葵の頭の中を今更ながら夢かもしれないという考えが埋め尽くす。

 僅かに頭が痛む。


「───葵?大丈夫ですか?」

「あっ、すみません!」


 声を掛けられはっと我に返る。

 どうやら思考に耽りすぎ、黒緋が話しかけていたのに気づかなかったらしい。

 軽く頭を振り、自身の口元を隠してしまっていたらしい手を降ろし、慌てて頭を下げて謝罪する。

 全く記憶のない自分に住む場所を与え、尚且つ色々教えてくれているというのに。

 不快な思いをさせてしまっただろうかと、不安になり頭を下げたまま思わず目を強く閉じる。

 僅かな沈黙の後、ふわりと頭に温かく柔らかい感触がした。


「頭を上げて、葵」


 穏やかな声音と頭に伝わる温かさにゆっくりと目を開け、視線を上げる。

 どうやらこの頭の上の温かさの正体は、黒緋の手の平だったらしい。

 卓上に片手をつき、身を乗り出し労るように頭を優しく叩く黒緋。


「目が覚めたまだ、初日。記憶もなく、見知らぬ場所にいきなり居たのに、無理をさせすぎてしまいましたね。幸い、貴方が慣れるまで数日は緊急の物以外仕事は無くなったので、残りはまた明日以降にしましょう」

「でも、せっかく教えてもらっているのに───」


 思わず言い返しかけた葵の唇に、卓上についていた手をそっと人差し指を立て当てられる。

 口を噤み頷くと満足そうに頷き、黒緋は再度頭に手を乗せ頭を撫でてくる。


「無理をさせてしまった私が言うのもあれですが、焦らないでください。時間はまだまだ沢山あるんですから」

「分かりました。───あの、そろそろ」


 視線を頭上に向け、黒緋に声をかける。

 流石に年齢は分からないが、20は超えているであろう自分的に頭を撫でられ続けるのは恥ずかしい。

 言いたいことに気付いたのか、今度は黒緋が少し慌てて手を離す。ふわりと微かに、ごく自然な甘い香りが鼻をかすめる。


「すみません、こう見えても長生きなものでつい子供にするみたいなことを。鬼は長生きですからね。確かに、現世では成人していた葵にすることではなかったですね。さて、今日はこれまでにして晩御飯にしましょうか。と言っても料理とかできないので惣菜とかになってしまいますが。葵は料理とか出来ますか?」

「多分出来る……と思います。日常作業に関しては覚えているので。得意だったかどうかはやってみないとなんとも」

「じゃあもし良ければ、また今度作ってくれませんか?材料を買うところからですが、器具はありますので」

「はい。住まわせてもらうんだし、それぐらいは」


 鬼は長生きだと言うことは、黒緋からしたら確かに葵は子供───下手したら赤子同然なのかもしれない。

 実は、意外と撫でられたことが嫌では無いことに自分でも驚いてはいるが。

 葵が料理を作ると言ったことが嬉しかったのだろう。上機嫌な様子で立ち上がり台所へと向かう後ろ姿を眺めながら、先程頭にあった体温を感じるかのように片手を乗せる。

ふと脳裏に何かが過ぎる。

 目を閉じ、思い出そうとする。

 浮かび上がった記憶は全体的に靄がかかったかのような不鮮明な映像みたいで。

 夕方頃の街中で幼い自分が泣いている。何故、泣いていたか理由は思い出せない。

 大きな手が小さかった自分の頭に伸ばされ、慰めるようにゆっくりと撫でられる。


「───」


 沈みかけた夕陽を背にその人物が何かを言った。

 聞こえない。けど、その時は確かに聞こえてたはずだ。とても大切な事を言われた気がする。俯いたまま幼い自分は小さく、しかし、しっかりと頷いた。

 そして視線を上げ、顔を見ようとして───そこで記憶は霧が深まるように全体が灰色に染まり、途絶えた。



 だが───あの自然な甘い香りが、撫でられた感覚が、何故か初めてではないような気がしたのだ。

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