第一獄 鬼トシテノ生ト地獄

一.

 目を開けるとそこは、異質な場所だった。

 不揃いの小石があちこちに落ちており歩きにくそうな一本道と、それに沿うように左右に連なる粗く削られた岩。道に等間隔で置かれた篝火かがりびのおかげで明るいのに、左右の岩の先は灯りさえ通さない闇が覆っていた。

 そして、その道の先には少し遠い位置からでも分かる巨大な四脚門しきゃくもんがそびえ立っていた。

 人の気配は全くといっていいほど感じなかった。


「どこ……ここ……。俺、なんでこんな所に立って……?」


 静寂の中、薪の燃える音だけが響く。

 しばらく呆然と立ち尽くし途方に暮れていると、不意に前方から鈴の音が聞こえた。チリン、チリンと、この場に似つかわしくない澄んだ涼やかな音。


「鈴……?」


 足が音の鳴るほうへ進む。まるで誘われるかのように無意識に身体が動いた。

 やがて、先程見えていた門のすぐ側にたどり着く。

 その時には既に鈴の音は止んでいた。

 遠目からでも分かるほどの巨大な門は、近くで見るとより一層の不気味さを醸し出している。

 そして、目の前に門を見上げるように1人の人物が立っていた。

 腰まで伸びた艶やかな黒髪は、先にいくにしたがい紅の様な赤色になっている。その人物が来ている濃紺の生地に椿の柄が散りばめられた着物がより、その赤色を際立たせていた。

 腰紐には金色に輝く小ぶりな鈴。どうやら音の出はこの鈴だったらしい。


「おや、気が付かれたんですね」


 声は男性の声だった。

 ゆっくりと振り向いたその男を見て、声を失った。

 吸い込まれそうな赤紫色の瞳をした、酷く端正な顔立ちの男性。肌は血が通っていないかのように白い。そして、男のおでこの辺りにあるのは、人には無いはずの三本の角。


「───鬼?」

「えぇ、当たっていますよ」


 頭にぎった言葉が口に出ていたらしい。鬼は微笑みを浮かべて肯定をした。

 その場に思わずへたり込む。

 現状が理解出来ず、思わず頭を抱える。あまりに非現実的すぎて、頭が考えることを放棄しようとする。

 何とか理解しようとするがやはりそんな事は無理だった。

 額に何か当たった感触があったが、今は気にしてる余裕はなかった。

 自分で考えても埒が明かないと考え、ゆっくりと数度深呼吸した後、先程からこちらを見下ろしている鬼を見上げる。

 何か知っているとしたら今、目の前にいる鬼しかいない。


「とりあえず、俺は何故ここにいるんでしょうか?」


 冷静に聞いてきた事を意外に思ったのか、鬼は一瞬だけ目を丸くした後、より笑みを深めた。


「そうですね。では、簡単に。───お疲れ様です。貴方の人生は先刻をもちまして終了致しました。そして、おめでとうございます。貴方は、鬼となりました」


 そう、美しい鬼は言ったのだった。


「つまり死んで……鬼になったということです……よね?」

「はい。そういう事です」


 何故だか死んだことに対して驚きも悲しみも感じはせず、むしろ現状の理解が出来たことに安堵あんどする。

 ふと、先程額の辺りで手に何かが当たったことを思い出し触ってみる。自分では見えないが、小さいが硬く先端が尖り上へ湾曲状に伸びた角らしき物が生えていることが分かる。

 本当に生えていることが信じられずしばらく触っていると視線を感じた。

 すっかり自分の世界に入り込んでしまったことに途端に恥ずかしくなり、慌てて手を止め鬼を見る。


「あの、どうかしましたか……?」


 先程までとは異なる険しい目付きでこちらを見てくる鬼に困惑する。

 声をかけると鬼は小さくかぶりを振り、申し訳なさそうな表情をした。


「すみません。私を前にしても貴方は恐怖し、取り乱したりしないんだなと驚きまして。それに言った本人が言うのもあれですが、普通なら自身が死んだとか鬼になりましたなんて言われても信じられないでしょうから。今まで無かったことでつい」

「これでも驚いてはいるんですよ。いきなり知らない場所にいて。でも、確かに怖いとは感じなかったですね。えっと……鬼の貴方が嘘をついている感じがなかったのもあったからかもしれないです。ただ、ここが実際何処で、これからどうなるのかなとは思いはしますが」


 能天気と言われそうではあるが、実際に自分に変えれることでは無いと思ったのだ。

 むしろ死んでいるという方が今の現状が納得できる。だが、結局自身が死んだことと理由は不明だが鬼になったこと以外何一つ分かっていない。

 返ってきた返答がやはり予想外だったのか、鬼は瞠目どうもくした後に口を手で隠しながら笑い始めた。声はそこまで漏れていないが肩がぷるぷると揺れており、必死に笑いを抑えているのが分かる。

 ひとしきり笑い満足したのか、鬼は軽く息を整え咳払いをした。


「いやはや、神経が図太いのかそれとも……。まぁこちらとしては助かりますが。まぁ、自己紹介含めてそこら辺は今から説明しますね。立ちっぱなしなのはすみません。見てわかると思いますが、何しろ座るところはないもので」

「いえ、大丈夫です」


 立っていることに苦を感じてはいないし、まずここは座るには厳しいだろう。仮に下に何かを敷いて座れたとしてもこの地面は痛そうだ。

 鬼は獄卒であり黒緋くろあけと名乗った。

 そして今いる場所は地獄の入口───と言ってもどうやら普通の死者が来る場所ではないらしい───とのことだった。


「さて、ここからが貴方の今後に関わって来るのですが、その前にどこまで覚えているかの確認を。───貴方は自分が誰か覚えていますか?名前、年齢、生前好きだったこと、嫌いだったこと。なんでもいいですよ」

「あ、確かに俺は名前すら言ってなかったですね。津長葵つながあおいです。年齢は───あれ……?」


 そこまで言って青年───津長葵は愕然とした。名前は直ぐに出た。だが、それ以外が出てこないのだ。家族や友人の事も、自分自身の何一つも。

 必死に思い出そうとするが、頭にモヤがかかったかのようになっており浮かばなかった。まるで、自分がでしかないような錯覚を覚えた。


「すみません……名前以外何も思い出せないです」

「いえ、むしろ名前だけでも覚えていただけ良い方ですね。何も覚えてないよりも貴方のやるべき事が楽になるかと」


 やるべき事。それは先程黒緋が葵の今後に関わると言っていた事だろうか。

 何も言わず、じっと目の前の鬼を見て先をまつ。

 黒緋はどこまでかは置いておいて、葵に記憶が無いことを知っていた。

 覚えていることで楽になる───つまりことが大きく関係するのだと思う。

 葵は我ながら冷静に分析する思考に思わず苦笑してしまう。生前の自分も、こんな風に慌てることなく常に冷静に物事を考え行動していたのだろうか。


「貴方は罪を犯し、地獄に堕ちました。ただし、普通とは少し異なるんですよね」

「それは、俺が鬼になったことでしょうか?」

「えぇ。普通なら死者は閻魔様達の裁きを受け、次の転生を果たします。しかし、貴方は違う。異例だったのですよ色々と」

 黒緋は葵に背を向け目の前にある門を見上げ、両手を叩く。乾いた音が響くとほぼ同時に、ゆっくりと扉が開き向こう側から光が溢れ出てくる。

 再びこちらを振り返り、葵に片手を差し出してくる。

「葵、貴方は思い出さなければならない。貴方の罪を。その為に貴方は鬼になったのですから。だから、これより私と共に獄卒として貴方には新しく鬼の生───鬼生きせいを送っていただきます」


 貴方の罪と言う言葉は葵の脳裏に刻み込まれた。

 詳しいことはそれ以上何一つ黒緋は言わなかった。

 暫く逡巡しゅんじゅんした後、眩しさに目を細めながらも葵はゆっくりと手を伸ばす。

 こちらに手を差し出す鬼の瞳はとても優しく、何処か懐かしく感じて。

 葵は差し出された黒緋の手をとった。白く細い手はそれでも骨張っており、やはり男性の手なのだとぼんやりと思った。

 ここに居ても埒が明かない。ならば───


「ここにいても仕方ないし、記憶が無いのも嫌なので、貴方について行きます。よろしくお願いします。黒緋さん」

「はい、こちらこそ。まだまだ分からないことは多いでしょうが、正直その内慣れます」


 微笑を浮かべながら黒緋は1歩、光の方へ足を踏み出す。

 動きに合わせるように再び鈴が1度だけ鳴った。

 引っ張られる力に身を任せるかのようにつられて葵も進む。地獄には不釣り合いに感じる光の中へ。

 あまりの眩しさに目を閉じる。瞼を閉じても明るく感じる明かりの中、引っ張られる感覚と鈴の音を頼りに歩を進める。

 暫くして徐々に光が治まり、喧騒けんそうが聞こえてきてそろそろと瞼を開ける。


「町だ…」


 左右に木造建築の建物が連なり、灯篭が置かれている。町には黒緋と同じであろう鬼や、二足歩行の人の大きさはありそうな明らかに人外の生き物達などが行き交っている。中には、言葉を話す見た目は普通な犬や猫もいた。

 商いをしている者や、商品を買うもの、道端で談笑をしている者など、その様はまさに人々の生活と同じように見えた。


「ようこそ、地獄へ。ここは私たちの住む町、地獄の1丁目。と言っても現世のような怖い場所ではありませんよ。ただの町名です」


 歩を止めた黒緋が手を離し、目を見開いて固まる葵に見せびらかすように両手を広げて満面な笑みを浮かべた。


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