五.

 玄関を入った瞬間に葵は足を止めた。


「なんか、空気が澱んでる気がします」

「あー、穢れかなり溜まりまくってんなこれ」


 入った瞬間、明らかに空気が重くなった。ねっとりと全身にまとわりついてくる感じさえする。

 電気がついているがぼんやりとした明かりで、中は薄暗く目を凝らさないと上手く見えない。

 ようやく慣れてきた為、周囲をよく見てみると入ってすぐ右側に二階に上がる階段が辛うじて分かった。

 そして、扉が多い。数歩歩く事にある扉は、外観からは想像もつかない数だった。


「えっと、お邪魔します」

「そのまま上がればいいだろ」

「だって、スリッパ……ありますし」

「三つありますね。いやぁ、律儀だ」

「罠があるかもしれねぇだろ───って話を最後まで聞け!」

「普通のスリッパみたいですね。ちょっと履き心地がいい」


 言い終わる前に黒緋がスリッパを履く。

 これが昔からなのだとしたら暁月はかなり大変そうだ。

 だが、土足で上がるのを躊躇っていた葵にとっては有り難い。

 結局葵達がスリッパを履いたからか、暁月も草履を脱いで履く。きちんと全員の草履を揃えている暁月もなかなか律儀な人ではないのだろうか。

 ふと横を見ると鏡が一枚設置されていた。そこに移る葵達三人には角がない。入る直前、暁月が「念の為に」とどうやったのか分からないが隠したのだ。

 だからこそ傍から見ると不思議な組み合わせの三人組の人間に見える。


「にしても、この家どうなってるんですか?明らかに外観に合ってないですよね?」

「此処はそういう所なんですよ。これに関わらず、全ての事象に理由はありますが全部を知るなんて無理ですからね。確かに知っていた方が為になることもありますが、知らなくてもどうにかなってしまう。現世でもそうだったでしょ?」

「実際俺たちもスマジゴがどうやって動いてるとか、なんで地蔵ワープ使えるとか聞かれても詳しくは知らねぇしな。まぁ今とはちと関係ねぇが。でも、疑問に思うことは悪いことじゃない。むしろ言葉の中や、見ている物の中で疑問を持てるのはいい事だ。関心を持てば世界が広がるし、知れば得することもある。だが、知らない方が幸せなことも沢山ある」


 足を進めながらドアノブを捻ってみるが開かない。最初こそ場には合わないが雑談をながら確認していたが、途方もない状態に全員の口数は減っていく。

 しかも、何故か一本の廊下ではなく途中で左右に別れたりしている為迷路のような有様だ。


「───っだぁぁ!!どんだけ続くんだよ!!池波の野郎、見つけたら絶対に送ってやる」


 時計がないせいか時間は分からないが、かなり歩いた気がする。

 段々と不機嫌な雰囲気が増していった暁月は突如苛立ったように叫び、勢いのままに隣にある扉のドアノブを回す。


「あっ」


 小さく声が漏れる。

 それまで鍵が掛かっていたのだがカチャっという音ともに回り、扉が開く。

 まさか開くと思っていなかった暁月はそのままの体勢で中に突っ込んで行った。


「面白いでしょ、暁月は」


 問われた葵は無言で笑みを浮かべるだけにした。

 扉の先に消えた暁月から反応がなかったので、心配になり近づいて中を見てみる。


「暁月さん、怪我……ないですか?」


 そこには地面に倒れた暁月の姿がある。

 慌てて駆け寄り助け起こす。どうやら怪我はないようだ。倒れる直前に顔面からを避けるため左を下にしたらしく、打った腕を擦りながら舌打ちをしていた。


「衝動のままに行動するからこんな事になるんだよ」

「うっせぇよ。こんなに沢山あるくせに全部鍵が掛かってんのが悪いだろうが。───にしても、何だこの部屋」

「書斎……?あっ、誰かいますね」


 全員が中に入るとひとりでに明かりがついた。

 窓がないその部屋は壁に本棚が設置されており、小さなテーブルと椅子、ミニライトが置かれている。

 そんな部屋に人が床に俯いたまま座っていた。背格好から男性だろう。身体は恐怖のせいか僅かに震えているように見える。

 人がいたことに安堵しながら葵は少し近づき、


「あの、大丈夫ですか?」


 暁月達に止められたが素知らぬふりができなかった。

 声を掛けられゆっくりと顔を上げた男は酷くやつれており、明かりのせいもあるかもしれないが顔色が悪くみえた。目の下の隈が濃く、少し長い髪は手入れがされていないらしくボサボサだ。

 一瞬驚愕に目を開いた男は、安堵したように顔をほころばせた。


「あぁ……あぁ人だ……。本当に人だっ……!良かった」


 ゆっくりと立ち上がり、覚束無い足取りで近づいてくる男は本当に嬉しそうだ。

 確かにここに来るまで誰にも会わなかった。


「貴方はどうしてここに?」

「わ、分からないんです。気がついたらここに居て。扉は多いし、鍵は掛かっているしで途方に暮れていて……。それで、あの、君達は?」


 なんて答えれば良いのだろうか。「今人間に見えているのに実は鬼で、仕事できました」なんて言えない。

 答えあぐねていると横から黒緋が助け舟をだしてくれる。


「実は、私達も気付いたらここに。この部屋に来るまで誰にも会わなかったんですが、本当に誰にも会わなかったんですか?」

「はい。誰とも」


 チリリン。

 鈴が鳴った。

 時々風もないのに鳴る黒緋の鈴。

 視線を一瞬鈴へ向けた黒緋は目を軽く細める。

 暁月の視線も心做しか鋭い。


「そうですか。

「え、ええ。目を覚ましたらいたので」


 また鈴が鳴る。先程よりも少し激しい音。

 それから葵を抜かした三人が話をしていたが、葵にはそれよりも鈴が気になってしまっていた。

 男が何かを話す度に時々音がなり、大きくなっていく。それと共に、鈴から少しづつオーラのようなものが漏れてくる。白から段々と暗い紅へと変わっていく。

 男にはこの音が聞こえないのだろうか。

 それにしても、。他は全て鍵が掛かっていたのに。

 もう一度男を見る。

 話している男は猫背で少し小さな声でしどろもどろになりながら話している為か、気弱に見えた。

 何か違和感を感じて小首を傾げる。

 なんだろう、この感覚は。


「恐らくこの空間は死んだ人達しか居ない。開いてはいなかったですが、他にも死者の方々が居るのは何となくわかります」

「その……居るのが分かるんですね。すごいです」

「同じく死んだ奴同士だからかもな。───お前はなんで死んだか覚えているのか?」

「なんで死んだかですか?実は自分で……なんですよね」


 今度は音が鳴らない。

 男性は困ったように笑いながら頭の後ろを搔く。


「ここから一緒に出ませんか?」


 こんな場所に一人なのだ。一緒に行動して、今回の迎魂を終わらせればこの人も成仏できるのでは無いだろうか。

 葵がそう思い声を掛けたのだが、


「ありがとうございます。でも、人が居ないのはあれですがこの部屋は本が沢山あるし飽きないんですよ。辛いことも、苦しいことも何も無い。嫌なことを何も感じない。───一番は


 予想外の返答に言葉が詰まる。

 男が何かを思いついたというように手を叩いた。


「そうだ!貴方達もここにいましょうよ。死ぬことも飢えることもない。どうせ出られないんです。なら、ここですごせばいいじゃないですか。君達ならきっと───」


 最後は聞き取れなかった。


「そうやって嘘ばかりつきながら何人もの人を閉じ込めたのか?なぁ───池波亮司」

「───君達とは初対面のはずなのになんで知ってるのかな?」


 名前を言われた瞬間、先程までの態度とは明らかに変わった。


 男───池波亮司はまるで、被っていた仮面を外したかのように酷く邪悪な笑みを浮かべた。

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