五.
「ねぇ、大福……彼女は───佐久間さんは痛くないのかな……。あんなに怪我をして、血塗れなのに」
「痛覚にゃんて彼女には存在してにゃいよ。あれはただの彼女だった者の残りでしかにゃいんだから。けど、生きているものにとって一番大切な部分。それが形ににゃっている。だから転生が出来にゃいんだ」
「大切な部分……。それって……」
男性を追い入った部屋は悲惨とも言えるものだった。
窓は厚いカーテンによって締め切られ、やはり薄暗く。床には飲み終わったアルコール飲料缶や、ゴミが散乱していた。衣類も畳まれることなく乱雑に置かれたまま。
人一人が横になれる程のスペースに男は膝を抱え何をする訳でもなくぼんやり座っていた。
元はちゃんとした人であったのは、他のあまり入っていないであろう部屋から察してはいた。そこはこの部屋とは対象的に綺麗に整理されていたのだから。
「この男も昔はこうじゃにゃかったんだ。ただ、日向が死んだ後から駄目ににゃった。元々この部屋も綺麗だったんだよ。ここは彼、
つまり、日向が大福に「一緒に住もう」と言った場所。
大福は口悪く言いながらも、口調はどこか島津を心配しているようにも感じた。
もう一度、彼に憑いている佐久間を見る。
「それにしても、本当にあまり時間がありませんね。ほぼ消えかかってます」
「これが普通じゃないんですか?幽霊って半透明なものかと……。普通って言葉はあまり良くないかもですがその……初めてみるので」
島津の後ろで俯きながら佇む彼女は、その身体の先の景色が見える状態だ。全体的に存在が希薄に思える。
「いえ、霊魂はもっとしっかり私達は見えますよ。ただし、霊力が少なくなければですが。霊力はその魂の存在力です。身体はあくまでも『器』で、『器』が無くなっても『本体』である霊魂まで無くなる訳じゃない。ですが、死した後までずってこの世に留まることが出来ないんです。人もそれ以外の生き物も。それがこの世の理だから」
この世に器無くして留まることなど不可能なのだ。器のない霊魂が留まるにはその霊魂の存在力である霊力を削ることになるらしい。
多少の差があれど、居続ければ必ずやがて霊力が尽き───霊魂は消滅する。
だからこそ、そうなる前に居続ける理由の解消、もしくは次の転生をさせるために強制的に送還する。それが迎魂科の仕事の一つなのだ。
ここまできて、漸く大福と黒緋が言っていた「時間がない」という言葉の意味が分かる。
彼女はもう、霊力が尽きかけているのだ。
ふっと、佐久間の姿が一瞬見えなくなり再び姿が現れる。切れかけた電球のように消えて現れるを数度繰り返す。
もう、いつ消えてもおかしくないのだろう。
「最近、急激に姿が薄くにゃったんだ。俺達は霊力を回復出来るが、霊魂は無理だからにゃ。せめてにゃにがそこまで彼女を留めるのか知りたかったんだが、それも出来にゃい」
黒緋も佐久間に近寄り彼女の目の前で声を掛けたが、やはり反応は無かった。
認識してないみたいだった。
「仕方ありませんね」と溜息を一つ小さく着き、何かを準備する為に部屋を出ていこうとする黒緋。
「黒緋さん、何処に行くんですか?」
「このままじゃ埒が明かないので、強制的に門を開き連れていきます。ただこの部屋だと気が散るので使われていなくて綺麗な隣の部屋を借りますが」
「強制的に……って……それしかないんですか……?何か想いがあってここに居るのに……」
「話が出来ないのではどうしようもないんです。私達は彼女じゃない。自らが心残りなく逝けるのが一番ですが、今の状態ではほぼ不可能でしょう。無理矢理引き離すので、彼女には苦痛を与える事になりますが、このまま憑いていたら彼も彼女もどのみち駄目になる。憑かれていて悪影響を受けない訳が普通の人間ならまずないのだから。葵の初めての迎魂がこのような形になったのは残念ですが、ある意味いい経験になるかもしれませんね」
葵に向かって話す黒緋のその表情は一切罪悪感を感じさせないような笑顔で。
「苦痛を与える事になる」と平然と、何一つ変わらない様子で言う姿が逆に黒緋という存在に違和感を感じさせる。
分からない。黒緋という存在が。
「なんでそんなに普通の事のように言えるんだろう……。自分が苦痛を与える事になるかもしれないのに……。だって……それは余りに……」
隣の部屋へ向かうために部屋を出た黒緋を追うように歩き出した大福は、葵の呟きに足を止める。
「葵、これは仕方にゃいことだ。じゃないと彼女は永遠と転生することはにゃい。それに───鬼は皆何処か歪だにゃ。普通じゃやってけない」
「大福はそれでいいの……?だって佐久間さんは苦しむ事になるんだよ……?」
少しの間だが関わりを持った大福は、振り返った大福は目を細めじっと葵を見た。その顔は今にも泣きそうで。
「いいわけあると思うか?どうしようもにゃいからこうなった。多少苦痛があれ、日向は今のままじゃ更に苦しむ。にゃにも言わない、ただそこに居るだけ。にゃらば少しの苦痛で済ませれる方がいい。それがせめてもの救済であり、俺からの彼女達への恩返しだ」
何も言えず立ちすくむ葵を置いて、大福も部屋を出た。
後に残ったのは、葵と佐久間たちの二人だけ。
ぐっと唇を噛み締める。
この仕事が長い黒緋が無理だと決めたのだ。何も知らない、力もない鬼になったばかりの自分に何が出来る。
「でも、言ってたんだ。『お願い、気付いて』って。何も言ってなかった訳じゃないのに……大福達には聞こえてなかったの……?」
言っていることは分かるのだ。
なのに、何も出来ないのが嫌だと思ってしまう自分がいる。
なんのためにここにいるんだろう。
「ねぇ、佐久間さん。貴方は何で気づいて欲しいの……?何でそんなに泣いているの……?」
初めて出会う二人なのに、目の前の現実をただ見ているだけなのが辛い。苦しい。助けたいのに、何も出来ない。
───助けたいの?
不意に子供の声が聞こえた。
問いかけながら佐久間に伸ばしかけた手が止まる。
葵は驚愕に目を見開き手が止めることになった原因を凝視した。
「……君はだれ?」
目の前にいたのはさっき迄いなかったはずのまだ年端もいかない少年。
声が動揺で震える。
両手を後ろで組み小首を傾げながら葵を見つめてくる少年。
少年の髪は黒く瞳の色は濃褐色だが、それでも顔立ちがあまりにも自分に酷似していた。
聞いてはいたが本能で分かった。───これは自分だと。
「だれかは君はよく知ってるはずだよ。僕は君の一部なんだから。あはは、分からないって顔してる。今の君には分からないかもね。でも、別に今は僕が誰とかいいんだよ。何れ思い出すから。大事なのは今の君の気持ち。だから、もう一度聞くね。───君は二人を助けたい?」
「助けたい」
幼い見た目とは反して大人びた話し方をする少年に、葵は即答する。
こんな理解不能な状態なのに、酷く冷静な自分に内心驚くいた。
けれど、嘘はついていないように思えたのだ。
先程、大福は「鬼は皆何処かが歪」と言っていたが、確かにそうかもしれない。
だって、普通なら信じないだろう。
「何故助けたいの?君が全く知らない、話をしたことも無い二人だよ?」
「確かに知らない。上手くは言えないけど、目の前で苦しんでるのを見て見ぬふりは出来ないんだ。今のままじゃ彼女は救われない気がするし、嫌なんだ」
写真の明るく幸せそうだった二人が今は別人のようになってるのが嫌だった。
仕方ないと言った大福が泣きそうな顔をしていた。確かに知らない。
けれど何かを伝えようと必死になっていただから助けたい。ただそれだけ。
「君が辛い思いするかもしれないよ?それでもいいの?」
「いいよ。何でかな、例え知らない人でも目の前で困ってたり苦しんでるのに助けれないのが嫌だって思うんだ。助けれるなら助けたい」
「君はやっぱり優しすぎる。でも、そんな君だから聞こえたんだよ、彼女の声が」
「教えて、どうしたら助けられる?」
「集中して見てみて」と少年は佐久間に近づき人差しで彼女の胸のあたりを指差す。
言われた通りに見ると、ぼんやりと白っぽい炎が見え始める。今にも消えそうなとても細く、弱い炎。
「見えた?あれが、彼女を形作っているもの。叶えたい願いの為にこの世にいる魂の姿だよ。今の彼女は何かの叶えたい願いだけで留まってるんだ。だから、外からの声は届かないんだよ。彼女には余裕なんてないから。でも、葵なら助けれる。その力を持ってるから。けど早くしないと───もうタイムリミットが迫ってるよ」
二人が見ている前で、佐久間の姿が消え始める。しかし先程よりも僅かに長い時間見えなくなり、姿が現れても足はほぼ完全に消えてしまっていた。
緩慢な動きで佐久間が自分の手を眺めるような仕草をした後、拒絶をするように両手で顔を覆い首を激しく横に振る仕草をする。
「佐久間さん……!!」
思わず葵は佐久間に向かって走り叫びながら手を伸ばす。その身体は瞳の色と同じ、天色の光に包まれているが葵は気づかない。
だがそれに反応するように突然、今まで大福達にも反応を示さなかった佐久間が顔を上げ、泣き腫らした瞳で葵を見て手を伸ばしながら確かにこう言った。
───「お願いします、たすけて」と。
伸ばした手がお互いに触れた瞬間、葵から発せられた光が二人を包む。
咄嗟に目を閉じた葵は次の瞬間、何か強い力に何処かに引っ張られる感覚に襲われた。
「葵、ごめんね……。君が手に入れた力はきっと君を傷つけることになる……。けど───」
掠れる意識の中、最後に見たのは葵の手を握り泣きそうになりながら謝り何かを言う少年の姿だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます