三
黒緋の言った通り、すると徐々に炎は消えていった。
炎が消えると同時位で札も効力を失ったのか、跡形もなく消える。
残ったのは僅かに焦げた臭い。そして荒く肩で息をしている暁月だった。床は暁月の周りだけ黒くなっている。
「あ、落ち着いたみたいですね。三時間ぐらいですか。いつもは二時間かかるかかからないかですが今回は少し長めでしたね。姿も戻り始めたし、もう大丈夫かな」
怒らせた本人なのに黒緋は他人事のような顔をしていた。
暁月の全身が赤色から初め見たような人肌の色へと戻り、角や牙も小さくなっている。
床に座り込んだ暁月は疲れ果てているように見えた。
「あの……大丈夫ですか……?良ければ……」
「すまねぇ、助かる。───っぁち」
近寄って新しく淹れたばかりのお茶を差し出す。
暁月に「お茶を入れてあげて」と言われたのだ。
僅かに掠れた声で礼を言った暁月は、一口飲み小さく一言零した後に自分の横に湯呑みを置いた。
微かに眉が顰められている。
黒緋に直ぐに出して欲しいと言われて出したのだが、口に合わなかったのだろうか。
心配になり、黒緋を見るが表情は変わらず笑みを浮かべているだけだった。
「おい、黒緋。テメェ……」
「あ、バレました?」
「たりめえだろ。……ったく。───あぁ、お前……名前はなんだったけか」
「あ、葵です。口に合わなかったですか?」
「葵か、茶ありがとうな。あと、口に合わなかった訳じゃなくてだな……あー……その」
歯切れの悪い返答に
俺はさっきから言われてるからわかると思うが暁月。迎魂科弍所属の獄卒で、『貪欲』の煩悩を司る赤鬼だ。……さっきは初対面なのに悪かったな。怖かっただろいきなりあんなんで」
「いえ。驚きはしたんですが、なんと言うか……慣れてきたんですかね。自分で言ってて変なんですが。それよりも暁月さんや黒緋さんが火傷や怪我とかしないかが心配だったので」
「出会ったばかりで、しかもあんな状態だったのにか?」
迷いなく頷く。出会ったばかりであっても目の前でいきなり燃えたのだ。心配しないわけが無い。
葵の返答に暁月は眉根を寄せ、何かを思案するかのように数秒黙り込んだ。
何か気に触ることを言ってしまっただろうか。
微かな不安を感じていると、暁月が口を開く。
「───お前、おかしいぞ」
心臓がドクンと跳ねる。
こちらを見つめている暁月から目を逸らしたいのに逸らせない。
「おかしいって……どういう……。初対面なのに」
湯呑みを持つ手も声も震える。
お茶の温かさが手から伝わる筈なのに酷く手先が冷たく感じた。
「だからこそなんだよ。初対面で、いきなりさっきみたいな事になって、何故お前は普通でいられる?地獄に来た時、自分が鬼だと分かった時、お前は何を思った?」
「何をって……ここにいても仕方ないって……だからついて行こうって思って」
見知らぬ場所で、見知らぬ者と出会ってそのままついて行った。
一番知っていそうだったから。今の自分には何も出来ることはないのだから。
それの何がおかしいと言うのだろう。
暁月は更に言葉を続けた。
「お前が力を使って倒れた時、運ぶのを手伝ったから実は初対面じゃねぇ。目が覚めて、自分が死にかけたのにそれでもこいつに着いてきたのはなんでだ?また死ぬかもしれないのに」
「自分の力で助けれる人がいるなら、助けたいと思ったからです」
「───それでお前が死ぬことになってもか?怖くないのか?」
「怖い……?怖くは無いです。だって力を制御出来れば死なないかもしれないし。ううん、違う、制御して迷惑をかけないようにしなきゃ。今度は失敗しないように……。誰も……傷つかないように」
失敗しないようにしなければ。
せっかく力が手に入ったのだ。
制御すればより助けられる。だって目の前で困ってる人を助けれないなんて嫌だ。
またあの時みたいになるなんて耐えられない。『あの時』ってなんだ。知らない。知らないのに、酷く辛い。
何かが心の奥底で溢れようと暴れ、乱される。
手から湯呑みが落ちるが、葵には気にする余裕などなかった。
震える身体を抱きしめるようにしながらうわ言のように呟く。
何かに耐えるように顔を歪ませる葵に、暁月が訝しげな表情をする。
「おい───」
様子がおかしいことに気づき、葵に近寄ろうとする暁月を横にいた黒緋が制す。
ゆっくりと震える葵の背中をさする。
『ごめんね』と天音の声だけが聞こえた気がした。
「大丈夫、無理に思い出さなくて。それは今思い出すことじゃない。だからほら、今一度忘れてしまいなさい」
穏やかな声に徐々に心が落ち着いていく。
荒ぶっていた心の中が嘘のように静かになり、平常に戻る。
「───あれ?俺、なんでお茶こぼしてるんだろう。ってすみません!すぐ片付けますので……!!」
はっと顔を上げお茶の零れた木目の床を見て慌てる。
先程までなんでだかとても苦しかったはずなのに思い出せない。
何をさっきまで考えていたのだろうか。自分の事なのに分からないのだ。
「ああ、拭いておくのでそのかわりに新しくお茶もお願いしていいですか?あ、暁月には特別熱々で」
「ふざけんな。分かってて言ってんだろ俺が猫舌だってこと」
「なんの事だか。じゃあお願いしますね、葵」
「熱くしすぎない程度に頼んでもいいか?」
きっと大したことがなかったのだろう。
申し訳なさそうな暁月に頷き、小走りで隣の部屋へと行く。
黒緋には熱々でと言われたが、少し冷ました物を暁月には出した方がいいだろう。
それにしてもあの黒緋が時々ため口で、茶化したりする相手がいるのか。
隣から聞こえてくる二人のやり取りに思わず笑みが浮かんできた。
「さて、美味しいお茶煎れるか」
鼻歌交じりにお茶を準備する葵には、その腕に腕輪が無いことに気付かなかった。
***
閉められた扉越しに鼻歌が聞こえてくる。
暫くは出てこないだろう。
黒緋は一つ息を着いてから、暁月に視線を向ける。
「全く、あの子はまだ不安定な存在なんだよ。大方君のことだから初対面があの瀕死状態だったし心配だったんだろうけど。そんな強面なのに相変わらず世話焼きだね君は」
「それはすまなかった。反省してる。だが、お前は何故言わない?」
「わざわざ言う必要はないでしょう。無ければないで獄卒としては困らない。寧ろ無い方が良いとさえ思っているからね」
「お前中々鬼畜だな。昔から」
「私は鬼ですから。それに、大体どこかしら狂っている者ばかりだからねここにいるのは」
「鬼より前からだろうが」
呟く言葉に黒緋は反応を示さない。
「さて」と立ち上がり、床を拭くための布巾を取りに行く。
葵の居る部屋の奥にもう一つ小部屋があり、そこへ入る。
パタンっと戸を閉めて一人になった部屋に、ふと気配を感じた。
「そんなに睨まないでくださいよ、天音君。暁月もやり方は強行でしたが葵を心配してやった事なんですから」
「僕は黒さんの事が嫌いだ」
黒緋の前に現れた天音は怒りの感情を向けていた。
名を貰ったからだろうか、葵と見た目は一緒なのに全く異なるように見える。
「ええ、知っています」
初め会った時から気づいてはいた。
けれど別に何ら問題はないし気にしてもいない。
「貴方は葵を何よりも1番に考える。だから、先程も私に協力したのでしょう?葵が壊れてしまいそうだったから」
「無理矢理『箱』が空けられそうだったからああするしか無かっただけ。あれは今開くべき物じゃないから」
先程、葵の直前の記憶が消されたのは天音によってだ。
正直あのまま行っていたら壊れていただろう。
「黒さんは葵の事を傷つけてばかりだ」
「そうかもしれませんね。あの子は強くて弱い。だから、天音。貴方は葵の味方でいてあげてください。何があっても」
天音の横を通り、壁に備え付けられた棚から布巾を取り出す。
そのまま部屋を出ようと戸に手をかけ開く。
葵は既に暁月のいる部屋に戻ったようで姿はなかった。
「───だから僕は貴方が嫌いだ。ずるい。葵の事誰よりも心配している癖に平気で隠してる。僕じゃ葵を助けることなんて出来ないのに」
閉める扉の向こうから聞こえたのは泣きそうな天音の声。
「これはあの子が乗り越えなきゃいけないことですから。まぁ思い出さないなら出さないで獄卒にはいいんですけどね」
どうせここにいるものは全てどこかがおかしいのだから。少しぐらい狂っているぐらいが丁度いい。
罪から目を背け、過去の自分を全て消してしまえばいい。
「そうすれば楽なのですから。まぁもし全て思い出して、壊れたならその時は───」
黒緋の言葉を聞くものは誰一人として居なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます