七.
「ご、ごめんなさい……。誰かが私を見て話してくれたのが久しぶりでつい。本当にここに来てくれるなんて思っていなかったので。その、幻でも見たのかと」
漸く肩から離された手にほっと安堵する。
勢い余って思い切りゆすってしまったことが恥ずかしいのか、少し顔を赤くしながら謝罪された。
「いえ、寧ろこちらこそいきなり入ってきてすみませんでした……。獄卒の津長葵といいます」
「あ、いえいえ。確かにびっくりしましたが……それこそ喜びが勝ってしまって。鬼……なんですね。獄卒って本当にいたんだ」
名乗ったあとに何も言えず黙ってしまう。
意図せずだったとはいえ、相手の心の奥底まで入り込んでしまったのだ。しかも、見ず知らずの相手だ。相手からしたら本来嫌悪を覚えても仕方ない状態。
更に鬼など恐怖を覚えられのではないか。
葵と佐久間の間に気まずい空気が漂う。
何か言わなければ。でも何を。
無言のまま時だけが過ぎていく。
「───もうっ、話しないと時間が無いんだってば……!葵、ほら!」
そんな空気に耐えかねたのか、それまで黙っていた少年が急かし始める。
突然の事に葵の肩が跳ね上がる。
「どうしたんですか?」と小首を傾げ尋ねる佐久間になんでもないと首を横に振る。
よく驚かないなと少し驚愕する。まるで、少年の声が聞こえていないみたいに、反応が薄い。
「貴方はどうして、私を助けてくれようと……?」
何度か聞かれた質問。
「多分、深くは考えていなくて、ただ見過ごせなかっただけなんだと思います。けれど───」
言葉を区切り、目を閉じる。
最初は咄嗟に身体が動いただけだった。自分に何か出来るとかそんな風には微塵にも思ってなくて。
葵に手を伸ばして、「助けて」と言われたから。
けれど、見てしまった。感じてしまった。
温かい家族がいた。優しい彼がいた。大事な友人や大事なものが沢山彼女にはあった。そしてこれからもできる筈だった。
巡る想いはやはり同じもので。
「見て、知っちゃったから……だから尚更、助けたいって思ったんです。貴女と島津さんを。勝手に貴女の大事な思い出を見てしまって、すみませんでした」
「違います。私が貴方に見てもらいたかったから見せた……に近いのかな?誰にも気付かれず、誰にも気付く事が出来なかった私に、何故か気付いてくれた、気付かせてくれたから。だから見せた……んだと思います。何でかな。きっと、助けてくれるかもってそう感じて。可笑しいですよね、初めて会ったのに。でも不思議と葵さんを怖いと感じないんです」
微笑みながら言われたその言葉は本心だと葵には思えた。
「皆心の奥底は鍵を掛けてるんだよ。その人自身の記憶を───人生をしまっているから。人生は、誰一人として同じものが無い唯一無二の物語なんだ。彼女は、葵を受け入れてその物語の一部を見せてくれたんだよ。君に佐久間日向という人間を知って欲しくて。そうじゃなきゃ、あっさりここまで来れないし、葵も無事じゃなかったかもね。ただ、入り込みすぎて自分を見失いかけてたのは流石に慌てたけどね」
自分だけの人生───『物語』。
無理矢理それを覗き見ようとすれば、見た者の負担はかなり大きい。現実へ戻る事も困難になる。
「色々詳しく説明すると複雑過ぎたりするから省略するけど、今いる空間───
佐久間の領域へそこまで苦がなく来れたのも、彼女が受け入れたからに他ならなかったらしい。
上を見上げても灰色の天井が広がっている。
これが佐久間の心の領域。だとしたら余りにも寂しい。
「こんなに殺風景なのが不思議ですか?」
「その……はい」
佐久間も同じように上を見る。
「───死んじゃった当初は勿論、受け入れられなかったし、『なんで自分が』って思って。皆泣いていて、それが見ているのも辛くて昼間とかこの世界によく逃げ込んでた。最初はね、もっと暖かい場所だったんです。色んな思い出が詰まった、宝箱みたいな場所でずっと泣いてました」
落ち着いた静かな口調で語られる話に、葵は何も言わずただ耳を傾ける。
夜は現実の色々な思い出の場所を見てまわって、昼は自分だけの世界で悲しさに涙を流して。
ゆっくりと、周りも佐久間も徐々に現実を理解して前に進もうとしていたらしい。
「寂しさを感じはしたけど同時に、安心もしたんです。皆私の分まで生きようとしてくれてるって。けど、一番心配をしていたたまちゃん───島津環だけはやはり違いました」
最初は島津の元には行けなかったのだと佐久間は言う。
佐久間が最期に聞いた声が、向かおうとする気持ちを揺るがせたのだと。
事故直後の悲惨な姿の佐久間を、島津は何も出来ずに見ていることしか出来ていなかったのだ。
仕方なかったとはいえ、島津が苦しむ要因を増やしてしまったことに罪悪感を感じてしまったのが大きかったらしい。
「それでも、やっぱり彼に会いたくなって会いに行ったんです。私が私として終わる最期に一目だけでも見たくなって。たまちゃんを見て、言葉を失いました。久しぶりに会った彼は、生きているのに私と同じようにあの日から時を止めてしまっていたんです。正直、想像していた以上でした」
一筋、涙が佐久間の頬につたう。
必死に堪えようと顔は歪むが、結局こらえることが出来ず顔を両手で覆った。
「夢で恐ろしいものを見るのか、うなされて……やがて寝ることに恐怖を覚えてました。ご飯も食べずに、無気力に毎日を過ごして。優しかった彼が壊れていくのを見ているしか出来無いのか辛くてしかたがなかった」
佐久間の悲痛な声を聞き、葵の胸がズキリと痛みを感じさせる。
「そこからです、この空間が今の様になり始めたのは。ずっと現実世界にいたせいか、存在が薄くなってから来たらこうなっていたので、正確にいつかは分かりませんが」
「そう……なんですね」
何を言えばいいか葵には分からなかった。
「本来、霊って言うのは夜に姿を現すのが多いんだけど、それは霊力の消費が少ないからなんだよね。逆に昼間に姿を現す事は消費が多くなる。彼女が消えかけるのが早かった原因の一つは昼にまで彼の傍に憑き添っていたからなんだね」
「佐久間さんが思いを伝えるには、どうすれば良いのか分からないけど、一度現実世界に戻らなきゃ行けないんだよね?俺は君を信じていい……?」
「別に今までの話も全てを納得する必要も無いさ。けど、何があっても僕が君の味方である事は信じて欲しいな。それと、多分戻るのは佐久間さんに言えば戻れるよ」
少年はこの先どうすれば良いか分かっている様子だった。
佐久間に現実世界に戻してもらおうと向き直ると、そこには不思議そうな顔をした佐久間がいる。
「佐久間さん、あの……現実世界に戻りたいのですが……。どうかしましたか?」
「えっ!?あ、はい!分かりました。少し待ってくださいね」
はっと我に返ったような様子の佐久間が、葵に背を向けた。
少しして、佐久間の目の前に突如木製の片開きのドアが現れる。
ドアノブを回し、佐久間が扉を開けて手の平を上に向けドアの向こうへ差し出す。
ドアの向こうは白いだけで何も見えない。
「先に進めば戻れると思います。そして、現実世界に戻ったら私はまた、何も喋れないと思います」
「必ず……助けますから。貴女も、島津さんも」
決意を込め、光に足を踏み出す。
道は一本しかなく迷うことはないだろう。
背後で甲高い音とともに、扉が閉まり始めていた。
「ありがとうございます。宜しくお願いします。こんな世界で───たった一人会えたのが貴方で良かった」
思わず振り返る。
既に扉は閉じてしまっていたが、確かに聞こえた。
「彼女には……見えていなかった……?」
「そうだよ、気づいていなかったんだ」
隣を歩いていた少年があっさりと肯定する。
漸く分かった。佐久間が不思議そうに葵を見ていた理由が。
思い返せば、佐久間は一度も少年を見ていなかった。名前についても聞いてきてなかった。普通なら声を掛けてもおかしくないのに。
「言ったでしょ?『僕は君の一部だ』って。今の僕は基本君にしか見えてないし、聞こえないんだよ」
「なるほど、だから何があっても味方ってこと?」
「まぁ、そういうことかな。これからきっと色々分かってくるよ。僕の事も葵の事も。───っと、葵。出口見えてきたよ。準備はいいかな?」
少し先には入口と同じドアがある。
「じゃあ、この物語を幸せな終わりに出来るようにしようか、葵の力で」
頷き、葵はドアを開き現実世界へと戻った。
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