二.
会わなければ、過去の出来事のまま終われたのに。
自分がこんな奴だと、自覚せずに済んだのに。
***
地獄にある自室で畳に寝転がったまま、首に掛けた勾玉を手に取り眺める。
ぼんやりと眺めるのは黒緋が鬼術を使い作り出した艶のある漆黒の勾玉。
激情に支配され、殴り掛かろうとした葵を止めて渡してきたものだ。
「今のままでは触れることすら出来ませんよ。二日です。その間これを身につけていなさい。そうすれば自然に葵の気が蓄積される。その期間、考えて───もしそれでも貴方が、あの人を本当に殺したいと思うなら、この勾玉に強く願いなさい。そうすればこれはあの男を殺すことが出来る武器になる。私がそうなるように力を込めました。ただし……」
黒緋が一旦言葉を区切る。
その目はとても鋭い目付きで。
感情に支配されるまま思わず突っかかろうとした葵は口を閉ざした。
それ程までに口を出すことを許さない雰囲気だったのだ。
頭に上っていた血が僅かに引く。
「───ただし、やるならば相応の覚悟を持ちなさい。貴方が地獄に堕ちても構わないと思うほどの。人を殺すと言う事は殺される覚悟を持たなければならない。いいですか?この勾玉が現世の物に干渉できるのは一日限りです。それを過ぎれば効力を失います。あとは、誰が何と言おうと貴方が決める事。貴方が責任を負うことです。それまでは、存分に悩みなさい」
黒緋がどこかに消えた後実際、男に触ろうとしたが無理だった。
そのまま居続けると正直何をしでかすか分からなかった。
結局どうしようもなくて、すごすごと家に帰った。
帰っても先にいなくなってた黒緋の姿はなかった。
静かな部屋に一人きりで横になっていると、様々なことを考える。
何故黒緋は会わせたのか。
あんなものを見なければこんなにも自分の中に強く残っているなんて気付かずにいられたのに。
黒緋が犯人だと言っていた相手は、自分も想像していた人で。
考え始めたことで再び鬱積した恨みが、怒りが蠢く。それ以外あった全ての感情を飲み込んで心を支配していく。
「───何故貴方だけ幸せになっているんですか?俺達をあんな目に会わせて、何故笑っているんですか?」
荒れ狂う心の中とは裏腹に、こぼれた言葉は自分でも驚く程に冷ややかで。
徐々に顔から表情が消えていく。
静かに勾玉を見つめる天色の瞳は光を失い、ただひたすらに恨みと怒りを込めた暗く冷たい眼差しになる。
人間は感情に支配されるとはよく言ったと思う。
鮮明に思い出される過去の記憶は。それは、地獄の日々で。
***
「───まぁまぁ、働き口が見つかったの!しかも貴方が行きたがってた所!すごいじゃない、葵!」
祖母が嬉しそうに葵を抱きしめる。
はにかみながら、葵も優しく抱きしめ返す。
祖母の小さくて細い身体。
昔はもっと大きく感じていたのに。
「俺、頑張るね」
「おう。……まぁ無理だけはするな」
ぶっきらぼうに言う祖父の身長も気付いたら抜かしていた。
当たり前のことだけどそれだけ自分は成長したし、じいちゃん達は歳をとったんだ。
久しぶりに祖母に抱きしめられて改めて実感する。
上手くいくかという不安と期待が入り交じりながら始まった社会人生活。
想像していた以上に忙しく、慌ただしく時が過ぎていく。
だがそれでも毎日が楽しくて、充実していた。
職場の仲間とも打ち解け、任される仕事もだんだんと増えてくることに喜びを感じていた。
仕事が終わって家に帰ってきたら、祖母が作ってくれた暖かいご飯を囲みながらその日のたわいない話を家族とする。
祖父と偶に酒を飲みながら二人だけで語らうのも好きだった。
幸せな日々が毎日続くなんて思ってはいない。母が亡くなってからは尚更だ。
だからこそ、今ある時間を、関係を大切にしたかった。特に家族の時間は。いつか先に祖父母が居なくなるのだから、悔いがないようにと。
祖父はそれを聞いて、
「優しいな。だが、そんなん毎日考えてたら疲れるぞ。もっと気楽に生きろ。俺達ばかりじゃなく、自分のためにも時間を使え。お前が楽しく過ごしていることが、俺らの幸せなのだから」
小さく笑いながら言った。
毎日の生活に陰りが見えてきたのはそれから暫くしてからだった。
きっかけは職場の同じ歳の女性である田邊たなべとの会話。たまたま入った時期もそこまで変わらずにいるため、関わりも長かった。
田邊はしっかりしており、仕事を正確に行う人だ。ここ最近会社を休んでいたのだが、今日久しぶりに出社した。しかし余りにもミスを繰り返し、心ここに在らずという様子の彼女が心配になり声をかけた。
肩を大きく跳ねさせ勢いよく振り返った田邊は、葵だったことに安堵した表情をする。
なんとか普通を装っているようだが、明らかに様子がおかしい。
丁度休憩時間になるため、昼ご飯を誘い近くにあるカフェに行く。
飲み物片手に葵は田邊が話すのを待つ。
着いてきてくれたということは話してくれるだろうから。
そして漸く彼女の口から出た言葉に葵は驚愕するしかなかった。
「───ストーカー……?」
「うん……。それが最近続いてて、少し休んでたんだ」
弱々しく笑う田邊はかなり参っているように思う。
後を付けられてる気がしたり、無言電話をされたり。自分がいかに田邊を好きかと言うことを綴ったメールが大量に送られてくるらしい。拒否しても何故か届くそれらに、日に日に外に出ることすら怖くなったと。
「そしたら、『仕事に行かずに家の中に居るっていうことは、君の家に行ってもいいってことかな?』って来て……。それが、怖くて……」
カップを持つ手に力が入り震える。
じわりと目尻に涙が浮かぶのを慌てて彼女は拭った。
「親とか警察には?」
「親には言って、タイミングが合えば時々迎えに来てもらってる。警察には逆恨みされそうで……。ごめんね、津長くんにこんなこと言っちゃって……」
最近は迎えがない時に一人で帰る事が怖くてしかたないと田邊は言う。
少しの間逡巡した後、葵は頷く。
「確か、田邊さんって俺と同じ駅だよね?」
「うん……。それがどうかしたの?」
「もし良ければ、近くまで送るよ。───あ、家は教えたくないと思うから近くまで!……いや、これもおかしいのか……?えっと、特に本当に変な意味じゃないんだよ!その、他の男がいたら多少は警戒するかもしれないかなって!」
目を丸くしたまま固まる田邊に、慌てて言葉を続ける。
思いつきで言ってしまったが同性ならまだ兎も角、異性なのだ。しかも恋仲でもない、ただの職場の同僚。
やらかしたと若干青ざめる葵の耳にくすくすと小さい音が聞こえる。
「大丈夫、津長君がそういうつもりじゃないのは分かってるから。私の家、駅から近いんだ。じゃあ津長君が良ければ……大丈夫かな?」
「うん、いいよ。じゃあ───」
スマホのマップアプリに送り届ける住所を登録する。駅から歩いて十分程の場所だ。
ここなら自転車で家に帰るまでもそこまで遠回りにならない。
申し訳なさそうに謝る田邊に、葵は気にしないでと手を振る。
「困った時はお互い様だし、家からもそんなに遠くないから大丈夫」
にっこりと微笑むと、彼女は安堵したのか先程までよりも力が抜けて表情が和らぐ。
「津長君がいて、相談にのってくれて良かった。声を掛けて貰えなかったら、話すことも出来なかった。ありがとう」
「余りにも辛そうだったから聞いちゃったけど、少しだけでも気持ちが楽になったなら良かった」
お互いに顔を見合わせ笑いあった。
ここから仕事終わり、週に二日か三日程彼女と共に帰る少し変わった生活が始まった。
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