終獄 罪ト罰ト獄卒
一.
木々が揺れる音に耳を澄ませる。
先程まで高揚していた気分はなりを潜め、今は逆に憂鬱ですらある。
ちらりと来た道に視線を向けると、暁月と鬼に成って日が浅い葵の姿がある。
「人に嫌われたり怖がられたりする事には、慣れてたつもりなんだけど……」
声を掛けた時の葵の反応を思い返し、黒緋は小さく息を着いた。
今まで怖がらなかったのがおかしいぐらいなのだ。それがあったら行動を共にすることすら困難だったかもしれない。
「例え今回のことを乗り越えたとしても、もう共に居られないかもしれないね」
「なんじゃ怖いのか?」
頭の中に椿姫の声が響く。
池波を喰らい満足した彼女は再び鈴に戻っていた。
「どうなんでしょうね。私も久しく感じてない感覚なので、わからないです。ただ───」
「ただ?」
黒緋は上手言葉に出来ず、誤魔化すように苦笑した。
「いえ、なんでもありません」
喉元まで出かけた言葉をつばと一緒に飲み込む。
これは言うべきでは無い。
緩く首を振り、手元にある迎魂台帳に視線を戻す。
そこに出ている名前は、よく知っている名前だ。
本当に残酷な運命だと思う。
「私はまた、葵に酷いことをしてしまいますね。……泣かせてしまうかなぁ」
あの子に泣かれるのは嫌だな。
「仕方あるまい。これは葵の罪であり、お主の罪でもある。最初から分かっていたじゃろ」
台帳が何時もよりも重く感じるのは、気持ちのせいかもしれない。
再度目を落とし、名を辿る。
分かっていた。初めから。何故ならその選択をしたのは自分と『彼女』なのだ。
「とうとう、貴方の番なのですね───」
声は掠れ、風にかき消される。
再び会える嬉しさと、悲しさ。
相反する気持ちが胸を駆け巡るのを落ち着かせるように一度目を伏せ、僅かに訪れる闇に身をゆだねる。
感情に蓋をするのは得意だ。
次に目を開けた時にはいつも通りだ。
「行きましょうか、椿姫」
椿姫に微笑み掛け、台帳を仕舞う。
「葵もそうじゃが、本当に素直じゃないのぉ。言えば良いものを」
呆れたような椿姫の言葉を黒緋は聞かないことにした。
***
訪れたのは住宅地だった。
移動はやはり地蔵ゲートだったが、今回は大福がいなくても場所が分かるらしく黒緋は迷うことなく進む。
暁月と別れてすぐ、葵達も移動した。
「着いてきてください。見せたいものがあります」
そう言った後、黒緋は口を開かず葵も言うことが思い浮かばずにおり無言だ。
黒緋の僅かに後ろで歩くのは怖いからと言うよりも、彼を傷つけてしまったかもしれない気まずさが大きい。
それに対しても何も言わずに黒緋は笑みを浮かべるだけだった。ただ、その瞳が少しだけ悲しげに見えた事がより罪悪感を覚えさせる。
普通にしなきゃと思えば思うほどぎくしゃくしてしまい、より話すことが出来ないのだ。
柔らかな日差しと小鳥の声、木々のさざめきに少しだけ心が安らぐ。
ふと子供のはしゃぐ声が聞こえ、横を見る
。
小さな公園だ。
「おとうさん、おかあさん、はやくはやく!」
男の子が楽しそうに走りまわっている。
後ろには両親が「気をつけて」と叫びながら笑いあっていた。
ひとしきり走った男の子が父親に飛び付く。
「うおっと!?」
「ねぇねぇ、一緒にあそぼうよ!おかあさんも!」
ガシッと受け止めた父親に男の子が抱きつきながら言う。
母親が頭を撫でながら、問いかけた。
「えー、何して遊ぶの?」
「うーん……あ!じゃあ───」
本当に楽しそうだ。
仲睦まじい三人の様子に葵は歩みを止めて、見入った。
公園の家族に過去の自分達の姿が重なる。
父親はいなかったけど、よく家族で近くの公園に来て遊んだ。
「───貴方の家族はどんな方々でした?良ければ教えてくれませんか?」
横を見ると黒緋が立っていた。
視線は公園にいる家族に向いている。
予想外の質問に戸惑いながらも葵も視線を公園に戻し、躊躇いがちに口を開いた。
「───皆優しくて暖かい家族でした。特に母は何時も明るくて、太陽みたいだなって思ってました。あ、勿論怒ると怖かったですよ?……何か悪いことをしたら基本は母と祖母が怒って、祖父は滅多に怒らなかったです」
「父親が居なくて、寂しくはなかったですか?」
「それは……実を言うと全く寂しくなかったってことは無いかも。物心ついた時から居なかったから普段は思わなかったですけど、小さい頃はやっぱり周りの友達を見て羨ましいとか考えてました。特に、母が亡くなった時は」
何故自分には父親が居ないのかと一度母に尋ねたことがあった。
ただ一言、「ごめんね」と言ったその時の母の表情はとても泣きそうで。
それから聞くことは止めた。
「あ、でも父や兄がいたらこんな感じなのかなって思う時はありました」
「そうなんですか?」
「母が亡くなって、良く一人で家族で遊んだ公園に行ってたんですね。その時に、よく話してくれた人がいて。その人に言われたんです。『どの選択肢を選んでも後悔はします。ですから、自分の後悔が少ないように生きなさい』って」
泣いていた時に静かに頭を撫でてくれて、そばにいてくれた。誰にも話せなかった気持ちをその人には打ち明けていた。
今の黒緋みたいに静かに話を聞いてくれるから話しやすくて。
何時も夕方の薄暗い時間、一人の時にしかその人には会えなくて。
会った時は遊んでもらったりもした。
今思うとなかなか恐ろしいことをしたと思う。
見ず知らずの人と二人で会っていたのだから。
その人は葵が高校になる直前に姿を現さなくなった。
最後に、
「亡くなった母の分まで生きて、家族を大切にしてください。信じてくれる人を裏切らずに、誠実に生きてくださいね。約束です。───また、会いましょう」
そう言い残して。
けれど過去の自分にはとても大きな存在だった。
何回も会って、色々話した。
なのに───
「俺はその人が凄く好きだったし、憧れていたのに───どれだけ頑張っても顔が思い出せない。それに……結局光嗣さんとの約束は守れなかった……。やってもいないのに犯罪者だと世間から言われ、母よりも長生きもできず、大切な家族を悲しませた。そして、そんな自分とこんな目に合わさせてのうのうと生きてるであろう真犯人を───怨んだし、憎んだ。───殺してやりたいって思ったんです。自分自身を……犯人を。……本当に、母にもあの人にも合わせる顔がないですね」
葵は自嘲的に呟いた。
家族や周りの為に出来ることをしたいと願っていた。
常に誠実でありたいと思っていた。
なのに、結局願いは叶わず守りたかったものは何も守れなかった。それどころか、傷つけ悲しませることしか出来なかった。
もし、死なずに自分を陥れた犯人に会っていたら自分はどうしていたのだろうか。
「あっ……すみません!こんな話をするつもりはなかったんです。今更言った所で、どうすることも出来ない過去の事なので!忘れていたものが想像以上でびっくりはしましたが、引きずっても仕方ないですし!」
黒緋を見上げて努めて明るく言った。
所詮どうすることも出来ないのだ。蘇った怒りも、恨みも恐怖も。
きっと急にこんな話をされて黒緋は困った表情になると思っていた。
だが黒緋は葵の背後の道を指さして、
「やはり思い出したんですね。───ああ、良かった。葵に見せたかったもの───正確には貴方に会わせたかった片方の人が丁度来てくれました」
後ろを振り返った葵は瞠目した。
遠くから一人の男が買い物袋を片手に、上機嫌に口笛を吹きながら近づいてくる。
一度だけ、見た事あるだけだが直ぐに分かった。
「なん……で……」
全身が湧き上がるどす黒い感情に、震える。
「もし、貴方が生前殺したい程憎んだ相手に報復することが出来ると言ったら、貴方はどうしますか?」
男が葵の横を通り過ぎ、すぐ隣にある一軒家に入っていく。
玄関に近づくと扉が開き、中から乳児を抱いた女性が姿を現した。
互いに頬にキスをし合い、家へと入っていく。
「出来るんですか……?アイツに……報復することが」
黒緋の言葉に葵の瞳は暗く深い闇を宿す。
他のどんな感情をも凌駕し、冷静な思考を奪い全てを塗りつぶしていく。
冷静でいられるはずなどなかった。
───なぜならその男こそ葵に罪を被せ、『あの事件』を起こし、葵とその周囲の多くの人の人生を狂わせた張本人なのだから。
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