十三.
弾かれるようにして距離を取った。
同時に触れていた核の部分が引っ張りだされ化物の姿が消える。
カランっと核が地面に落ちた。
「───見たんだね。いや、体験したのかな?まさか核にまで来て触れることが出来るなんて思わなかった。凄いんだね君は」
荒い息のまま声のした方を向くと、池波が立っていた。
血塗れの状態で口角を上げている姿は正しく先程、追体験中自分が鏡で見た時と同じだった。
恐らくだが核を取り出した事で、人間としての池波の姿が再び現れたのだろう。
黒い化物は姿を消していた。
先程の感触が蘇る。
鈍器の重さも、人の温かさも、肉を刺す感触も。そして、首を括った苦しさも。
まるで、自分がやったかのようだった。
吐き気が込み上げて来るのを必死に堪える。
自分は葵だ。津長葵。池波亮司ではない。
言い聞かせ無ければ分からなくなりそうだった。
「きっと君を取り込んだらその力も手に入るのかな?怖い?震えてるよ。でも、うん、さっきよりより人間らしいや。きっと彼女も喜ぶよね。良かった、これでまた彼女の為に役に立てる」
悪びれた様子が無いことに葵の奥底からふつふつと怒りが沸き上がる。
言っていることが何一つ理解できない。
「貴方は罪悪感がないんですか……?」
「何言ってるんですか?彼女の為ですよ。あの時はああするしか無かった。だってあのまま家を出て行ったら彼女が悲しむことに沢山あう。そんなの嫌じゃないですか。僕は彼女を愛してるのだから。彼女も変わることなく居続けれるなら幸せでしょ?」
「本気で言っているんですか……?」
返答は無かった。ただ、微笑んでいた。
それが答えだ。
「ふざけないでください……」
声が怒りを抑えきれずに震える。
こんな人の為にこれ以上囚われた魂が喰われるなんてあってはだめだ。
「全部自分の為じゃないですか。自分が悪いのに認めずに、他人のせいにしてっ!貴方は結局自分が一番だったんでしょう!?」
「───貴方には分からないでしょうね。親に認められない僕の気持ちなんか。優しそうな人達に囲まれていた貴方に」
叫ぶ葵に対して、返ってきたのは感情を押し殺したような静かな声だった。
葵が記憶を見た時、池波もまた葵の記憶を見たのだろう。
「想像できないでしょう?どれだけやっても見向きもされず、笑いかけてすらしてくれない人の気持ちを。首を絞められて『貴方なんかいなければ』と言われた人の気持ちを。あぁでも、記憶の中であの人達にあってるだろうから、何となくは分かってくれるかな」
返す言葉がなく口を噤む。
確かに一部だが池波への家族の対応は知っている。
暴力を振るう母と、それを止めさえしないで見て見ぬふりをする父と弟。
池波の心が冷たく凍っていったのは中学の辺りからだ。
小学生の時は必死になって褒められようと頑張っていた。だが、現状は変わらずむしろ悪化するばかりだった。
そのうち感情を表に出すのではなく、しまい込むことが当たり前になっていく。
幼い頃から外では仲の良い家族を装うことを強要されていた池波にとって、嘘とは自分を守る手段でもあったのだ。
「───人に嫌われたくない、好かれたいと思う。良く見られたい。だから人に優しくするし、人に合わせる。好かれるために自分を偽る。僕もそうだった。君もそうでしょう?誰も自ら嫌われたい人なんていない」
「違う」と即答出来なかった。
誰しもが当たり前に思うことだ。
嘘も誰でもつく。
人の為に何かができる自分に嬉しく感じる。
自分の発言で相手が傷ついてしまうかもしれないと考える。
逆に、考えずに起こした行動で相手を傷つけ、関係が壊れてしまうこともある。
この世の中は恐怖を覚えることが沢山ある。
「僕はそうやって学校でも、社会でも周りに合わせてきたのに皆離れていくんだよね。自分のことを後回しにして、頼まれたら何でもやったのに。なんでかな、結局みんな離れていくんだよ。分かってくれないんだ」
「そんなの当たり前じゃないか。自分の為につく嘘ばかりつかれて、一緒にいたいと思う人間いないと思うけど」
今まで口を挟まなかったアオが不愉快げに言い放った。
「君はなかなか言うね。同じ姿なのに」
「それはどうも。……結局、唯一だった彼女すらも嘘が原因で関係が壊れた。嘘をつかずに正直に少しでもなれば、或いはそうなれるように自分が努力すれば別の未来もあっただろうにさ。全て貴方が招いた事。いい加減に認めたらどうなの?───彼女なんてもう存在してないんだからさ」
ずっと池波が言っている『彼女』。
この事件の始まりにして最初の犠牲者である板垣。彼女がいないとはどういうことだろうか。だって池波は言っていたはずだ。「ちゃんと居る」と。
葵の視線に気付いたアオが言った。
「言葉の通りだよ。葵が記憶を見るのを止めた後、彼は霊となってから彼女の魂を食べてる。恐らく一番始めに。だから、池波の言ってたことも嘘なんだよ。彼女の為にやっているという嘘」
「嘘じゃないですよ。だってほら、ちゃんと『ココ』に居るんだから。ずっと一緒にいたいから一つになったんです」
自分の胸の辺りを触り池波は言った。
あまりのおぞましさに絶句する。
彼女は池波に二度も殺されたのだ。
「酷い……」
「君も同じような事をした筈なのに、何故批難するのかな?死に方も同じだしてっきり理解をしてくれると思ったのだけど。───なんだったっけ?ストーカーをした挙句に女性とその家族を惨殺。家を放火した死刑囚。人は見た目によらないって言うけど、本当にその通りだね。君も僕と同じ……いやそれ以上に残虐な事をしていてびっくりしたよ」
肩が跳ねた。
ぶわりと汗が出て、息が荒くなる。
フラッシュバックするのは、数々の言葉の暴力。鉄格子のついた暗く狭い部屋。何を言っても否定され、孤立していく事と家族が非難の目で見られる恐怖。
信じていた人達に見捨てられる絶望。
ここに来る前、前に進もうとしていた決意が脆く崩れ去りそうになる。
「葵、ダメだよ聞いちゃ……!相手の思う壺になるからっ。葵、葵ってばっ!!自分を否定するなって───」
「やっぱり、自分の事になると君は脆いね。他人の為に自分の事を犠牲にするのも似てる。何だかんだ君が僕の記憶の中で体験した時、僕と同様の気持ちだったかもしれないね」
激しい頭痛に頭を抑えている葵に池波は続ける。
「───君に僕のこと怒る資格も裁く資格もないんだよ。人殺しの津長葵君」
『人殺し』一番聞きたくない言葉。
散々言われ続けた言葉は、葵の心を容赦なく抉る。
自分が今何のためにここに立っているのかも分からなくなる。
何かを叫んでいたアオの姿が消え去った事にも気付かない程に追い詰められる。
「僕の一部になりなよ。そしたらその苦しみも、悲しみも全て感じなくなる。誰も責めないし、誰も君を傷つけない」
手を差し伸ばされる。
その言葉は魅力的に感じてしまい手を伸ばしかけた。
人間の心は脆い。出来ない事に嘆き、苦しむ。そしてその苦しみから逃げたいと思うのもまた人間。
池波はもうすぐ堕ちてくる目の前のご馳走に笑みを深めた。
苦しみから解放されたい。何も考えずに楽に───。
そこで葵の手が止まった。
耳飾りがほんの僅かに温かい。
「どうしたの?躊躇わなくてもいいのに」
池波の顔に苛立ちが微かに浮かぶ。
分からない。けど、
「やっぱりだめな気がする」
逃げたら駄目な気がする。
伝わる温かさが思考を落ち着かせる。
「───ああ、間に合いましたね」
「ようやった、葵」
黒緋と椿姫の声が聞こえ、背後の空間にヒビが入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます