十四.
「黒緋……さん。椿姫様……」
割れた空間から出てきた二人を見て、葵は肩の力が抜けるのを感じた。
フラッシュバックは治まり、落ち着きを取り戻す。
黒緋が汗をかき、青白い顔をした葵に近づき自身の手ぬぐいで汗を軽く拭う。
「大丈夫ですか?よく頑張りましたね。……ありがとうございます。貴方のおかげで入ることができました」
頭を撫でなれた。
黒緋に撫でられると何故か安心感を覚える。
椿姫が小さな身体で葵を抱きしめた。
「可哀想に。虐められたのじゃな。後はちゃんとわしと黒緋が片すから安心せい」
祖母が孫に諭すような口調だった。
「どうしてここに入れたんですか……?招き入れてないのに。……せっかくあと少しだったのに邪魔をして」
「邪魔出来たなら良かった。入れたのはちょっとした繋がりを使ったんですよ」
黒緋が自身の耳飾りに触れ、葵は気付く。
「葵が貴方の核を引っ張り出してくれた事で空間を維持する力が弱くなったんですよね。あとは貴方が葵を取り込もうとするのに意識が向きすぎていて、道を作った事に気付かなかったので比較的容易に本体である貴方の元へ来れました」
池波の顔が初めて焦りを見せた。
どうにか黒緋から距離を取ろうとしているのか周囲をしきりに見ている。
あの家は確かに池波が好きなようにできる。だが、今ここはもっとも中心の部分であり、入られたくない場所。葵は戦うことが出来ないため余裕だったが、黒緋は違う。
安全だと思っていた場所に危険分子が入り込んだのだ。今の池波は本体が剥き出しの無防備な姿。
池波が脱兎のごとく走り出した。
「鬼ごっこですか?良いですね。貴方は逃げて、私は鬼。十数えてあげます。その間に逃げてください。───楽しませてくださいね?一、二……」
逃げ出す池波の背中を黒緋が楽しそうに見つめながら言う。眼は逃げる獲物を追う狩人のようだった。
池波の姿が壁を通り抜けて姿を消す。
しかし、黒緋に慌てた様子はない。
尚もカウントを続ける。
「九、十……さぁ、始めましょうか。鬼と人の
「ようやくか。葵をいじめた分たんと遊んでやろう。その後に食うてやる。嗚呼今から楽しみじゃ。黒緋よいな?」
「良いですよ。存分に遊んでください」
完全に姿が見えない池波をどうやって探すのだろうか。
「葵、一緒に来るかい?」
「行きます。……それにしても、椿姫様はどうやって池波を探すんですか?どこに消えたかも分からないのに」
身を隠してしまったらまた力を振るってくるのではないか。
それこそあの巨大な手が今度は自分たちに向かってくる可能性もある。
「心配しないでも、彼女は見つけますよ。どこまで逃げようと、隠れようと」
扉が開く音がして振り返ると、椿姫が葵達に向かって、
「何をしておるのじゃ!早うせんと、置いていくぞ!」
頬を膨らませた彼女は待ちきれないとばかりに足元があまり良くない中、走り出す。
見失ってしまう懸念に葵は慌てて追いかける。
一歩足を踏み出して直ぐに変化に気付いた。
あちこちに穴が空いているのだ。壁や床に虫食いのようにぽっかりと。そして、
追う足を止め、近くにあった穴を覗き込んでみる。どうも、同じ見た目の通路に繋がっている感じだ。
他の場所も何ヶ所か覗いてみるが結果は同じ。途方もない迷路のような空間を前に、葵はカラカラに乾いた喉に唾を流し込む。
そんな葵を他所に、無邪気な子供のように鼻歌を歌いながら椿姫が隣から顔を突き出した。
「どうしたんじゃ、葵。お主もわしと一緒に隠れ鬼をするかの?」
「いえ、俺には場所は……分からないと思うので」
「そうか、お主なら───正確に言うなら天音じゃない方のもう一人のお主じゃが、わしと同じで分かると思うが……まぁ良い。わしに任せよ。───大丈夫。葵は優しい子じゃよ。彼奴とは違う、真の優しさを持っておる。だから、あまり自分を責めるな。お主を虐めた彼奴はしっかりとわしらがやり返してやる」
胸を張って得意げに言う椿姫に、葵は頬を緩めた。
椿姫はもう一人の葵───アオのことも分かっているらしい。
どうしてアオがいることが分かるのかと尋ねると、彼女は穴に視線を戻しながら答える。
「お主を探せたのも、アオと言ったかのぉ、そやつのおかげなのじゃ。実際、空間をこじ開ける前にも声だけは聞こえておった」
あの時、アオの言葉を聞きたくなかった。他人だからじゃない、彼は自分自身だからこそ「聞くな」と言われても無理だったのだ。それこそ都合良く耳を塞いで無かったことにするようで。
消えたのは自分が彼を否定したからだ。
自責の念に苛まれ、葵は目を伏せた。
徐々に集まる記憶の欠片。斑に抜けているせいで、自分の記憶にすら自信が無い。
「本当に人を殺していないのか」「結局俺自身が都合良く記憶を改ざんしているだけでは」と。
ふとした時に思ってしまう。今は考えている場合では無いのに。
「俺は……最後の記憶を思い出すのが……怖いです。自分が椿姫様が言う『優しい人』じゃなかったら、最低な人間で嫌われるような奴だったらどうしようって。皆が幻滅して離れていったらって、考えてしまうんです」
怖い。誰かに嫌われることが。
怖い。思い出す事で自分が自分ではなくなってしまうかもしれないことが。
恐怖心は足を止めさせる。気持ちを揺るがしてしまう。
溢れる思いは葵には止めることが出来なくて。
「───怖さを感じることは悪いことでは無い。足を止めてしまうのも仕方がない。じゃが前に進む勇気を持てぬものは変化せず、ただ朽ちてゆく。お主はそれで良いのか?」
椿姫の言葉にハッとして顔を上げた。
母の言葉を思い出したから。
恐怖を感じた時こそ、勇気を出せと。
「乗り越えられるんでしょうか……俺に」
「それは分かりません。ですが、何があっても私は貴方のそばに居る。思い出す最後のその時まで見届けましょう。───例えどんな結末を貴方が選ぼうと、私はそれを見届け無ければならないのだから」
後ろを振り返ると、黒緋がこちらに歩いて来ながら物珍しげに周囲を観察していた。
「それにしても、どこもかしこも穴だらけですね。あ、壁は本当に肉という感じだ。面白いです。椿姫、どうしますか?壊しますか?」
同じように近くにあった穴を覗いき、すぐ横の壁を躊躇いなく手で触れる。
全体的にだが、どくりどくりと生きているかのように脈打つ壁は、それ以上に生々しく見え触りたいとは葵は思えない。
「あちこちに穴を開けれてこの空間の別の場所と繋げれば逃げ切れると思ってるんじゃろ。自分が狩られる側になったのじゃ。必死に逃げてもらわねば詰まらぬ……と言いたい所じゃが」
そこで言葉を切り、椿姫は美眉を寄せた。先程までの楽しそうな顔とは一転し、酷く不満げだ。
「どうかしたんですか?」
恐る恐る尋ねる葵に彼女は一言、
「……不快じゃ」
「え?」
思わず聞き返す。
椿姫が立ち上がり、声を張り上げた。
「何じゃこのジメジメした空間は!!気持ちが悪いっ!足場は悪いしまとわりつくし!」
「えぇ……」
予想外の言葉に葵は唖然とする。
今まで気づいてなかったが外に繋がる場所がなく、空気が悪い。更に全体的に湿り気を帯びているせいか、身体にべとべととまとわりついてくる感じがある。
だが、黒緋と椿姫が来た時から情景は変わっていないはずだ。
「椿姫は意外とこういった場所嫌いだからね。さっきまでは池波を追うことに気が行ってたから、気にならなかったのかもしれない。特に椿姫の履物は草履だから、余計に感覚が来るからね。遊ぶ楽しみで誤魔化そうとしてたんだろうね。こういう所は童みたいでしょう?」
苦笑まじりに黒緋が葵に教える。
「───やめじゃっ!今すぐ見つけてさっさとここから出るぞ二人ともっ!」
「分かりました」
言ったら怒られてしまうだろうが、確かに今の椿姫は年相応の子供にしか見えなかった。
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