九.
「おかえりなさい、葵。上手くいったみたいですね」
声をかけられ、目を開ける。
起き上がるとすぐ側に黒緋がいた。
ズキリと痛む頭を押さえながら辺りを見渡す。
「ありがとう、葵さん」
「佐久間さん、その姿っ!」
目の前にいた佐久間は綺麗な姿だ。服装は洋服ではなく、白の着物。
身体は先から粒子になり始めていた。
佐久間の足元には大福が座っている。
「間に合わなかったんですか……?」
一抹の不安が過ぎるが、それを否定したのは大福だった。
「違うよ。未練が消えたんだ。葵のおかげで、日向も環も救われた。その証拠にほら、日向がこうやって喋れてる」
「まさか、意識がはっきりしたと思ったら目の前に大福がいて、しかも喋るなんて思ってもなかったですけどね。でも、やっぱりもふもふだぁ」
「触れるって気づいた瞬間から、こんにゃ風に撫でまくられてるんだよ」
葵が目覚める少し前に佐久間は、現実世界で今のように大福や黒緋を見て、喋れるようになったらしい。
抱き上げられて撫でられる大福は、嫌そうではなくむしろ気持ちよさそうだ。
佐久間の奥には静かに寝息を立てている島津がいた。寝顔は穏やかで、悪い夢は見ていないようで安心する。
「さて───佐久間日向さん。これより、貴女は十人の王達の元へ行く旅に出ることになります」
「はい。ちょっと怖いですが……」
「皆、通る道です。それに貴女なら大丈夫かと。
穢れも少なく、遺族の方々も貴女の旅支度をしっかりとしてくれたみたいですから。今の時代は珍しくなりかけてますが、それだけ伝統や風習を大切にされている方々なんですね」
大福を床におろし不安そうに返す佐久間に、黒緋は迎魂台帳を開きながら微笑む。
開いた頁の佐久間の文字か浮かび上がり、一つの形になる。
「これは……」
「貴女の大切にしていたもの。貴女の家族の方々が貴女に残した物です。棺に入れられはしなかったのですが、渡したかったみたいですね。それは貴女への思いが形になったものです」
「ペンダントだ」
二枚の写真が入った、ロケットペンダント。
佐久間はペンダントを大切そうに握りしめた。
「家族の写真と、私と彼の写真が入ってるんです。皆で作ろうってテレビを見た時になって。そっか……嬉しいな」
「旅の始まりの場所まで、私達がお供しますので安心してください」
「それなら、安心ですね。───葵さん、改めてありがとうございました。最後の迎えが優しい貴方でよかった」
「いえ、佐久間さんが願ったから。俺はただ、それを叶えたかっただけなんです。でも、最初の人が貴女で良かった」
感謝の言葉が素直に嬉しかった。笑っている佐久間を見れて良かった。
喜びの気持ちで胸がいっぱいになる。
泡沫のように消えた佐久間の居た場所には橙色の一頭の蝶がいた。
黒緋がどこからか持ち手のあるそこそこ多い竹の鳥籠のようなものを取り出す。
「少し窮屈かもしれませんが、門をくぐるまでの間だけ入って貰っていても大丈夫ですか?」
蝶に囁くと逃げることも無くその籠の中へと入る。
「ありがとうございます」と言い、黒緋が籠の入口をしめる。
「大福、お疲れ様でした。また美味しいもの食べに行きましょう。さて、私達も帰りましょうか。───葵?顔色悪いですが大丈夫ですか?」
「え……?あ、はい、大丈夫です。帰ります」
「大丈夫じゃにゃいだろ、お前。酷い顔してる」
家族。自分の家族はどんなのだったのだろう。
ぼんやりと成り行きを見ていた葵に、黒緋が眉を寄せる。
チリリンと鈴が小さく鳴る。
大福も心配そうに近くに寄ってくる。
終わったことに安堵した瞬間から、頭痛が酷くなってきた。
心配かけないようにしなきゃと笑おうとするが、身体が上手く動かない。
あちこちが痛い。
何かが身体の奥から込み上げ、咄嗟に手で抑えるが耐えきれずに吐き出してしまう。生暖かい感触。
「葵!?」
「おい、にゃにが起きてる!?」
何度か咳込み、ゆっくりと手を離すとその手は赤く濡れていた。
血だ。
朦朧とする意識の中でも、それだけは分かった。
寒気が走り、立っていられずに足元から崩れ落ちた。
「まずいですね。大福、力を貸してください!至急手当をしなくては。葵を運んでくださいっ!」
「分かった!おい、葵しっかり───」
黒緋と大福の切羽詰まった声が聞こえたが、返事をすることが出来ない。
なんだか、意識を失ってばかりだなと場違いな事を思ったのを最後に、再び闇へと意識が落ちていった。
***
深く、深く、落ちて行く。
何処まで落ちるのだろうと考えていると、しばらくして地面に緩やかに着地をした。
真っ暗で空虚な空間に、一つの黄色の箱がある。
その横には天音がいた。
「天音、無事だったんだ。よかった」
「真っ先に言うことそれなんだ。葵らしいと言えばらしいけど」
少し呆れたように聞こえるのは気のせいだろうか。
そう言われても、島津の空間から戻る直前に急に姿を消したのだから知ったばかりとは言え心配になる。
天音が手招きをする。
「開けてみてよ、葵」
「俺が?」
「葵が開けなくてどうするのさ。それにこれは葵にしか開けられない。僕には触れないんだよその箱は」
近くに来て改めて見ると、箱は宙に浮いていた。ちょうど葵の腰より少し上の辺りだ。
箱には鍵がされておらず、簡単に開くようだ。
怖い感じもしないので、言われた通りに箱に手をかけ中を見た。
「───本だ」
手に取ってみると、一冊のハードカバーの所々くすんだ薄青色の本だった。タイトルらしきものが書かれているが掠れていて上手く読めない。
「なんだろこれ?」
パラパラと本をめくってみると、手描きらしい絵と共に何かが書いてある。序盤は所々に空白があったが後ろに行くに従い多くなり、あるページからは空白しかなった。
初めからじっくりと見ようとすると、葵の手を離れ本が独りでに宙に浮きページを捲り始める。
ページを捲る音がする度、プロジェクターのように葵の目の前に内容が映し出される。
最初の辺りは前半のものは子供が書いたような文字と絵で、『誕生日に家族がお祝いしてくれた』とか、『テストでいい点取って褒めらた』といったものが。
ページが進むにつれて大人がかいたような字と絵になっていた。こちらは『大学進学出来た』とか、『就職先が決まった。爺ちゃん達喜んでくれるかな』と言った内容。その他は日常の些細な出来事だ。
まさに絵日記と言った感じだった。
内容は異なるが、全部嬉しかったり楽しかったという出来事だけかかれていた。
映し出される度、書かれている文章を口にする。
これは。これを書いている人物は。
やがてそれまで一定間隔で捲られていた本はある一ページで止まる。
そこには『久しぶりに大好きな家族と写真を撮った』と書かれていた。
小さく身体が震える。
本を見ると写真が二枚挟まっていた。一枚はまだ若そうな女性と、その背後からはにかみながら顔を出す少年。そして左右に祖父母らしき人が立っている。二枚目は、スーツ姿で緊張した面持ちで立つ青年と、その左右で嬉しそうに寄り添いながら微笑む青年の祖父母。
胸の奥が熱くなる。涙が溢れだし視界が歪んだ。
「かあ……さん……。じいちゃん……ばあちゃん……。───大切な俺の家族」
一人一人確認するように口にする。
「思い出した?僕の───葵の大切な幸せと喜びの記憶を」
泣きながら静かに頷く。
次々と忘れていた記憶が蘇る。
父は居なかったが、優しい母や祖父母がいたから寂しくなかった。
大切の家族と、友人と過ごした幸せだった思い出。
ゆっくりと、穴の空いていた自分の心が埋まっていく。
自分を───津長葵を思い出していく。取り戻していく。
「こんなに……こんなに軽かったんだ自分は。こんなに重かったんだ……思いって」
本は写真を葵の手元に残したままゆっくりと閉じられ、箱へと戻る。
真っ暗な空間が淡いオレンジ色になり、暖かく安らぐ場所へと変わっていく。
残された写真を胸に押し当て、思い出されていく喜びを噛み締めながら、葵は嬉し泣きに泣いたのだった。
***
「葵、思い出せてよかった」
また一人となった天音は、明るくなった世界を見渡す。
その表情は酷く暗い。
「初めて思い出したのが『喜びと幸せな記憶』か……。葵───大丈夫かな。この後に思い出す記憶に……耐えれるのかな……」
呟く声は辛く悲しげなものだった。
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