四.

「なんでお前が俺の家にいるんだ?」

「実は家に居にくくて……。今の葵は一人で考える時間が必要かなって。二日程泊めてもらえないかと」

「お前なぁ……。ったく、仕方ねぇか。これが終わるまでだからな。あと、部屋は貸すが、ちゃんと片付けないなら叩き出す。───で、葵は大丈夫そうなのか?」


 ぶつぶつと文句を言いながらも泊めてくれるらしい。


「さあ。ただ、よりは考える余裕が出来てるから。あとはあの子自身が決めることだ。私はそれを見届けるだけ」


 葵が死んだ後、その魂は生前の出来事で酷く穢れ危険な状態だった。それこそ悪鬼となる直前。


「全く、世の中は理不尽ばかりだな。真面目で良い奴が裏切られる。あいつを知らなかった俺ですら、閻魔帳で葵の生前を見た時は正直殴って……いや、それ以上の苦痛を与えてやろうと思ったな」

「だからこそ、今回は閻魔も許してくれた。生前の行い自体は良かったから。きっと憐れに思ったんだろうね」

「あの閻魔サマがねぇ。……あ、やべ。ちょっと、部屋掃除してくるわ」

「手伝いますか?」

「いや、頼むからそのままいてくれ。片付くものが片付かねぇ。珈琲、入れとくから勝手に飲んで待ってろ」


 暁月が立ち上がり珈琲を準備して黒緋の前に置き、そのまま部屋を出ていく。

 残された黒緋は静かになった部屋で、閻魔に呼び出された時のことを思い出す。

 閻魔に呼ばれて穢れを封じる道具を渡された時、黒緋は少し驚いた。

 条件付きではあるが公平に裁くべき閻魔が、摂理を歪めることを一度だけ容認したのだ。

 失敗する可能性もあったが、なんとか上手くいったのはまだ彼に人としての心が残っていたらかもしれない。

 結果、消滅を逃れた代わり葵は記憶を無くし更には人の枠から外れてしまったが。


「まぁ私の力が加わったせいもあるんでしょうがね」


 目覚めたばかりの葵は、本当に全てを忘れていた。

 記憶喪失になっても性格があまり変わらなかったのは、魂の本質なのか、それとも無くなっても変わらないほど刻み込まれていたのか。


「考えた所で分かりようがないですが」


 淹れたての珈琲を片手に、今頃葵はどうしているのかと、黒緋は窓から見えないのは分かっているが自宅の方を向いた。

 外は夜の帳が降りつつあり、徐々に灯りが灯り始める。

 淹れたての珈琲を飲みながらぼんやりと眺める。

 久しぶりに町並みをゆっくり見た気がする。

 普段生活していると当たり前すぎて気にもしないから。


「何ぼーっと外見てんだよ。出掛けるぞ」

「いえ、何となく……。それより、出掛けるってどこに?」


 背後から声を掛けられ、肘を着きながら振り向きもせずに答える。


「阿呆かっ!買い物だよ、か、い、も、の!突然来たから材料が無いんだっつぅの!居座るならせめて荷物持ちぐらい手伝え!」

「あ、あぁ、そうですね。すみません」

「気になるなら帰りゃいいのに……」

「……まだ私の出る幕ではないからね。言ったでしょ?自分自身と向き合わなきゃいけない。私がいると気になって仕方ないからね、きっと」

「もし、考えた結果あいつが殺した場合はどうなる?───お前はどうするつもりだ?」


 そこでようやく緩慢な動きで黒緋が振り返る。


「我々は現世のものの生死に関与してはならない。もし葵が殺すという選択を取るのなら、それは人としても、地獄に住まう鬼としても大罪を犯すことになる。その場合、私が速やかに対象を捕縛し───滅魂させます。例え相手があの子であっても。それが私の役割ですから。……大丈夫、覚悟は出来てるから」

「……そんな覚悟してんじゃねぇよ」


 渋面しながら吐き捨てるように言う暁月に、黒緋は何も答えずただ微笑する。

 これは既に決められていたことだ。

 あの日、閻魔大王に道具を渡された時に言われた条件は三つ。

 一.津長葵の鬼としての生活の補助。

 二.津長葵の記憶を戻せるように手助けすること。

 三.もし記憶を戻した後、復讐心に囚われ再び悪鬼になるようであれば速やかに黒緋の手で津長葵を滅魂すること。


「罪を犯したものは必ず報いを受けなければならない。例えどんな事があっても。───それは人であろうが鬼であろうが関係ないんだよ。君はよく知っているでしょ?」

「……ああ、よく知ってるよ。だからと言ってこれはお前にも葵にも酷すぎるだろ」

「やっぱり君は獄卒に向かないんじゃない?」

「普段はこんなんじゃねぇっつの」


 不服そうな暁月に、黒緋は思わず小さく笑い声を漏らす。


「だからですよ。知っている人の時に躊躇う。それが君の良さでもあるけど。それが無ければ傷つくことも少なくなるのに。現実は残酷だ。それにいちいち心を痛めていたら耐えれなくなるだろう?。まぁ、安心してください。今回、これ以上君に迷惑はかけません。……全て私がやりますから」

「別に今のままで俺はいい。あとな───一人で抱え込みすぎなんだよ。お前はもう充分罰は受けてると俺は思うぞ。そういう所は昔から変わんねぇな。いざとなったら俺も協力するから。……あー……とりあえず、葵のことを少しは信じてやれよ。っておい、笑いすぎだろうが!」


 言っていて段々恥ずかしくなったのか若干顔が赤くなった暁月の姿に、黒緋は遂に我慢しきれず手で口を抑えながら顔を背けてしまった。

 せめて笑い声は抑えようとするが、肩が震えてしまい暁月に怒られた。


「ごめん。……そうだね、葵ならきっと乗り越えてくれるよね」


 信じることをせず、最悪のことばかりを考える癖がついていた。

 素直に謝る黒緋に、暁月は視線を逸らしながら頬をかいた。


「ほら、早く買い物行くぞ。───たまにはなんかお前の好きなもん作ってやる」

「本当ですか?じゃあ、ホッ……」

「言っておくが甘いやつ以外な」


 立ち上がりながらリクエストをしようとして、暁月に即座に却下された。


「じゃあ、せめて珈琲用のミルクと砂糖だけでも……」

「あ?あの苦味がいいんだろうが」

「それは人によってそれぞれじゃないですか」


 有り得ないとばかりに首を振りながら玄関へと玄関へと向かう暁月に、黒緋は小さく問いかける。


「───葵は許してくれるでしょうか、私のことを」

「……さぁな。終わったら本人に聞け」


 二人は夜の賑わいをみせる町へと足を向けた。


 ***


 その頃葵は現世の一軒の家の前にいた。

 以前、黒緋に現世への行き方を聞いていた為そんなに困らずに来ることが出来た。

 外はすっかり暗くなり、虫の鳴き声と風の音だけが聞こえる。

 家には明かりがついており、中に人がいることが分かる。

 扉をすり抜けようとして、葵は手を止める。


「行かないの?」


 天音の声が頭の中で聞こえる。


「行きたいけど……怖いんだ……」


 一人で色々考えすぎて、辛くてどこかに行こうとした時、ふとここが浮かんだ。

 突き動かされるように来たけれど。


「入ればいいだろ。───自分の家なんだから。ずっと心配だったんでしょじいちゃん達のこと」


 今度はアオの声だ。

 そう、この家は自分の家だ。

 生前葵が住んでいた家がまだ変わらずあることに安堵する。

 最後まで葵の事を心配してくれていた家族。

 あの事件のせいで悲しまって、会わせる顔がないと思うのに。

 今は、ただ祖父母の顔が見たかった。

 中に入ろうとした矢先、急に扉が開いた。


「はーい。……あら?おかしいわね……。今呼ばれた気がしたのだけれど」


 顔を出したのは祖母だった。

 小首をかしげながら辺りを見渡す。


「どうした?」

「ああ、いえ、なんでもないの」


 祖母の後ろから現れた祖父の姿に葵は泣きそうになった。

 こういう言い方が正しいかは分からないが、思ったより元気そうで良かった。


「明日、前から連絡取っていた弁護士に会うからもう寝るぞ。少し距離あるからな」

「そうね。明日早いものね」


 扉が閉まる前に中に入る。

 記憶にある家とあまり変わらない。


「───絶対にあいつの無罪を証明してやるんだ。どれだけかかっても。必ず、真犯人を見つけ出して法廷に引っ張り出してやる。……わしらが諦めたらあの子が報われんじゃろ」

「そうね。あの子のためだもの。あんなに優しかった葵が絶対にするわけないわ。葵をよく知る人達もそう思って手伝ってくれてる。……でも、貴方が犯人を見つけたら復讐をしようとしているのでは無いかと思っていたから、少し安心したわ」

「当たり前……とは言えないが。本当は殺したい程だがもしそんなことしたら、葵も律も悲しむじゃろ。殺すことによる復讐は何も生まないからな。あの子にはこれ以上泣いて欲しくないからな」

「じいちゃん……ばあちゃん……」


 強い意志を感じさせる口調に葵は遂に泣き出す。

 まだ自分を信じて、行動してくれている人がいる。

 それがとても嬉しかった。

 来たついでに少しだけ家の中を散策する。葵の部屋は生前のまま、とても綺麗に保たれていた。


「───ありがとう、じいちゃん、ばあちゃん。俺の味方でいてくれて。それが一番嬉しいよ」


 最後に暗い部屋で寝室で寝る二人に葵はそう言って、地獄へと戻った。

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