第19話:魔王の夢
「戦いなんて、しないにこしたことはないさ。目の前に困っている人がいて、俺にはその人を助けられる力がある。なら俺は見て見ぬふりなんてできないし、したくない。ただ、それだけだ」
治療魔法。
それは世界で唯一無二の魔法。
理不尽という渦の中心にいる彼女と、一瞬だけ視線を交わした。
すべてを諦めたような無色の目に、希望の色が少しだけ浮かんだ。
しかし、すぐに目の色は無くなり、顔をうつむかせてしまう。
したくもない決闘に臨ませるこの気持ちは、偽善だろうか。
そうに違いない。
稀有な才能を持つ者が、なぜあれほどまでに諦めを含んだ目をできるのだろうか。
そしてそんな彼女を救うことができれば、災禍の力だって絶望の底から人を引き上げることができるのだと、自信になる。
この気持ちは、紛れもなく偽善だ。
だがそれと同時に、このお節介も嘘偽りではない。
誰よりも自罰的で、余計な業まで背負ってしまう彼女を救うためには……。
◇
セルパン・オーンズとの決闘翌日。
今朝はゲルダの襲撃もなく、平和な目覚めだった。
昨日は比較的楽な決闘だったからか、筋肉痛に悩まされてもいない。
この学園に入学してからというもの、毎日毎日決闘だなんだと忙しい日々を送っていた。
しかし今日は、このままのんびりと1日を終えられそうだ。
柔らかい日差しが差し込んでくる昼下がり。
ワンツは、旧校舎裏のボロ小屋でくつろいでいた。
視線をやると、いつものようにフレアとゲルダが小競り合いをしている。
はじめはどちらかが爆発しないかヒヤヒヤしていたが、お互い最低限の超えてはいけないラインだけは守っているらしい。
若干やかましいが、若者は元気がある方がよい。
特に気にする様子もなく、ワンツはぼーっと外を眺めていた。
頬杖をつきながら暖かい日差しを浴びていると、次第に眠たくなってくる。
キーキーとやかましい声も遠くなっていき、まぶたもどんどん落ちて……。
「ちょっとワンツ、聞いてる!?」
「うおわっあ!」
まどろみの中にいた意識が、急に現実へ呼び戻された。
そこらを漂っていた意識が体に叩き込まれたような衝撃が襲う。
せっかく気持ちよくうたた寝していたのにと、涙まじりの目でフレアに不満のこもった視線を送る。
「な、何よ変な顔して……」
ワンツが思っているよりも、不機嫌そうな表情に映ったのか、フレアはバツが悪そうに目を逸らした。
光が透き通るような薄い金髪をまとめている赤いリボンも、心なしかしょんぼりとしているように見える。
急に落ち込んだ様子を見せられると、こちらが何か悪いことをしたような気分になる。
少し反省しながらも、ため息交じりに聞いた。
「誰が変な顔だよ。それでどうかしたのか?」
「そ、そうだったわ! ゲルダが私のことを、考え無しのバカって言ったのよ! た、たしかに先に体が動いちゃうこともあるけど……でもひどいじゃない!」
「わたくしは、本当のことを言ったまでですわ」
視線をやると、ゲルダは悪びれる様子もなく言い放った。
長い髪をひとつにまとめ活発そうに見えるフレアとは対照的に、ゲルダは少し毛先の跳ねた銀色の長い髪を腰のあたりまで流しており、上品で落ち着いた雰囲気がある。
温度感の高いフレアから、鋭い視線が送られているだろうに、スンとした顔でカップを傾けている。
どっちが悪いとかを追求する気はないが、ゲルダの物言いがキツイのも確かだろう。
「相性があるだろうから仲良くしろとは言わないが、頼むからケンカはしないでくれよ」
ワンツが面倒くさそうに言うと、ゲルダは少し癖のある青みがかった銀色の髪を揺らす。
「ケンカなんて、滅相もございません。これはいわば、お説教ですわ。世間知らずの考え無しに、もう少し頭を使えと教えているのです」
「誰もそんなこと頼んでないわよ! 大体あんたは……むむっ」
「むむっ?」
フレアは急に毛色を変えて、首を傾げる。
そして扉の前へと歩いていき、ジッと扉を睨みつけながら立っている。
両手を腰に当て仁王立ちしている姿は、門番や衛兵のように見えた。
スイッチが急に変わったように、フレアが態度を変えたので、ワンツとゲルダはおもわず無言で、様子を見守ってしまう。
フレアの態度を急変させた理由は、すぐにやってきた。
「うおっ、なんでこんな所で突っ立ってるんだ?」
扉を開けて入ってきたのは、ルキウスだった。
通せんぼするように立っているフレアを見て、少し驚いたような顔をしている。
「……何って、嫌な足音が聞こえたから、見張ってたのよ」
毛を逆立てたネコのように、威嚇しているフレアを見ながら、ワンツはゲルダに囁き声で聞く。
「足音……ってゲルダは気づいてたか?」
「申し訳ありませんが、気づきませんでした。直感で動くタイプの人ですから、肌感覚が鋭いのでしょうね」
「一々、言葉に棘があるよな、お前は」
「褒めているのですよ、これでも。事実として、彼が来たことを察知できたのは、フレアさんだけなのですから」
ふん、と息を吐きながらゲルダは早口で言い切った。
不満気にくちびるを尖らせているようにも見えるので、確かに認めてはいるのだろう。
「なるほど、ケンカするほど仲が良いってことか……」
「ワンツ様、何かおっしゃいまして?」
優しい声色に、素敵な笑顔。
それなのになぜだろうか。
背後に恐ろしいオーラのようなものが見えた気がした。
余計なことを言うと大怪我しそうなので、ワンツは露骨に話を変える。
「そ、それで? 何か用があって来たんだろ」
「用がなければ来てはいけないのか?」
意地悪な笑顔を見せながら、ルキウスはワンツの対面の席につく。
こんなくさいセリフを言われたのは初めてだったが、思っていたよりも面倒くさい。
ワンツの、なんだこいつ……、という表情を見てルキウスは、ククッと、喉を鳴らして笑った。
「そんな顔すんなよ。俺は魔王に、耳よりの情報を持ってきたんだぜ?」
「耳より? 俺に?」
聞き返すとルキウスは、ああ、とうなづいたが、ワンツの両隣に視線をやると、やれやれと肩をすくめる。
「だがそれも、左右のお嬢さん方の態度次第、といった所なんだが」
ふとルキウスの視線を追ってみると、いつの間にか隣に椅子を持ってきていたフレアが、警戒心のこもった目線で睨みつけている。
逆側に視線をやると、ゲルダは無数のツララで突き刺すような視線を送っていた。
フレアの睨みも、一般人が向けられたら縮み上がってしまいそうな迫力があるのだが、ゲルダのそれは、おそらく殺傷力がある。
そんな抜身の刃のような視線にふさわしい、低い声で言った。
「あなたは、テンスラウンズの末席。つまりは、勇者側の人間です。それがニコニコとおいしい話をもってきたら、警戒するのも当然のことではありませんか?」
「君の言うことは、確かに一理ある。しかしだ、ゲルダ・スノウクイン。俺はまだ、魔王と直接敵対する意思はない」
「まだ……? それってつまり、いつかは敵になるってことじゃない」
「フレア・スカーレット。俺が想定していたよりは、君も意外と賢いようだな」
「私が賢い? そ、そうでもないですけど!?」
「バカにされているんですのよ、この愚か者」
「そうだったの!? あんたやっぱり、悪い奴だったのね!」
褒められたと勘違いしてニヤニヤしていた表情が、一瞬で不満を示す険しい顔つきに変化する。
ころころと表情が変わるのは、フレアの可愛らしいところだ。
しかし今は、フレアと遊ぶ時間ではない。
「それで? 俺に耳よりの情報ってのは?」
「ワンツ様、その男は」
「少なくとも今は、敵じゃないんだろ。なら話くらいは聞いても良いんじゃないか?」
今は、を強調するように言うと、ゲルダは何か言いかけていた唇を閉じた。
まだ少し不満そうな顔をしているが、とりあえずは話を聞く気になったらしい。
「魔王は聞き分けがよくて助かるよ」
ルキウスの軽率な言葉で、また女子ふたりが肩を揺らす。
怒ったら怖いんだぞこのふたり、と非難の視線を送るが、ルキウスは意にも介さず話し始める。
「単刀直入に聞くが、お前の理想はどっち側だ?」
ルキウスは順番に指を立てながら、聞いてくる。
「歯向かう敵をなぎ倒しながら、魔王の軍勢を強く大きくしていくのか。もしくは、細々とやってくる敵を対処しながら、いつか勇者に討たれる日を待つのか」
「あなた、耳寄りだとか言ってましたけど、ただケンカを売りにきただけではないのですか?」
「そう言うなよ、ゲルダ・スノウクイン。第一、人の会話に割り込んでくるなんて、淑女らしからぬ振る舞いじゃないのか?」
ゲルダの生い立ちを聞いたことはないが、あの喋り口調と、立ち振舞から漂う気品。
それらからして、気品ある淑女たれと教育されて育ったのだろう。
そんな彼女が、淑女らしからぬと言われてしまっては、多少文句があれども、口を閉ざす他ない。
適当にゲルダをいなしたルキウスは、ワンツに視線を向けてくる。
少し考えて、答える。
「俺は……仲間を増やして世界征服なんて、子供じみた野望はない。だけど、ただ黙って勇者にやられる気もない。俺には、夢があるからな」
「夢?」
「もっと仲良くなったら教えてやるよ」
ルキウスは、ふーんと楽しげに口元を緩ませる。
「まぁいいだろう。なら質問を変える。お前は決闘についてどう思う?」
「野蛮なデスマッチ。学園の花形とか言うけれど、あんなの楽しんでやっている奴は、少ないんじゃないか?」
「そうでもないんだな、この学園では」
「そうなのか?」
「まぁ、本筋から逸れるからこの話はいいだろう。決闘にあまり前向きではないお前に、できるだけ平和に、学園生活を送ることができる方法を、教えてやる。それは、クランに参加することだ」
「クラン……って、昨日の奴が率いていた集団のことか」
「そう。同じ目的を持った学生たちが集まり結成された集団、それがクランだ。クランに参加することには、大きく分けて3つの利点がある」
ルキウスは抑揚をつけながら、3本指を立てて見せる。
人の意識を誘導し、自分の意見を通すことに慣れているのか。
気づけば、険しい表情を向けていた女子ふたりまでが、ルキウスの言葉に集中している。
「ひとつ目は拠点。ふたつ目は資金。どちらもクランの規模に応じて、学園から支給される。そして最後みっつ目、それは個人戦を拒否することができる」
「個人戦を拒否? そういえば昨日の奴も、そんなことを言ってたな」
「正確には年に1度開かれる、集団戦への優先権なんだが、まぁ建前はどうでもいいだろう。だが、ここでひとつ……いやふたつか、大きな問題がある」
「ふたつもあるのか……」
「ひとつは、魔王なんてリスクばかりで、少しの得にもならない人間を引き取ってくれるクランは、存在しないこと」
「それは……」
反射的に否定したい気持ちが浮かんだが、昨日の出来事を思い出したら、すぐに消えた。
憎悪や殺意など様々な黒い感情を持った集団の目的は、魔王を始末すること。
彼らからしたら個人ではなく魔王という概念を追いかけていたのだろうが、実際に追いかけられていたワンツからしたら、底しれぬ恐怖に違いなかった。
「そうだな。ふたつ目は?」
脳裏をよぎった恐怖感で小さく肩を揺らして、ルキウスに聞いた。
「ふたつ目は、クランを結成できる最小構成人数が4人であること」
「4人? なら大丈夫じゃないか」
「ほう、驚いた。最後のひとりに心当たりがあるのか?」
「ああ」
ワンツは思い当たる人物に、順番に指をさしていく。
「ひとりだろ」
「ふふん、当然よね」
フレアは満足げに息を吐く。
「ふたりだろ」
「光栄です、ワンツ様」
ゲルダは胸の前で両手を握り、にっこりと微笑む。
「俺が3人目、そして」
ワンツは己の方に向いていた指を、まっすぐ正面の男へと向ける。
「ルキウス、お前で4人だ」
ワンツの言葉を誰も予想していなかったのか、室内から声が消える。
呆然と口を開けていたルキウスは、慌てた様子で引きつった笑顔をうかべる。
「……はっ、中々面白い冗談を言うじゃないか、魔王」
「俺は一言も冗談のつもりで言ってないよ。俺と、フレアと、ゲルダ、そしてルキウス。お前と4人でクランを組みたい」
「俺がテンスラウンズの末席で、勇者側の人間だからか。俺を引き抜いて、勇者陣営の戦力を削ぎたい。そういう考えだな」
長く息を吐きながら考える。
冗談半分でこんなことを言ったのも、天才と呼ばれ常に余裕そうな笑顔を貼り付けているルキウスの、違う表情を見てみたいといういたずら心だ。
しかし冗談半分ということは、半分は本気だ。
今この瞬間、残りの半分が本気に塗り替えられた。
「うーん、それは……」
ワンツがルキウスを、仲間に加えたい理由。
そんなのは、ただの直感だ。
だからこそ直感という理由に、後付けで理屈を考えなければならない。
天才と呼ばれるほどに優秀な人間を引き抜き、勇者陣営の戦力を少しでも削ぎたいから。
この理屈は、決して間違いではない。
しかしそれだけじゃない。
「どうした? 随分と長く考え込んで。悪いが俺にも立場があるからな。交渉のテーブルに座ることだけでさえ、応じる気はないぜ」
「ルキウス、俺は戦いが嫌いだ。だから可能な限り、争いは避けたいと思ってる。それが誰かの血が流れるようなものなら、なおさらだ」
「立派で優しい考え方だな。魔王なんて名前には似つかわしくないが」
「魔王はただの力だ。だから俺は、どこにでもいるような普通の人間だよ。お前と同じなんだよルキウス。お前は確かに天才なんだろうが、天才という才能だけがお前を表す記号じゃない」
「……何が言いたい」
「魔王と勇者。これ以上に戦い合う運命が似合う存在もないだろう。けど、俺は勇者と戦う気なんて、微塵もないんだよ」
余裕そうな笑顔に戻っていた表情が、嘲笑を含むような表情に変わった。
ルキウスは、どこかで聞いたようなセリフを繰り返す。
「お前も体感しただろう。お前にその気はなかろうとも、勇者は魔王の命を取りにくる。この世界は魔王を憎み、勇者を崇拝するようにできているんだからな」
「だから、俺はお前に力を貸して欲しいんだ」
「だから? 意味が分からないが」
「じゃあ手土産に教えてやるよ。魔王と勇者が戦わなくても済む世界を作りたい。大げさにいうなら、魔王と勇者という運命自体を破壊したい。これが俺の夢だ」
真剣に語ったワンツの言葉を聞いたルキウスは、一瞬固まった。
しかしワンツが語った理想の荒唐無稽さに気づいたのか、すぐに声を上げて笑った。
「くっくっくっ、あっはっは! 本気で言ってるのか?」
「当たり前だ。冗談でこんなこと言えるかよ」
「頭がお花畑で出来ているお前に教えてやるよ。いいか魔王、人はそれが叶わないと知っているから、理想を語るんだ。その時点で、理解しているはずだ。お前が言っていることは、世迷い言なんだってな」
「それは違うよ、ルキウス。理想を願い続けた人間のみが、いつか世迷い言だって叶えることができるんだ」
「それは詭弁だな。10数年生きていれば分かる。己が生涯で成し遂げられる物事の限界が」
独り言のようにルキウスは言い放ち、立ち上がる。
人の良い笑顔を貼り付けた仮面のような笑顔でもなく、嘲笑するでもない、少しの失望が込められたような無の表情。
一瞬だけ映った色の感じられない表情が、あまりにも寂しげだったので、思わずワンツは声をかけてしまう。
「おいお前、大丈夫か?」
「大丈夫? はっ、意味が分からないな」
小馬鹿にしたような笑い声。
さっき一瞬見せた無色の表情が嘘だったかのようだ。
「ああ、そうだ。愚かなくらいにお人好しな魔王に、気が合いそうなお人好しを紹介してやるよ。マリー・フローレンス。この世界で唯一の、治療魔法を扱える人間だ。あとで新校舎に行けば、会えるかもな」
一息に言い放った捨て台詞を残して、ルキウスは後ろ手にドアを閉めて、出て行ってしまった。
いつもニコニコと、なんでもこなす天才ルキウス。
一瞬だけ見せた、夢を世迷い言と嘲笑したルキウス。
ワンツが見たかった、本心の彼を少しでも見ることができたのだろうか。
再び静かになった部屋。
はじめに沈黙を破ったのは、フレアだった。
「私はあんたが言ってたこと、その……良いなって思ったわよ」
顔を向けるとフレアは、あわわ、と口をぱくぱくさせて、そっぽを向いてしまう。
別に気持ちが落ち込んでいた訳ではない。
あの天才と称される男について、考えていただけだ。
しかし少し、心が軽くなった気がする。
ワンツの口元が自然と緩む。
「わたくしも、ワンツ様らしいお優しいお考えだと思います。しかし、ルキウス・ランギスが言っていたこともまた、真実だと思います」
「分かってるよ、ゲルダ。ありがとう」
ワンツはゆっくりと立ち上がる。
頭の中にはまだ、少しモヤがかかっていてすっきりしない。
しかしやるべきことは、見えている。
フレアとゲルダ、初めてできた仲間たちに順番に視線を送る。
「行こう、新校舎へ。まずは俺たちのクランを作るんだ」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
次回は1月17日、19時頃公開!
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