第24話:久しぶりの再会
ろうそくの光がゆらゆらと真っ赤な絨毯を照らしている。
毛並みの長いふわふわとした絨毯を、また一歩踏みしめる。
初めは高級感に心が躍ったが、今は逆に一歩ごとに不安がつのる。
少し息苦しい。
こっそりと胸に手をやってみると、ワンツは心臓の鼓動がいつもより激しいことに気がついた。
緊張していることに気がつくと、余計に心がざわつく。
「……ッ」
つばを勢いよく飲み込むと、少し苦味を感じた。
等間隔に設置された燭台。
切れ目のない鮮やかな赤色の絨毯。
石材の壁のせいで聞こえてこない外界の音。
逆にずっと聞こえてくるワンツたちの規則的な足音。
これらのせいで、無限に廊下が続いているおかしな世界へ迷い込んでしまったのではないかと、錯覚してしまいそうになるのだ。
「や、やっぱり来てみるもんだよな」
自分たちの足音だけが響く空間に耐えきれず、ワンツは適当な話題を振った。
「……ワンツ様?」
「な、なんだよ」
隣を歩いていたゲルダが青みがかった目で、じーっと見つめてくる。
目を合わせていると、感情が読み取られてしまいそうに感じて、ワンツはつい目を逸らせてしまう。
「ふふっ、緊張なされてますか?」
「そ、そんなことない。これくらい別に、へでもないさ」
「では、照れていらっしゃるのでしょうね」
「それも違う!」
「それは良かった。わたくしは少し甘えたい気持ちでしたの」
ゲルダはぬるりと近づいてきて、腕を絡まらせてくる。
腕から少し感じる、柔らかい感触。
いたずらっぽく微笑みかけてくる、可愛らしい少女の面持ち。
頭を回る血液が急に熱くなって、密着してくる少女の名前を呼ぶことしかできない。
「ちょ、おいゲルダ」
「わたくし、お城の中って苦手なんです。だって、ずっと似たような景色が続くでしょう? だから無限に続く世界に、迷い込んでしまったように感じるのです」
今まさに、ワンツが不安に感じていた通りのことを言われて、ドキリと心臓が跳ねた。
ゲルダの青っぽい少し目尻の垂れた目を見ていると、すべてを見透かされているのではないかと思う。
しかしそれでも、ワンツの心情がゲルダにバレないように、せめて無関心を装ってみる。
「あ、あぁそうだな」
「もっとも、あなた様とふたりきりであるならば、そんな世界でも悪くはありませんが」
ゲルダは体重を預けてきて、顔を近づけてくる。
山奥の新雪のように白い頬が、今は少し赤く染まっている。
それに気づいたら、もしかしたら気付かされたのかもしれない。
雪原に反射する光のように輝いている目から、顔を逸らせない。
少し早いゲルダの息遣いが感じられるような距離で目を見つめていると、すぐ近くで何かが爆発したような声が割り込んでくる。
「ちょっとあんたたち! さっきからくっつき過ぎじゃない!?」
フレアがワンツの陰から、ひょっこり顔を出してきてゲルダを怒鳴る。
瞬間ゲルダの頬から、すんと色が消えた。
「だって仕方ないじゃありませんか。わたくし、不安で前へ踏み出すための足が凍ってしまいそうだったんですもの」
「怖い? あんただってこれくらいの城なら、歩き慣れているはずでしょ。どこに怖がる所があるのよ」
「そんなの決まってます。うるさいくらいに声が響く空間で、所構わず大声で叫び散らかすモンスターが、近くにいることですわ」
フレアは首を回し、順番に視線を送っていく。
そしてモンスターと呼ばれたのが、おそらく自分だと気づいたのだろう。
顔を真っ赤にしてゲルダに詰め寄る。
「なんですってぇ!? 誰がモンスターだってんのよ! このおバカ!」
「そういう所ですわよ、お馬鹿さん」
ゲルダにべーと舌を出され、フレアは地団駄を踏みながら声を上げる。
「どっちがバカでもいいけど、俺を挟んでケンカするのは止めてくれ……」
そんなワンツの小さな悲鳴は、ふたりには届かない。
「あ、分かりました。フレアさんは、わたくしが羨ましいんですのね? なら初めから、そう言えばよろしいのに」
「は、はぁ? 私があんたの、どこを羨ましいって思うのよ」
「わたくしが、ワンツ様と腕を組んでいるのが羨ましくて仕方ない。そんな可愛らしい嫉妬心に火が付いてしまって、哀れなモンスターになってしまったのでしょう?」
「なっ! ななな、何言ってんのよ、あんたは!」
「まぁまぁまぁ、そう声を荒らげないでくださいまし。残念ながら、わたくしの腕は既に埋まってしまっています。仕方ありませんね。わたくしも鬼ではないですから、ワンツ様のそちら側の腕を、使わせて頂いてもよろしいですよ?」
ワンツの腕に頬ずりしながら、ゲルダはあごを振る。
「そちらの腕って……」
フレアはワンツの空いているほうの腕をチラリと見て、大きくつばを飲み込んだ。
「お、おいフレア」
「あんたは黙ってて!」
「黙ってろって言わてもなぁ……」
ワンツが送った抗議は、フレアには届いていない。
頭から湯気が出そうなほどに真っ赤に染まった顔で、ただ一点を見つめている。
肩で息をしながらゆっくりと近づいてくるフレアの手。
心臓がドクンと大きく跳ねる。
もしかしてこの気持ちは……恋?
いいや違う。
路地裏で変態に詰め寄られている時の気持ち悪さだ。
フレアの手が、あと少しでワンツの二の腕あたりに触れる。
やけにゆっくりと感じられる時間。
ワンツとフレアの意識が最大限に集中したその時、意識外から無慈悲な現実が投げ込まれた。
「おまたせ致しました、皆様。こちらが学園長室でございます」
まったくの意識外にいたが、ワンツたちはこの落ち着いた声の女性に先導されていたのだ。
突然元の世界に引き戻された感じがして、ビクリとワンツが肩を揺らす。
フレアも同じような感覚に襲われたのだろう。
勢いよくワンツの側から飛び退いた。
さっきまでは路地裏の変態だと思っていたのに、今はなんとも気恥ずかしくて、目が合わせられない。
「おふたりとも、一体何をやっているんですか……」
ゲルダの呆れ声が聞こえてくると、急に片腕が冷たくなってきた。
「失礼いたします、お客様をお連れいたしました」
中にいる人間の地位を表すように、両開きのドアは荘厳な雰囲気を放っている。
そんなドアを先導の女性は、ためらうことなくノックする。
一拍置いて、聞き慣れた少女のような声が返ってきた。
「っ……」
重たそうなドアが開かれると、中から光が溢れ出てきた。
しばらく薄暗い空間を歩いてきたので、とっさに目をつむってしまう。
「久しぶり、ってほどでもないか。よく来たねワンツ。ここで会うのは初めてだね」
こっちに来てから最も聞いた声。
さっきまで激しく鼓動していた心臓が、みるみる落ち着きを取り戻していく。
「そうだな、学園長としてのあなたを見るのは初めてだよ、アリス」
ゆっくりと目を開けると、光の中から少しずつ見知った姿が現れてくる。
ふわふわとした金髪は、年不相応の顔をさらに幼く見せる。
しかし銀縁の丸メガネを通して、ジッとこちらを見すえている青い目からは、このソルシエール魔法学園という巨大な学校を統べる学園長としての威厳を感じる。
「どうぞ。中へお入りください」
無意識に緊張していたのだろうか。
入り口で突っ立っていた3人を、先導の女性が室内へ促す。
応接間を兼ねているよりは、学園長が執務をこなすための部屋なのだろう。
イメージしていた学園長室より広くはない。
しかし数千の学生と、それを支えるために住んでいる大人たちのすべてを管理すべき人間が存在するには相応しい高級感がある。
廊下とは雰囲気の異なる絨毯が敷かれており、外周には本棚が置かれていて、年季の入った装丁の本が並べられている。
部屋の中央に置かれたテーブル、それを囲むように置かれているソファの脇を抜けて、ワンツたちはアリスが鎮座する執務机の前へと歩いていく。
巨大な一本の木をそのまま加工したような木材に、豪華ながらも上品な装飾品が散りばめられた執務机。
そんな執務机に小柄なアリスが座っていると、ずいぶんと可愛らしく見えてくる。
「近くまでくると、ちんちくりんに見えるな」
「それは否定しないけれど、そんな態度でいいのかな。君は何か頼み事をしたくて、私に会いに来たのだと思っているのだけど」
ニコニコとした笑顔は、いつも屋敷で見てきたアリスの表情にも見えた。
しかし、いつもの笑顔からは感じたことのない威圧感が放たれている。
学園長アリス・ソルシエールの重い雰囲気に、ワンツは思わず気圧されてしまう。
言葉に詰まっていると、アリスは少し雰囲気を和らげた。
「まぁいいや。順調みたいだね、決闘。そろそろ慣れてきた頃かな?」
「別に……運が良かっただけだよ。それに慣れたくはないさ、剣を振るうことなんて」
「そう。結果は出しているし、今はそれでもいいよ」
抑揚のないアリスの言葉からは、背筋に冷たい雫を一滴ずつ垂らされるような気持ちの悪さを感じた。
「フレア、スノウクインさん、ふたりもよく来てくれたね」
「は、はい。学園長様、この度は突然の訪問、大変申し訳なく思っております」
淑女らしい礼儀作法を守ったゲルダの挨拶を、慣れているのかアリスは軽く流す。
「いいよ、別に。息子の様子も見ておきたかったしね。それに言い出したのはフレアでしょ?」
「そうよ! 困ったことがあれば、なんでも言いに来てってアリスが言ってたもの」
「確かに言ったけど、次からは前もって連絡してね。今日はたまた学園にいただけで、普段は外にいることが多いからね」
分かったのか、分かっていないのか。
フレアが素っ頓狂な返事をして、緊迫していた学園長室にやっと柔らかい雰囲気が流れる。
しかし、せっかく温まってきた部屋に、ゲルダの鋭い声が響いた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「急にどうしたんだよ、ゲルダ。お前が大声をあげるなんて珍しいな」
「ご、ごめんなさい。ですが大声をあげたくもなります。学園長様、失礼を承知でひとつ、お伺いしたいことがあるのですが」
「いいよ、答えられることなら」
ゲルダは額に汗をかきながら、ワンツとアリスに何度も視線をやる。
ここまで動揺している様子を、ゲルダが見せるのも珍しい。
「学園長様がさっき仰った息子ってまさか……」
「そうだよ。ワンツは私の息子。血は繋がっていないけどね」
「な、なんですってぇ!」
フレアは驚愕の声を、ゲルダは目を白くさせて引きつった顔を、こちらへ向けてくる。
「あれ、言ってなかったけ?」
「そんなの初耳よ! どうしてあの時、教えてくれなかったのよ!」
「あの時って、どの時だよ」
「私とあんたが初めて会った時!」
「俺とフレアが初めて会った時……って、決闘の時か?」
「そう!」
「いつ言うタイミングがあったんだよ。あの時のお前、喧嘩腰だったし。てか、わざわざ俺たち親子なんです、なんてカミングアウトする訳ないだろ」
「で、でもぉ……!」
不満気に何か言いたげなフレアをなだめていると、ゲルダが袖を引っ張ってくる。
「ワンツ様」
「……どうした」
顎に手を当て、ゲルダは真剣な面持ちでワンツを見つめてくる。
なぜだろうか。
可愛らしい少女に上目遣いで見つめられているという状況。
心がドキドキしているのは、さっき廊下で感じた時とは別の意味だろう。
「学園長様は、ワンツ様のお母様でいらっしゃるのですよね」
「あ、あぁそうだな。血は繋がっていないけど」
「ということは学園長様……いいえ。アリス様から落とせば、外堀を埋めることができるということになりますよね?」
「そういう悪巧みは絶対に、本人の前では言わないようにしような……」
不満気にわちゃわちゃ言ってくるフレアと、自分の世界に入り込んでしまったゲルダ。
どうしてなだめようかと頭を抱えていると、手を叩く音が聞こえた。
「まぁ挨拶はこのくらいにして、そろそろ本題に入ってもらってもいいかな?」
アリスがそう言うと、緩んでいた室内が再びピリリとした緊張感に包まれる。
見た目は同年代か、年下にみえるのに、所々で放つ雰囲気に圧がある。
「あ、あぁそうだな。回りくどい言い方をしたって時間の無駄だろうし、単刀直入に言わせてもらう。アリス、俺たちのクランに入ってくれそうな人を紹介してほしい」
「ここに来るまでに、自分たちでどうにかしようと、よく考えた?」
「数日前、あいつ……俺の友人に紹介してもらった、マリー・フローレンスという子を勧誘しにいった。けど断られてしまったから、こうして頭を下げに来たんだ」
アリスはふむ、と息を吐きながら両手を組む
少し考えた後、残念そうな声で答えを返してくる。
「協力してあげたいのは、山々なんだけどね。ワンツが私に頭を下げて頼み事をしてくるなんて、滅多にないことだから」
「ということは……?」
「だけど君たちを支援することはできない。学園長という立場上、ひとりの生徒や特定の団体だけを応援することはできないからね。その対象が魔王であるなら、なおさら」
「やっぱりそうか」
さして残念そうな素振りも見せずに納得した様子のワンツに、アリスは不思議そうに聞いてくる。
「やっぱり? ということは、人探しの他に何か目的があって、私に会いに来たということかな」
「あぁ。と言っても、別に何かをくれとか、やって欲しいことがあるという話じゃない」
「では何を?」
「ルキウス・ランギスという男について教えてほしい」
ワンツが言うと、アリスは両手で口元を隠すように深く肘をついた。
「それが、ワンツの主目的?」
「自分が置かれている立場は、ここ数日で嫌というほどに理解させられたからな」
「そう。だけどそれこそ、私の出る幕は無いんじゃないのかな。彼のことは彼自身に聞けばいい。聞いたよ、ルキウス君は君の拠点に入り浸るような友達なんでしょ?」
「少なくとも俺は、そうありたいと思ってる。だがあいつはテンスラウンズで、勇者側の人間だ。聞いてもはぐらかされるだけ。今日みたいにな」
「ならやっぱり聞くべき相手は私じゃないね」
「アリス、また大人の事情ってやつか」
「いいや、言葉通りの意味だよ。彼については、私よりもっと詳しく知っている子がいる。だからその子を訪ねてみるといいよ」
「その子って?」
「天才ルキウス・ランギスの幼馴染だよ。名門貴族であるランギス家の長男である彼には、幼い頃からの顔なじみなんて山程いる。そんな中でも特に親しい間柄だと聞いたよ」
「へぇ、じゃあその幼馴染ってのはどこに?」
「旧校舎の特別教室棟に行けば、すぐに分かると思うよ。名前はセレーネ。ちょっと変わった子だけど、君とは気が合うんじゃないかな」
ちょっと変わった子。
そう言ったアリスが、やけに楽しそうに見えたのは気のせいだったのだろうか。
少し違和感が残った。
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次回は1月22日、19時頃更新予定!
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