第37話:魔王と天才、決闘の始まり

「ああ、すぐに片付ける」


 フレアにそう言い残して、ワンツはルキウスと向き合う。

 周囲を見てみると、備品のほとんどが破壊されていて、壁や天井はビッシリと焼け焦げている。

 ここが、教室や会議室のような部屋だった面影は少しもなく、さっきまで行われていた戦いの壮絶さを感じさせる。

 この部屋の惨状を見るに、フレアはすべてを出し切ったのだろう。

 しかし、少し離れた先にいるルキウスは、細身の槍を右手に持っていること以外は、昨日と少しも見た目が変わらない。


「なるほど、テンスラウンズは伊達じゃないってことね」


 ゲルダが行けと言うまで、ワンツは本気でフレアを助けに行く気が無かった。

 対人戦において、ワンツよりも破壊力があり、ゲルダよりもタイマンに適しているフレアなら、ルキウスを倒せるだろうと思ったからだ。

 しかし結果は、満身創痍のフレアに対して、ルキウスは無傷。

 しかも、消耗すらしていないように見える。

 フレアよりも、ゲルダよりも、そしてセレーネよりも、中途半端な凡人が、天才ルキウスに勝てるだろうか。


「いいや違うな。勝つしかないんだ、俺は」


 皆をこんな戦いに巻き込んでしまった手前、ワンツが負けるわけにはいかない。

 静かに決意を固めていると、少しも動じた様子には見えないルキウスが、挑発するように言ってくる。


「仲間を捨て置いてくるとは、やはり魔王は非道なんだな。それとも、そいつの方が大切だったか」


「バカ言え、信頼しているから任せたのさ。俺たちは仲間だからな」


「信じた仲間をそこまで痛めつけておいて、よく言えたものだな」


「痛めつけたのはお前だろうが」


「初めからお前が来ていれば、そいつはそんなことにならなかった。そいつの心が折れたのは、指示を出したお前の責任だ」


 ぐうの音も出ない正論に、反論する言葉が見つからない。

 言葉に詰まりながら返事をする。


「……そうだな。俺はお前の力量を見誤った。違う状況で同じことをしてたら、俺は危うく仲間をひとり失うところだった」


「それが分かる頭を持っておきながら、なぜお前は無謀な決闘を挑んだ。お前ひとりの犠牲で済んだことに、なぜ他人を巻き込んだ」


「頼まれたからな。お前が本気で笑えるような場所を作ってくれって」


「俺が笑える場所? バカバカしい。誰がそんなことを頼んだ。俺はそんな場所など望んではいない」


「強がるなよ。だから気付けないんだ。すぐ近くに、お前のことを大切に思ってくれている人がいることを」


「……黙れ。苛つくんだよ。分かったようなことを言って、空虚な希望を持たせる。期待して付いていった奴に対して、なんの責任も取れないくせに」


 ルキウスはゆっくりと槍を構える。

 津波のように押し寄せてきた強烈な殺気に、体全体が重たくなったように感じた。

 巨大な炎や、すべてを凍りつかせる氷の城。

 これらのような現象ではなく、ただ目の前の達人から放たれる殺気に、ここまで恐怖したのは初めてだ。

 ただ睨みつけられているだけで、心臓がわし掴みにされているように痛む。


「だがフレアは逃げなかった。なら俺が逃げるわけにはいかないよな」


 フッと息を吐いて、黒剣ロンドを構える。

 魔法の修行が始まった時から、ずっと一緒に過ごしてきた唯一無二の相棒。


「初めから本気でいく」


 感情の感じられないルキウスの目を、じっと見据える。

 まずはこの力で、かすかな勝機を手繰り寄せる方法を手に入れる。

 達人芸ですら我が手に収める、魔王のみがもつ唯一の力。

 ワンツは唱えた。


「スキルアンロック」


 胃袋を鷲掴みにされて強引に持ち上げられているような、猛烈な吐き気。

 それだけでなく、脳みそが押しつぶされたような痛みと、気分の悪さも襲ってきた。

 平衡感覚が失われ、世界が揺れている。


「ウッ! あぁァ゙……はぁはぁはぁ」


 もしかして、本当に頭が押しつぶされてしまっているのだろうか。

 こう思い、反射的に頭に手をやり確かめる。

 いつも通りの感触が返ってきて、ほんの少しだけ落ち着きが返ってくる。

 しかし、それでも激しい頭痛とめまいに襲われている状況に変わりはない。

 抽象的な絵画のように、ぐねぐねと曲がりくねった視界で、ルキウスを睨みつける。


「相手の魔法や戦闘技術を、一瞬で我がものとする特異技。そうか、それが魔王の力というものか。たが、相手が悪かったな」


「相手が? どういう……」


 肩で息をしながら聞く。


「簡単な話だ。お前の頭に、俺が持ってる情報量は膨大すぎたんだろう。確かに最強ではあるんだろうが、万能ではないらしい」


「そういうことか……ぐッ!」


 あの感覚は、あながち間違いではなかったらしい。

 脳みそが、突然現れた膨大な情報に、押しつぶされたのだ。

 相手があの天才ルキウス・ランギスであることを考えれば、むしろこの程度で済んだと考えるべきかもしれない。

 胃を引っくり返されたような吐き気に耐えながら、ワンツはそう結論付けた。


「だがこれで、勝負は五分になった。なんとか調子も戻ってきたしな」


 まだ吐き気やめまいは、残っている。

 しかし嘘でもいい。

 とにかく今は、自分にそう聞かせておかないと、立っていられない。


「そうか、なら試してやるよ」


「ッ!」


 ルキウスが、一瞬で距離を詰めてくる。

 歪んだ視界のせいで、反応がかなり遅れた。

 ワンツの頬に一本線の傷ができる。


「このぉ!」


 ワンツが剣を振り返した場所に、ルキウスはもういない。

 平衡感覚が狂ったまま、ルキウスの攻撃を避け続ける。

 なんとか致命傷だけは避けられているのは、ルキウスがさっき言った通り、試されているからだろう。


「このままじゃあ、なぶり殺されるだけか」


「? ぶつぶつと何を言ってる」


「覚悟を決めるための、言い訳づくりだ」


 強く歯を噛みしめる。

 そうしておかなければ、舌を噛み切ってしまうだろうからだ。


「防御魔法、限定解除」


 迫りくる槍を手のひらで受け止める。

 不可視の鎧を脱ぎ去った左手の平を、勢いよく槍が貫通していく。

 押し出された血が、頬に張り付いてくるよりも早く、鋭い衝撃が頭を殴りつける。


「あがっ! ーーッ……ふぅ……すぅ……」


 目を開けると、クリアになった視界に、驚愕の表情を浮かべているルキウスの顔が映った。


「アーハッハッハァ! ちっくしょう、いってぇなぁ、おい!」


「お、お前……何をやって……」


「なにって、いつまでも寝ぼけてやがる脳みそを、叩き起こしてやっただけさ。いい気付けになったぜ。ありがとうな、ルキウス」


 満面の笑みでそんなことを言ってくるワンツの顔と、ぽたぽたと槍を伝って滴る血とを交互に見て、ルキウスの顔は嫌悪のそれに変わった。

 乱暴に槍を引き抜き、睨みつけてくる。


「ぐあっ!」


「普通にやっても勝てないから、奇をてらったつもりだろうが、浅はかだな。元々、殺す気でやってるんだ。この程度じゃ、ひるみはしない」


 普段通り冷静な調子を取り戻したように見えるルキウスに、ワンツは安堵の笑みを見せる。


「それはよかった」


「なんだと?」


「だから言ってるだろ、ただの気付けだって。俺だって興ざめだぜ。罪悪感で動きが鈍った天才を倒しても、意味はないからな」


「ハッ、その強がりも、どこまで徹底できるのか見物だな。それよりも、それを放置していれば先に失血で死ぬぞ」


 ルキウスに言われて左手を見てみると、ぽっかりと空いた大穴から血が流れ出ている。

 手の平にできた小さな滝は、足元に滝壺を作りつつあった。


「なら止血をしよう」


 ファイアダガーを宙に出現させ、傷穴に突き刺す。

 もっとも、どちらかといえば、はめ込むという感じの方が近かった。


「グッ! ……はぁ」


 液体の沸騰する音と、肉の焼ける音、そして鉄と炭のにおいが混ざった煙。

 しばらく当てていると、音が小さくなり出血が止まった。

 左手を軽くふると、煙も消え去った。


「狂ってるな……、たかが決闘のために、どうしてそこまで」


「もう御託はいいよ。それより始めようか、俺たちの決闘を」


 ワンツはロンドを構え直し、ルキウスへ突進した。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

次回は2月4日、18時頃公開予定!

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