第16話:宣誓、魔王狩り

 ワンツの間近で着替えをすませた後、意外にもあっさりと、ゲルダはどこかへ行ってしまった。

 今日はとくに用事もなかったので、二度寝をしてもよかったのだが、あのような出来事があった後だと、そのような気にもならなかった。

 気の赴くままに歩いていると、気づけばワンツはここ、旧校舎の裏側に佇んでいる小屋にきていた。

 建付けが悪いのか、少し抵抗感のある木の扉を開く。


「おお、フレア早いな」


「別に早くないわよ。あんたが遅いだけ。朝からなんかしてたの?」


「……い、いや別に」


「なによその何かありげな間は」


 フレアの疑うような視線を苦笑で受け流しながら、ワンツはフレアの対面の席に座る。

 なぜか不機嫌そうな仏頂面をしている。


「フレア」


「な、何かしら!?」


 ワンツが声をかけると、後ろでひとまとめにされた薄い金色の髪を揺らしながら、こちらを向く。

 髪をまとめている赤いリボンが、何かを期待するようにピコピコと揺れている。

 

「なんか怒ってる?」


「なんも怒ってないわよ!」


「そ、そうか……」


 虫の居所が悪そうな顔をしていたので、話でも聞いてやろうかと思ったのだが、別にそういう訳ではないらしい。

その割には語気が強い感じがしたが、追求しても得することはないだろうから、黙っておく。

 静かな空間でボーっとしていると、細い声でフレアが聞いてくる。

「その……怒ってるように見えた?」


「うん? あぁ……ちょっと?」


「そ、そう……」


 素直に答えると、フレアは小さくため息を漏らしながら外を眺める。

 何か考えている風ではあるのだが、その内容は詮索するような物ではないだろう。

 とくにやることもないので、フレアと視線が合わないように、あくる方を見る。

 入学祝いだとアリスからこの小屋をもらってから、まだ数日しか経っていない。

 しかしなぜか、長年この場所で過ごしてきたかのような安心感がある。

 使い古された、しかし決して汚くはないテーブルや食器とか小物を収納できる棚。

 端の方についている傷を見ていると、この場所がずっと昔から、誰かの憩いの場所となっていたのだろうと想像できる。

 実家感のある天井のシミをボーっと見つめていると、フレアがこちらへ歩み寄ってきてコップを前に置いた。


「俺に?」


「あんたの前に置いたんだから、そうに決まってるじゃない。なに? それとも私がお茶を淹れてあげたのが、そんなに気に入らないの?」


「い、いやそんなことは……」


 確かにフレアが茶を淹れるなんて気を回してくれるとは、夢にも思っていなかった。

 ワンツの呆けた顔から、フレアはそれを感じ取ったのだろう。

 余計なことを言ってしまう前に、ワンツはコップを傾けた。


「……苦いな。葉っぱ入れ過ぎじゃないか?」


「う、うるさいわね。濃い方が美味しいかと思ったのよ」


 改めてコップの中身を見てみる。

 すると普通は、透き通った茶色をしているはずの液体が、黒々と濁っていた。

 これは中々、癖のある茶の淹れ方をしてくれたようだ。


「今度教えてやるよ、うまい茶の淹れ方」


「そう? 約束よ?」


 フレアは頬杖をつきながら笑った。


「あぁ……」


 フレアのことだから、顔を真っ赤にして怒ってくるものだとばかり思っていた。

 予想外の返事がきて、ワンツは気の抜けた返事をしてしまう。

 さっきよりも苦味が弱まった気がするお茶を飲んでいると、木のドアが開く。


「げっ」


「あらフレアさん、御機嫌よう」


 その姿を見て明らかに不愉快そうな反応をしたフレアに対して、ゲルダはとても上品に挨拶を返す。

 スカートの裾をつまんでお辞儀する人なんて、聞いたことはあれど、初めて見た。

 少し焦っているのか、急かすように聞いてくる。


「それよりワンツ様、まだこちらにいらっしゃったのですね」


「まだって?」


 ゲルダがまっすぐワンツの元へ歩いてくる。


「その様子では、やっぱりご存知ではないのですね。とにかく参りましょう。時間がございませんわよ」


「あ、ちょ、まゲルダ」


 有無を言わさずワンツは、ゲルダに腕を引っ張られ外へ出る。


「ちょっとゲルダ! そいつを連れていきなりどこへ行こうってのよ!」


「やはりあなたも付いてきてしまいますか。まあいいでしょう。ワンツ様のためにも、フレアさんも聞いておいた方が、よいでしょうし」


「だからなんの話よ」


 ワンツとフレアを早歩きで引率しながら、ゲルダは話し始める。


「昨日の夜、とつぜん発表があったんです。今日の朝、テンスラウンズの首席を最速で取った男が演説をすると」


「ふーん。ところでテンスラウンズってなんなんだ?」


「そんなの決まってるじゃない。この学園で最も強い10人のことよ!」


 むふーと胸を張るフレアを、じっとりとした目で見ると、ゲルダは諦めたように息を吐く。


「……大方はフレアさんの言う通りですわ。決闘が花形と言われるこの学園において、その最上位者が集まるテンスラウンズは象徴です。それに相応しいだけの権力が与えられます」


「へー凄いな。そういや初めてお前と会った時いってた、この学園の頂点になるんだって言ってたのって、このこと?」


「そうよ。でも今は違うわ。私とあんたで、この学園の頂きを掴みに行くのよ」


「お、おう」


「おふたりの仲がよろしいのは結構ですけれど、既にそう悠長なことを言ってられる状況ではないのかもしれません」


 いやに神妙な面持ちでゲルダは、せわしなく足を進める。

 ワンツとゲルダの頭の上に浮かんでいたはてなマークは、すぐに解消することになる。


「嫌な予感だけは当たるんですよね、わたくし」



「おーこれは凄いな」


 ワンツたちの、憩いの場になっている小屋から数10分。

 ゲルダが目指していた目的地には、すでに大勢の人が集まっていた。

 たくさんの列の最後尾で背伸びをしていると、ステージにひとりの人間が上がる。

 広大な広場の端でも見えるように、ステージのかなり高い位置に立っているはずなのだが、それでも目を細めて見てしまうくらいに小さい。

 なんとか分かるのは、ワンツと同じ男子用制服に白いマントを羽織った金髪の少年が出てきたということだけだった。


「えー、どうも、みなさん。今日は突然の招集にも関わらず、集まってくれてありがとうございます」


「うん?」


「どうかしたのか? フレア」


「こんなに離れているのに、はっきり聞こえるなんて不思議だなと思って」


「よく知らないけど、魔力を増幅させて声を遠くまで、届ける魔法があるらしいぞ」


「へー、よくそんな魔法知ってたわね」


「昔、アリスが言ってた」


「あそ」


「あそて」


 ワンツのちょっとした文句は、フレアには届いていない。

 背伸びをしながら体を左右に揺らして、ステージを見るのに夢中だからだ。

 そんなフレアを横目に、ワンツはゲルダに聞いた。


「あれがさっき言ってた?」


「ええ。わたくしとワンツ様が決闘していたのと同時刻、彼がテンスラウンズの代表ーー今は既に元首席ですね。彼を倒し、テンスラウンズに入りました。そして最速で頂点を奪い取った彼は、こう呼ばれているそうです」


 ゲルダがその名前を言うのと、少年が正体を明かすのはほぼ同時だった。


「僕の名前はサティス、勇者だ」


 この世界で勇者と名乗る人間を茶化す者はいない。

 誰もが勇者と魔王のおとぎ話は、現在まで続いている生きた伝説であることを知っているからだ。

 金髪の少年が勇者であるなら魔王は?

 群衆が一斉に周囲を見渡し始める。


「ここを離れましょうワンツ様」


「え、折角きたのに最後まで聞いていかなくていいのか?」


「わたくしの我がままに付き合わせてしまい、申し訳ありません。ですがとても悪い予感がするのです」


「そ、そこまで言うなら……。フレア、いくぞ」


「え、もう行くの? なんでよ」


「俺もよくわからん」


「はぁ? まぁあんたがそう言うならいいけど」


 3人がこの場を離れようと背中を向けた瞬間、勇者と名乗った少年サティスはこう言い放った。


「無礼を承知で決闘を挑み、最大の栄誉をこの手にさせて頂いたのには、ひとつの理由がある。それは勇者として生まれた僕の使命を果たすためだ。これは僕だけが背負うべき責任なのかもしれない。しかし僕ひとりだけの力では足りない。もし皆に正義の心が宿っているのなら、世界の平和を守るため、どうか力を貸してほしい。僕は正義ある皆に誓う。勇者と対を成す存在、その名を魔王ワンツ! 災禍の象徴である魔王、ワンツを必ず討つと」


「え?」


 ステージまでどれだけの距離があるだろう。

 どれほどの人間がふたりの間にいるだろう。

 それでもワンツは、はっきりと認識した。

 勇者サティスが指差している相手は、魔王ワンツ、つまり自分だ。

 瞬間、無数の視線がワンツに突き刺さる。

 この世界で生きてきて、勇者と魔王の伝説を知らない者は存在しない。

 そんな人々が、実在する魔王に向ける視線が、どのようなものか。

 アリスから魔王という存在が、どのようなものなのかを聞いたあの時から、覚悟は決まっているつもりだった。

 しかし、実際に浴びせられる視線は、覚悟していたそれよりも、遥かに厳しいものだった。

 一点に突き刺さる嫌悪、憎悪、そして殺気のこもった視線。

 これが世界で唯一、誰からも生存が望まれていない存在に対する扱いだ。


「――ッ!」


 純粋な悪意が、ヌメついた腕で足を掴んでくるようで、一歩も動けなかった。

 ただ呼吸をすることさえ咎められているように感じて、息を吸えない。

 息を吸い込もうと腹に力を入れるが、上手く呼吸ができなくて余計に苦しくなる。

 苦しいので息を吸おうとするほどに、過呼吸になって視界が歪んでいく。

 焦りに支配されて、何も考えられない頭の中で心臓の音だけがいやに響いている。


「何ぼーっと突っ立ってんのよ! ほら行くわよ!」


「――、へぇ?」


 手を勢いよく引っ張られているので、ただ転ばないように足を動かす。

 何度も倒れそうになりながら走っているうちに、少しずつ頭がすっきりしていく。

 落ち着いてくると、さっきはなぜこんな簡単なことすらもできなかったのか分からない。

 大きく息を吐きながら、フレアに礼をいう。


「……悪い、助かった」


「別に、見てられなかっただけよ」


 ふんと頼もしい笑顔を残してフレアは前を向く。


「どうしますかワンツ様」


「そうだな。いつまでも追いかけっこしてる訳にもいかないよな」


 ちらりと視線を後ろにやると、怒号とともに人間の壁が追ってきている。

 あれらは全て、ワンツに悪感情をもって走っているのだ。

 気の弱い人なら卒倒してしまうだろう状況だろう。

 実際、さっきまで呼吸困難になっていた。


「全員まとめて、吹き飛ばしてしまえばいいんじゃない?」


「放言も大概にしてくださいまし。それよりあなた、いつまでワンツ様の手を握っているつもりですの?」


「なっ! 別にそういう訳じゃないわよ!」


 弾かれたようにフレアはワンツの手を離す。


「どういう訳でも結構ですけれど、決闘以外で私闘を行うのは禁じられています。おバカな発言もたいがいにしてくださいまし」


「私はおバカじゃないわよ! てっ、そうじゃなくて! じゃあどうするのよ! このままあいつらが飽きるまで、逃げ続けなくちゃいけないってこと!?」


「何も思いつかなければ、そうなるでしょうね。どこかで撒ければ、いいのですが」


「撒くっていってもな……」


 数百の目がワンツを監視し追跡してくるのだ。

 そう簡単に追っ手を撒くことはできない。


「うん? なんだあれは」


 少し先の路地の陰から、男が小さく顔を出していて手を振っている。

 明らかに怪しい。

 普通の状態であるなら、絶対に近づかない。

 それほど男は胡散臭い感じだった。


「怪しさプンプン……だが今は、渡りに船だと思うしかないか。フレア、ゲルダ。あの男のいる路地に飛び込むぞ!」


「分かったわ!」


「かしこまりました!」


 ワンツたちが脇道に逸れたことに気づいた人間が、咄嗟に方向転換できないようにギリギリまで引き付けてから、横に飛んだ。

 3人がもみくちゃになりながら転がり、そして止まった。

 路地裏の静かな世界に、地面を揺らすような足音が響いている。


「よく気づいたな」


 見上げると、男が仏頂面で言ってきた。


「助かったよ、あんたは?」


「付いてこい。俺たちのボスがあんたを待っている」


 会話をする気はないのか、仏頂面の男は要件だけを言い放って歩きだしてしまう。


「どうしましょうか、ワンツ様。あまり気乗りは致しませんけれど」


「もしかしてついて行く気!? 会話のできない人に、付いていっちゃだめよ!」


「あら、ではわたくしたちもフレアさんとは、一緒にいられませんわね」


「どういう意味よ」


「そういう意味ですよ」


「それってどれよ!」


「あー分かった、分かった! 俺もあまり仲良くできそうなタイプじゃないけど、助けてくれたんだ。最低限の筋は通さないと」


 ひとまずは助かったという安堵感と、胡散臭すぎる見た目という不安感で天秤を揺らしながら、ワンツは男に付いていくことにした。

 男はこちらへ一切顔を向けることなく、スタスタ歩いていく。

 しばらく歩くと、男は地下につながる階段の前で立ち止まった。


「ここだ、付いてこい」


 そう一言残してレンガの階段を降りていく。


「ワンツ様、礼儀を欠く行為だとは理解しておりますが、やはり引き返しましょう」


「私も賛成。こんなとこ絶対、悪い奴しかいないわよ!」


 フレアの言うことには、文句なく同意だ。

 明らかに行儀の良い人間が、この先にいるとは思えない。


「で、でもここまで来て、引き返す訳にはいかないだろ。良い奴がいるか、悪い奴のたまり場か、行けば分かるさ」


 男の背中を追い階段を降りる。

 ワンツたち3人が揃っているのを確認すると、男は扉を開いた。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

次回は1月14日、21時頃公開!

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