第15話:魔王と氷の魔女の朝

『僕は正義ある皆に誓う。勇者と対を成す存在、その名を魔王ワンツ! 災禍の象徴である魔王、ワンツを必ず討つと』


 全生徒の注目が集まる中、勇者はこう言い放った。

 勇者が指差す方向へ一挙に集まる数多の視線。

 それはもちろん羨望ではない。

 集団から向けられる視線は恐怖、憎悪、殺気だった。

 誰かが号令代わりに雄叫びを上げた。

 あれは実際に聞いたのか、幻聴だったのかは分からない。

 魔王を殺せ!

 こんな言葉が頭の中に響き渡り、心臓が止まったかのように苦しかったのは事実だ。

 この日、魔王狩りが始まった。



 カーテンの隙間から差し込む柔らかい光。

 上品ながらも軽快で爽やかな小鳥のモーニングコール。


「ふぐっ……いてて……」


 そしてワンツの低いうめき声。

 新しい一日が始まるには到底相応しくない鈍い声を上げながら、ワンツは目を開ける。

 やはり決闘の翌日はこれだ。

 頑張りすぎる。

 いいや、死ぬ気で頑張らなければ文字通り命が危うい。

 そんな決闘にのぞんでいるのだから、体の節々が痛むのも当然のことだ。

 筋肉痛程度で済んでいるのだから、むしろ幸運なのかもしれない。


「いや、どうして俺は自分の部屋にいるんだ?」


 昨日のゲルダとの決闘。

 なんとかワンツが勝利したことは覚えている。

 しかしあれから、どうやって自室まで帰ったのか。

 いまだ寝ぼけている脳内を検索してみるが、それらしい記憶はヒットしない。


「あのあと、ワンツ様はすぐに気を失ってしまいました。なのでわたくしが、ワンツ様をこうして、お部屋までお送りして差し上げましたのよ」


「そうか、そうか。それは助かった……よ?」


 ワンツの疑問に誰かが答えてくれた。

 問題は解決したが、すぐに別の問題が飛び出してきた。

 布団の中から声が聞こえてきたのだ。

 布団の声を認識した瞬間、心なしか半身が、やけにひんやりとしている気がする。

 まるで、接触冷感の抱きまくらを抱いている時のような。

 この現象の理由には、大方予想がついている。

 布団の膨らみ。

 左半身にくっついている、やけにひんやりとした、柔らかい感触。

 ワンツはおそるおそる、布団をめくってみる。


「いやん」


 頬を朱に染めたゲルダが、嬉しそうな視線を返してきた。

 反射的に視線を布団で遮ってしまったので、一瞬しか中の様子は確認できなかった。

 しかしそれでも認識できるほど、肌色の面積が多かった気がするのだ。


「あらあらワンツ様。どうしてわたくしを、隠してしまわれますの?」


 もぞもぞと体を這われる感覚と共に、ゲルダがひょっこりと布団から顔を出してくる。


「うおわっ! ど、どうしてゲルダがここに!?」


 反射的に布団を飛び出して、ゲルダから距離を取る。

 心臓が激しく鼓動し頭がクラクラするのは、朝一番で激しい運動をしたからだけの理由ではないだろう。


「先ほどご説明した通りですわ。決闘のあと意識を失ってしまったワンツ様を、わたくしが運ばせて頂きましたのよ」


「それはさっき聞いた、感謝するよ。けどなんでそっから、同じ布団で寝ようってことになるんだ……おいちょっと待て動くんじゃない」


 うふふと笑いながら立ち上がろうとするゲルダを、慌てて制する。

 ワンツがちらりと視線を横にやると、ゲルダが脱ぎ散らかしたであろう女子制服が転がっている。

 そしてさっき一瞬目に入った、やけに肌色の多い姿。

 ゲルダが今、マントのように羽織っている布団の下がどのような姿なのか。

 想像には難くなかった。


「ステイだ、いいかステイ。そこから一歩も動くんじゃないぞゲルダ」


 もちろん布団の下には、素敵な世界が広がっているのだろう。

 しかし、目の前にあるピンクの欲求を受け入れてしまう方が、マズい状況になるに違いない。

 ワンツの勘はそう訴えていた。

 ベッドの上でぺたんと座り込むゲルダ。

 布団から飛び出している生足に目線がいってしまわないように、ゲルダを強く睨みつける。


「あら、今わたくしの足を見ました?」


「み、みてねぇよ」


 ゲルダに言われて、チラリと見てしまう。

 さっきまであの白くて細い足が、ワンツの足にからめられていたのだ。

 そう改めて考えてみると、よからぬ気が起きてしまいそうになる。


「いいんですのよ。ワンツ様がご覧になりたいのなら」


 ゲルダはゆっくりと布団をまくりあげていく。

 華奢な足首から、触るとサラリとしていそうなふくらはぎ。

 そして魅惑的な雰囲気を放つ太もも。

 これより先に立ち入ってしまえば、もう無事に帰ってくることはできない。

 すんでの所で理性を取り戻す。


「お、おいゲルダ。これ以上はよせ。洒落にならないぞ」


「いいじゃないですか。事後に全部、あれは洒落だったと言われても、わたくしは納得いたしますよ?」


「事後!? ちょ、おいゲルダ、やめ……」


 ゲルダは妖しい微笑を浮かべながら近づいてきて、ワンツごと布団で囲い込んでくる。

 ワンツの体に押し付けられる柔らかい感触。

 間違いが起きてしまいそうなほど近い、ふたりの顔の距離。

 密着しているところは冷たいのに、沸騰しているのではないかと思うほどに顔面は熱い。


「な、何をして……」


「うふふ、ワンツ様が望むなら、わたくしは一向に構いませんのよ」


「俺が望む? な、なにを」


 ゲルダは顔を近付けてきて、ワンツの耳元で囁く。


「肉体関係」


「にくっ!?」


 反射的にゲルダを突き放し後ろへ逃げようとするが、逃げ道は壁に塞がれている。

 ジリジリと後ずさりしている内に、いつの間にか誘導されていたのだ。


「抵抗は致しません。もし拒否されるなら、わたくしを力いっぱい押し退けてくださいませ。ご安心ください。ここで何をされようとも、わたくしは誰かに言いふらしたりしませんから」


 言い終わると同時に、耳たぶを甘噛みされる。

 悲鳴に似た変な声が出そうになるが、すんでの所で我慢する。

 薄っすら目を開けると、触れてしまいそうな距離でゲルダが微笑んでいる。

 ゲルダの言う通り、力任せに突き放すのは簡単だろう。

 しかしゲルダを拒否するのも、目先の欲求に流されるのも。

 そのどちらも彼女の思惑通り。

 ゲルダの手のひらの上で転がされるような行動だけは、避けなければならない。


「そ、そのどちらも俺はしない」


「はて、それはどうしてでしょうか? せっかく美少女が、あなた様だけに都合の良いことを言っているのに」


「ここでお前を襲うのも、力任せに突き放すのも、お前を傷つけてしまうから。俺は仲間を傷つけるようなことはしたくない」


 顔を真っ赤にしながら、ワンツは言い切った。

 ゲルダは考え事をするように顔を伏せると、冷たい息を耳元に吹いてくる。

 ワンツのうら若き乙女のような小さい悲鳴を聞いて、ゲルダは満足したように離れていく。


「……仲間ですか。分かりました、今日の所はワンツ様の誠実な態度に免じて、撤退すると致します」


「それはどうも」


 体温が上がっているのは、ヒンヤリとしていたゲルダの体が離れたからだけではないだろう。

 なんとなくゲルダのほうへ視線を向けてみる。

 くせっ毛がピョンと飛び出していて、布団をまとった丸っこいフォルム。

 毒が抜け妖しい雰囲気がなくなると、可愛らしいマスコットのように見えた。

 小動物を愛でるような感じで見ていると、ゲルダが少し恥ずかしそうに顔を向けてくる。


「あのワンツ様。そのままご覧になっていても構わないのですけれど……」


「ご覧にって何を?」


「ワンツ様のえっち……」


「えっち? ……あ、あぁ悪い!」


 か細い声と共に向けられたゲルダの視線を追うと、脱ぎ散らかされた女子用制服があった。

 すべてを察してワンツは、慌ててゲルダに背を向ける。


「……いえ、わたくしの方こそ申し訳ありません」


 なぜだろうか。

 さっき密着されていた時よりも、ゲルダの頬に少し朱色が浮かんでいたことに気づいた今の方が、なんだか恥ずかしい。

 背後から聞こえる衣擦れの音を聞いていると、布団の隙間から見えた、白く華奢なうなじと、恥ずかしそうに笑うゲルダの姿が浮かんでくる。

 邪念を払うように頭を振るワンツの心臓が激しく高鳴っているのは、さっきゲルダに密着されたからではないだろう。


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次回は1月13日、19時頃公開!

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