第14話:君に刻まれた烙印ごと

「ここは……王の間ってやつか?」

 

 氷の扉を押し開けると、中に広がっていたのは氷細工で彩られた謁見の間だった。

 氷の燭台を左右に挟んで、中央には区切られた道がある。

 そしてその最奥には。


「いた、やっと見つけたぞゲルダ」


 玉座には巨大な氷のクリスタルが鎮座している。

 地面から数10センチ浮いている氷塊の中に、ゲルダがいた。

 しかし小さくなって向こうを向いているので、ワンツには気がついていないようだ。

 ワンツが謁見の間に足を踏み入れる。

 ゲルダは肩を揺らして、おそるおそるといった感じで振り向いた。

 ゲルダが閉じこもっているクリスタルまでは10数メートル。ワンツは足を進める。


「来ないでください!」


 ゆっくりと、しかし着実に歩みを進めてくるワンツを、氷の槍が包囲する。

 無数の殺意がワンツを取り囲んでいる。

 反射的に動いた右手をワンツは制する。


「ロンド……いや大丈夫だ、出てくるな」


 ワンツが言うと、右手に集まっていた黒い粒子が霧散する。

 ワンツは敵を倒すために、あの扉を開いたのではない。

 酷く傷つき殻に閉じこもってしまった、ひとりの女の子を迎えに来たのだ。

 ならば武器は必要ない。


「来ないでと言ってるでしょう! それ以上近づくなら……」


「俺を殺すか?」


「……ッ!」


 ゲルダは泣きそうな目で睨みつけてくる。

 ワンツに向けられた指先は拒絶の意思を示している。

 しかしもう片方の手は、辛そうに胸を押さえつけている。

 ならばこんなことで足を止める訳にはいかない。

 ワンツは一歩ずつ、ゆっくりと足を前へ進める。


「俺を殺したければ、そうすればいい。だがそれよりも早く俺がお前を助け出してやる」


「助ける……ですか。滑稽ですわね。わたくしは、あなたの救いなど望んではいない。骨折り損というやつですよ」


「それでもだ」


「どうして! どうしてあなたはそんなに身勝手なのですか!」


 ゲルダが叫ぶと、ワンツのすぐ近くに氷の槍が飛んできて、地面にぶつかり砕け散る。

 いくつもの氷が破裂する音を聞きながら、ワンツは前へ進む。

 そして、ゲルダの前までたどり着いた。


「どうしてあなたはここまで……」


 ゲルダがワンツに手を向けると、氷の槍がワンツの眉間に狙いを定める。

 この距離で放たれたら、ワンツとて回避することはできない。

 一瞬脳内を走った最悪のイメージを押しのける。

 ワンツはゲルダに語りかけた。


「魔王は災禍を呼ぶ力。だから魔王は勇者に討たれて死ぬべきだ。こんな言葉を俺は、生まれた時からずっと聞かされてきた」


「そうでしょうね。わたくしもこの魔眼のせいで……」


 ゲルダは恨めしそうに右目を押さえるが、指の隙間から赤黒い光が漏れ出ている。


「だから俺は証明したいんだ。災いを呼ぶかもしれない力だって、誰かを助けることができるんだって」


「だからわたくしを救いにきたと?」


「そうだ」


「なんて自分勝手な考えなのでしょう。助けられる側だって、同じ力なら正しい力で助け出して欲しかったと。そう思うでしょうに」


「力に綺麗も汚いもないよ。それは扱う人間を評価する言葉だから」


「ならばあなたは、自分は正しいことに力を使うことができる人間だと言えるのですか? 疎まれ、蔑まれ、世界があなたの死を望んでいるというのに」


「そうありたいと思ってる」


「……あなたは素敵な人に囲まれて、育ったのでしょうね。どれほどの悪感情を向けられようとも、耐えうるほどの善意を育ててくれるような、良い大人がいたのでしょう」


 言いながらゆっくりとゲルダは顔をうつむかせていく。


 ですが! と吐き捨てるように叫んで、ゲルダは睨みつけてくる。


「人間はそう簡単には変わらない。わたくしの目に烙印が刻まれている限り、わたくしはわたくしを一生愛することはできない。ならば氷の魔女として、人を傷つける悪い魔女として、正義の王子様に殺して欲しい。そう思うのは、そんなに悪いことなんですか!?」


 ゲルダは乱暴に氷の床を叩く。


「あなたなら、魔王様なら、わたくしと原罪を背負って死んでくれると思った。それなのにあなたは、わたくしを救うなんておっしゃる。こんなのあんまりじゃないですか……。わたくしはただ、あなたに殺してほしかっただけなのに……」


 ゲルダは力なくうなだれる。

 表情はうかがえないが、少なくとも前向きな顔つきはしていないだろう。


「ゲルダ……」


 無意識に右手に力が入る。

 目の前の敵を倒せと、体の内側から衝動が湧いて出てくる。

 ゲルダの意思を尊重することは簡単だ。

 ワンツが促せば、ゲルダは自らの細い首を差し出し、笑顔を見せるだろう。

 同じ境遇の人間に命を差し出すことで、己が背負わされた原罪をそそぐことこそが、ゲルダが望んでいることだからだ。


「雪女……」


 あれは本当に現実だったのだろうか。

 それほどまでに幻想的な世界で、幻惑的な女性に出会った。

 雪女は言った。

 ゲルダが待っていると。

 あの言葉の意味は、ゲルダの首を取れという意味ではないはずだ。

 衝動に抗うように右手の力を抜く。


「それはできない。俺はお前を助けにきたんだから」


「このッーーわからず屋ぁッ!」


「うおっと」


 ゲルダの動きに反応して、ワンツは反射的に首を振る。

 破裂音が聞こえたのち、頬を熱い液体が流れ落ちていくのを感じる。

 液体が唇の端を濡らすので舐め取ると、鉄っぽい味が舌の上に乗っかった。


「そん……な」


 ゲルダは大きな目をさらに見開いて、ジッと一点を見つめている。

 ゲルダの目の色がゆっくりと変わっていく。

 まずは呆然。

 目の前の現実が信じられないという灰色。

 そして呆然の灰色は、絶望の黒へと変化していく。


「おい、ゲルダ。大丈夫か?」


 ワンツの目で見て取れるほどに、ゲルダの表情は異様な変化を見せた。

 心配になって名前を呼びながら、ゲルダに手を伸ばす。


「近寄らないで!」


「なっ!」


 脳内に直接叫びこまれたような声を聞いた瞬間、凍りついたように体が動かなくなる。

 氷像のように固まった状態で見ると、ゲルダは顔を両手で覆っている。

 食い込んだ爪が皮膚を切り裂き血が流れ出る。

 流れ出る血をエサにするように、右目の魔眼はさらに赤黒く光り輝く。

 痛みを感じないのか、ゲルダの綺麗な顔面に深い傷跡が刻まれていく。

 やめろ! 顔がズタボロになるぞ!

 ワンツの叫び声が外へ出ることはなかった。


「だれが魔王様を傷つけた? わたくしが? そんなことは……だってワタクシは……ワタクシはあなた様に……ああああぁぁぁ!!」


 鋭利な氷の結晶を含んだ暴風に、勢いよく吹き飛ばされる。

 体を動かせないままゴロゴロと氷の床を転がっていく。


「くそッ、マジかよ、なんなんだよあれは」


 鉄の味が交ざった唾液を吐き捨て、目の前で起こっている状況に舌打ちをする。

 さっきまでワンツとゲルダがいた場所には今、嵐が居座っている。

 轟音とともに黒い雷が風に乗り、乱反射した氷の結晶を映し出す。


「あの中を生身で……体がすりおろされるな」


 嵐の中にはカミソリのように尖った氷の結晶が、高速で飛び交っているだろう。

 痛みさえ我慢すればどうにかなる。

 そんな次元は超えている。


「防御魔法を最大出力で……ダメだ。そんなことしてたら一瞬でガス欠になる。ならどうすれば……」


 これだけの激しい嵐を起こしながら、さらに結界も維持している。

 このままでは自分が展開した魔法に、ゲルダ自身が命を吸いつくされてしまう。

 長考していられる猶予はない。


「考えろ。無数の氷の刃から身を守りながら、ゲルダまでたどり着く方法を」


 大きなパワーに真正面からぶつかるのは非効率だ。

 もっとスマートな方法が必ずあるはず。

 スキルアンロック。

 相手よりも多い手数を活かした現場での対応力。

 それこそワンツが持つ最大の武器なのだから。

 己に残された手札を整理する。

 一筋の光が見えた。


「これなら……いやでも、迷うな俺。これならやれる。必ずやってみせるさ」


 ワンツに残された魔力は少ない。

 しかし決めたなら、あとは最高のゴールを目指してやりきるだけだ。

 目をつむる。

 心は炎だ。

 いくら体が限界を迎えようとも、炎が燃えている限り歩みを止める気はない。

 炎が血液を通して全身を駆け巡る。


「オーバーファイア。最小出力だ」


 唱えると、胸から炎が広がっていき全身を包み込む。

 薄いけれども、確かな熱を持った炎の鎧をワンツはまとっている。


「ゲルダ、お前が自分を信じられないなら、俺がお前の分まで、お前の善意を信じてやる」


 自分を鼓舞するためか。

 それとも、囚われのお姫様への宣誓か。

 どちらにせよ、言葉に相応しい笑顔を嵐の向こうへいる少女へ向けていた。


「待ってろ、ゲルダ。今から俺が迎えに行ってやるからな」



 腕を顔の前で交差させながら、嵐の中を進む。

 オーバーファイアで炎をまとうというのは、やはり正しい作戦だった。

 目論見どおり、無数に飛び交う氷の刃の中をなんとか進めている。


「だけど……そう長くは持たないな。急がないと」


 氷の刃は、現時点ではワンツにたどり着くことなく寸前で蒸発している。

 しかしワンツの魔力残量もあと僅かだ。


「いッつつ、今のは危なかった……」


 防ぎきれなかった氷の破片が、頬を切り裂いた。

 炎の鎧はあちこちに綻びが生じ始めている。

 限界は近い。

 もしも魔力が切れて完全に炎が消えてしまったら。

 瞬間、全身を無数の刃で擦り下ろされるイメージが脳内を支配する。


「ッ……やめろ、余計なことは考えるな。今はただ前へ」


 頭が示した最悪の可能性を無理やり片隅に押し寄せて、ワンツは前へ進む。

 氷の刃が目元を通過し耳を少し切る。

 足を進める。

 目の前で交差している腕を動かすと、氷が割れて破片が崩れ落ちていく。

 けれど前へ。

 指先は凍り、吐く息は白い。

 構わない。

 この足を止めることはできない。

 凍っているかのように冷たい唾を飲み込む。

 腕が何かとぶつかった。

 目の前には氷の結晶があって、中でゲルダが小さくなって泣いている。


「迎えに来たぞ、ゲルダ」


 声をかけると、ゲルダはゆっくりと振り返る。

 赤黒く光り輝く右目からは、涙が流れている。


「どうして……わたくしは来ないでと言ったはずなのに」


「そんなの決まってる。俺がお前を助けたいと思ったから。だからお前が、どれだけ絶望の底へ叩き落されようと、俺が絶対に救い出してやる」


 霜が付き固まりかけていた拳を握りしめ、クリスタルを殴りつける。


「生きているだけで罪だと言うのなら、俺も一緒に背負ってやる。だから俺の手を取ってくれ! 俺と一緒に来い、ゲルダ!」


「……はい」


 クリスタルが割れて、ふたりの手が触れ合う。

 嵐が晴れ、世界が明るくなる。


「ありがとうゲルダ。俺の手を取ってくれて」


「いいえ、わたくしの方こそお礼を言わせてください。ありがとうございます。ただ腐っていたわたくしに、未来を見せてくれて」


「そんな大げさな」


「大げさなどではありません。だってわたくしは、こうして救われた気持ちですもの」


 ゲルダは合わされた両手をギュッと握ってきて、微笑んでくる。

 氷の魔女と呼ばれ蔑まれてきたであろう少女の手は、柔らかく温かかった。


「あともうひとつ、甘えさせて頂いてもよろしいですか?」


「いいよ、俺にできることなら」


「わたくしに魔力を少し分けて頂きたいのです。魔眼を止める魔力が残っていなくて」


「それはいいけど、どうやってーー」


 ゲルダは一瞬、視線を横にやる。

 つられてワンツも顔をそちらへ向けると、視界を遮るようにゲルダの顔が寄せられる。


「あ、ちょ」


 反射的に離れようとするが力が入らない。

 痛みを覚悟して目をつむると、頬に柔らかい感触が押し当てられる。


「これからよろしくお願い致しますわね、ワンツ様」


 耳元でゲルダが囁く。

 瞬間、頭の中でゲルダの声が反射してめまいがする。

 薄れゆく意識の中、最後に映ったのはゲルダの微笑み。

 そしてフレアらしき少女の叫び声だった。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

次回予告

「正義ある皆に誓う。魔王、ワンツを必ず討つと」

「魔王、俺と決闘しろ」

「そうか、これで……この程度で終わりなのか」

「ばーーーーーーか!!」


次回第15話:魔王と氷の魔女の朝

1月12日19時頃公開!

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